そのジュウ ヤスデちゃん

恐子きょうこぉ~ちょっとぉ?コレぇ、こないだまた使えなくなったんだけどぉ!」

 ここ昴ヶ丘にはただ一軒の、カフェ・サンカック。新作の甘納豆クロワッサンを頬張りながら、横柄な調子で不満な鼻を鳴らすのは、あのヤスデ。そして目の前の女に突きつけているのは、あの装置だ。

「あら困ったわね、だいぶ霊力感度は向上させたはずなんだけど……ヤスデ、貴女の使い方が良くないんじゃない?」

 恐子と呼ばれたその女は、皮肉に釘を一本刺しながら、それでも。

「そうね……千年生きた上級妖怪の貴女だもの、私の想定より基準妖力が上なのかも。いいわ、再調整してみる。それよりどう?手筈は上手くいってるのかしら?」

「今ンとこ釣れるの雑魚ばっか!だって上手く動かないんだもん、コレも、も!恐子、あんたの方こそどうなのよ?」

 ベロア地の濃い紫紺のパンツスーツに首元を隠す橙色のチーフ、右手は作業用の白手袋、左手はクロコダイルの皮手袋。両足に履いたヒールは左右同じデザインだが、右が深紅で左は黒。そして室内だと言うのに青いサングラス。女のいで立ちの出鱈目さ、ことにその色彩の毒々しいコントラスト、どう見ても普通ではない。

「調査は終わったわ。まず間違いない。後は最後の仕掛けをいつ施すか……でもそれには貴女に頑張ってもらわないとね。

 ……私はこれで失礼するわ。を貸して頂戴。直ったらまた連絡する。ごゆっくり、これはいつもの」

 ストレートティーに最後の一口をつけ、女はさっと席を立って店外へ。

「気取っちゃって!何さ、ムノーな人間のクセに!まぁいいわ、コレおいしいし、コッチももらったし♪」

 ヤスデの席には、クロワッサンの空の包み紙が既に三枚。手には、あの装置と引き換えるように、女から受け取った小さくカラフルな紙の束。マスタードーナツのドーナツギフトチケットであった。


 一方、カフェの自動ドアを出た女は。

(『上級妖怪』か……分類するなら一応、という話。この程度の物を使いこなせないなんて、あんなもの、長く生きているだけの下等な節足動物に過ぎないけれど。

 でも使い途はある。だからせいぜいおだてて利用するだけ。たかだか菓子代で言うことを聞かせられるなら安いものよ。

 全ては。我等、八ッ神やつがみ一族の悲願成就のため!)

 歩きながら、そっとずれたサングラスを直す。女の傍を通り過ぎる人々は、誰もがその奇怪なファッションにギョっとする。だがどうやら気づかない。

 八ッ神やつがみ恐子きょうこ、その面に炯々と、二つの蛇眼が鬼火を揺らめかしていることに……


「メリーさん?この子が?う〜ん、普通の女の子みたいですけど?」

 ノッコはが首を傾げてそう言った。

 メリーさんから三人のスマホに送られて来た映像。今時はあまり見かけないおかっぱ頭の、小学校低学年程の女の子。シャツもシャンパースカートもモノクロの映像では色は判別出来ないが、どちらも暗く濃い色(一人早苗だけはそれを黒だと確信していたが)。からっぽの店内で一人、悠々とドーナツを口にしてくつろいでいるらしい。

「そうね、見たところは……」確かにビデオ映像の上では一見何の異変もなさそうだ。が、早苗にはそれ以上言えない。少女の座っている席こそ、あの黒々と長い巨大な虫の形の妖気が残っているところ。そして

「……ううん。確かにこのコ、なんかおかしいよ」

 じっと見つめて何か思案していた仁美が、やがてキッパリと言った。

「別にダメとは言わないけど、こんな小さいコが一人でここに?それに。

 ねぇノッコは覚えてない?平木が出た時、この辺わっと大騒ぎになって、みんな逃げ出してたでしょ?あたしもぼんやり覚えてるんだ、このドーナツ屋さんからも、どっとお客さんが外に飛び出してたはずなのに……?

