第10話 【詐欺師を追え】

「行くわよナイト!!あいつ捕まえないと!!」



そう言った二人の目には、依然詐欺師の男の背中が写っていた。

男もとっくにこちらに気付いている様子で、人の波をうまく掻き分け、スルスルと入口の方へと戻って行く。

それを追ってルミューとナイトも荷物を持って駆け出した。

旅行鞄が揺れ、先ほど貰った借用書が地面に舞い落ちる。


入り口からまだそれほど遠く無い場所でルミュー達に気付いたのが、詐欺師にとっては功を奏したようで、詐欺師はすぐに入り口へと到達してしまった。その入り口で、門番に何やら早口で話を付けている様子だが、ここからでは少し遠く、何を言っているかまでは聞こえない。

しかし足が止まっている今がチャンスと、二人はここで速度を上げるが、すぐに男は入口を抜けて出て行ってしまった。

出て行き際、もう一度こちらに向けた視線が、まるで挑発しているようにルミュー達へと突き刺さる。


少し遅れて二人も入り口へと辿り着き、そこから再び詐欺師を追いかけようとした矢先だった。

二人の門番が、ルミューとナイトの前にずっしりと立ち塞がった。

二人の体重でレッドカーペットが深く沈む。

180cm以上あるナイトの、その2倍ほどの体躯もある男達が二人で阻む門を、隙間から素通りすることは出来そうにない。



「ちょっと、どいてよ」


「それは出来ない。店を出て良いのは、金を借りてないやつと、金を返したやつだけだ」



右へ左へと門番を躱して迂回しようとするするが、二人の門番はうまく息を合わせてこちらの通り道を塞いでくる。

こうしている間にも、詐欺師は一歩、また一歩と二人から遠ざかっているのだ。

そう考えると、ルミューはもう我慢できなくなってしまった。



「ナイト!」


「はい、お嬢様」



ルミューの応じかけに答えて、ナイトが一歩前に出る。

二人の門番を強く睨みつける瞳は、よく切れる果物ナイフのように鋭い。



「そんな目をしても、ここを通すことはできない」


「なら、力づくだな」


「ほう、やってみ———」



やってみろと、門番がそう啖呵を切る瞬間さえないほどだった。

ナイトが、無防備に垂れ下がっていた巨大な右腕を掴んだのだ。門番はそれを振り解こうとするが、しかし時既に遅し。

ナイトはそのまま身体を後方へ捻り、腕と肩を支点にして門番を後方、賭博場の奥の方へと投げ飛ばした。

三メートルは有に超える巨体が宙を舞い、そのまま壁に激突して轟音を上げる。


あまりに一瞬の出来事に、投げた直後に巻き起こったのは静寂だった。

誰もが今の事実を脳が受け止めきれず、その場で時間が止まったように動けない。

しかし門番は流石にマフィアの一員ということもあり、他よりも一歩早く正気を取り戻した。

今し方投げられた相棒の敗因を軽く脳内で分析し、自身は腕を上げて組み付くような姿勢で構えを取る。


その姿を見て、他の人物達も何が起こったかを理解したようで、瞬く間に賭博場は大騒ぎになった。衛兵がルミューを囲み、ナイトの目の前には巨躯の門番が立ち塞がる。


喧騒の最中、2人の戦局が動き出した。門番がナイトに飛び掛かるような形で掴み掛かったのだ。

横向きに振り抜かれた両腕は、掴めば一撃必殺のフルパワー地獄だ。

そんな攻撃が明確に殺意を持って放たれるが、ナイトはそれを意にも解さなかった。

クワガタのように挟み込む両腕をしゃがんで躱わすと、その勢いのまま右拳を門番の腹部へと叩き込んだのだ。

人体が壊れる嫌な音がして、門番が血を吐いて後ろへ倒れた。



「お嬢様、障害は去りました」


「そうね、でもちょっとやりすぎかも」


「お嬢様に汚い口で話しかけたこいつらが悪いのです」



