ここから一歩ずつ

 気がつけば、私は横になっていて、いっちょ前に点滴なんか打ったりして、ここは完全に病室だ。

 ......目が覚めなければよかった。覚めてしまった以上は、現実を見なくてはならない。

 私は、負けた。......最後の一撃も、全く通らなくて、もう本当に、私は、ダメだ。

 見回すと、木製の家具が多い淡い色の病室に、白いシーツが映えて、これが目に優しくない......その瞬間、目にズキンと痛みが走る。

「痛っ!!」

「あ、気がついたんだね。目を閉じて。息を吸って」

 言われたとおりに目を閉じる。息を吸って、吐いてを繰り返すと、確かに幾分かマシになった。痛みの理由は明確で、魔眼の酷使だった。

「先生」

「うん。かもめだよ。魔眼の痛みは他と違って回復魔術ヒールじゃ治らないから、目を閉じててね」

 かもめ先生が目が見えない私の手を取ってやさしく話しかけてきた。私は、かもめ先生の声を聞いて、泣きそうになってしまった。

「今は夜中の十時だよ。君、一日中寝てたんだから」

「え、ほんとに!?」

「鎮痛剤の影響だと思う。それにしても......」

 見えないけど、先生は嘆息して言った。

「君は全く、ありえないくらい無茶をするな」

「はい......」

 ごめんなさい先生。でも、私にも理由があって。

「本当に怒ってるんだよ」

「はい」

 私が口答えする前に、先生に強い口調で言われた。先生の声は、いつもと違って激しい怒気を含んでいた。小さくなるしかない。

「術壁切って、魔術を生身で受けるし! 魔眼を無理やりこじ開けようとするし! とんでもないことをしてる自覚があるの!?」

「はい......」

「魔眼での手違いは、即失明だよ。分かってるよね、その目の負担の大きさを」

「.......全くもってその通りです」

 先生はしばらく黙った。

 病室は時間が止まったように、静謐で、何も受け付けない空間へと様変わりする。私は反省した。無茶苦茶やった自覚がある。そのせいで、今もこうして病室にいて、だれかしらに迷惑をかけているのだ。

 それを思って、胸が苦しくなる。


「ベッドを起こそうか」

 先生も一息ついて、私の横のなにかを操作すると、ベッドを多少起こした。

「ちょっと点眼薬を差すから目を開いて」

 先生に言われて、目を開こうと思うが、上手く開けない。

「先生、怖いです」

「ああ、ごめん。電気だけ消しておこう。そうすれば多少は痛くないはずだから」

 ピッと音が鳴って、ようやく目を開いた。でもやっぱり目がちょっと痛む。霞む世界を見渡すと、そこで初めて先生を見た。

 先生は相変わらず、幼い顔つきの、なんだかへにょっと笑う人。でもその眼の奥に、なにか真剣なものを感じないわけでもない。先生は手元の眼薬を取った。

 先生が私の顔に手を当てて、目薬を差してくれる......差して..............

「あ、こら、逃げるな」

「だって、怖いんですもん」

 思わずぷいと顔をそむけてしまう私の顔を、先生はがっと捕まえた、そのままぴっと目薬を差される。目に入ってしまえば別に怖くないけど、どうしても苦手だ。


「どうだった? 魔眼は」

「前とおんなじです。なんか色んなものがスローモーションに見えて、あとモノクロに見えました。魔力だけ色が付いてて、クロエちゃんの魔術は、すごく綺麗で」

「ヴィジョンⅡでそんなに見えるなら、一気にヴィジョンⅣに行くタイプの魔眼かも」

「もしそうだったら、先生を追い越しちゃいますね」

「やばいなー」

 先生は優しく笑った。笑って、私の頭にぽんと手を載せる。私は、震えていた。それを気にかけてくれたんだろう。


「先生、私、負けました」

「うん」

「それが、その――」

 言葉が切れて、私の視界が滲む。

 言いかけた言葉は、もう、どこにもない。

 私は人を、なんども裏切った。過去、クロエちゃんは言った。事情があっても、素性を隠してシラを切るなんてやり方は、到底誠実ではないと。

 私は嘘までついて、自分の身の安全を確保して、最悪だ。

 だけど、そんな私を信じてくれた人がいた。

 それは、きっと間違いじゃない。私はそれすらも、裏切ってしまった。期待に、応えられなかった。ダメで、クズな自分が悔しい。クロエちゃんは、私には到底敵わない相手だった。最後の一撃は、全く通用しなかった。

