第四章 小塩雅秀(プロミネンス)

 小塩雅秀がこの世界へ転生してから、一ヶ月半ほどが経過していた。


 転生した当初は、危機に見舞われることも多く、混乱を極めていた。このまま死んでしまうのでは、と思うこともあった。


 だが、現在は違う。すこぶる順調であった。ある意味、前の世界にいた時よりも。


 雅秀は、豪奢に飾られた自室で、飲み物(エールという名前のビールのようなもの)を片手に、大きな椅子へ腰を沈めていた。天井に吊り下げられている出力を抑えた光の魔石が、室内を薄暗く照らしている。


 目の前には、複数の人影が並んでいた。雅秀はエールを飲みながら、その人影たちを眺める。現在の目の前の光景は、前の世界では考えられなかったものだ。


 雅秀は、唇を舐め、満足気に笑う。そして、現在の自分の状況に至るまでの出来事を、脳裏に展開させた。


 この世界へ転生した時、見渡す限りの草原を前に、雅秀は恐怖を覚えた記憶がある。


 修学旅行のバスに乗っていたはずが、気がついたら、先生とクラスメイト全員が奇妙な空間へと送られ、そこで妙な格好をした女から説明を聞いた直後、サバンナのような草原へと立っていたとなれば、恐怖を感じるなという方が無理であろう。


 周りには、それまで一緒にいたはずのクラスメイトたちはいなかった。ただ、なぜか女子の一人である棚瀬彩音はいた。


 そう。棚瀬彩音。二年に進学して、彼女と同じクラスになった時から、雅秀は彩音に興味があった。ただし、付き合いたいとかではなく、単純に体が目当てだった。


 彩音の地味だが、小動物のような可愛らしい顔に、小柄で華奢な体。雪のように白い肌。彼女の容姿を見る度に、下半身が疼くのを抑えなければならなかった。


 しかし、自身が死んだ事実と、相次ぐ不可思議な現象、そして、突如として眼前に広がる自然の脅威のせいで、彩音と二人っきりになろうとも、リビドーが湧き起こることはなかった。


 棚瀬彩音は最初から足手纏いであった。側には大人もいないし、ここがどこなのかもわからない。命の危険が迫っているサバイバルが始まったのだ。足手纏いがいると、自分まで死んでしまう。


 雅秀は彩音が足を引っ張る度に、彼女を激しく罵った。やがて、いよいよ疎ましくなったところで、巨大な蛇のような生物と遭遇した。


 雅秀は強い恐怖を覚え、彼女を置き去りにして逃げ出した。持ち前の健脚のお陰か、簡単に振り切ることができた。


 彩音を見捨てたことは、気にも留めていなかった。元々足手纏いの女だったのだ。良いきっかけである。


 彩音と別れ、一人で草原を彷徨う雅秀。昼夜が一回ほど経過した頃である。雅秀は、一つの村へと辿り着いた。中世時代の農村のような村だった。


 疲労困憊し、明らかに遭難している様子の雅秀を見て、村人たちは手厚く保護してくれた。どういったわけか、日本語が通じたので、幸い、コミュニケーションには不自由しなかった。


 村人たちの介抱により、たちまち体力を取り戻した雅秀は、行く当てがないため、村で世話になることになった。村人たちは、事情を聞くことなく、快く村の一員として受け入れてくれたのだ。もうその時には、彩音のことなど頭になかった。


 村の名前はスロプネンといい、大陸の奥地にある村らしい。


 空き家をあてがわれ、スロプネン村で暮らし始める雅秀。一週間ほど経っただろうか。雅秀は奇跡を目の当たりにする。


 家に備え付けられている暖炉へ、薪を燃やそうと手を伸ばした時だった。火種を投入していないにも関わらず、唐突に薪が燃え出したのだ。


 驚愕する雅秀。まるでイリュージョンを見ているかのようだった。そして、すぐに脳裏で明滅するものがあった。


 この世界へ転生する直前、女神から受けた説明。確か、スキルを貰えると言っていた。それから、ステータス画面がどうのこうの、まるでゲームの内容みたいな話をしていたことを覚えている。


 ステータス画面のことを頭に思い浮かべた瞬間だった。目の前に、3Dホログラムで作ったような、平面の画像が出現したのだ。その画像は、ロールプレイングゲームに出てくるものに酷似していた。


 これがステータス画面か。雅秀は理解する。そして目を通した。


 スキルと表記されてある欄に、雅秀は着目する。そこには、名称のようなものが書かれてあった。


 『プロミネンス(小)』


 『健脚』


 前者の『プロミネンス(小)』は、先ほど薪が燃えたことから、雅秀が所持しているスキルと考えて間違いないだろう。だが、もう一つの『健脚』とは何だろうか。


 雅秀は所属する野球部で、一番盗塁を得意とするレギュラー部員だ。ゆえに、脚力には自信があったし、事実、他校からの評価も高かった。いわゆる雅秀の特技や才能と言えるものだ。


 つまり、このスキル欄には、貰ったスキル以外にも、特技や才能の名前が載る仕様なのかもしれない。


 ただ、そちらのスキルには、不可思議な力は付加されていないような気がする。


 例のアナコンダのようなモンスターから逃げた時も、健脚は披露されていたはずだが、何ら不思議な現象は起きなかった。盗塁の際の全力疾走と同じだった。


 ようするに、不思議な力が発生するのは、貰ったスキルだけ、ということである。


 雅秀は、スキル欄に表示されてある『プロミネンス(小)』の文字を見つめた。


 ついさっき、目の前で起こった発火現象を思い出す。あれは凄かった。まさにアニメやゲームで出てくる魔法だ。強力な武器と言える。このスキルを人に放ったら、どうなるのだろう。


 もっと、自分のスキルについて知る必要がある。


 雅秀はそう判断した。




 翌日、雅秀は、村の外にある林の中に立っていた。ここは、村人たちの目を避けるために雅秀自ら選定した場所である。これから行うことを目撃されたくなかった。


 雅秀は、村から持ってきた農作物を入れる大きな籠を、ちょうど台座のようになっている岩の上へ乗せた。それから五メートルくらいの距離を取る。


 雅秀は、目線の先にある籠に目を向けた。そして手を前へ突き出し、頭の中へイメージを展開させる。昨夜、薪を燃やした時に見た光景。燃え盛る火焔のイメージ。


 瞬間、籠がガソリンに火をつけたように、勢いよく燃え上がった。炎はたちまち籠を焼き尽くし、真っ黒い炭へと変えた。


 雅秀は唖然とする。焼け焦げた籠の元へ歩み寄り、見下ろした。これを俺がやったのか。


 驚きが自身の体を震えさせる。やがて、すぐに驚きは、自信と喜びへと変貌した。

 これは本当に素晴らしい。人間離れした技だ。とてつもなく強力な武器。


 まるでスーパーマンにでもなった気分に襲われ、雅秀は一人で歓声を上げた。


 その日から雅秀は、自分のスキルの習熟に邁進した。村での農業や雑用を行う傍ら、頻繁に林へ出かけ、スキルを使う日々。


 十日ほど経過した段階で、自身のスキルの特徴がいくつか判明した。


 射程距離はおよそ十五メートルほど。リトルリーグにおける、ピッチャーとキャッチャーの距離くらいだ。


 それから火焔の威力。この村の近辺には、ホーンラビットというモンスターが生息している。名前の通り、角が生えた茶色い毛色の兎だが、大きさが猪の成獣ほどもあった。そのホーンラビットを一撃で丸焼きにできるのだから、威力は相当なものだろう。人など即座に焼き殺せるに違いない。


