お勉強会と触手
『現代魔術を教えるのはいいけど、それは基本的な成績を維持できない限りは教えないからね。分かってる?』
このことは先生に強く言われたので、私もどうにかそれに従わなくてはいけない。
『中間試験で100位以内に入ること。それが今のところの課題ね』
無茶苦茶な課題だ。この学校、ひと学年1000人だから、上位10%である。
そんなこんなで私達の学校生活も、一区切りが付く中間試験を目の前にしていた。
******
中間試験対策として、この休日になんと、クラスで最も筆記の点が高いと目されるマリちゃんと勉強会をセッティングしていたのだ。
今日という日を待ちわびていた。
マリちゃんと言えば! マダムのアダ名があるくらいのその気品のある立ち振舞、ちょっと怖いくらいのダークな目、黒い短髪。
そしてなにより触手。ぷにょぷにょとしたフォルムに、色もグロテスクで、きもくてかわいい。
かねてより触らせてほしいなあ、って思っていたけど、結局機を逃し続けて今に至る。
嫌がられたらどうしようって思うと、怖くて言い出せなかったのだ。
「おはようマリちゃん」
「おはようございます、コゼットさん」
朝のマリちゃんはぴしっと決まっていて、だらしない私と違いしっかりものなんだという感じがする。綺麗な短い黒髪、意外と大きい瞳の切れ長の目。全体的にしっとり美人という感じだ。触手も艶があってすばらしい。
「マリちゃんかわいいね」
「世辞はやめてください」
お世辞なんかじゃないんだけどな......
寮にはちょっとした作業が出来るような小部屋が何個かある。私達はその一つを使って、二人きりでお勉強だ。
「本日は魔術理論でしたね」
「そうなの! 私基礎がガタガタでさあ」
私は中学を経て高校に入ってるわけじゃないので、中学時代にみんなが教わるような魔術の常識のようなものがすっぽ抜けているのだ。
いそいそと勉強の準備をしているが、
「マリちゃんそれは?」
マリちゃんはスマホを取り出すと、トマトのアイコンをタップして、かちかちいじり始めた。
「ポモドーロタイマーですよ」
勉強会が一応のスタートを迎えて、私達は勉強を始める。ポモドーロ法をマリちゃんはやっていて、45分と15分のポモドーロタイマーをオンにすると、そのまま電源を押して画面を暗くした。ポモドーロ法ってなんかおなかすいちゃうよね。すいちゃわないか、あはは。
しばらくすると、ピッと音がなって勉強と相成った。
もくもくもくもく......
「ねえ、マダム、ここがわかんないんだけど」
「ああそこはね、途中で一回引きで見て、考え方を工夫するのがいいですよ」
「ねえマダム、ここどうすればいいの?」
「そこは、こうしてああして.....」
「マダム〜、この変数が変な値を出すんだけど」
「それは、そもそもその式を使うのが間違っててですね......」
マダムとの力の差がすごい。私が常に教えてもらう立場だ。
勉強会と言いつつも、ここまで知識の差が不均衡だと、対等じゃなくなってしまう。
マリちゃんも、懇切丁寧に教えてくれるので、ついつい甘えてしまう。
そんなことを考えながら、私が必死こいてマダムについていくとスマホのタイマーが優しい音でピピピッと鳴り、ちょっとだけ休憩ということになった。
集中してると、時間はあっという間だ。
「基礎概念についてはしっかりしてるし、自信ないみたいな感じのわりに結構分かってるじゃないですか」
「まあ理屈はねえ」
施設で一通りならってるので、基礎概念は文字の上では分かっている。私はそもそも暗記も得意だし......
ただ私の知識は、血の通った知識ではないのだ。私には魔術の経験がないから。
ふうっと息をつく。
「紅茶を飲みますか?」
「え、飲みたい。紅茶あるの?」
「冷たい紅茶ですよ」
......アイスティーとはなにか違うのかな? マリちゃんは前に見た魔法瓶を取り出すと、カップにちゃぽちゃぽとお茶を注いだ。
紅茶の香が高い。いい紅茶なのかな、茶葉の違いってよく知らないんだけど......
