第16話 【下水道にて】

「こっちだ」



ナイトが正面玄関で暴れ始めた少し後。

ルミューとシエルはトラストの案内で、マフィアの邸宅の裏口へと辿り着いていた。

正面からは、構成員達が大騒ぎしている様子が聞こえる。どうやら、ナイトはうまくやっているようだ。

トラスト曰く、今この屋敷に残っている実力者は、若頭と呼ばれる男だそうだ。

彼は特殊な魔法器を武器にしており、防御に長けた戦法を取るという。

面倒な相手なので、極力戦闘は避けたいと話すトラストに、ルミューは同意の声を上げる。



「そういえば、お前は記憶が無いんだってな」



ここに来るまでの道中で、シエルとトラストには粗方の生い立ちを話した。生い立ち、といっても、ルミューが自身のことを語れるのなんてせいぜい数日間なのだが、まあとにかくその数日間で何があったのかを語って聞かせた。

ほとんど包み隠さず話したが、唯一、地下室のことだけは二人には話さずにいた。

ややこしいことになれば面倒だと思ったし、何より、二人に自分の人間性が疑われるのを危惧したからだった。


そうして記憶喪失のことを話せば、トラストが幾つか魔法を教えてくれた。

ナイトを転ばせた魔法と、その他にも相手を黙らせる魔法や、探し物を見つける魔法など、戦闘用と言うよりは、便利用と言った方が正しいような魔法ばかりだったので、今回の奪還作戦では少し役に立たないかも知れないが、とにかく、ルミューの戦力レベルは最初よりも少し上がっていた。

シエルとナイトにも魔法を聞いてみたが、二人とも一切魔法を使わないようで、ルミューが吸収できるようなことは残念ながら無かった。


そうして今、裏口から侵入し、屋敷内を歩いているときに使っているのは、詐欺師直伝の足音を消す魔法だ。これは本当に便利で、突然の急停止も一切音がしない。

こんな魔法があれば、泥棒もしやすいだろうなと感じたルミューは、トラストの方を見てハッとする。



「……窃盗詐欺師」


「なんだ突然」



とにかく、そんな隠密魔法のおかげで、大きな屋敷の中でも順調に探索が進んでいた。

シエルの提案から、別れて進むのは詐欺師が心配とのことで、3人は固まって探索していた。

さらにシエルは鼻が良く効いたので、この向こうに構成員がいる、だとか、この部屋は書物が沢山置いてある、などの索敵としても大変役立った。しかし、肝心のドラゴンの匂いが全くしないようで、シエルは少し落ち込んでしょぼくれている。

そこに声をかけたのは、意外にもトラストだった。ドラゴン程の巨大生物を監禁しているのだから、地下に空間があるはずだと、そう目星づけたトラストの考えは大正解で、少し探せば地下へと続く階段があった。

