幕間 【グラジオラス邸付近の森にて③】
男が右手に持っていた鞘が、手の中でボロボロと音を立てて崩れ落ちた。
男はそれを見てため息を吐く。
「お気に入りだったんだ。悪くない鞘だった」
「そりゃ残念、お前も一緒に行ってや———」
ドンナーが一言言い終わる前に、男が既に目の前に刀を振り上げていた。
ドンナーの知らない、圧倒的な速度。
斬り下げられた刀の残閃が鈍く残る。
耳の端が切れている。血が吹き出し、小さな肉片が落ちるのがわかる。
「人中を狙ったんだが、良い反射神経だな」
気付けば自身の身体が横へ逸れていた。
反射で回避行動をとっていたのだろう。
しかし、もう同じように生き残ることはできない。
相手は位置を修正し、再度刀を振り上げる。
槍での防御を図って穂先を突き出す。
が、しかし相手の狙い目は腹部ではなかった。
槍を持つ右手に凶刃が迫る。
手首から上を、戦士の命を切り飛ばそうと、刀が鈍く短い弧を描く。
その瞬間だった。
緑色の魔力で形成されたワタリガラスが、男の真横から猛スピードで迫り来たのだ。
この軌道と速度では確実に直撃する、そう気付いた男は刀の向きを変え、土壇場で防御姿勢をとる。
ワタリガラスの嘴が、刀の刃に触れた途端、大きな音と衝撃と共に、魔力となって霧散する。
男は緑の霧となった魔力が遮る空気を、刀を軽く振って晴らす。
ドンナーを挟んで向こう側、霧の原因であるワタリガラスを、こちらへけしかけた人物と目が合う。
「ドンナーお前、今日二度目の敗北だな」
「アヴァンニールさん!」
アヴァンニールと、そう呼ばれた男の方へ、ドンナーが身体を起こして駆け寄った。
どうやら目の前のアヴァンニールと呼ばれた彼が槍使いのボスらしいと、男は静かに目星をつける。
「長い白髪に折れた片角、確かに情報通りだ」
「ほう、誰から聞いた」
アヴァンニールと刀の男の間に緊張が走る。
情報源がいるようだ。果ての森程ではないにしろ、こんな端の辺境にまでわざわざ出向いてくるのだから、噂には裏を取っているだろうと勘付いていたが。
「誰から?良い質問だ。答えてやろう。ウェザー・グラジオラスの娘からの情報源だ」
「やっぱり……!」
刀の男の発言に、ドンナーは思わず声を上げる。
何もリアクションこそとらなかったものの、アヴァンニールもドンナーと同じ気持ちだった。
やはり、ルミュー・グラジオラスは裏切ったのだ。
なら、記憶喪失というのもあの場を切り抜けるための嘘である、という可能性が大きくなってきた。
しかし一つの嘘のためにピンチに陥る理由もわからない。ルミュー・グラジオラスなら、正面からこちらを打ち破ることだって容易いはずだ。
「随分口が軽いんだな」
「情報提供者について聞かれたら、積極的に教えてやれと王から言われていてね」
「シャハーダ、相変わらず底意地の悪い奴だ」
スターチス王国の王、シャハーダがそう命じた理由は明白。魔人の味方などいないと、こちらに知らしめるためだろう。
やはり魔人以外の者に頼るなど失策だったと、アヴァンニールは下唇を噛む。
「それに、お前たちはここで死ぬんだ。何をいくら話したって変わらんだろう」
「ほう、随分自信があるようだ———」
そのアヴァンニールのセリフは、男の刀の振りによって終わりを迎えずに閉じる。
瞬間移動の如く、刀の間合いまで踏み込み、そのままアヴァンニールの首を狙った横薙ぎの一閃。
鈍い色の剣線がアヴァンニールの首へと吸い込まれ、そのままアヴァンニールの細い身体が右方向へと吹き飛んだ。
派手な轟音と共に、木に身体を打ちつけるアヴァンニール。
しかし、すぐさまマントの衣服の埃を叩いて立ち上がるアヴァンニールに、男は明らかな違和感を覚える。
「首を切った筈だが」
「見間違いじゃないのか?」
再度、男がアヴァンニールの方向へ踏み込み、刀を振るう。
次は木が背後にある。吹き飛び受け身を取ることはできない。
確実にアヴァンニールの命を奪うための、体の真ん中から両断する横薙ぎ。
