第2話 【訪問者】

やってしまったと、ナイトは自分の行動を後悔する。

ルミューが記憶喪失になって早数日、その記憶を取り戻すため試行錯誤を続けていたナイトだったが、彼女を最初に発見した地下室は意図的に避けてきていた。

地下室から漂う危険な匂い、まるで猛獣の腹の中のようなそんな雰囲気を、ナイトは感じ取っていたのだ。

決して恐れをなしたわけではない。

ただナイトには確証があった。

地下室にルミューを連れて行ってしまえば、確実に危険に晒してしまうという確証が。



「私は、何を、していたの?」



顔を青くして手を震わせ、絞り出すような声でそう呟くや否や、ルミューはふらりと、まるで糸の切れた人形のように力が抜ける。

あわや倒れて地面に身体がつくというところで、ナイトがさっとその両腕を差し出し支えて事なきを得る。



「お嬢様、しっかりしてくださいお嬢様」



急いた口調で呼ぶが最早意識は無く、ナイトの声は聞こえない。

ただでさえ記憶を失ったばかりで不安定なルミュー。この心労を与えるべきではなかった、地下室に連れて来るべきではなかったとナイトは後悔する。


その直後であった。

両開き、木製の玄関扉を力強く叩く音が屋敷中に響き渡る。

何度も何度も何度もノックを繰り返して、やがてその音が止まった。


妙だ、とナイトは思案する。

そもそもルミューを訪ねてくる人間がほとんどいないのだ。さらにその中でも乱暴に何度も扉を叩く人間など1人もいない。

招かれざる客だと、ナイトはそう結論付ける。


直後、屋敷に轟音が響き渡った。

驚きでナイトの思考が一瞬止まるが、すぐに冷静さを取り戻す。

勢いの良い乾いた轟音は、おそらく扉を壊した音だろう。

賊はナイトとルミューに気付かれることを一切恐れていない。

さらにこの家の玄関扉はルミューが魔法で強化した特殊な玄関扉だ。並の人間には開けることは愚か、壊すことは不可能。

敵は自分の力にある程度の自信があり、そしてそれが過信では無い人物。

ならば好戦も辞さない腹積もりだろう。


ひとまずはルミューを安全な場所へと運ぶ必要がある。

強固さの一点ではこの地下室も安全ではあるのだが、流石にルミューをこんな場所に一人置いておくことはできない。



「失礼します、お嬢様」



眠っているルミューに聞こえない断りを入れ、肩と膝裏に腕を回して抱き上げる。

意識が無いときこそ最大限の敬意を持って接することは、ナイトのポリシーでもあった。

故に今こそ、天上の氷菓子に触れるように華奢なルミューを扱う。

触れただけで折れてしまいそうな細い四肢が、呼吸と共に小さく揺れている。

心労に堪えて気絶はしているが後遺症などは無いようで、ナイトは心の中で胸を撫で下ろした。


ルミューを抱えて、ぼぅっと光るようにナイトの髪の毛が揺れる。しかしそれに気付いた時にはもう光は収まっており、疲れによる気の迷いだろうとナイトは結論付けた。


ルミューの重さを感じながら戻ってきた階段を上がりつつ、続いてナイトは地下室のことへ思考をシフトする。

記憶を失う直前、地下室の扉の前で発見されたルミューは致命傷を負っていた。

著しく失った血液と首元の刺し傷。

そのあまりの傷の深さに、無傷のナイトの方が血相を変えたものだ。

さらにそのルミューの背後の地下室から漂うただならぬ気配。

ルミューは何か邪な儀式を行なっていたのではないのかと、嫌でも想起してしまうような状況だった。



「お嬢様を疑うな」



自分を律するように、ナイトは自身の下唇に歯を立てる。

ルミューに救われたあの時から、自分は疑うことなく支え続けると決めたのだから。

それが例え魔の道であろうとも、その華奢な背中に着いて行くのだ。


余計な思考をやめ、頭を上げて、いつの間にか、薄暗い地下室に上階の光が差し込んでいることに気付いた。

さらに階段を幾つか登り、重たい鉄扉を抜ける。

鉄扉の外側に突き刺さったままの鍵束を見て、ようやっと地下室から脱出したことを実感した。



▽▽▽▽▽



「眩しい…」



そう呻いてルミューが目を覚ました時には、既に屋敷の2階にあるルミューの部屋に辿り着く頃だった。

自身の腕の中で目を細くするルミューを見て、ナイトは小さく安堵のため息を吐く。



「お目覚めになられましたか。良かったですお嬢様。お眠りになられているお嬢様のご尊顔も大変お美しく」


「うん、それはいいんだけど」



ルミューは長くなりそうな自身の賞賛を右手で静止し、自分を腕から下ろすように申し付けた。

ナイトは自身の腕に残る体温の温かみを名残惜しく感じながら、ルミューを優しく地面に立たせる。



「何か来たの?」



思わぬ質問に、一瞬ナイトの表情が強張る。

心配かけまいと心内深くにしまっていた素面が出る。

気付いた要因は、扉を壊した音でなければナイトの表情を読み取ったわけでもない。

屋敷に入った曲者の魔力を感じたのだ。

記憶を失ってもなお燦然と輝く、生まれ持った魔法の才能。



「そのようですお嬢様。賊ですので、お下がり頂ければ」



心の弱っているルミューから少しでも刺激を遠ざけようという意図。そして何よりも、自分なら賊に対して完璧に対処することができるという圧倒的自信。

この二つからくるナイトの短い発言だった。



「ふーん、前もよくあったの?」


