第11話 【子分その1】

「は?」



転んだのは魔法が直撃したルミューではなく、その魔法を撃ち込んだ詐欺師本人だったのだ。

初めはこの土壇場でミスをしたのかと思ったが、立ち上がろうとした次の踏ん張りも滑ってしまい、地面に再度激突する。

逃げるため、何度も何度も足に力を込めるが、その度に滑って転んでしまう。

そうしてやがて、詐欺師は立ちあがろうとするのをやめ、ただ床に突っ伏すのみとなってしまった。

思わず落胆のため息が出る。



「何が起こった。お前一体何をした」


「はぁ……知らないわよ……私だって」



息を切らしながらこちらへ歩いてくるルミューに聞くが、しかし望んだ回答は返ってこなかった。

ルミューはようやく詐欺師の元へ辿り着くと、自身もその場へと座り込んだ。

思わず、座った瞬間不快ため息が出る。疲れた足と肺が休息に喜びの声を上げている。



「あなた、目、見えてるじゃないの」


「いや、全然見えない」


「そうなの?すごいわね」


「……嘘だ。見えている」


「何よそれ!」



全く呆れた女だと、詐欺師は思う。

疑うことを知らないのかと、嘘という概念が無い世界からやってきたのではないかとさえ思う程だった。

しかし、心からの善人はいない。人は生まれながらにして皆悪なのだ。

誰もが自分自身の欲を満たすために生き、そして必要とあらば他人を蹴落とす。

それがこの詐欺師の持論であり、人生の結論だった。



「じゃあ、お母さんが病気なのも嘘なの?」


「当然だろう。信じる方がどうかしている」


「そうよね。ナイトも私を止めてた」



さあ、断罪の時間だろう。

悪事に必要なのは罰だ。誰がなんと言うまいがそれだけは変わらない。何かをしでかした物には、相応の罰が下される。

人を騙した自分をこの女はどう罰するのだろうか。見たところ体力は無さそうだ。先ほどの転ばせ魔法と合わせて考えるなら、この女は魔女だろう。

服装は裕福、なら真っ当な教育を受けて、それなりにたくさんの種類の魔法を使えるはずだ。

火炙りか、水責めか。恐らくはかなりの責苦を受けるだろう。

だがそれも仕方ない。罪には罰が必要だ。

むしろ詐欺師は罰を受け入れていた。

罰と称して、ストレスを、怒りを発散させられることを。痛みを喜ぶマゾヒストとは違う。

そうすることで、人間の欲をぶつけられることで、己の思想を肯定される気がしたからだった。

人は誰しもが欲に忠実で、本質では自分のことしか考えていないと。

それが最も色濃く反映されるのが、誰かに罰を与えている時だ。

自分の怒りに、自分の欲に正義という大義名分が得られる。その時に、人は己の欲のたがが外れるのだ。



「さあ、俺を罰してみろ。燃やすか?痛めつけるか?苦しませるか?お前を騙した俺を、お前はどう罰する」



そんな詐欺師のセリフにルミューは一瞬きょとんと目を丸くして、そうして頬を緩ませて笑った。



「そんなことしないわよ。お母さんが病気じゃないなら、それで良いじゃない」


「……は?」



言っている意味が理解できなかった。

良くはない、全く良くないと思った。

大金を、善意をダシに騙し取られたのだ。最も屈辱的な方法で騙し取られた。

そんなことをした者がいたら、誰だって怒るに決まっている。その怒りをぶつける先があるに決まっている。

人は誰しも欲に支配されているのだ。普段はその欲を押し殺して偽善をしている。

その欲に大義名分で色付けられたのだ。その怒りをぶつけないでいられる人間などこの世に存在しないはずだ。

しかし、しかし今この女はなんと言ったか。

病気でないなら良いと、そう言ったのだ。自分の不利益の全てを棚に上げて、誰かが不幸でいないことを喜んだのだ。



「良いわけが、ないだろう。お前は騙されたんだ。善意をダシにされ、好意を無碍にされたんだ。それを、病気じゃないならよかっただと?良いわけがないだろう!」


「どうしてよ」



真っ直ぐなルミューの瞳に見られて、体が固まる。



「だって、誰も悲しくなかったんでしょ。じゃあいいじゃない」



大きく風が吹いた。いつの間にか空を覆っていた雲が消え、曇天が晴れ空へと変わっていた。

雲に遮られていた太陽が顔を出し、その眩い日からが路地裏を照らした。

光に当てられて、ルミューの髪が光った。

その眩しさは太陽のようで、髪から反射した虹色が、路地裏のあらゆる場所を照らしていた。


きっと、きっと俺はこういう人間を探していたと、そう思った。

昔、妹を失った時、あの時から絶望に閉ざされていた心は、いつしか目の前にある光すら影と思うようになってしまっていた。

白いものすら黒く見え、今まで嬉しかったものや輝いて見えたものが、土から這い出たミミズのように突然悍ましく見えた。

魔法は惰性で覚えていた。

妹が勉強していた魔導書を読み進めていたからだった。何もかもが土のように感じていた時も、妹の残したものだけは美しい花のように感じることができた。

いつの間にか、誰かを騙すようになっていた。

元々才能はあったのかもしれない。お金は必要ではなかった。初めは自分を罰して貰うためだけに誰かを騙していた。

騙し取ったお金はほとんど賭博に消えていた。運にのみ任せられるあの瞬間だけは、俺を人に戻してくれた気がした。

人間は皆、心の底に深くてドス黒い欲望を抱え込んで生きている。妹の婚約者もそうだった。結局は、自分のことしか考えていない。俺もきっとそうだ。

途中からは、罰よりも、それを証明するために人を騙していた。怒り狂って、欲に身を任せた連中を見るのは心地良かった。

嘘だ。

怒り狂った様は、自分を肯定してくれているようで、自分が良かった。

嘘だ。

怒り狂った連中から上手く逃げ仰られると、生きていることを実感できた。

それも嘘だ。俺はずっと自分に嘘をついていた。自分を騙して生きてきていた。

本当は、本当の俺はずっと欲していたのだ。

心の底から優しい人間を。最も眩しい光を。

自分の思想を、真っ向から否定してくれる存在を。

俺は裏切られても、詐欺師にまで落ちても尚、誰かを信じてみたかったのだ。


頭のモヤモヤがスッキリと晴れたような爽快感があった。この感覚は、初めて妹と一緒に歩いた時と同じだ。

頭が晴れて、自分の使命を理解した感覚。



「お前、名前はなんていうんだ」



詐欺師がゆっくりと口を開いた。

目は相変わらずルミューの方を見てはいないが、しかし下を向いているわけでもなかった。



「ルミューよ。ルミュー・グラジオラス」



快活に、そう答える彼女の名前を、声に出さずに口の中で反芻する。



「ルミュー。お前は疑うことを知らなすぎる」


「それ、きっとナイトも同じこと思ってる」


「だろうな。だから、俺がお前のそばについてやる」


「え?」



初めて詐欺師が顔を上げる。

ルミューの瞳と目が合う。

その顔は今までの詐欺師の人生の中で、2番目に晴々とした顔をしていた。



「俺がお前の、子分その1になってやろう」


「ええ!?」

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