 メリーさん、少し前のシーンも出せます?」

 目を閉じ何かムニャムニャと唱えるメリーさん。どうやらタイムラプスデータを巻き戻しシークしているらしい。やがて送られて来た映像に仁美はピシリと指差して。

「ほらこの時!お客さんもお店の人まで逃げてるのに、このコだけじっとしてるし!それに……何かなコレ、このコが手に持ってるモノ……」

「ドウガノママダト、カクダイデキナイネ。ムニャムニャ……イマ、コマドリシーンノシャシン、ツクッタヨ」

 三人のLIMEに送られてきた写真。極めて不鮮明だが、どうやら。

「う~ん、昔のケータイ?それともテレビのリモコンみたいな?」

 ノッコのつぶやきに、すかさず。

「……リ・モ・コ・ン!ねぇみんなこれって……ビンゴじゃないかな?」

 仁美はぐるりと皆の顔を見回す。「そうね」と硬い表情で即答する早苗。パチパチカクカクと瞬きと頷きを返すメリーさんも、どうやら同意のようだ。ノッコだけがまだ首を傾げたままだったが、敢えて否定はしてこない。

「ワタシ、メリーサン。トリアエズ、ミンナニホウコクシテミルオニンギョウ」

「お願いします。それと……」

 早苗は財布から小さな紙切れを取り出す。あの術に使ったお札だ。

「これはさっきの……皆さんにこれも見ていただいて下さい」

「早苗?ナニソレ?」

「うん……実はね」

 自分の力のこと。こうなったら皆に全ては隠してはおけないだろう。早苗は慎重に言葉を選ぶ。

「うちの神社って、昔は妖怪とか幽霊のお祓いが出来る神主さんが代々いたらしいの。これはね、魔物を探すためのお札なんだって」

「ナニナニ?もしかして?早苗ってばそれ、使えたりすンの?!」

「ううん。だって昔の言い伝えだし。でも……ここに持って来れば、何か役に立たないかなって。例えば、自動的に何か写ってたりとか……メリーさんとか口裂けさんなら見えるんじゃないかなって。ホンの思い付きだけどね」

「ちょっとちょっとぉ!灯台下暗しだったわ、早苗、キミがそんなとっておきのオカルト話持ってるなんて。何で今まで黙ってたのよ、もぅ!

 ……ねぇねぇ、その話よく調べてさ、今度サークルで発表してよ!『霊能神官・鴻神一族の謎』!いいじゃんいいじゃん?」

「わぁカッコいいですぅ♪お願いします、早苗センパイ!」

「あはは……そうね、今度ね……」

 とほほ顔の早苗。どうやら核心はバレずに済んだものの、やはりただでは済まないようだ。ここぞとばかり黙りこくってただの人形のふりをするメリーさん、それは惻隠の情というもの。

「じゃぁみんな、今日の調査はこれで終了。お疲れ様でした!あとはちょっとお茶の続きでもしてから帰ろうよ。

 メリーさんありがとうございました。あたしたちがお手伝い出来るのは多分、ここまでだと思いますけど。よかったら後でその後を聞かせて下さい。どうかこれからもみなさんと、この昴ヶ丘をよろしくお願いします。

 ……さぁお茶お茶、あたし汁そばおかわり!」

 充実した顔でがっつく仁美。そして早苗のスマホが震える。すぐそばのメリーさんからLIMEの文字チャット着信だ。

「ヒトミチャン、トッテモイイコダネ」

 その文字に、そしてメリーさんの顔に、早苗はコクリと頷いた。

 そして。そんな皆の顔をニコニコと見回していたノッコだったが、ふともう一度、自分のスマホに目を落として。

(う〜ん……でもなぁ……このコ、そんなにコワイことするコなのかなぁ?)