 そして、欠点もいくつか発見できた。


 まずは遮蔽物越しだと、直接攻撃対象にヒットさせることができない点だ。


 壁や板が手前にあると、それらに阻まれてしまう。プロミネンスは直線的な動きであり、飛び越すことも軌道を曲げることもできなかった。使用感は、ピンポイントで対象を発火しているようであったが、実際は軌道が見えない火炎放射のような機序である。


 これは、相手が鎧などを着ていると、火焔が阻まれることを意味していた。明確な欠点と言える。しかし、それでも圧倒的な火力により、鎧を着ていようと、中の人間を蒸し焼きにできるだろうし、それ以外の防具でも、生半可な耐火性では防具ごと相手を焼き尽くせるはずだ。


 この世界の文明レベルでは、魔石を使おうとも、雅秀の焔を防ぐ防具は作成不可能であろうと思われた。それこそ、炎に対し、圧倒的な耐性を持つモンスターの素材でも使わない限りは。


 村人から聞いた話では、火山に生息するモンスターがこの世界にはいて、そのモンスターからは炎への極めて強い耐性を持つ素材が入手できるらしいのだ。だが、火山に生息するモンスターはいずれも手強く、また環境も環境であるため、なかなか狩れる者が現れず、滅多にその素材が市場に出回ることはないとのことだった。


 出回っても、使われるのはインフラや建物への材料に対してであり、防具に回すほど大量に所持できる者は皆無だという。


 つまり、雅秀のプロミネンスを完全に防ぐ防具を纏う相手が、目の前に現れる懸念は無視できるということである。これは朗報であった。


 それからもう一つ。プロミネンスには、地味だが考慮するべき特徴が存在する。それは、プロミネンスを使用する際、必ず手を掲げる必要があることだ。ようは、攻撃対象に手の平を向けないと発動できないのである。そのため、もしも何らかの理由で両手が使えない状況に陥った場合、スキルが発動不可になってしまうことを意味していた。


 『プロミネンス』には欠点ないしは、足枷がいくつかある。だが、それでも強大な力であることに違いはない。


 短期間ではあるが異世界で過ごし、村人へそれとなく質問してわかった。異世界人たちには、自分のようなスキルや魔法を持つ者が存在しないことを。あるのはせいぜい、オカルトめいた噂話や、都市伝説の類ばかりであり、確たる証拠は確認されていない。


 つまり、雅秀の『敵』は存在しないのだ。


 殺人すら容易に行える唯一無二の不可思議な力。このスキルを使いこなせれば、自分は前の世界では考えられないような、満たされた暮らしができるのではないのか。


 雅秀は、次第にその考えにとらわれ始めていた。




 スキルの訓練を開始してから、しばらく期間が過ぎた。スキルは随分と使いこなせるようになり、欠点や特徴も把握できた。そろそろ頃合かもしれない、そう思った。


 そこで雅秀は『計画』を実行に移すことにした。


 まずは村長に直接打診し、見せたい物があるからと、村の皆を広場へ集めさせた。そして、雅秀は皆の前でスキルを披露したのだ。


 村人たちは一様に、驚愕の表情を見せる。一体これはなんだと口々に質問する皆に対し、雅秀はある提案を行う。


 今日この日から、この村での支配者は自分であること。逆らう者がいれば、即座に処刑することを述べた。


 見ず知らずの遭難者を手厚く保護し、あまつさえ、空き家をあてがい、村へ受け入れるほどの優しさと寛容さを持つ村人たちは、この時ばかりはさすがに怒りをあらわにした。


 怒声が村人たちの間から発せられる。皆の反応は予想通りで、雅秀はため息を一つつくと、一番近くにいた若い村人をプロミネンスで火ダルマにした。


 断末魔の絶叫が、広場へ響き渡る。たちまち村人たちは阿鼻叫喚の渦に陥った。


 すると、いくつかの人影が群集の中から飛び出し、雅秀の方へと襲い掛かった。村の中でも特に、屈強な肉体を持つ男たちである。


 雅秀は、襲いくる男たちに指一本触れさせなかった。眼前に迫った複数人の男たちを、まとめて焼き殺した。


 さらに恐慌状態に陥る村人たち。


 そこで雅秀は、恐れ慄く村長へ近づき、手の平を銃口のように突きつけるとこう言った。


 「これでわかりましたか?」


 村長は、極寒の地にいるかのごとく、震えながら頷いた。


 この日から、雅秀はスロプネン村での支配者となったのだ。




 現在に至るまでの経緯を思い起こしていた雅秀は、はっと我に返ると、目の前の光景に意識を向けた。


 眼前には四人の裸の女が並んでいる。この村の娘たちだ。全員が西洋人モデルのように美しく、スタイルも良い。中には一人、陶器を思わせる白い肌で、金色の長い髪と尖った耳を併せ持つ、エルフと呼ばれる種族の女もいた。


 四人共全裸で、直立した姿勢を取っている。秘部も胸も剥き出しであるため、皆一様に羞恥心を感じているようだが、誰も前を隠そうとはしていなかった。雅秀が禁止しているからだ。


 雅秀は、エールを飲み干し、派手な装飾が施されたコップを隣のテーブルへ置くと、椅子から立ち上がった。


 それから、雅秀は女たちへ命じる。


 「全員、その場に這え」


 雅秀の声が掛かると同時に、四人の女たちは訓練された犬のように、即座に這いつくばった。


 四つん這いのまま女たちは、尻をこちらへ突き出す。さらに剥き出しになる秘部。形の良い四つの尻が、魔石の薄明かりを受け、艶かしく輝いていた。


 雅秀は着ていた服を脱ぎ、自身も全裸になった。すでに股間の一物は、痛いほど大きくそそり立っている。


 雅秀は女たちのそばまで歩み寄ると、左端にいるエルフの膣へ、怒張したペニスを挿入した。エルフは小さく呻き声を上げ、身をよじらせる。


 雅秀は、エルフのくびれた腰を抱え、激しく腰を前後させた。次第にエルフの声が大きくなっていく。


 エルフの膣にペニスを突き立てながら、雅秀は感慨深い思いにとらわれていた。


 この世界に転生するまで、自分は童貞だった。彼女は何人かできたことがあるが、いずれも長続きせず、初体験を迎えることが叶わなかったのだ(大樹たちには経験済みだと豪語していたが)。