しかし、その刃はアヴァンニールに届かない。
刀とアヴァンニールの間を数ミリほどの空気が阻んで進ませない。
刀をそれ以上進めようとすれば、空気に押されてアヴァンニールの身体が木へとめり込む。
しかし、その木の幹との間にも、薄い空気の幕が張られている。
「気色の悪い歩法だな。流派を混ぜて自分のものにしているのか。それに随分細長い剣だ。お前、デュース・シルバーか」
「だったら……どうした!」
刀の男、デュースは、右手に持つ刀を一気に真横へ振り抜いた。
刃はアヴァンニールを空気の壁ごと押し出し、めり込んでいた木の幹ごとアヴァンニールを後方へ吹き飛ばす。
しかし、立ち上がったアヴァンニールには、傷どころか汚れの一つさえ目立たない。
その様子に、デュースは思わず驚いた声を上げる。
「……」
驚いた様子のデュースを見て、アヴァンニールは一つの疑問を思い浮かべる。
奴はこちらの魔法を知らない。
アヴァンニールの魔法、ライデンフロストは、自身の周りに薄い空気の膜を張り、相手の攻撃が直撃するのを避けるといったものだ。
アヴァンニールの手持ちの魔法の中でも、防御に特化したかなりの上級魔法で、先程のグラジオラス邸での戦いでも活躍した。
そんな自慢の魔法の性質を初見で見破り、弱点まで看破して見せたのがルミュー・グラジオラスだ。
彼女からの情報だというのなら、この魔法はまず知っていないと辻褄が合わない。
恐らくデュース達スターチス陣営は、魔人の居場所については情報を得ていても、その戦い方や魔法に関しての詳しい情報は得ていない。
何故かはわからないが、これはチャンスだ。
「アヴァンニールさん!」
考えをまとめたアヴァンニールの元へ、ドンナーが槍を持って駆け寄る。
身体中傷だらけで、肩で息をしている。アヴァンニールが来るまで、かなりの激戦をしていたことが容易に想像できた。
「あいつかなり強いですよ。おれやられちゃいそうでした」
「そうだろうな。デュース・シルバー、スターチスの大隊長だ」
「大……!?マジか、じゃあここで———」
「いや、殺してはいけない。殺せば、シャダーハを討つ作戦に支障が出る」
「じゃあどうするんです?もしかして、逃げるんですか」
「そうだ。正しくは、こちらの実力を誤認させ、手の内をできるだけ見せないようにしながら逃げる」
そう言ったアヴァンニールが、自身の杖に魔力を展開する。
そもそもアヴァンニールが得意とする戦法は、狼を出す魔法と、カラスを出す魔法を応用した基本魔法の連射だった。
特に基本魔法の速射に関しては、アヴァンニール自身、ルミューにさえ遅れは取らないと自負している。
そんな普段の戦法を封印しアヴァンニールは、スターチス王国剣鎧武隊大隊長、デュース・シルバーと相対する。
スターチス王国騎士団には3つの部隊がある。
その中でも隊員数が最も多いのが、地上戦を主とする剣鎧部隊である。
100人単位の騎士達を纏め上げる隊長の、そのさらに上に立つのが大隊長である。
それはまさに、スターチス王国で2番目に強い者の称号。
その称号を、若干28歳という若さで手に入れた彼、デュース・シルバーは、天才と呼ばれ続けた男だった。
幾つもの武術、剣術、護身術を学び、マスターし、そしてそれら全てを完璧に己のものとしてまとめ上げ、そして今の彼オリジナルの戦い方へと昇華させた。
テレポートと見紛う程の縮地歩法に、大概のものを切り落とす剣術。
まさに選ばれた天才のみがなしえる、才能を努力で叩き上げた戦法。
「お前如き殺せなきゃな、アヴァンニール」
デュースは右手で持つ刀に、鞘を失い自由になった左手を添える。
デュースの戦闘技能はあらゆる面で高みにあったが、その中でも群を抜くのが速度だった。
一歩、前に踏み出した足が、次の瞬間には、相手を刀の間合いへと捉えている。
「“グルナ・フレイル”」
たった一歩でアヴァンニールへと距離を詰めたデュースへ撃ち込まれる、アヴァンニールの魔法。
魔力は炎へと変わり、天空へと細長く昇る。