 もう一度、一人そっと首を傾げたのだった。


「……という訳で。こちらをご覧下さい」

 土屋家のあの応接室兼茶室。ノッコの登校しているその時間を見すまして現れた口裂け女は、早苗のあの札を差し出す。

「ふうむなるほど、彼女がねぇ……口裂け君、拝見しようか」


 あの調査の後。闇に帰ったメリーさんは、仲間たちを集めて報告会。もちろん彼女の目と耳を通じて、あの場の様子はリアルタイムで皆に届いていたし、口裂け女たちも注視していたが。

「メリーご苦労だったね。大体のことはわかってる。さ、あとはあれを見せておくれ」

 開口一番口裂け女が求めたものは、無論、早苗のあの札だった。受け取ってじっとその札を見つめるその顔が、たちまち困惑に歪む。そして。

「こいつはちょいとまずいね。この長い虫、こりゃ都市伝説怪異じゃない、妖怪じゃないか!」

 妖怪。生物や稀には器物が自然の霊力を蓄えて化生したモノ。あの黒いモヤ、すなわち人間の残留思念から生まれた都市伝説怪異とは生まれが違う。無論、両者の間にことさらな協力あるいは対立、上下の階級差などは無い。人間の科学文明がをあまねく支配する現代では、妖怪も怪異もお互いに化け物同士という認識であるし、そもそもどちらも本来、闇に隠れて孤独に存在し互いに没交渉なのが普通。

 だがここ昴ヶ丘には。その妖怪たちの中では格別の存在である土屋、すなわち土蜘蛛がいる。かつて妖怪たちを力で従え君臨した土蜘蛛は、しかしおよそ千年前、とある事情でその座を自ら降りたのだという。そして、以来彼は強権的な支配者から一転、慈悲深い守護者となって妖怪たちの支えとなっている……

「土蜘蛛様のお力はお借りしないつもりだったけど、相手が妖怪となったら、アタシたちが勝手に手出しするわけにはいかない。お耳に入れないと。

 そうだね、みんなは取り敢えず、これから散って写ってるこいつを探しておくれ。ただし!アタシが明日土蜘蛛様にお伺いを立ててくるから、たとえ見つけてもご指示をいただくまでは手出しは今は無しだ。泳がせて居場所だけ突き止める。平木も出てくるかも知れないけど……それは今まで通り追い払うとして、出来るのはそこまで。頼んだよ」

 倉皇として、口裂け女は闇の中から姿を消した。そして今、彼女は土屋家を訪れているのである。


 手渡された札を、あの時の早苗と同じように額に押しいただく土屋。その閉じた瞼の裏に、ある姿が映し出されてきたようだ。最初に見えて来たもの。

「なるほど、これがその『宇宙人ロボット』だね?何だろう、私にはまるで……」

「宇宙人でもロボットでもない、あたしたち都市伝説怪異とそっくりの妖気です。先生もそう思われますか?」

「そうだね……しかし君たちと同じようにあの黒いモヤからこれが生まれたのだとしたら、それには相当な数と量の人間の念が必要なはずだが?」

「ええ、そこがどうも。どうやら有名な宇宙人の姿らしいんですが、でも今は、それが別に大きな噂やブームになっているわけではありませんし」

「妙だねぇ。だが私にも分かったよ、これは大変な妖気を持っている。君たちが手こずるのも無理はない。さて、もう一つ写っているのだね?どれどれ……

 ややっ!これは!!蛍、これを!!」

 にわかに土屋の顔色が変わる。

「あぁた?いったい……ああこれは!大殿様、これは!!

 ……ヤスデさん……?」

 受け取った札の映像を覗いた蛍子もまた、たちまち動揺した声。

「……蛍、お前にもそう見えるかい……確かにそうだ、間違いない。これはあのヤスデだよ」

「ヤスデ?土蜘蛛様?もしやこの虫の妖怪をご存知なのですか?」

 そして驚くのは今度は口裂け女の番。土屋も蛍子も見る見るうちに顔色は土気色、額には脂汗、とても只事とは思えない。

 二人は何にそれほど狼狽えているのか?