 それがどうしたことか、この世界に降り立ってからは様相が一変した。元は村長が住んでいた豪華な家で、何人もの女を抱く日々。酒も食べ物もたらふく食える。


 まるで、王族のような暮らしが訪れたのだ。ただの男子高校生に過ぎなかった自分に。


 前の世界では、想像もできない境遇だった。


 エルフと性交を続けながら、雅秀は元クラスメイトたちのことを考えた。


 皆はどうしているのだろう。大樹は。晴康は。皆も自分と同じように、スキルを与えられ、異世界へ転生したはず。もしかすると、雅秀のように豪華な暮らしが訪れた者もいるかもしれないし、すでに死んだ者もいるかもしれない。何せ、ここは辺境に近い場所なので、情報が全く入ってこないのだ。


 雅秀の下で喘ぐエルフの白い肌を見下ろしていると、脳裏に一人の少女の姿がよぎった。


 棚瀬彩音。元クラスメイトで、色白の可憐な女子。


 彼女はあれからどうなったのだろうか。例の巨大なアナコンダのような蛇(後で知ったがセルパンというモンスターらしい)を眼前に一人、置き去りにされて。


 もしかすると、丸呑みにされたのかもしれない。あの蛇は、毒で獲物の動きを封じてから、ゆっくりと捕食するらしいのだ。


 仮に彩音がセルパンから逃げおおせたとしても、彼女は到底、一人っきりでサバイバルできる人間ではない。草原で野垂れ死んでしまった可能性もある。


 今では雅秀は後悔していた。恐怖に駆られ、彼女を見捨てたが、一緒に逃げればよかったのだ。二人共無事だったら、今この村で彩音も雅秀の『ハーレム』の一員になっていたはずである。そうでなくても、あれだけ共に行動したのだ。最低限、レイプでもすればよかったと思う。治外法権的な場所だったので、咎はないはずである。


 エルフへ突き入れる雅秀の動きが激しくなった。エルフは金色の髪を乱れさせ、痛みに耐えているかのように、断続的に吐息を漏らしている。隣にいる女たちは、待てを命じられた犬のように、ただ黙って四つん這いのままじっとしていた。


 もしも、と雅秀は思う。もしも、棚瀬彩音が生きており、再会することがあったら、次こそは手放さずに、必ず自分のハーレムの一員にするつもりだった。そして、華奢で可憐な彼女の肉体を思う存分弄んでやるのだ。


 彼女もスキルを持っているはずだが、関係ない。この自分を上回るスキルを持つ人間など、この世界にいるもんか。今の俺は、カークスのような無敵の存在なのだから。


 雅秀が絶頂に達する直前には、エルフの姿は彩音のものへと変貌していた。ほっそりとした掴めば壊れそうな腰。小振りな白い尻。可愛く喘ぐ鈴のような声。


 雅秀は、幻のように浮かび上がった目の前の棚瀬彩音の体内に、自身の全てを放出した。




 翌朝。雅秀は、女たちと共に寝ていた天幕付きの広いベッドから体を起こした。このベットは、村人たちに作らせた特別製だ。


 雅秀は体を起こしたまま、窓に目を向ける。窓からは、明るい陽光が部屋の中へ差し込んでいた。


 今は昼近くだろう。随分と寝てしまったようだ。無理もないと思う。昨夜は遅くまで、五人で饗宴を繰り広げたのだ。終わった時にはさすがにヘトヘトで、ベットへ入ると同時に死んだように眠りについていた。


 もっとも、特権階級である雅秀は早起きしてもやることがないので、いつ起きようとも支障はなかった。この村は娯楽が少ないため、また今日も女を抱く日常が訪れるのだろう。


 雅秀はのろのろとした動作でベッドから降り、テーブルの上に畳まれている服を着た。部屋の中は少しだけ蒸し暑い。現在、この地方は夏だった。前の世界とは季節に差異があるようだ。


 貴族のような服を身に付けた雅秀は、クーラーのように冷風が発生する木箱の前で、水差しから直接水を飲んだ。このクーラーもどきは、冷風を発生する魔石を利用した冷房装置である。これがなければ、締め切った部屋の中は、灼熱の世界へと変貌していることだろう。


 雅秀が起床したことで、女たちも体を起こし始める。昨夜に引き続き、全員全裸だ。窓から乱反射する日の光により、綺麗な裸体が浮き彫りになっている。


 女たちの身体を見ていると、昨夜あれだけ盛ったにも関わらず、雅秀の下半身は反応をみせた。今日も好きなだけ女体を貪ろう。他の女を誘うのもいいかもしれない。さすがに同じ女ばかりだと、飽きがくるのも早いだろうし。


 だが、その前にまずは食事だ。もう腹ペコで、何か口に入れなければセックスどころではなかった。


 腹が減っては戦はできない。前の世界の言葉だ。


 雅秀は、水差しをテーブルに置き、食事を作らせるため、女たちへ声をかけようとする。その時だった。


 階下から木板を叩くような、激しい物音が聞こえてきた。誰かが、玄関の扉を強く叩いているのだ。


 雅秀は、怪訝に思いながら階下へ降り、玄関を開けた。そこには、血相を変えた村の若い男が一人いた。肩で息をしていることから、急いでここまで駆けてきたのだろうとわかる。


 「どうした?」


 雅秀が訊くと、若い男は唾を飛ばしながら言う。


 「怪しい者が村を訪れ、雅秀様を呼んでいます!」


 「怪しい者? 俺を呼んでいる?」


 寝耳に水の話に、雅秀は眉根を寄せた。


 その後、雅秀は怪しい尋ね人が待っているという村の中央広場まで向かった。背後には、服を着させた女たちと、伝達にきた若い男も続いている。


 広場に到着すると、真ん中に二人の人間が立っている姿が目に映った。


 二人共、フード付きの黒いコートを身に纏っており、顔はフードのせいで見えない。聞いた通り、すこぶる怪しい。


 しかし、両者ともコート越しに浮き出ている骨格や、低めの身長から、ヒューマンの女なのだと推測できた。しかも、一人はより小柄だ。


 その二人を、大勢の村人たちが遠巻きに注視していた。皆、鍬や鎌を手に持っていることから、仕事の最中に集まったことが窺える。この訪問人たちは、本当に突如としてこの村へ訪れたのだ。


 しかし、目的は何だろう。たった二人で、しかも女と思しきことから、村への侵略ということは考えられない。それに雅秀を名指ししているということは、つまり、雅秀のことを知っている、ということである。


 雅秀は、自身のスキルの射程距離内ギリギリに二人を収め、声をかける。


 「誰だお前ら。どうして俺のことを?」


 コート姿の二人は、雅秀の質問には答えなかった。背の高い方が逆に訊いてくる。


 「小塩雅秀ね?」


 凛とした女の声が、広場へ響き渡る。


 雅秀ははっとした。この声に俺は聞き覚えがある。いや、聞き覚えがあった、というべきか。


 「まさかお前」


 声の主は、フードを外した。顔があらわになる。やはり思った通りだった。


 「峰崎晴香」


 雅秀は唖然と呟く。


 どうしてこいつが異世界に? この女は、修学旅行よりも前、つまり雅秀達が死亡する二ヶ月も前に自殺を図って死んでいる。なのに、なぜ一緒の世界に転生しているんだ?