そして、昇った空を赤く染まらせ、勢いよく地上へと落下する。
炎は長く太い身体を持つ龍のようにうねり、その熱い牙をデュースへ突き立てた。
「この程度か」
しかし、デュースはその炎を刀でなんなく受ける。派手な割には威力も重さもない。所謂見た目に魔力を割いたハリボテ魔法。
「うちのジジイの方がまだマシだぞ」
デュースは炎を振り払い、刃をアヴァンニールへと向ける。
しかしそこへ間髪容れず、ドンナーが槍を横薙ぎに振り回す。
デュースは後方へ跳んで躱わすが、アヴァンニールの魔法がその隙を逃さない。
炎の龍がトグロを巻き、その頭をデュースへ向けて一気に突き出した。
大きな衝撃と爆発音が巻き起こり、その場が煙で見えなくなる。
思わず煙を勢いよく吸い込んでしまい、ドンナーは口を抑えて咳き込んだ。
隣を見れば、アヴァンニールが口元にマントを当てて平然としている。
そして目の前、デュースの姿は煙で全く見えない。
「来るぞ」
そんなアヴァンニールの一言を合図に、デュースが煙から勢いよく現れ出た。
刀を右手で構え、左手は照準を合わせるようにこちらへと向けている。
ドンナーは横薙ぎの一閃と予想し、槍の防御を構えるが、しかし予想に反してデュースは刀を振らない。
再度踏み込む右脚と見せかけて、デュースはアヴァンニールの後方へと回り込んでいた。
咄嗟に後ろを振り向いたアヴァンニールと、回り込んだデュース、両者の瞳が睨み合う。
「斬る」
デュースは短い一言を発し、アヴァンニールのガラ空きの腹部へ刀をめり込ませる。
刀とアヴァンニールの間を阻む空気の壁が歪み、アヴァンニールの骨が軋む音がする。
「アヴァンニールさん!」
ドンナーが咄嗟に声をかけるが、しかしアヴァンニールは既に痛みで顔を歪めている。
刀の凄まじい勢いに、細いアヴァンニールがその場に立っていられるはずもなく、そのまま右方向へと吹き飛ばされる。
数秒間を置いて、遠くで衝撃音と土煙が立つ。
「次はお前だな」
「そう簡単には———」
アヴァンニールを吹き飛ばした勢いのまま、次はドンナーへと刀の切先を向けるデュース。
そのまま首から上を切り落とそうと刀を振るった、その時———
ドンナーの身体が黄色く光り輝いた。
眩く輝くドンナーに、思わずデュースは目を細める。
次の瞬間雷光が走り、ドンナーの体がその場から消える。
残ったのは、デュースと黄色い魔力の残滓のみだった。
「まさか……」
ドンナーを包み込んだ魔法には見覚えがあった。戦いの中で、彼自身が身に纏って使っていた高速移動魔法エクレール。
もしもあの魔法をアヴァンニールも扱えて、そして魔法の効果を他者にも適用できるとするなら。
「追わなければ」
デュースは刀を短く振って汚れを落とし、アヴァンニールを吹き飛ばした方角へと向かって走り出した。
▽▽▽▽▽
「さすがアヴァンニールさん!まさか相手の攻撃力を利用しちゃうなんてね!」
「たまたまだ。本来の作戦ではない」
しかし、何とかドンナーを連れて遠くまで逃げられているのは確かだ。
こちらの手の内も、ほとんど見せずにこうしていられるのは、幸運と言って差し支えないだろう。
しかしほっと一息ついていられるほどの距離でもない。
ドンナーにエクレールをかけて逃したが、裏を返せばエクレールが間に合う距離でもあるのだ。
「ご苦労」
デュースから遠ざかって走るアヴァンニールとドンナーの元へ、森の中を一羽のワタリガラスが並走する。
魔力で精巧に作られた、アヴァンニールの得意とする魔法の一つだ。
先ほどのエクレールも、このカラスの役割が大きい。そして今も、書きしたためた手紙を拾い戻ってきてくれた。
「このまま向かうぞ、スターチス王国へ」
アヴァンニールはドンナーへそう宣言すると、カラスに再び手紙を持たせた。
緑色の魔力の粉を奇跡のように靡かせて、ワタリガラスは森を抜けて空へと飛び立って行った。
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