 相手がたとえ都市伝説怪異であろうと妖怪であろうと。少なくとも今この日本に土屋、すなわち土蜘蛛以上の超常の存在など、およそ考えられない。そもそも口裂け女は相手が妖怪と知って報告には来たものの、それは総大将を退いた今でも妖怪たちの保護者である土蜘蛛に、彼の同胞である妖怪の処断について無断で事をなすのは憚られると思っただけのこと。あくまで自分たちでこの一件は片付けるべきだと思っていたし、出来ると思っていた。

 だがどうやら、事はそう簡単にはいかないらしい。

「口裂け君」土屋はさらに沈痛な面持ちで。

「この妖怪を見つけたら、捕えるか居場所を突き止めて私に教えて欲しい。出来ればなるべく手荒にはしないように……あの宇宙人がいてそれは難しいかも知れないが。

 ……済まない口裂け君、それに蛍子……少し一人で考えさせて欲しい、私はこれで失礼するよ……それと口裂け君。もし、これからわたしの身に何かあったら。

 ……お願いだ、祝子を頼む」

「土蜘蛛様?!」

 人間が悪鬼悪霊に出会った時になるような顔で。力なく立ち上がって肩を落とし、ふらつく足取りで応接の間を出ていく土屋。その姿と、何よりまるで遺言のようなその言葉。口裂け女は思わず立ち上がって土屋の後を追おうとする。が、その足元で悲しげに首を降る蛍子。

 口裂け女は今度はたちまちその顔の元にかじりつくように。

「蛍様?土蜘蛛様は?あの虫の妖怪は?あれはいったい?!」

「ああ……そうですね口裂けさん、あなたには知っておいていただかないと。

 あの子はヤスデ。その昔、妖総大将だった大殿様が誰よりも愛し頼りにしていらっしゃった武の右腕で一の家来、大百足殿……その娘御なのです。」

「大百足?で、蛍様?その方は今は?」

「大百足殿は、戦で討ち死になされました。大殿様を守って、それで……!」

「!!」

 口裂け女のマスクの上の両の眼が、これ以上ないところまで大きく見開かれた。


(まさか、ね?)

 学校帰りのノッコが今立ち寄っているのは、またもやあのマスタードーナツ。

(やっぱりそんなにうまくはいかないかぁ)

 そう、彼女はあの怪少女ヤスデを探しに来たのであった。きっかけは昨晩、食後の団欒に家族で観ていたテレビドラマ。刑事物のその劇中で、ヒロインに刑事が言った、ミステリー定番のそのセリフ。

「犯人はしばしば、現場に再び現れるといいますから」。

そうだ、それに仁美も言っていたではないか、「現場百遍」。

 ならば自分も、ここに来れば、もしや?

 仲間とともに行った昨日の冒険。ノッコは大いに刺激されていた。好奇心、自分も何か役に立ちたいと思う気持ち、そしてもう一つ。

(あの子は、あの宇宙人さんと、友達なのかな?)

 誰もが信じない、超常の存在と交流出来る自分。確かに、早苗や仁美にはようやく少し認めてもらえた気がする。だが二人はやはり、自分と同じではない。でも。

(あの子はもしかしたら、お化けさんとお話が出来るのかな?わたしと同じように……)

 あるいは。

(それとも、あの子もお化けさんなのかな?)

 もちろん、それでも自分は構わない。それならそれで!

 ノッコの切なる願い。

(あの子がいい子であって欲しい、お友達に……なれるかな?)

 思いがふくらみ、いても立ってもいられなくなった彼女は、淡い希望を胸に今日またこの店にやって来たのであった。

(でもぉ……ダメだったかな?)

 すでにドリンクとドーナツ一つで小一時間、だがお目当てのその姿は一向に現れない。そろそろ粘るにも居心地は悪くなる。なによりあまり帰りが遅くなれば両親が心配するかも知れない。

 ノッコはちょっぴり未練な顔、しかしもう切り上げ時。グラスの氷が溶けたすでに味のない雫を、最後にストローでちゅっと飲み干して。ノッコが席を立とうとした、その時!

「きゃは、やっぱり券がいっぱいあるとゴキゲン!どーせまたいっぱい貰えるし、今日は一気に5ついっちゃおうっと!!」

 ドーナツチケットをパタパタと仰ぎながら、ヤスデが開いた自動ドアを越えてきたのだった。

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