第20話 【友達】

バサバサと風を切って羽ばたく音に、地上にいた男達が一斉に空を仰いだ。

ルミュー達の襲撃からしばらく時間が経ち、気絶していた者もポツポツと目覚め始めたあけぼのの頃、マフィア“アザード”の本拠地に空から着陸したのは、翼の生えた男だった。



「あちゃぁ……“嫌な予感”は当たっちまってたわけだ」



降り立って、周囲を見渡すホワイトは、惨状の庭園を見てそう呟く。

木々は折れ、石柱は倒れ、芝生はところどころ抉れている場所さえある。

この場所で大きな戦いがあったことは、誰の目から見ても明らかなものだった。


そもそも、ボスがイグを残して出る、と言った時には反対したのだ。

他にも数人の幹部を残していくべきだと、ウチは色んなところで反感を買っているのだから、確実にこの隙を狙われると。

それがこのザマだ。

それとも———



「よう、ホワイトか」


「アラぁ、坊ちゃん。随分なご様子で」



そのイグが、ホワイトの目の前に現れる。

傷こそ目立たないものの、衣服はボロボロで、オールバックの髪はすっかり乱れ、激闘を終えた後であることがすぐに見てわかった。

その表情は暗く、ホワイトの知る傲岸不遜の声色は消えている。



「坊ちゃん、これ見たら流石のボスもご立腹ですよ。どう落とし前つけやしょう」


「……全部、俺の責任だ」



思いがけぬイグの返事に、ホワイトは思わず「あら」と感嘆の声が溢れる。

以前はこんな人物ではなかった。他人の手柄を自身の物とし、自身の失敗は他人に押し付けるような男だったはずだ。

ハイエナのように楽な仕事やおこぼれを鍵周り、虎の威を借るキツネのように、ボスの1人息子の立ち位置を振りかざしていた。

敵に対しては常に傲慢で、それでいて戦い方は常に臆病だった。

ダサい奴、というのがホワイトのイグに対する総評だったのだが、目の前の男をそう決めつけることはできそうにない。

よほど今回の敗北が答えたのだろう。自身がただの臆病だと自覚できたのかもしれない。

ともかく、イグは襲撃によって成長することができた。



「おや?」



そうすると、ボスがイグをここへ一人残したのは、自身の愛息子を成長させるためだろうか。

前からボスはイグに甘い所があった。愛息子、という点なら甘いのは当然なのだが、しかし今回の留守番に関しては、甘いという域を遥かに越えていたように思う。


もしや、と思考を巡らせるホワイトだが、しかし流石のボスと言えど、そこまでは考えていないだろうと思い直す。



「しかぁし坊ちゃん。責任はどうつけやしょう。罰はおれの役割とは違いやすが、望むなら手を下しやすよ」



意地悪な笑みを浮かべ、指を順番にポキポキと鳴らす。

前々からイグには少し思うところもあった。才能はあるし、それなりに残虐性も持ち合わせている。本気で望み、いくつかの経験を積めば十分ボスの器たるだろうと思った。

その経験を、イグに積ませるチャンスだ。


そんなホワイトを目の前にして、イグは両手をギュッと握り込んだ。

傷は治したが、未だナイトに殴られた痛みは消えないでいる。その上でホワイトにさらに罰を与えられるというのだから、恐怖で震えが止まらない。握り込んだ手にまで汗が滲む。