 だが、今はそんな疑問よりも先決することがあった。


 雅秀は口を開く。


 「この俺に何の用だ? ワキガ女」


 挑発的な雅秀の言葉に、峰崎は僅かばかり頬をピクリとさせた。


 峰崎は言う。


 「私、あなたを殺しにきたの」


 雅秀は耳を疑う。


 「何だって?」


 峰崎は真剣な面持ちで、再度同じ言葉を口に出す。


 「だから、あなたをこれから殺すから」


 ようやく峰崎の言葉が理解でき、雅秀は笑い声を上げた。


 「俺を殺す? なぜ?」


 峰崎は無言だった。じっと雅秀の方を凝視している。


 「もしかして、いじめられた腹いせか?」


 峰崎はなおも答えない。それは肯定を意味しているのだと、雅秀は解釈した。


 わざわざ異世界にきてまで、酔狂な奴だ。たかだが、いじめ程度で。


 「どうやって殺すかわからないけど、やってみろよ」


 雅秀はそう言うと、峰崎に狙いを定めた。この距離なら確実に仕留められる。


 雅秀は、自身のスキルで峰崎を殺すことに決めた。元クラスメイトだろうと関係がない。いじめられた腹いせなどと、下らない理由で、自分の命を奪うと宣言しているのならば、迎え撃つしかない。そもそも、ここでは誰を殺そうとも、お咎めなしだ。目障りという理由でも、充分正当な動機になる。


 躊躇う必要性は、皆無であった。


 雅秀は、手の平を峰崎へと向け、プロミネンスを放つ。それと同時だった。ずっと峰崎の側で佇んでいたもう一人のコートの人間が、ブロックするかのように、射線上に立ち塞がった。


 すぐさま激しい炎が発生する。小柄なコートの人間は、たちまち火だるまになった。


 遠巻きに成り行きを見ていた村人たちから、どよめきが起こる。


 燃え盛る人間を眺めながら、雅秀は、あざ笑った。馬鹿な真似を。俺の焔の前に立ち塞がるなど、無謀も甚だしい。そのまま焼け死ね。そしてその次は峰崎晴香だ。


 少しだけ時間が経過した。二十秒ほどだろうか。雅秀は訝しむ。相手が倒れないのだ。


 炎に包まれているコートの人間は、そよ風に身を任せているかのように、平然と佇んでいた。


 やがて炎が弱まり、完全に鎮火される。その下から現れたのは、全く無傷の姿だった。コートは一切焼け焦げておらず、何事もなかったように、綺麗な外観を維持していた。


 雅秀は驚愕する。俺の焔が効かない?


 「何なんだ、お前!」


 小柄なコートの人間もフードを外した。雅秀は、目を見開く。


 雅秀は大声を発した。


 「棚瀬彩音! お前生きていたのか!」


 もう一人は棚瀬彩音だった。


 自分の火焔が通じなかったショックがありながらも、彩音の顔を見るなり、自身の下半身が疼くのを雅秀は感じた。


 彩音は、まっすぐこちらを見つめている。


 雅秀は訊く。


 「どうしてお前がそんな女と一緒に? あれから何があったんだ?」


 彩音は不愉快そうに顔を歪め、押し黙る。答えるつもりはないようだ。見捨てたことを根に持っているらしい。まあいい。これから先が大事だ。


 雅秀は表情を崩し、手を広げた。


 「ともかく、良かったよ。心配してたんだ。お前が無事かどうか」


 「私を見捨てたくせに?」


 「あの時は俺も必死だったんだよ。仕方なかった。でも今は違う。もう安全圏にいるし、村人に認められて裕福な暮らしを送っている。あの蛇を簡単に殺せる力もある。どうだ彩音。お前も一緒に暮らさないか? 見捨てた詫びというか、お前も何不自由ない生活を送らせてやるぞ」


 彩音は顔を曇らせ、綺麗なショートカットを揺らしながら首を振る。


 「そんなことをしにここにきたんじゃない」


 雅秀は、冷たい目線を峰崎に向けた。


 「俺を殺すってやつか? できるのか? 確かに焔が効かなかったのは驚いたが、他にいくらでもやりようはあるぞ」


 雅秀は、村人たちに命じ、二人を取り囲ませた。


 あくまでも予想だが、プロミネンスを防いだ彩音のコートには、例の、火山に生息するモンスターから取られた素材が使われていると思われた。そうでなければ、自分の焔をコートだけで防ぐことなど不可能のはずだ。


 彩音が防具に依存していることから、スキルの類で防いだのではないのだろう。そして、おそらく、同じデザインである峰崎晴香のコートも、彩音のコートと同じ耐火性を持っていると推測できる。


 極めて希少であるはずの素材をどのようにして集めたのか疑問ではあるが、耐火性の防具を用意していたとなると、予めこちらのスキルのことは知っていたのだろう。


 いずれにしろ、焔が効かないなら効かないなりの戦法はある。大した障害ではない。


 まずは邪魔なワキガ女だけを始末し、彩音を捕縛する。それから尋問を行い、情報を得たのち、雅秀に逆らう気が起きないよう、徹底的に調教してやればいい。服従心を植え付け、ハーレムの一員として日々を過ごさせるのだ。


 雅秀は声を張り上げ、村人たちに命じる。


 「小柄な女の方は殺すな。もう一人の女だけ殺せ」


 雅秀の命令に、村人たちは二人を取り囲んだ。鍬や鎌を手に持ち、じりじりと輪を狭めていく。焔が効かないとはいえ、二人は貧弱な女子高生だ。大の大人たちとの肉弾戦になれば、到底勝ち目はないはずである。