感想の心配をしながらカップに口をつける。
「おいしっ」
「そうでしょう?」
マリちゃんは得意満面でこっちを見た。いつもとは違う笑顔に、新鮮さを覚える。へえ、マリちゃんはそんなふうに笑うんだ。
「サンドラさんは紅茶を飲みませんから、こうして振る舞えると、嬉しくて」
「サンドラちゃん紅茶飲まないの? もったいない!」
「いちごオレが好きみたいですよ」
確かに、たまにサンドラちゃんになると、いつもいちごオレを飲んでた気がする。
マリちゃんと紅茶のお話をして、それから私達はまた勉強となった。私が勉強中質問をするので、あまりポモドーロの意味はないんだけど、それでも続けた。時間管理が大事らしい。
45分と15分のスパンを何度か繰り返すと、私達は長い休憩を取った。
「私ばっかり教えてもらって、なんだかずるいね」
「いいえ、着眼点が良くて助かってます。説明する時に考えが整理されますから。それよりも、ちょっと訊きたいことがあるんです」
なんだろう、魔術が使えないこと? それとも、受験の話? あとは、
「数日、部屋に篭もりっきりの時がありましたよね?」
「えっ、ああ、うん」
現代魔術の課題を解いていた時のことだ。あの時は、ちょっと意識ないくらい集中してて、みんなに迷惑かけたと思う。部屋に閉じこもって、みんなとの交流を断って、心配かけていた。
みんなはいいよって言ってくれたけど、なんとなく負い目がある。
「あの日、何をしていたんでしょう? なんとなく、聞きづらくて」
「あの日はね」
先生の出した課題を超特急で解くために、カンヅメした旨を話した。マリちゃんはそれで得心したみたいで、私の語りを継ぐ。
「かもめ先生ですか。随分心酔してるみたいですが、今あの方は、あまりよい状態にはないですね」
「どうして?」
「どう考えても、なにか隠してるからです。クロエさんなんかは、それを良くないことだとおもっていて、なにかしら動くみたいですよ。全てサンドラさんづての情報ですが」
ふーん、クロエちゃんがね。今度彼女にも先生の素晴らしさを説いておこう。きっと分かってくれるはずだ。
何度目かの休憩の後、私はマリちゃんに、今日の本命のことを切り出した。
「そういえばマリちゃん、お願いがあるんですが」
「なんでしょう、大それたお願いは聞けませんよ」
「あのね......その、あの......触手を触らせて欲しいの」
マリちゃんとの間に気まずい沈黙が流れる。顔を見れないので目を伏せると、大きな触手がうにょ〜っと動くのが見えた。
「まあ、いいですよ」
「やったー!」
「気持ち悪いと思わないんですか」
「まさか!全然そんなことないよ!!」
差し出された触手を心して触った。
意外と乾いてる。ぬちょぬちょしてるかと思ってたけどそんなことはない。綿みたいな触り心地だ。さらさらっと吹き抜けてく感じがする。ところどころ硬い部分や、ゴツゴツした部分があり、強く押すとぶにぶにする。痛覚があるのかな、どれくらい強く触っていいんだろう?
「あのね、私、マリちゃんの触手かわいくて大好き」
にこーって笑ってマリちゃんの顔を見あげた。思ってたことを伝えると彼女はぽかんとしている。
「......はあ、そうですか」
「うん!」
マリちゃんはいつもみたいにちょっとダークな表情だけど、そのなかにちょっとだけ焦りみたいなのが見える。
「差し支えなければですが、」
「うん」
「もう一度だけ、言ってもらえますか」
マリちゃんのその発言に意表を突かれたが、それくらいならお安い御用だ。こうして触手を触らせてもらってるわけだし、ほめても褒め足りない。
「大好き」
うんとマリちゃんは頷くと、触手をもっと広げて、ぎゅっと私を抱きとめた。
「きゃっ」
触手のハグは普通のハグとは違って、安心感が段違いで気持ちいい。キングサイズのベッドみたいに体重を全て受け止めてくれる。
「もう一回だけおねがいします」
彼女は完全に俯いて顔が見えない。
「え、大好きだよ」
私が言うと、触手が私を覆い尽くす。さっきより大きくて、手足を支配した。それらは段々と力強くなっていった。マリちゃんは何を考えてるんだろう。なにか悪いことしたかな。マリちゃんを怒らせて、わたしこうなってるんだ。きっと。
「ぐっ」
首が閉まる。触手が私の脈を完全に支配して、脈に合わせて閉じたり開いたりしている。胴体を締め上げる触手が苦しい。これが呼吸と血圧を圧迫して、首の締り以上に苦しくなる。