やれやれ。といった様子でルミューは首を振る。しかし、そんなことよりも、こちらはルミューそ取り囲んでいる衛兵をなんとかしなければならない。

そう思い、長い髪をかき上げて周囲を見渡すが、どうやらほとんどが今のナイトの戦いを見て萎縮してしまっているようだった。



「行きましょ、ナイト」



そうナイトに声をかけて、ルミューは衛兵の間を素通りする。

2人が過ぎ去った賭博場には、恐怖と興奮で声も出ない衛兵と客だけが残ったのだった。


入り口のレッドカーペットを蹴り上げる柔らかい音と、荒くなった自分の息遣いだけが聞こえていた。

隣を見れば、ナイトは息一つ切らさず、こちらをじっと見つめていた。

目が合うのがとても気に障ったので、ルミューは気付いていないふりをして前に目を向けた。


入口を抜けると、外の明るさが少し眩しく、思わず光を遮るように手を陰にする。

しかし暗かったとは言っても、賭博場の中は少し薄暗い程度だったので、真っ白になった視界が戻るのは一瞬だった。

ルミューは戻った目で周囲を見渡すが、詐欺師の後ろ姿らしき物は全く見えない。

取り逃したか、と落胆のため息を吐こうとして、隣にいるナイトが待ったの声を上げた。



「お嬢様、魔力探知を」


「それよ!!」



詐欺師の男の魔力を完全に記憶しているわけではないが、一度会って話しているのだ。

再度その魔力を見れば誰なのかくらいすぐにわかる自信がルミューにはあった。

大きく息を吸って、そして吐いた時と同じくらい大きく息を吐いた。

目を瞑って意識を集中させ、今度はゆっくりと息を吸っていく。

これ以上吸うのを遅くはできないというほどゆっくりと呼吸をし、集中力を高めていく。

やがて瞼の裏に知覚するのは、ぼんやりとした光で見える魔力。

その光がポツポツと、目の前の光景をを透き通すように人形に明るくなっていく。

半球を広げるように前方の魔力感知の範囲を増やしていき、どんどんと知覚を済ませていく。



「見つけた!」



グッと現実に引き戻される感覚。

貼り付けたテープを、糊を残すことなく一気に剥がしたときのような、爽快感を迎えて、今回の魔力感知を終える。

対象は右前方の路地へと入って行った。

今から走って追いかけても十分間に合う距離だ。



「ナイト!こっち!」



そう言って駆け出すルミューの背を追って、ナイトはルミューを追い越さぬように気をつけて走り出した。



▽▽▽▽▽



ここまで来れば大丈夫だろうと、詐欺師は肩で息をしながらそう考えていた。

それにしても、せっかく得た金を使い切ろうと賭博場に入ってみれば、まさか騙し取った相手がいるとは思いもしなかった。

てっきりまた下町の酒場賭博で金を増やすと思っていたからだ。それがこんな羽目になってしまうとは、全くいつも通り自分にはツキが無いと自嘲する。


そうして詐欺師は金を肩掛けの旅行鞄にしまい、次の逃亡場所の作戦を立てる。

男の方はかなり腕っぷしが強かった。酒場でも、十数人の男達をちぎっては投げていたのを覚えている。

あの様子では、衛兵達もそう長くは保たないだろう。早くどう逃げるかを考えなくてはならない。



「待て、俺は今焦っている」



予想外の事実に驚愕していると、自分の粗を見直して、そうして一つ深呼吸をする。

物事を順序立てる時に1番必要なのは、冷静な判断力だと男は考える。

どんな時でも冷静さがあれば、死ぬようなことは避けられる。

その冷静さを持って、次の逃げ場所を考える。

路地を走り続けるだけではいつかは限界がある。そういえば連中は船に乗ると言っていた。ならばこの周辺の町を回ることはないはずだ。少し遠いが隣町に逃げるのも良いだろう。