正直、先日のこともあったので、地下室にはあまり入りたくはなかったが、誰かが困っているなら仕方ないと、ルミューは覚悟を決めて階段を降りた。


階段を降りると、そこは巨大な迷宮のようになっていた。右を見ても左を見ても奥が見えないほど長く道が通っており、その道に沿って水が流れている。



「嫌な匂いだ……鼻が曲がる……」



ルミューとトラストはそこまで気にはならなかったが、鼻の良いシエルにはキツイようで、そこからは鼻を摘んでの探索になった。

そんなに嫌な匂いが充満しているのなら、どうりでドラゴンの匂いもわからないはずだと、3人は合点がいく。



「しかし……どっちだ……」



シエルの鼻に頼れないとなると、2択の正解がわからなくなってしまう。

五感を一つ奪われたシエルは悲しそうに、左右を交互に見て頭をひねる。



「ねぇ、ドラゴンって、生物なのよね」


「ああ、巨大魔法生物だ」


「なら、魔力探知で見つけられないかしら」



そんなルミューの提案に、シエルがそれだと驚きの声を上げる。

そうと決まればと、ルミューは目を瞑って集中する。

あまり下水の空気を吸い込むのは嫌だったので、深呼吸は程々にして、瞑想に近いような形での探索を試みる。

どんどんと、自身の両サイドに魔力探知の範囲を広めていく。



「驚いたな。そこまで広く探知できるのか」



そんな、トラストの素直な感嘆の声も、今のルミューには届かない。

そうしてやがて、右方向に巨大な魔力を感知する。

魔力の形は人によって様々で、色々な個性があると、数回の魔力感知でルミューはそう認知していたのだが、そのドラゴンの魔力を感知した時だけは違った。

魔力の量があまりにも大きく、その形が掴めないのだ。ただなんと無く、恐ろしい魔力の塊ということでしか判別ができない。

これがドラゴン、ナイトの言う空の王者なのかと、一足先に驚愕する。

そしてルミューは、魔力探知の世界から帰ってくる。呼吸を忘れていた反動で一気に息を吸うのだが、下水道の空気は不味くて臭く、吸った後にルミューは思わず咳き込んでしまう。



「えほっ、げほっ……見つけたわよ、あなたのドラゴン」


「本当か!?ありがとうルミュー!!」



そう言って喜ぶシエルの姿は年齢相応で、少女の笑顔が眩しく愛らしかった。

下水道の右方向、ドラゴンの方へと向かう道すがら、ルミューはずっと気になっていたことをシエルに尋ねた。



「あなた、ドラゴン……えっと、プリエーレちゃんは妹だって言ってたわよね。あなた達ってどういう関係なの?」


「あたしとプリエーレは、育てられたママが一緒なんだ」



そう懐かしそうに語るシエルの目は、出会ってから見る中で最も優しい目をしていた。



「あたし、孤児でさ。森で捨てられてたんだって。そこを拾ってくれたのが、あたし達のママだったんだ」



そのママ、と呼ばれる龍にシエルは今まで育てられてきたそうだ。

そしてママ龍がシエルを拾った時には既にプリエーレを身籠もっており、しばらくしてから生まれたという。

シエルとプリエーレは、本当の姉妹のように育ってきたのだ。同じ釜の飯を食べ、同じ寝床で寝て、同じ龍を母とした。



「じゃあ、どうしてこんな町にきたの?」



シエルの口ぶりからすると、こことは全然違う森で生まれ育ったようだ。

ならば、わざわざバトマンに来たのには、それなりに理由があるはずだ。

何せあんなに治安が悪く、ならず者達が闊歩する無法地帯だ。

口の一角とはいえ、マフィアが実質の政権を担っているようなものだろう。

龍の世界で生まれ育った少女が、一体どうしてこんな町にやってきたのか、それは至極真っ当な疑問だった。

そんなルミューの疑問に、シエルは少し黙ってから、ゆっくりと口を開いて答え始めた。



「ほら、あたしって、ママの実の娘じゃないだろ。あたしにも本当は、人間のお母さんとお父さんがいるんだ」



そう、本来ならば、シエルを育てるはずだった二人がいるのだ。

シエルを産み落とし、その体を大切に成長まで見守るはずだった、父親と母親がいるのだ。

別に、ママに不満があるわけではなかった。

ママは、実の子ではない私に、実の子と同じくらいの愛を与えて育ててくれた。

狩りの仕方や人間の言葉、簡単な身の守り方まで全てを伝えてくれた。

当然ママのことは大好きだし、感謝も伝えきれないほど沢山している。

しかし、あくまでママは龍なのだ。

私の実の母ではないのだと、ひしひしと感じる瞬間が何度もあった。

どれだけ寵愛を受けても、どれだけ教えを受けても、自分はプリエーレのように自由に空は飛ぶ翼はない。彼らのように身体は大きくならなかったし、大木を薙ぎ倒す尻尾も無い。