 雅秀は、自分の口元が緩んでいることに気がついた。軽薄な顔、と人から言われることがあるが、今までの人生で一番、冷徹な表情をしていることだろうと思う。


 村人たちの輪が二人へと迫った。鍬や鎌を振り下ろせば、もう当たる距離である。それでも二人は身じろぎ一つしない。観念したのだろうか。


 その時だった。峰崎晴香は予想外の行動を取った。


 勢いよく、身に纏っているコートを脱いだのだ。まるでマントを剥ぎ取るヒーローのごとく。


 中からあらわになる見覚えがある制服。峰崎晴香は、いまだ母校の制服を着用していた。


 峰崎の奇妙な行動に対し、雅秀は怪訝に思う。わざわざこちらのスキルを防ぎ得るコートを脱いで、何のつもりだろうか。特に何か起きるわけでもない。


 村人たちも不意の出来事に警戒しているらしく、鍬や鎌を構えたまま一様に硬直していた。


 違和感を覚えながらも、雅秀は攻撃をさせるため、再度村人たちに命令をかけようとした。


 そこで、雅秀は口を噤む。風に乗って、ある『臭い』が雅秀の鼻腔へと届いたからだ。


 雅秀は思わず顔をしかめた。自分はこの臭いを嗅いだことがある。前の世界で教室にいた時、他の皆と共に辟易した臭い。


 ワキガ臭である。峰崎晴香のものだろう。あの女は、転生してもなお、ワキガ体質のままなのだ。


 それに、以前の峰崎のワキガ臭よりも、遥かに臭いが強烈な気がした。まるで何日も風呂に入らず、服も着替えないまま過ごしたような、ワキガ臭が煮詰まった臭い。


 雅秀は、漂うワキガ臭に嫌気が差し、硬直したままの村人たちへ怒鳴った。


 「何をしている! さっさとその女を殺せ!」


 静寂に包まれた広場に、雅秀の怒声が響き渡った。


 雅秀の強権により、恐怖に縛られ従順している村人たちは、すぐにでもその命令に従うのだと思った。鍬や鎌が振り下ろされ、峰崎は昏倒するのだと。


 だが、その予想は外れた。


 村人たちは、一斉に峰崎に対し、その場へひれ伏したのだ。まるで、水戸黄門の印籠を前にした民衆のように。


 村人たちの不可解な行動に、雅秀は絶句する。何をやっているんだ。あいつらは。


 「ああ、なんて素敵な香りかしら」


 隣から恍惚とした声が聞こえてくる。はっとしてそちらを見てみると、雅秀のハーレムの女の一人が、うっとりとした顔で峰崎に視線を送っていた。


 「ええ。本当に良い匂い。あのお方、何者かしら」


 「もっと近くで嗅ぎたいわ」


 「あのお方に御仕えしたくなるな」


 他の女たちも次々に同調する。それは、伝達にきた若い男も同じだった。惚れ込んだように、しみじみと呟いている。


 「な、何なんだ? お前たち、何を言っている?」


 雅秀は混乱する。このワキガ臭が良い匂いだって? 意味がわからない。もしかすると、これがあいつのスキルなのか?


 雅秀は、平伏している村人たちへ再び怒鳴った。


 「馬鹿な真似やっていないで、その女を殺せ!」


 だが、村人たちは動かない。頭を地面へ付けたままだ。


 ゾワリとした不安が、雅秀の中へ生まれた。この村で支配者となって、初めて感じる不安だ。


 ひれ伏す村人たちの輪の中で、峰崎は澄んだ表情をこちらへ向けた。雅秀と目が合う。隣にいる彩音は、じっと俯いていた。


 雅秀は、峰崎と視線を合わせたまま、考える。これが峰崎のスキルのようだ。自分の体臭を嗅がせることで、攻撃させないようにする効果があるのか? 詳細はよくわからない。だが、なぜか雅秀には通用していないらしい。村人たちとは違い、殺意が消えていないからだ。


 ならば答えは簡単だ。充分に刺せる。今、峰崎は耐火性のコートを脱いでいる。プロミネンスが通じるのだ。彩音が立ち塞がるだろうが、問題はない。いつまでも一人で、プロミネンスから他者を守り続けるなんて無理がある。


 雅秀は攻撃続行を決めた。手を峰崎の方へ向けようとする。


 それよりも早く、峰崎は、こちらへ指を差した。


 それから、現代国語の教科書を朗読するように、はっきりとした口調で言う。


 「あの男、小塩雅秀を殺しなさい」


 峰崎の命令が終わると同時に、村人たちはひれ伏していた状態から、一斉に立ち上がった。手にしている鍬や鎌を構え、これまで峰崎たちに迫っていたように、今度はこちらへと近づいてくる。


 雅秀はぎょっとしつつ、声を張り上げる。


 「何なんだお前ら! 止まれ! 殺すぞ!」


 しかし、村人たちは足を止めない。もう一切、村人達には雅秀の命令が通じないのだ。


 雅秀は舌打ちした。峰崎のスキルは攻撃を止めさせる効果ではなく、体臭を嗅いだ者を従わせる効果があるらしい。


 けっこう、やっかいだ。


 そして、彩音が峰崎に従属している疑問が解ける。彼女も術中にはまっているからだ。とはいえ、雅秀自身に効果がない理由は、相変わらずわからないが。


 いずれにしろ、峰崎を殺せば、スキルの効果は消えるかもしれない。しかし、この状態では、村人たちが邪魔になり、峰崎を狙えない。


 村人たちを排除する以外、道はないようだ。


 雅秀はスキルを使うため、村人たちへ手の平を向けた。その時だ。阻止するかのように、誰かが雅秀にしがみ付いてきた。プロミネンスは発動できず、雅秀はその場に膝を付く。


 しがみ付いてきた人間を睨みつけると、その人物は、雅秀のハーレムの一人であるエルフだとわかった。


 雅秀の、一番のお気に入りである。


 「何をする貴様!」


 エルフは、何かに取り憑かれたような惚けた様子で、雅秀にずっと抱き付いたままだ。今まで何度もこの女と抱き合ったが、それとは全く異なる敵意ある抱擁だった。いや、拘束と言っていい。


 そして、次々に他の女たちが雅秀にしがみ付いてくる。いくら雅秀が野球部で男の体格だろうと、女四人がかりでは振り解くのは不可能だ。


 雅秀は仰向けに倒れ込み、取り押さえられた状態になる。身動きがならなかった。


 最後に、若い男が雅秀に馬乗りになってきた。首を両手で掴んだ後、締め付けてくる。


 「ぐえ」


 雅秀はうめき声を上げた。


 こいつらも、先ほどの峰崎の命令に従っているのか。ちくしょう。やられてたまるか。


 雅秀は、必死にもがき、取り押さえられている状態から、何とか右腕だけを外へ出すことに成功した。


 雅秀の首を絞めている男へ、外野ゴロを捕るように手首を内側に曲げて、手の平を向ける。その後、プロミネンスを放った。自分と接触しているので、出力を抑えつつ、部分的に狙いを絞りながら。


 男の顔が、炎に包まれた。男は絶叫し、大きくのけぞった。それから、トーチのように頭部から炎を立ち上らせながら、横に転がり、雅秀の上から退く。


 その弾みで、女たちの拘束が一瞬緩んだ。雅秀はその隙を見逃さず、女たちの間から這うようにして抜け出した。


 四つん這いの格好で、雅秀は峰崎の方へ顔を向ける。もうすでに村人の集団は、眼前まで迫っていた。


 先頭にいた中年男の村人が、雅秀へ向かって鍬を振り下ろしてくる。とっさにスキルで鍬を燃やす。その後で、チラリと相手本体を狙えばよかったと後悔した。


 鍬を失い、焼けた腕を押えている村人の両サイドから、二人の村人が同時に雅秀へと迫った。二人共に鎌を携え、横なぎにして切りつけてくる。


 今度は雅秀は、冷静に対処した。両手で二人の胴体をプロミネンスで狙い、それぞれに焔を喰らわせる。二人共、即座に全身が火だるまになった。


 獣の咆哮のような二人の叫び声が、広場へと響き渡る。


 それでも、村人たちの猛攻は止まらない。まるで武装蜂起をしたかのように、次々に雅秀へ彼らは襲いかかった。


 雅秀は必死に、迫りくる村人たちをスキルで焼いていった。次第に地面へと転がる人数が増えていく。ある程度、村人の数が減ったところで、雅秀は、峰崎らのいる方へ、全力で駆け出した。