「屋敷に襲撃、というのはあまり」



ナイトは正直に答える。

ルミューの実家、グラジオラス家の領地への襲撃であったり、ルミューの研究室を襲撃というのは幾つかあったが、屋敷に直接というのは初めてだった。

この屋敷にはルミューが手掛けた強固な魔法が敷いてあったし、何よりナイトが常駐していた。

ナイトの強さは近所では有名で、ナイトと交戦したいなど冗談でさえ口にする者はいなかった。



「ここは私にお任せ下さい。お嬢様は自室へお戻りを」


「あなた戦えたの?」


「当然でございます。お嬢様の近辺警護も私の役目。以前も、近付く悪い虫などござれば全て叩き落として参りました」


「うーん」



ルミューが弱々しく相槌を打つ。

ナイトの猛々しい言葉を聞いても、少し心配が勝ってしまう。

不安が心の底にこびりついて取れない。

安心感が得られない。

こんなとは言え、記憶を失って頼れるのは彼一人だった。

ここで失ってしまった時、何も知らない私はどうすれば良いのかわからなくなってしまう。



「ちゃちな賊ごときに遅れを取る私ではございません故、ご安心下さい」



そんなルミューの思考に上から蓋をするように、半ば強引にナイトが言葉を挟む。

確実にルミューへ向けた言葉、しかしその瞳はこちらを見てはいない。

中身はむしろ安心させるようなセリフなのに、その実ルミューの心の中ではダムになって不安を堰き止めている。

自分ではない場所を見つめるその表情は、今の私の言葉ではナイトに届かないのだとルミューにそう思わせた。



「……わかった」


「ありがとうございます。お嬢様」



ルミューの理解に、ナイトは滑らかに感謝を返した。


こちらに背を向け階下へと戻るナイトの足取りが、ルミューにはとても重たいものに見えたのだった。



▽▽▽▽▽



今しがたルミューを抱えて歩いた廊下を、ルミューに背を向けて戻る。

人間一人分の重さはもうないはずなのに、その足取りは軽くない。

廊下を終えて階段を降りても、憂鬱が肩に張り付いて取れない。



「お嬢様は、変わってしまわれたのか」



そんな誰に聞かせるでもない弱音。

まさしく独り言のはずだった。



「人は、変化するものだからな」



階段を降りた先、一階の長い回廊に二人組は立っていた。

第一印象はまさしく対照的な2人。


痩せ細った体に白い肌、そして色の抜け落ちたような白髪の男。右目があるかすら見て取れぬほど、その髪は無造作に伸びきっていた。

片や筋肉質な体に健康的な浅黒い肌、そしてその生命力を象徴するような短い金髪。腕には槍を携える若い男。

しかし二人には、他人と呼ぶにはあまりに特徴的すぎる共通点があった。



「立派な角だな。両親は家畜か?」



そう、両者には角が生えている。

金髪の若い男には短いが太く立派な角が2本。

白髪の男の角は片側が中央部分で折れてしまってはいるが、もう片側には長く細い角が先を尖らせている。



「そちらこそ、随分素敵な独り言だったな」



先の独り言に答えた声と同じ低い声が答える。

墓場ですら捨て置く弱音に返事をしたのは、この招かざる二人のうち白髪の男だったと、ナイトは睨みを効かせる。



「気にするな。変化しない人間などいないさ」


「………お前たちは、会話をしにわざわざやって来たのか?」


「確かに違う。余計な話はやめにしよう。説明してやれドンナー」



ドンナーと、そう呼ばれた金髪の男が白髪の男を見て困ったように首を傾げる。

それを見て白髪の男は考えるように黙り込む。

ドンナーの困った顔を見て、答えが出たとばかりに大きくため息を吐いた。



「もう話していい」


「本当?良かった!喋らないで説明なんてどうすればいいんだって感じだったよ。身振り手振りで伝えることも考えたんだけどさ、無二の親友ならまだしも初対面の人間にそんな心の通った会話ができるなんて普通は思わないだろ?そうだよな?」


「ドンナー」


「また喋りすぎちゃったみたいだ、怖いよな。俺が話しすぎるとアヴァンニールさんはいっつも一言、ひっくい声で“ドンナー”って言うんだ。もうたまったもんじゃないよね。どう?今のアヴァンニールさんのモノマネ似てたでしょ。結構似てるって評判なんだぜ」


「ドンナー」



睨まれてバツが悪そうにするドンナーを尻目に、ナイトは戦闘の目星をつけていた。


金髪の、ドンナーと呼ばれた方は、知略を巡らせるタイプでもなさそうなので、得物はそのまま持っている長槍だろう。

屋内ではそのリーチを発揮しづらいため、場所的有利はこちらにあると言える。

警戒すべきは白髪の男、ドンナーにアヴァンニールと呼ばれていた彼だろう。

ひらひらとしたマントのような衣装で持っている得物は見えないが、その立ち振る舞いが只者ではない。

まずは厄介そうなアヴァンニールを倒す。



「それで、お前達の、目的は?」



思考をまとめたナイトは、無駄話を続けるドンナーに向かって強めに問いただす。

そのドスの効いた声に、ヘラヘラと謝りながらドンナーは言葉を返した。



「ごめんごめん、本題だよね。俺たちおしゃべりに来たわけじゃないんだ。裏切り者の、ルミュー・グラジオラスを殺しに来たんだったよ」

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