目の前にいるホワイトが更に大きく見える。背から生える両翼が、此方を睨み付けているように思えた。



「……ああ、やってくれ」


「喜んで」



震えを殺し、なんとか声を振り絞るイグに、ホワイトは嫌な笑みで答えた。


ホワイトが自身の右腕に力を込めると、音を立てて血管が浮き、やがて右手全容が明らかに人の物ではない何かに変容する。

魔力が灯り、赤黒く変色した手の甲から飛び出るように鋭い角が生えた。それが引き金となるように、腕の外側からも次々に同じような角が飛び出る。



「加減はできやせんので、なんとか生きて下さい」



そう言ったホワイトは、イグの返事を待たず、その右腕を一気に振り下ろした。



▽▽▽▽▽



「プリエーレ、あとは任せるぞ」



シエルの短い言葉にプリエーレが短く吠えた。

時間は夜、しかし日は段々と登り始めている。

空は少し明らんで、月は既に薄く消えかかっていた。朝と夜が混じって白い空を、紅い肌の巨大な龍が翔ける姿は、見ていればまさに圧巻の光景だっただろう。

しかし明け方の海上。遮るものが何もない空の上では、目撃者さえも残らない逃飛行だ。

そんなドラゴンの背中を滑り降りて、シエルが籠へと着地する。


中に入れば、ナイトは籠の床に倒れ伏す形で眠っており、壁にもたれて座っているトラストも、よく聞けば寝息をかいている。

そんな中、ナイトを挟む形でトラストの向かい側に座るルミューだけは眠っておらず、両手で一冊の本を広げていた。

シエルが籠へと入ってきたことに気がつくと、ルミューはこちらへ視線をあげて微笑む。



「お疲れ様、ありがとう」



優しい声に、言われたシエルも思わず笑みが溢れた。

全くこの人間には驚かされてばかりだと、シエルは改めて感じる。

初対面での印象は詐欺師を従えた怪しい女だったが、話していくうちに、どうしてこんなに純粋な人間が詐欺師を従えているのか、という方向に思考が変わっていた。

こちらが困っている、という一点のみで、こちらへの協力を決め込み、そしてドラゴンの奪還まで見事やり遂げてしまった。

二度と会えないと思っていたのに、ルミュー達がこうして一緒に飛べるようにしてくれたのだ。

彼女が直接行った訳ではないにしろ、それができる人を集めたのは彼女自身の力に違いないだろう。

他でもない自分も、彼女のその人間性に惹かれている。

まさに太陽のような人物だと、シエルは思う。



「ねぇ、シエル」



そんな思考の世界から引き戻すように、ルミューの声が小さく響く。

「どうした?」と、シエルは元気よく答えた。

ルミューはいつの間にか本を閉じて膝に置き、その身体をこちらへと向けていた。



「ううん、地面に着いたらお別れなのがちょっと寂しくて」



シエルとプリエーレは元々、バトマンには実の母親を探すために来ていたのだ。

色々なことはあったものの、どうやら母親はバトマンにはいないらしい、というのがシエル達の結論であった。

ならば他の地へ探しに向かうのは当然で、そのついでと、そして助けられた恩を返すためにルミュー達をスターチスまで運ぼう、というのがプリエーレと二人で話し合った結果だった。

スターチスへ着けば三人を下ろし、自分達はここで、というのがシエルの想定だったのだ。

少し物寂しいが、彼らは目指すところがある。どこかを飛び回らないのであれば、自分達は少し邪魔になってしまうだろうと、シエルとプリエーレはそう結論付けていた。

しかし、しかしやはり寂しさはある。

心のどこかで何かがつっかえている。



「きっと、お母さんに会えるわよ。私も応援してるし、そうだ、何か力になれることがあれば手伝うし!」


「良いのか?」


「ええ、私たちもう友達でしょ」



そんな心強いルミューの言葉に、やはり少し寂しい気持ちが潰えない。

ここで別れるのは寂しいと、そう言いたいのに心でつっかえている。

シエルにとって、こんな気持ちは初めてだった。そもそも友達という概念さえシエルには無かったのだ。彼女にとって周りの人間は、否、周りのドラゴンは皆家族だった。

そもそもドラゴンとは孤高の種族なのだ。

基本的には家族での関わりしかなく、家族以外の生物に興味は無かった。

シエルもそんな環境で育ったのだから、当然例外なくその思考に染まっていた。

だからこそ、実の親に強く興味を持ったのだ。


そんな中、出会ったのがルミューだった。

困っているシエルを、事情も良く知らずに助けると決め、そしてそれをやってのけた。

共に戦い、無事にプリエーレを救うことができた。

シエルにとって、初めてできた友達がルミューなのだ。



「ァオォォォオオ」



そんなシエルの背中を押すように、外からプリエーレの咆哮が聞こえた。

ルミューは驚いたように窓へと目を向けている。その横顔が、シエルの目に入った。



「あたし、ルミューともっと一緒にいたい」



気付けば、シエルの口から思いが溢れていた。

そんなシエルの声を聞いて、ルミューは優しい微笑みを浮かべる。



「私も、ちょうどそう思ってたの」



その返事に、シエルはくしゃっとした笑顔を浮かべた。

ずっとつっかえていたことが取れた、すっきりとした笑顔だった。

当然母親探しは諦めないが、人生はまだ長い。

今は目の前の女性と共にいる時間を、シエルは選びたいと思った。


そんなシエルを肯定するかのように、プリエーレが嬉しそうな唸り声を上げた。

シエルにとって初めての友達が出来たことを、そしてその友達と離れ離れにならずに済んだことを喜ぶような、そんな優しい唸り声だった。


▽▽▽▽▽


拍手の音が鳴り響く。

暗いシアターに電灯が付き、幕がゆっくりと閉じられる。

そこはスターチス王国の中でも有数の劇場だった。劇の幕引きを見送って、一番後ろ、最も出口に近い席に座っていた一人の男が立ち上がった。

手に持っていたメモ用紙とペンをコートのポケットにしまいこみ、手ぶらになった両手を同じくポケットに突っ込む。


劇場の外に出ると、劇場の前は物凄い人だかりになっていた。しかし男はその状況など慣れていると言わんばかりに、人混みの中の間を縫って何とか抜け出す。


人だかりは客には用が無いと言わんばかりに男の影には目もくれず、演技を終えた役者が出てくるのをその場で待っているのだった。


何とか人混みを抜けた男がふと振り返ると、劇場の巨大な看板が見える。

『翠の群狼』というタイトルが飾られた看板には、煌びやかに着飾った役者達が何人か描かれている。


しばらくすると、花を持った役者達が出口から次々と現れた。看板と同じように着飾っているが、しかし看板のように険しい表情はしておらず、むしろ真反対にやわらい笑みを振り撒いている。


そんな役者達に一斉に群がる出待ちのファン達を、道を開けるように騎士達が順番に人混みを抑えた。

やっと出来た道を、役者達が順番に手を振りながら通り過ぎる。


そんな人だかりを遠くから見下ろしていれば、役者も一人、あの看板にも映っていた主役の男がこちらに手を振ってくる。

手を振られた男は、しかしその手を無視してツカツカと歩いて行ってしまう。

男が劇場に訪れた目的のほとんどを得ることはなかった。なれば、あまり長居をする意味もないと、そう男は考えていた。

この芸術の国の、中でも一番花のある場所に、自分は相応しくないと思っていた。



「教授……一体どこにおられるのか」



誰にでもなく発したその呟きが、拍手と歓声にかき消される。

そんなことは、ここでは日常茶飯事であった。


ここでは常に、思わず心が躍ってしまい、足がステップを踏むような音楽が流れている。

あらゆる場所の劇場では、今日も一流の演劇が行われている。

絵画を見たいなら街の西へ、物語を楽しむなら街の東がいい。

街のどこへ向かっても、鮮やかなで綺麗な街並みと、笑顔の絶えない住人達。

そう、ここは芸術と花の都。

スターチス王国中心都市『アール』

この街には、あらゆる娯楽が揃っている。

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