 クラスの最下位と一位の戦いだ。誰かは言うかもしれない。よく頑張ったって。十分健闘したって。私の肩を叩いて、優しい言葉を投げてくれるかもしれない。そんなに必死にならなくていいと、言ってくれるかもしれない。


 ――それでも、それでも私は。

 苦しみに満ちた息を、なんとか吐き出すまいと飲み込んで、私は自分の肩を抱いた。言葉が、上手く出てこない。喉がつっかえて、苦しくて、たまんない。


「勝ちたかった.............っ!!」


 ようやく出て来た言葉は、本当に簡素で、取るに足らない、負け犬の叫びで......

 ぽつりと流れ落ちた言葉でも、静謐な病室に木霊して、私の耳元で繰り返される。

 勝ちたかった、私は。

 勝てなくて、悔しい。悔しくて、心が張り裂けそう。

「.........ああ、ああっ........!!」

 ぽたぽた大粒の涙が手のひらに落ちる。

 みっともない顔をごしごし手で拭って、叫びに嗚咽が混じった。悔しい、悔しいよ......。

「ああ、ああああ!! ああああっっ!!!!」


「コゼットさん」

 叫ぶ私を、先生がぎゅっと抱きしめる。

 私は先生の肩で、それでも涙を止められずに、泣いた。

「私は、最悪だ。もうみんなに、顔向け出来ない。あんなに、助けてもらったのに。私は、それに応えられないから!!」

「コゼットさん、大丈夫だよ」

「先生!!」

「大丈夫、大丈夫だから」

 先生の抱擁が強くなる。

「コゼットさんの人間関係は、贈って、返して、それできっかり精算できるようなものじゃないでしょ?」

 先生の言わんとしているところを、掴みきれなくて、それでも私は頷く。私達の関係は、そうたやすく切れるものじゃないって、今では確信を持って言えるから。

「なら、大丈夫だよ。多くのものを受け取ったと思うなら、これから返していけばいいから。まだ時間はあるからさ、きっと大丈夫。結果を急ぎすぎないで」

「はい......」

「ここから一歩ずつ、歩んでいこう」

 先生は、手を取って言った。私も頷く。

「それに、まだ中間テストは終わってないよ?」

 え......

「先生、なんでそのこと!?」

 私とクロエちゃんで中間試験対決をしていることを先生は知っているんだろうか。そしてそれが、何を賭けているのかも。

「私もさっき聞いたんだ。クロエさんが私のところに来て、実は、って」

「そうなんですか?」

「うん」

 先生はクロエちゃんが、先生を先生としてふさわしくないと思っていることを知っているみたいだ。そしてそれで私達が戦ってたことも。

「まさかそんなことで戦ってるとは。心配かけたね」

「......」

 私は気が気じゃなくて先生を見られなかった。もし先生が、クビになったらどうしよう。私、その時、耐えられるかな。


「でも心配要らないよ。私がお願いしてクロエさんがね、評議会に向けて拒否権を発動したの。クラスの全会一致をもって」

「え」

 私の声が漏れる。

「私も評議会に根回ししたから、あの嘆願書は否認されるよ」

 はあーっと息が漏れる。いままでずっと私の中で、先生の進退というものが重くのしかかっていて、ようやく肩の荷が降りて安堵する。

「私も、ちょっと素性を隠し過ぎた。不信感を与えてしまったなってちょっと思う。みんなと話す場を設けようって、結構反省したんだよ。クロエさんにもそれを伝えて謝った」

「先生......」

「クロエさんの心境の変化の理由は、関与してないから分からないけど、多かれ少なかれ、それはコゼットさんのおかげなんじゃないかな?」

「そんな、違いますよ......」

「違わないよ......クロエさんも、言ってたから。『私はコゼットが見たものを信じます』って」

 その瞬間、目が熱くなる。

「ありがとう、コゼットさん。私のために一生懸命になってくれて」

「そんな、先生、私は、わ、たしは......」

「ああ、目薬が流れちゃう......」

 ああ、あああ......

 私はまた、ポロポロ泣いた。振り返ると私は泣き虫で、最近はずっと泣いている。

 先生は小さな体で、わたしの体を抱いてくれた。先生の胸で泣いてしまった。悔しさの中、先生に感謝されたことが、クロエちゃんに認められたことが、胸に染みる。

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