大地を引き裂く鉤爪も無ければ、空気を震わす咆哮も出せない。

実の親が恋しくなった、というわけでは無い。

ただ、なんとなく気になったのだ。

私の親なら、顔も私に似ているのだろうか。

声や、性格や、笑った時の笑窪なんかも、ああ、やっぱり二人は親子なんだと、感じる所があるのだろうか。

そのことをプリエーレに打ち明けると、彼女は快く言ってくれた。



「行こうよ!シエルとあたしで、シエルのママを探しに!」



ママに置き手紙を残して一人と一匹の姉妹は森を飛び立った。

目指す場所にはいくつか目星をつけていた。

まず向かったのは、ならず者、無法者の聖地と呼ばれる町だ。

生まれた子を捨てる程なのだから、きっとそういう場所にいるだろうと考えていた。

そうしてバトマンに着いて2日程した時、一人の男から声をかけられた。

あたしに似た女を知っていると。



「まあ、結局そこのクズのついた嘘だったんだけどな」


「ほんと詐欺師ね、あなた」


「仕方ないだろう。騙される方が悪い」


「クズ」「詐欺師」



何処にいるかを教える代わりに、ドラゴンを一日貸して欲しい、遠く離れた母に会いに行きたい。そう宣ったトラストの言葉を信じるべきか、シエルとプリエーレの二人で相談した結果、取り敢えず信じてみることにしたのだが、結局このザマだ。



「とにかく、早く迎えに行ってやらないと。プリエーレもきっと不安なはずだ」



シエルのその言葉にルミューは小さく頷いた。

だが、言葉は出なかった。シエルの言った言葉が、胸に棘のように刺さってつっかえていたからだ。

私の親なら、私に似ている。

そうだ、育った環境が違えど、根本は何処か似かよっている部分があるのだろう。

絵画で父の顔を見た時は、自分との血のつながりは感じなかった。しかし母の顔はまだ知らない。性格も、声も、どんなふうに笑いかけてくれるのかも、眠れない時の子守唄も記憶に無い。

改めて、自分の記憶の抜けた穴の大きさを実感する。何も、自分にはバックボーンに何も無いのだ。自分がこの世界に突然生えてきた雑草のように感じてしまう。

自分という人間の、存在証明が成し得ない。ナイトや、アヴァンニールの、過去の私を知っているという人たちの呼ぶ“ルミュー”は、きっと私のことではない。

それは、両親も例外では無いかもしれない。

もしも両親が一目見て私だとわからなかったら?もしも両親が記憶を失った私を受け入れなかったら?

そう考えてしまった途端、両親に会うのが怖くなった。

プレッシャーと緊張で、胃がひっくり返るような気がする。昨日の晩食べたソテーを、今ここで全部戻してしまいそうになる。汚水の匂いのせいではない。ただ私の記憶が戻った時、今の私はどうなるのか不安で仕方ないのだ。

ずっと押し殺していた弱音が溢れ出そうになって、ルミューは思わずそこで足を止めてしまう。

息が荒い。何かに心を支配されている。



「おい、大丈夫か?」



そんなルミューの様子に気が付いたのか、トラストが立ち止まってルミューを振り返った。



「おい、顔色が悪いぞ」


「二人とも!!プリエーレの気配がしてきたぞ!!」


「待てシエル、様子がおかしい」



その瞬間、トラストの観測する、シエルの背後の空間に歪みがある気がした。ぐにゃりと、何かが違和感を引き起こしているのだ。

失念していたと、トラストは気がつく。

マフィアの本部に残っている実力者は、一人ではなかったのだ。

思い出した、常に若頭についている暗殺者の女。

空間の歪みで何かがきらりと光る。

まずいと思った。ここでシエルを失っては、すべてが水の泡になる。

気付けば、トラストはシエルに飛び付いていた。



「は、え?……おい!詐欺師!」


「だから……トラス……ト……」



トラストは、シエルを庇って地面に倒れた。

その腹部には、銀色に光る糸よりも細い針が突き刺さっていた。

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