幕間 【グラジオラス邸付近の森にて②】
「なんだ、魔人の生き残りもこの程度か」
伸ばした刀を仕舞い込み、男が低く言葉を放った。この程度かと、はっきりそう言ったのだ。
その言葉に思わずカッとなり、ドンナーは槍を片手に一気に距離を詰めた。
持ち手を短く持ち、穂先を相手へと向け、その心臓を貫かんと一気に突き刺す。
「リーチを捨てたか」
男はそう呟き、刀を右手で構える。
細い刀身が銀色に煌めき、心臓を狙う槍の切先を叩き落とした。その動きのまま、流れるような動作で刃を返す。
一連の動きに全く無駄のない、達人の所作。
刀の刃が下から上へと登り、ドンナーの首元へと吸い込まれていく。
今度こそ喉を切ると、男がそう思ったその時、ドンナーがバック宙で後ろへとアクロバティックに跳ね飛ぶ。
その勢いのまま、ドンナーを囲んでいた騎士の一人を甲冑ごと蹴り飛ばした。
両足飛び蹴りが兜越しの側頭部に突き刺さり、騎士の一人はその威力に耐えきれず地面に倒れ込む。
「ドニーズ!」
今しがた、ドンナーが蹴り倒したものとは別の甲冑から声がする。恐らく、今蹴り倒した騎士がドニーズという名前なのだろう。
数と連携で押してくるのが騎士団の基本戦術だ。そのために訓練を積み、班を作って獲物を狩っている。
ならばまずは彼らから離れることが先決と、ドンナーは近付いてからの不意打ちドロップキックの作戦を決め込み、そしてそれを無事成功させたのだった。
おかげで何とか包囲網から脱出することは出来たが、再び囲まれてしまっては意味がない。
ドンナーはもう包囲されることがないように、槍をしっかりと構えて穂先を向ける。
「下がってろ」
「隊長!」
しかしドンナーの予想とは外れ、騎士達が一人の男を前にして一斉に下がった。いや、その一人の男が下がらせたのだ。
隊長とそう呼ばれた男は、先ほどドンナーを殺しかけた刀を右手で振るい、もう片手にはその刀をしまうであろう鞘を持っていた。
「これは試練だ。俺が、あいつを越えるためのな」
「ああ、その誰かさんを越える前に、きっとここで死んじゃうぜ隊長さん。戦う時は目の前の敵を真っ直ぐ見るって習っただろ?」
「お前が俺を隊長と呼ぶな、魔人風情が。俺の称号が汚れるだろう」
「ああ、ごめんね隊長さん。でも俺って君のことなんて呼べばいいのかわからないし、やっぱり隊長さん呼びは継続させてもらうことにするぜ」
「そうか、矯正するより殺す方が早そうだな」
隊長と呼ばれた男はそう言い、先制攻撃の構えをとった。右手に持つ刀の刃を返し、そのまま右腕を後ろへと下げる。
そんな隊長の様子を見て、ドンナーは槍を深く握り込んだ。
隊長と自身の間は5、6歩ほど離れている。
どれだけ相手の動きが速くとも、真っ直ぐ直線上に突っ込んでくる分には対応ができる、それほどの距離だ。
我ながらなかなか良い位置どりが出来ていると、ドンナーは心の中で自賛する。
後は注意深くあの隊長の動きを観察し、初動を見逃さなければ良い話だ。
両者のしばらく動かない時間が続き、そしてやっと、隊長の左足が一歩前に出る。
ドンナーはその動きを見逃さない。足の向きは同じ、敵が向かってくるのは正面方向。
来るなら来いと槍を構えたところへ、横薙の刀の一閃が煌めく。
あまりにも刀が届くのが速過ぎる。
目測で5、6歩必要なはずの距離を、目の前の男はたった一歩で詰めてきたのだ。
鋭利な刃がドンナーの腹部を狙って振り払われる。上半身と下半身を切り離さんとするその一撃を、ドンナーは跳んで躱した。