 このままでは埒が明かない。スキル使用者を狙わなければ。だが、彩音がガードするのは目に見えている。だったら、いっそのこと。


 持ち前の健脚により、一気に二人へ近づいた雅秀は、手を前に突き出し、狙いを付けるフリをする。案の定、彩音はフードをすっぽりと被ると、ボディガードのように峰崎を庇う。


 しかし、雅秀はスキルを打たなかった。そのまま彩音の眼前へと肉薄し、彼女へ手を伸ばす。


 この状況下で、わざわざスキルを無駄打ちする必要はない。腕力や体格はこちらが圧倒的に上なのだ。彩音をねじ伏せ、守れなくした後で、峰崎を殺せば済む。


 雅秀は彩音の肩を掴んだ。コート越しでもわかる華奢な体。もうすぐ、俺のハーレムの一員となる女。性欲の限り、弄んでやる。


 一瞬だけ、雅秀の視界に、峰崎の姿が映った。峰崎は、冷静な表情であった。その口が、微かに動いた。ワキガ女は、何かを呟いたのだ。


 雅秀にはこう聞こえた。


 「タイス!」


 彩音の肩を掴む雅秀の右腕が、かっと熱くなる。


 いつの間にか、すぐそばに、黒いコートを纏った人間がいた。峰崎たちと同じタイプのコートだ。しかし、その下にある体格は違った。まるで獣のように、体が盛り上がっているのだ。


 雅秀は、熱くなった右腕を見る。右腕は肘から先がなかった。本来、そこにあるはずの先の部分は、彩音の肩に乗っていた。やがて、右腕は肩から滑り落ち、地面へと落下する。


 肘の先端から、おびただしい血が流れ出た。そこで雅秀は、ようやく自分の右腕が切断されたのだと知った。


 「おわっ」


 雅秀は、左手で右腕を抑える。熱を感じはするが、不思議に痛みはない。


 雅秀の腕を切断した人間――タイス、と呼ばれていた――が、その場で足を踏み込むのがわかった。右手には鉈のようなものを持っている。それで自身の腕が切断されたのだと雅秀が理解するのと同時に、鉈が振り上げられた。


 雅秀は、とっさに残る左腕で、タイスをプロミネンスで迎撃した。


 たちまちタイスは炎に包まれる。だが、動きは止まらない。やはりこいつが纏っているのは、彩音と同じ雅秀の焔を防ぎ得るコートなのだ。


 鉈が振り下ろされる。雅秀は、ひい、と声を上げ、左手で顔を防御した。次の瞬間、大地がひっくり返る。そして臀部に衝撃。


 自分が滑って転んだことに気がついたのは、目の前を鉈が通過し、地面に食い込んだからだ。


 雅秀は、小さく喘ぐ。もしも、転倒しなければ、確実に自分の頭は、スイカのように割られていただろう。これも、地面が雅秀の血で濡れていたお陰だ。


 「くっ」


 今のは僥倖でかわせた。だが、次は不可能だ。このままではやられてしまう。


 雅秀は、素早く立ち上がり、地面をスキルで手当たり次第に焼いた。すぐさま、周囲は煙幕のような煙に覆われる。


 雅秀は村のほうへと駆け出した。より建物が多い場所へ。


 片腕がないため、走りづらかった。それでも健脚には変わりはない。即座に、雅秀は民家の陰へと身を隠すことができた。


 なおも出血が続く右腕を押さえながら、雅秀はそっと広場の様子を窺う。


 白煙の合間から、峰崎が、彩音とタイスへ何かしら命じている光景が目に映る。どうやら、こちらを見失ったようだ。


 雅秀は顔を正面に戻し、右腕を見た。絶望により、目の前が真っ白になる。


 何てことだ。右腕を失ってしまった。ちくしょう。俺の腕が。


 今になり、痛みが怒涛のように襲いかかってきた。まるで、煮えたぎった熱湯へ漬け続けているような激痛だ。汗が流れ、息も荒くなっている。


 それに、出血もひどい。このままでは、あいつらに発見されるよりも先に、出血多量で死んでしまう。


 なんとかしなければ。


 雅秀は覚悟を決めた。額にびっしりとかいている脂汗を拭うと、ポケットからハンカチを取り出し、口に咥える。


 必ず、タイスと峰崎へ報復してやる。俺の腕を奪った罪を償わせてやる。そして、これから起こる苦痛の代償も支払わせてやる。


 雅秀は、右腕の断面へ左手で触れ、プロミネンスを発動させた。


 雅秀は、口の中で絶叫を迸らせた。




 何度も失神しかけながらも、雅秀は傷口を塞ぐことに成功した。


 全身に滝のような汗をかき、失禁までしてしまった。意識も朦朧だ。だが、一命は取り留めた。


 雅秀は、霞む目で、広場の方を確認する。


 すでに煙が晴れた広場に、峰崎と彩音がいた。タイスもいる。タイスはなぜか、負傷した村人を二人の元へ運んでいるようだった。


 峰崎はすでに、例の黒マントを着用している。一度村人たちへワキガを嗅がせたためか、もう体臭を振り撒く必要がなくなったようだ。


 負傷者と黒マント三人組以外に、人の姿は見当たらない。おそらく、無事な村人たちは、峰崎の命を受け、雅秀の探索へ赴いたようだ。地に明るい村人たち相手では、じきにここも見つかるだろう。


 移動しようと雅秀が考えた時、雅秀は彩音の動きに目を止めた。妙な行動を見せたからだ。


 彩音は、タイスが運んできた村人の前で両膝をつくと、心臓マッサージでもするかのように、村人の胸へ手を当てた。


 雅秀は目を見張る。彩音の手元が、ケミカルライトでも使っているかのように、緑色に輝いたのだ。


 やがて瀕死だった村人は、身じろぎを始める。離れていてもわかった。彩音に介抱されていた村人の火傷が、塞がっていることが。


 彩音のスキルは、人の傷を治療できるものだ。雅秀は理解した。


 雅秀は、己の右腕に目を向ける。それならば、この腕も復活できるかもしれない。


 やはり彩音は、生け捕りにする他ないようだ。


 ただ問題は、タイスである。雅秀の焔を防ぐマントを身に纏っており、身体能力も雅秀より上。まともにやり合えば、こちらに勝ち目はないだろう。


 タイスさえどうにかできれば、後は雅秀に効果のないスキルを持つワキガ女と、回復スキルを持つ華奢な女子二人。余裕で攻略可能だ。峰崎に操られている村人たちは、最初から脅威ではない。