「(マリちゃん好き、好きだから、お願い、もうだめなの、苦しくて、これ以上は死んじゃう)」
意識が朦朧として、喋ってるつもりだけど声になってなかった。口をパクパクしてるだけで、夢と現実の違いが曖昧になっている。
「ぁ......」
締め上げる力が強すぎて手足が取れそう。マリちゃんはなにかに怯えてるみたいにみえる。
だんだんと、苦しくなくなってきた。締め上げてる力は依然強いまま、私が苦しさを受け取れていない状態になる。
「っ」
「......コゼットさん!!!!」
体がビクッと大きく震えて、私の視界が明滅した。全身に力が入らなくなった。私の脱力でマリちゃんは顔をようやく上げて、私を抱きしめて触手から開放した。
「コゼットさん、分かります? 返事して下さい」
「.............ぅん」
嗚咽と共に、鈍かった心臓が限界を超えて動き出した。酸素が体を回ってちょっとだけ視界に光が戻った。
意識が遠ざかって、私の意識の輪郭が本当の体とずれてそこに横渡っている。
――心臓がドキドキして気持ちいい
ドクドクと音が響く。私の心臓が復帰を試みてガンガンと早鐘を鳴らしている。そのせいで、多幸感が私の体を締めあげて、きゅーっと絞るみたいに気持ちよくなっていた。どばどばでる快楽で体が震える。
「どうしよう、コゼットさんが死んじゃう」
ぼやけた視界の中でもマリちゃんが慌てているのがわかる。
私は彼女の胸の中で、カチカチと歯の根を鳴らして震える。その度に、マリちゃんはびっくりして、私が大丈夫か確かめた。
マリちゃんは意外とテンパる人なんだ。いつもシックで、お上品で、冷静そうなのに。
頭が痛い。ガンガンする。
なんだか視界が暗い。
*****
私がなんとか意識を快癒させると、そこは地獄のような雰囲気だった。
マリちゃんは断罪される前の罪人みたいな顔をしたかと思えば、そのまま頭を地面につけて、五体投地で謝った。
「申し訳ありませんでした!!!!!」
どごん!と頭をぶつける音がする。私は慌ててそれを止めた。
「いや、いいよそこまでしなくても」
これは本心だ。そんな謝られ方したら、こっちが不安になる。
「それにマリちゃん悪気があったわけじゃないんでしょ? だってあんなに焦ってたし」
「誓って、あ、ありません!」
「じゃあ、別に」
私は、なにも思わない。というか、ちょっと気持ちよかったし。お得な気分ですらある。
でもマリちゃんは涙目になりながら、自分のしたことは到底許されないことであり、謝りたいと、始末に負えない状態になっていた。
「すみません。ああいうことは殆ど無いんですが、久しぶりにああなりました」
「どういうこと?」
「触手に意識を乗っ取られるような衝動が、昔はあって......」
マリちゃんの話に耳を傾ける。なるほど触手も大変だ。
私はこの場を収めるための、次の一手を考える。そうだなあ.....
「あのね、マリちゃんがもし謝りたいのなら、私のお願いをちょっと聞いて欲しいんだけど」
私の失態がマリちゃんにとって傷にならないように努めなくてはならない。これは火急の重大事だ。
「はい、なんだってやります!!」
「夜中、都合が空いてる時はマリちゃんと勉強したいの。ダメ?」
「そんなことでいいんですか?」
むしろこっちが望み過ぎかなっておもってたけど、マリちゃんとの契約は成立。私はマリちゃんと私が望む時に定例勉強会を開くことを取り付けて、代わりに私達の出来事はここで手打ちとなり、誰にも口外しないことになった。
我ながら、いい落とし所!
あっぱれコゼットオンフレ!
私達は、若干の気まずい思いを引きずりつつも、前向きになんとか持ち直す。こうでもしないと、上手く目が合わせられない。
今日はもう遅いので解散することになった。帰りがけ、私はマリちゃんに言う。
「次やるときは、もっとやさしくしてね」
「は......はい。いえ、だめですよ!!」
マリちゃんはかぶりを振った。
でも触手のハグは結構きもちよかったし、苦しくなければ、またやってほしい......勉強会してればまたやってくれるかな? なんて。
頭痛が響くへろへろの頭でそんなことを思っていた。
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