後方へ跳び下がるドンナーに追撃を加えようと、隊長が刀を返して更に踏み込む。
しかしそれは、ドンナーの想像通りの動きだった。
槍の穂先を天へ向け、槍の持ち手を浅く持ち、そのまま切先を隊長へ向かって振り下ろした。
ドンナー得意の一撃が炸裂する。
槍と刀のリーチ差を活かした完璧な作戦と、ドンナーは心の中で再度自賛する。
しかし、良い作戦のわりに手応えが無い。上手く回避されたのだろう。
ドンナーは槍を持った姿勢のまま地面に着地し、隊長の動きを確認しようとする。
その瞬間だった。
鋭い剣閃が光を反射して眩しく光る。
右方向から、今度は首元へ向かって刃が吸い込まれていく。遅れて、刀が空気を割る風の音が聞こえる。
急所が刀に飲み込まれる直前、ドンナーは咄嗟に、手に持つ槍を縦方向へと構えた。
槍と刀がぶつかり合う、甲高い音が響き渡る。
重い力のぶつかり合いは、両者の腕にまで衝撃を走らせ、その影響で両者が若干後ろへと仰け反った。
衝撃で腕が痺れ、その腕の痺れによって、自分は間一髪、槍の防御が間に合ったことを知る。
まだ息があることに安堵し、そして間に合わなければ死んでいたという事実にドンナーは再度息を呑む。
しかしここは戦場で、これは殺し合いだ。
ドンナーがどれ程恐怖を味わおうと、敵はそれに構わず刃を振るってくる。
それは、目の前のこの男も当然例外ではない。
槍と刀の激音が鳴った直後、男は既に刀を後ろへと引く動作を取っていた。
衝撃によって後ろへ仰け反ると、そのまま男はその勢いを利用してその場で一回転し、今度は別方向からナイトへ向かって斬りつける。
容赦ない追撃、しかしドンナーはなんとか食らいつき、槍での防御を図った。
再度、剣戟による鋭い衝撃音が走る。
地面に槍を突き立て、持ち手の部分でなんとか防いだ刀の一閃。
しかし防ぎ切れたわけではない。
腹部の服に切れ目が走り、布に赤く血が滲む。
ドンナーはなんとか痛みを堪え、槍を下から上へと薙ぎ払う。
攻撃が当たったとは期待していない。ただ、相手をリーチ外へと追いやれればそれでいいと放つ、苦し紛れの縦薙ぎ。
「おい、苦しそうだぞ」
しかし、男はその攻撃に大した動きを行うまでもないと、たった二歩、横へはけるだけで躱わす。
痛みを負った大振りの槍に、先ほどまでの防御のキレは既に失われていた。
大振り後の、槍を大きく天へ掲げガラ空きになった横腹へと、男の持つ刀が迫る。
上半身と下半身が両断される手前で、ドンナーの槍がなんとか刃へ追いつく。
三度目の剣戟音、しかし今度は、ドンナーのみが後ろへよろける。
「大隙だな」
男はそれを見逃さず、ドンナーへ向かって一歩詰める。
深く刀を構え、その心臓を一突きにしようと懐へ潜り込む。
ドンナーが槍の持つ手の位置は浅い。
懐へ入った敵を捕らえられない。
刃が、切先が、ドンナーの心臓へと刺し迫る。
「“パラリッジ!!”」
直後、走る閃光。
バチンと男の刀とドンナーの体の間に電撃が走り、男は思わず後ろへと仰反る。
今度はドンナーの番だ。
当然、隙を見逃すわけがない。
槍を両手で深く構え直し、穂先を男へと向け一気に突き刺す。
これはまずいと、男は左手の刀で防御姿勢を取ろうとするが———
「特製ぇ!麻痺魔法!」
たった今ドンナーが放った魔法が、男の腕を麻痺させており、動かすどころか、刀を握り込むことすらギリギリの左手だった。
「クソっ!」