 雅秀の視線の先で、タイスが動き出した。地面を見下ろしながら、鉈を携え、こちらへ歩いてくる。どうやら、血痕に気がつき、辿っているようだ。


 そうくるか。ならばこちらにも考えがある。


 雅秀は、笑みを浮かべた。




 軋む音を立てながら、納屋の戸口が開けられる。日の光と共に入ってきたのは、黒コートを纏った大柄な人間だ。


 雅秀は、眼下に現れたタイスを見下ろしながら、機を窺った。


 タイスは鉈を構え、警戒した様子で納屋の奥へと進んでいる。目線は下だ。やはり、雅秀の血の跡を追って、ここまでやってきたようだ。


 すでに出血が止まっている雅秀が、服を絞って作り上げた血痕を。


 タイスは血の跡を辿りながら、ロフトの下へ姿を消した。ロフト上には、農具や樽などが所狭しと並んでいる。


 雅秀は、天井に設けられた天窓から身を乗り出し、スナイパーのように、ロフトを支える柱をプロミネンスで狙い撃った。


 二本ある支柱は、即座に炎を上げ、あっという間に焼け焦げる。そして、派手な音を立てて、ロフトは崩れ落ちた。真下にいたタイスを下敷きにして。


 予想通りである。元々、中世時代のような立て付けの悪い構造で、しかも相当年季が入った納屋だ。雅秀の焔なら、容易く崩壊させられるだろう。


 だが、これだけでは済ませない。


 雅秀は、納屋中にスキルを放つ。タイスが下敷きになっているロフトはもとより、牧畜用の藁や補修用の木材を燃やしていく。


 納屋は、すぐに火の海となった。


 火事になった人間の一番の死因は、一酸化炭素中毒だと聞く。周り一帯が煙と炎に覆われ、生き埋めになったのであれば、いくら火炎に耐性がある装備を身に纏っていようと、中毒死は免れないだろう。


 雅秀は納屋の様子を確認し、天窓から体を外へ出した。そして、屋根の上から梯子を使って地面へと降りる。


 それと同時に、キャンプファイアーのように燃え盛っている納屋が、一気に倒壊した。火の粉と騒音を撒き散らし、ぺしゃんこになる。


 それでもなお、火柱を立てている納屋を見て、雅秀はタイスが死んだことを確信した。


 なんとも呆気ない。次は、峰崎と彩音の番だ。峰崎を殺し、ワキガの効果を解除した後で、彩音を従属させ、腕を治させる。それから、散々愉しませてもらおう。


 「いたぞ!」


 峰崎のワキガの力により、操られている村人たちが、雅秀を発見した。これだけ派手に建物を燃やせば、見つかるのは当然か。


 雅秀は、相手を殺すため、左手を村人たちへ向けた。


 潰れている納屋が、爆発した。爆発したと思った。だが、違う。納屋の残骸が吹き飛んだのだ。まるで怪獣が蹴散らしたかのように。


 瓦礫の中から、タイスが悠然と姿を現す。タイスは生きていた。コートは多少痛んでいるようだが、ほぼ無傷といっていい。


 雅秀は驚愕した。全身が震え、冷や汗が頬を伝って流れ落ちる。化け物。どうしてあんな状況で生きているんだ?


 雅秀は、猛獣を前にした兎の如く、心底恐れおののいた。


 タイスが鉈を構え、こちらに躍りかかる。雅秀は、悲鳴を上げ、左手をタイスへ向ける。無駄だとわかっているにも関わらず、プロミネンスを撃ち込もうと、体が勝手に動いていた。


 雅秀は死を覚悟した。この怪物に殺されるのだと。


 雅秀は、プロミネンスを発動させた。


 眼前に、信じられないほどの爆炎が発生した。赤い龍のような焔が巻き起こり、タイスと納屋の残骸を吹き飛ばす。同時に、雅秀へと迫っていた村人たちも、衝撃を受け、背後へもんどり打って転がっていく。


 プロミネンスの威力が、飛躍的に上昇していた。


 雅秀は、面食らいながらも、さらにタイスへ向かって、プロミネンスを放つ。ナパーム弾を撃ち込んだかのように、前方一面が焼け野原になる。周囲の建物も、爆炎に巻き込まれ、積み木のように崩れ落ちた。


 なんて威力だ。何が起きている?