幸い、2人が自分に追いつくのはまだ少し時間がかかりそうだ。あの門番は手強そうだった。


そう考え、一度一呼吸置こうと結論付けたところだった。



「いた!」


「もう追い付いたのか?」



こちらに向けて全力で走ってくるのは、先ほどカモにした二人組だ。

その速度に思わず驚嘆の声が出る。あの門番でさえ瞬殺したと言うのか。

とにかく今は逃げなくてはと、男は背負い鞄を背負い直して一気に走り出した。



「ナイト!」


「お任せを!」



ルミューの号令にナイトが前に出る。

その身体能力を存分に活かし、路地の壁を飛び回って、凄まじい速度で息も切らさずこちらへと近付いてくる。



「悪いがもう、痛い思いはしたくないんだ」



そのナイトに向かって詐欺師が一瞬振り向き、そうして右手を掲げた。

遠くにルミューからは、その右手に何があるのかわからない。鈍く銀色に光るアクセサリーだろうか。

直後、燃え上がるような赤がその指輪を包み込んだ。

魔力が集中しているのだ。



「ナイト!魔法が来るわ!」


「“リグスプリング”」



しかしルミューの忠告も遅く、詐欺師の指輪から放たれた魔力はふわふわと宙を舞って、その直線上にいるナイトに直撃する。

しかし痛みや痺れも無く、魔法が当たったからと何かが起きたわけではないようだ。

そう結論付けたナイトは、さらに速度を上げようと右足を一歩踏み出した。



「ナイト!大丈夫?」


「ええ!問題ありません!どうやら失敗のよ———!?」



その踏み出した足が、盛大に滑ったのだ。

速度を出していた反動も大きく、ナイトの身体が盛大に傾く。踏ん張ろうと慌ててもう片足を出すが、その足も地面の上で滑ってしまう。

ナイトの体は弧を描き、そのまま胴から地面へと激突してしまった。



「悪いな、“転ばせ魔法”ってやつだ」



その間にも詐欺師は足を止めず、2人からどんどん遠ざかって行ってしまう。

転んだナイトは再度立ちあがろうと右手で踏ん張るが、その右手も滑って顔から地面に激突した。



「くっ……お嬢様!私は気にせず先へ」


「……うん……なんか、ごめんね!」



可哀想なナイト、その犠牲は無駄にはしない。

そう心の内で思いながら、ルミューは一人詐欺師を追って足を進めた。

まだ背中は見えている。あと幾つか角を曲がれば追い付けそうだ。

しかし、こちらの体力も限界に近い。走りながらも息は荒く、呼吸の音が絶え間なく響く。

心臓の鼓動の音が騒がしい。



「私って、あんまり、体力、ある方じゃ、ないのね」



しかし詐欺師の背中を見失ってはいない。見失っていないからこそ、その体力の差に愕然とさせられる。

こちらは足も痛く、

息も絶え絶えだと言うのに、向こうは汗ひとつかいていない。一体どうなっているのだろうか。

すると、詐欺師がもう一度後ろを振り向いた。

右手をあげ、再度指輪に魔力が込められる。


私まであの魔法を喰らって仕舞えばとうとう追いつくのは、捕まえるのは不可能になってしまうだろう。それだけは絶対に避けなければならない。

タイミングをよく見て、相手の動きに合わせて躱わすのだ。幸い撃ち込まれる魔法の軌跡は良く見える。タイミングさえわかればこっちのものだ。後は呪文に合わせて上手く避ければ良いだけ。

そう身構え、ルミューは精神を集中させる。



「“リグ———”」



来た!と、ルミューの体が緊張で強張る。

ふわふわとした魔力が指輪に集まて、その集中した魔力ががついに———



「“———スリリング”」



その言葉に合わせて体をずらす。

完璧な回避行動のはずだった。しかしその根本的な欠点に気がつく。肝心な回避する魔法が放たれていないのだ。

指輪に集まった魔力は、まだ解き放たれてはいない。



「“リグスプリング”」



今、とばかりに指輪から魔力が発射された。

その光線はふわふわと、今ちょうど回避行動をとった後のルミューへと向かってくる。



「嘘呪文というやつだ。一つ、勉強になったな」



汗がルミューの首を伝う。

これ以上身を捩ない。狭い路地だ、これ以上横に退けない。逆側に行く体の向きではない。方向を変えている間に魔法に当たってしまう。

思考も虚しく、ルミューの腹部に魔法が当たる。この踏み出した一歩も滑ってしまう、そう思った瞬間だった。



「は?」



詐欺師が驚いた声を上げて、その場で盛大に滑って転んでいたのだ。

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