槍が身体を貫く寸前で、防御の姿勢を右手に切り替える。
素早く逆手持ちの鞘を順手に切り替え、先程まで刀を振るっていたのと同じように鞘を扱う。
しかし違いは明白。
槍の前に差し出しても剣戟にはならず、ただ鞘が貫かれ、瓦解するという決定的な違い。
ならばと、男は槍の穂先に沿わせるように鞘を滑らせ、槍の貫く行き場を変える。
刀の先さえ己の身体のように扱う、達人のみに許された超絶技巧。
「なんだそりゃぁ!」
ドンナーの槍は男の真右、何もない空間を勢い良く貫いた。
空を切る音が、ドンナーの素っ頓狂な声と合わせて聞こえる。
男は右手に刀のように構えた鞘を振るい、ドンナーの胴を横一文字に切り裂いた。
そこに刃は無いのだから、その一撃は確かに打撃であるはずなのだが、しかしドンナーの横腹を撃つ痛みは確かに鋭利だった。
一撃に撃たれ、ドンナーの身体が真後ろへと吹っ飛ぶ。
その勢いのまま背中を地面に叩きつけられ、再度ドンナー痛みに顔を歪める。
と、追撃に備えてすぐに跳ね起きるが、どうやら男はその場から動いていないようだった。
「効いてるみたいだな、俺の“
「あぁ、癪だが効いてるよ」
「素直なんだな意外に!魔人に魔法を喰らうなんて口にも出せないかと思ってた」
「素直さと努力が、強くなる近道だそうだ。お前も見習うと良い」
男は右腕を下げたまま、その手に持っていた刀を左手へと持ち帰る。
土壇場で初めて成功したドンナーの
残存魔力はあまり多くない。一、二発何か撃てれば良いところだろう。ようやく使えるようになった
今度は、こちらの魔力の充填を見逃さないようにしているはずだ。
ならば、読んでいても関係がない技で攻める。
それが、ドンナーの出した結論だった。
魔力が槍の、それも穂先へと一気に集中する。
それを両目ではっきりと確認した相手の男は、左手に持ち替えた刀を構える。
再度、しばしの沈黙が起こる。
しかし、今度先に動き出したのはドンナーの方だ。
踏み出した足を起点にし、前足で地面を蹴り跳ねる。
地面に足形が付くほど踏み込んだ一歩は、ドンナーの体をロケットのように一気に前へと打ち出した。
「良い身体能力だな」
「そりゃ、どう———」
一気に間合いを詰めたドンナーを警戒し、刀を少し上げる男だが、ドンナーは男を通り過ぎ、その背後へと回り込む。
「———もっ!」
回り込んだドンナーは、男の背中に槍の切先を突きつけ、そのまま真っ直ぐに急所を貫こうと腕を伸ばす。
バチン、と青白いジグザグの閃光が走る。
魔力が迸る音だ。
「一歩、踏み込みが甘いな。次は修正しろ。その次は、無いがな」
しかし、ドンナーの槍の一撃は、男の左手に持つ刀によって軌道を変えられる。
下方向から勢いよく打ち上げられ、行き場を失った槍に体の主導権を持っていかれる形で、ドンナーの身体も背後へと低く飛ぶ。
刀が煌めく銀色の閃光が、空中のドンナーの身体を捉える。
一閃目、ドンナーは何とか槍で受ける。
響く剣戟、走る閃光、しかしそれに安堵している暇はない。
二閃目、一閃目とは真逆の方向からの攻撃、小回りの効かない槍では防御が間に合わない。
仕方なく、身を捩っての回避を選ぶが、躱しきれずに薄皮が切れる。
痛みに顔をしかめることすらできず、追い討ちの三閃目。
今度は頭上から振り下ろすような攻撃。
当たれば縦に裂けるほどの鋭い銀の一閃。
男は左手の手を高く掲げ、その刃先をドンナーの頭上へと振り下ろした。
「終わりだな」