 雅秀ははっとし、ステータス画面を確認する。スキル欄に書かれてあった名称に、微妙な変化があった。


 『プロミネンス(中)』


 プロミネンスが(小)から(中)へと変わっていた。つまりレベルアップしたのだ。


 ステータス画面を閉じると、雅秀は高らかに笑った。窮地に立ったことで、スキルの力が向上したようだ。


 これなら勝てる。


 眼前は煙と焔に覆われ、タイスの姿は見えず、動きもない。甚大な威力を獲得したプロミネンスの攻撃を受け、死んでしまったか。


 だが、油断は禁物だ。


 雅秀はさらに攻撃を加えようと、左手を前へ突き出した。


 その途端、左腕に衝撃が走る。雅秀は目を見開いた。肘と手首の中間部分が、まるで枯れ枝のように、ポッキリと折れていたからだ。


 目の前には、いつの間にかタイスがいた。すでに鉈を振り下ろし終わっている。鉈の『峰』の部分で、雅秀の左腕を殴打したのだ。


 続いて、顔面へ衝撃。視界が真っ暗になり、意識が一瞬だけ飛んだ。気がつくと、地面が目の前にあった。


 タイスに殴られ、地面へと倒れたのだとわかった。


 天地が逆転しそうなほどの眩暈を覚えながら、雅秀は疑問に思う。


 信じられない。あの威力の焔すら効かないなんて。それに、どうして生き埋めになった時に、一酸化による中毒死をしなかったのか。あのコートのお陰だろうか。


 倒れ伏す雅秀の元へ、タイスは歩み寄る。そして、雅秀の首根っこを掴むと、土嚢のように軽々と持ち上げ、肩に担ぐ。


 糸が切れたようにぶらぶらと揺れる左腕を見て、自分はもうスキルを発動できないのだと雅秀は悟った。




 ゴミ袋を投げ捨てるように、雅秀は無造作に地面へと放り投げられた。


 雅秀は顔を上げる。目の前に、フードを外した峰崎と彩音がいた。彩音は雅秀から目線を逸らし、峰崎は冷たい目でこちらを見下ろしている。


 「何なんだよお前らは! 何でこんな真似を。一体何が目的だ!?」


 雅秀は声をかすれさせながら、そう怒鳴った。


 峰崎は答える。


 「言ったでしょ? あなたを殺すためだって」


 「だからなぜだ!? 俺がお前たちに何をした!? ワキガを馬鹿にしたり、モンスターを前に置き去りにすることが、そんなに悪いことなのか?」


 峰崎は冷たい表情のまま、頷いた。


 「ええそうよ」


 雅秀の背筋が粟立った。この女の内面に、剥き身の殺意が溢れていることを感じ取ったからだ。宣言通り、こいつは確実に俺を殺す。


 雅秀は、峰崎の足元へすり寄った。折れた左腕が痛むが、今はそれどころではない。


 「なあ、頼むよ。見逃してくれ。元クラスメイトじゃないか」


 峰崎は、瀕死の虫を見るような目で、こちらを見下ろしている。


 次に雅秀は、彩音の足元へ近づいた。


 「なあ、棚瀬。お前からも言ってくれ」


 だが、彩音は目線を逸らすだけで、無言を貫いている。やはり、峰崎のスキルにより操られている彼女は、聞く耳を持たないようだ。


 一瞬だけ、広場に静寂が訪れた。まるで執行前の処刑台にいるような気分に襲われる。雅秀の背後に佇んでいるタイスが、さながら処刑執行人か。


 雅秀は、再び峰崎の足元へ這いずっていき、必死に声を上げた。


 「教えてくれ! お前らはなぜそんなに強いんだ? そもそも、そのコートはなんだよ? 火山に生息するモンスターの素材を使っているのか? どうやって手に入れたんだ?」


 雅秀は、恐慌寸前だった。だが、それでも生きるための時間稼ぎと、逃げるためのヒントを少しでも得ようと、頭がフルに働いていた。生存本能がなせる業だろう。


 しかし、峰崎は答えない。広場に巻き起こった一陣の風だけが、雅秀の問いかけに応じた。まるで、処刑執行を告げる鐘の音のようだった。


 雅秀が絶望に包まれた時、峰崎は行動を起こす。


 コートを脱いだのだ。雅秀と対峙した時と同じく、おもむろに。


 風に乗って、例の臭いが雅秀へと届く。


 ワキガ臭。やはり教室にいた時よりも、遥かに臭いが強かった。


 雅秀は、鼻を手で塞ぎたくなったが、両手が使えないため、不可能である。


 雅秀は、口で息をしながら訊く。


 「お前のそれ、スキルなのか? 人を従属させる」


 峰崎は首肯した。


 「ええそうよ。でも、あなたみたいにこの世界の人間じゃない人には効かないみたいだけど」


 雅秀は眉根を寄せる。


 「どういうことだ? それならなぜ、棚瀬はお前に従っているんだ?」


 「それは内緒」


 峰崎は、はにかんだ。思えば、この女の笑顔をはじめて見た気がする。教室では、いつも暗い顔をしていた。


 そして峰崎は、真剣な表情に変わった。


 「さて、小塩君。あなたに一つ質問があるわ」


 これから正念場が訪れる気がした。雅秀は、小さく頷く。


 峰崎は言った。


 「私、臭い?」


 雅秀は唾を飲み込んだ。何と答えれば、自分が無事で済むのか。峰崎の逆鱗に触れない道。それは一つしかなかった。


 「……いや、臭くないよ」


 雅秀は声を振り絞るようにして、そう答えた。なあ、もういいだろ。見逃してくれ。ワキガ臭を認めたんだから。


 峰崎は、満足気に頬を緩めた。峰崎から滲み出ていた殺意が、消えた気がした。


 「わかったわ。そう言うなら見逃してあげる」


 「ほ、本当か?」


 「ええ。でも一つ条件がある。この村から出て行きなさい。この村はもう私の物になったから、あなたがいるならあなたを殺すわ。いい?」


 雅秀は赤べこ人形のように、何度も頷いた。


 死神が手招きしているこの処刑台から逃れられるのならば、村からの追放など屁でもないだろう。そう思った。


 「それじゃあ出て行きなさい」


 雅秀は、峰崎の言葉を聞き、ゴーサインを受けた犬のように駆け出した。


 右腕は肘から先がなく、左手は折れている。にも関わらず、窮地から脱出した安堵で、雅秀の心は躍っていた。


 やがて、開いたままの村の門から外へ出ると、草原をひた走る。


 村を後にして随分と時間が経った頃。雅秀は体力が尽き、近くにあった木の根元で休むことにした。


 村の方を確認する。傾いた太陽から発せられる血のような赤い夕日の中、村が遠くに霞んで見えた。誰も追ってきてはおらず、逃れきったことを証明していた。


 雅秀は木に体を預け、大きく息を吐く。


 何とか命だけは助かったようだ。だが、これからどうしよう。


 雅秀は両腕を見る。惨たらしい状態だ。スキルを使用するどころか、まともに生活すらできないだろう。


 自分の両腕を眺めているうちに、雅秀の中に沸々とした怒りが込み上げてきた。窮地から脱した安堵が、真っ赤な焔へと姿を変貌させる。


 雅秀は、瞳の奥に、メラメラとした焔を滾らせた。


 あのクソ女め。ワキガの分際で、俺をこんな目に。許せない。必ず報復してやる。


 だが、ただでは殺さない。ありとあらゆる苦痛を味わわせて、「殺してください」と懇願させるまで追い込み、その後で殺してやる。タイスも同じだ。俺の腕を奪ったことを後悔させてやる。


 とはいえ、今はまず、生きることが先決だ。とりあえず、どこか村を見つけ、保護してもらおう。そして折れた左腕を治す。左腕さえ治ればまたスキルが使えるようになる。そうなれば、こちらのものだ。レベルアップしたプロミネンスを以って、その村を支配し、戦力を整える。そして、峰崎たちに報復だ。


 報復が成功すれば、彩音を手中に収めることができる。切断されたこの右腕も、再生可能かもしれない。


 後はこの強力なスキルを利用し、近隣の村を支配していく。今でこそ自分は危機に瀕しているが、また必ず王に返り咲くつもりだ。俺にはその資格がある。


 雅秀は、ゆっくりと立ち上がった。


 ひとまず、今は村を探そう。現在の危険を切り抜けなければ、復讐もままならない。


 雅秀は、ふらふらと草原を歩き出した。真っ赤な夕日が体を包み込む。


 その時だった。土袋を引きずるような音が、背後から聞こえてきた。


 雅秀は振り返る。そして目を見開いた。目の前に、巨大な蛇がいたからだ。


 セルパンである。アナコンダのような巨大な蛇。異世界へ転生し、彩音と共に草原を彷徨っていた際、遭遇したモンスター。


 このセルパンは、その時よりも体が大きかった。まるで怪獣だ。


 「ひっ」


 命の恐怖と生理的嫌悪感を覚えた雅秀は、その場から逃げ出した。得意の盗塁で鍛えた健脚を生かして。


 だが、両腕の損傷により、バランスが取れず、以前セルパンから逃走した時よりも遥かに足は遅かった。


 やがては、すぐ背後まで追いつかれてしまう。


 右足首に激痛が走る。雅秀は悲鳴を上げた。


 雅秀は、派手に顔面から地面へと転倒する。鼻を強かに打ちつけるが、気にならなかった。それよりも、懸念すべき現象が体中を襲ったからだ。


 全身が動かなかった。まるで麻酔をかけられたように、手足と胴体から感覚がなくなっていた。


 セルパンの毒牙により、麻痺を受けたのだ。


 雅秀がそれを自覚した時には、セルパンはすでに雅秀の両足へ食らい付いていた。


 声すらでなかった。水面の鯉のように、パクパクと口を動かすことしかできない。


 やがて、セルパンは雅秀の体を飲み込み始める。雅秀の心は甚大な恐慌状態へと陥いった。足掻こうとするものの、全身が丸太のように硬直しており、セルパンの捕食を受け入れるしかなかった。


 そして、セルパンの長い長い胃の中へと、完全に飲み込まれてしまう。


 セルパンに丸呑みにされた雅秀の頭の中には、ただただ、底なしの恐怖と絶望のみが渦巻いていた。

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