宙を飛んでいた身体が、いつの間にか地面に触れている。
後ろへ一歩引こうとして、ドンナーはやっとそのことに気が付いた。
背後を確認する暇もなく、目の前の男の刀が頭上へと迫り来る。
背後へは引けず、槍は間に合わない。
まさに絶体絶命の状況。
しかし、ドンナーはその状況で不敵に笑う。
「やっと、胴が空いたな」
そう、待っていたのは縦振り、それも勝ちを確信し、完全に油断をした状態での振りだった。
「“エクレール”!!」
ドンナーの声が響き、魔力が一気に迸る。
ドンナーの槍が横薙ぎが、男の右腹部へと吸い込まれた。
それは、ドンナーがまだ目の前の男には見せたことがない速度。
落雷のような轟音が鳴り響き、土煙が大きく立ち上った。
振り抜いた槍を掲げ、ドンナーは息を切らしてその場に立ち尽くす。
強敵だったが、しかし今の一撃が直撃すれば動くことすらままならないだろう。
落雷の魔力を存分に込めた、本気の横薙ぎ、これで立ち上がられるともうほとんど打つ手が無いが———
「はは……マジかよ。あんた、不死身かなんか?」
「バカ言え、防いだだけだ」
土煙が晴れ、その場で真っ直ぐに立つ人影が、両目でこちらを見つめていた。
目立った外傷は無く、血を流していることもない。身体はただ少し汚れているだけの様子で、ただその場に立っていた。
と、男が右手に持っていた鞘が、手の中でボロボロと音を立てて崩れ落ちた。
男はそれを見てため息を吐く。
「お気に入りだったんだ。悪くない鞘だった」
「そりゃ残念、お前も一緒に行ってや———」
ドンナーが一言言い終わる前に、男が既に目の前に刀を振り上げていた。
ドンナーの知らない、圧倒的な速度。
斬り下げられた刀の残閃が鈍く残る。
耳の端が切れている。血が吹き出し、小さな肉片が落ちるのがわかる。
「人中を狙ったんだが、良い反射神経だな」
気付けば自身の身体が横へ逸れていた。
反射で回避行動をとっていたのだろう。
しかし、もう同じように生き残ることはできない。
相手は位置を修正し、再度刀を振り上げる。
槍での防御を図って穂先を突き出す。
が、しかし相手の狙い目は腹部ではなかった。
槍を持つ手が、手首から先が丸ごと切り飛ばされる。
今日最も勢いよく血が吹き出し、痛みに叫び声を上げた。
「お前、ゲレットはするか?ボードゲームの。あれは打つ手がなくなると詰みになる。詰みのことを“レヴォル”って言うんだ。わかるか」
痛みに叫び声を上げるドンナーを冷静に俯瞰し、男は淡々と言葉を紡ぐ。
「“レヴォル”、今まさにお前の状況だな、魔人」
男は痛みにうめくドンナーにとどめを刺そうと、その刀を勢いよく振り上げた。
「じゃあな、魔人」
ドンナーの首を狙い、銀色の斬撃が走る。
その刀が、空中で止まる。
文字通り、その場で静止したのだ。
まるで後ろから巨人に刀を摘まれたように、男の腕も刀を振り上げた姿勢で止まる。
「悪いが、まだお前に死んでもらっては困るんでね」
白髪の魔人、アヴァンニールが、ドンナーと男の前に現れたのだ。
しかし、二人ともそれを認識することはできない。二人どころか、男が下がらせた騎士たちも、それを見守る森の生物たちでさえ、その場で完全に静止している。
「では、また会おう」
アヴァンニールの目が緑色に輝く。
魔力が迸り、世界がゆっくりと溶けていく。
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