第2話 宇宙戦艦と美少女、そして銀河帝国の皇子
状況をまったく飲み込めないまま、俺は呆然と立ち尽くしている。
俺が乗っている
顔を上げると――、
雲ひとつない青空に、銀一色の歪な流線形をした十数の物体が、ゆっくりと漂っている。銀色は人工物であることの証。それでいて、空に浮かぶにはあまりにも巨大だった。石油タンカーよりも大きく思えた。鮫めいた歪な流線形からは、人類の攻撃性を焼き固めたかのような凶暴さを感じる。砲身と思しき長い筒が胴体のあちこちから突き出ていた。
そんな物体が十数隻、空に浮かんでいる。
俺が乗り込んでいるのもそのうちの一隻だ。
それらは、つい先程衛星軌道上からの大気圏突入を体験したばかりだった。
その一部始終を確かにこの目で見た。青と茶で染められた惑星と、吸い込まれるような宇宙空間の闇を眺めていたかと思ったら、どんどんと球体の茶色が近づいてきて、大気が押し潰されて生じる炎で視界が埋まって――、
気が付いたらこうして、大地を、都市を見下ろしている。
だから、空中を浮いていたとしても、宇宙戦艦だ。
「…………」
は? なに? 落ち着いて眼の前の光景を整理してみたけれど、全然わからん。なんだこれ。いつもどおり病室で眠りについて、いつもどおり病室で目覚めたつもりだったんだが……。
「さて」
と、俺は自分に言い聞かせるように、自分自身を落ち着かせるために呟いた。
この状況をまったく理解できなかった――大気圏突入、はい?――し、独り言を口にするような状況でもまったくなかったのだけれど、何かを言わずにはいられなかった。
「全ユニットの配置が完了しました。殿下のご指示があり次第、
困惑由来の独り言をどう理解したのか、凛とした声が応じた。俺は声の発生源の方を向く。直ぐ側だ。そこには――、
軍服を着た美少女が立っている。
何故、俺の直ぐ側に美少女が?
不治の病のせいであれこれ不自由な育ちを余儀なくされた俺にとって、女性という存在は母親か看護師のことを指す。同年代の女性なんて俺は知らないし、それが美少女ともなると、もはや宇宙戦艦よりも非現実的だった。しかも軍服。意味がわからない。
俺より少しだけ背が低い。軍帽の下には金の髪。白い肌と緑の目。うん、外人だ。軍装が黒ベースのお陰で、金と白と緑が映えている。ハリウッド女優か何かにしか思えないくらい、目鼻立ちが整っている。その顔には無表情が張り付いていて、よく出来たお人形さんみたいだった。
そのまま見続けていると、彼女は何か信ずるべきものがある者特有の真っ直ぐな瞳で俺を見返し、小さく頷いた。
とりあえず頷き返した。もちろん、何に頷かれたのか、俺が何に頷いたのか、まったくわからなかった。ここまで意味不明な展開が続くと、逆にウケるぜ。
「ふっ」
「時間合わせ始めます。五,四、三……、」
美少女が左手首の時計に囁いていた。どうやら、現実逃避の失笑がなんとか式典の開始の合図になってしまったらしい。彼女が「ゼロ」と口にすると同時に――、
空が無数の四角形で埋まった。四角形には、青空を背景に俺が見ているのと同じ宇宙戦艦の編隊が映っている。理屈はわからないが、映像を空中に投影しているらしい。
そして映像は、ある一隻の底部をズームする。軍服やスーツを纏った数十人を背にして威風堂々と立つ、威厳に満ちた顔つきの高身長イケメンの姿が映る。
何だこのイケメン。イケメンすぎて腹立つな……、と思ったのと同時に、
爆音と色とりどりの光が舞った。直ぐに花火だとわかった。そして、足元の街並みから、花火の爆発音を掻き消す程の轟音が響いた。上空を漂う宇宙戦艦にまで届いてくる。
「「「銀河帝国万歳! ジギスムント・ザウエル・レイル殿下万歳! 人類に悠久の平和を!! 万歳! 万歳! 万歳!」」」
轟音の正体は無数の人々の声だった。
眼下の都市は、通りすべてが群衆で埋め尽くされていて、その全員が揃って叫んでいる。群衆の皆さんは、ジギスムント殿下とやらを讃えていた。どうやら、空中に映る無数のイケメン氏に向けて叫んでいるようだった。
なんだこれ。パレードか何かかな。
もちろんパレードなんて、見たことはないけれど。
一体何人が叫んでいるのだろう。何万、何十万。もしかしたら何百万? 夢でしか見られないような光景だけど、夢でも見ない光景であることも確かだった。途方に暮れて、俺はため息をつく。
「「「万歳! 万歳! 万歳!」」」
俺がため息をつくと同時に、空中映像のジギスムント殿下が小さく息を吐いて微笑むのが見えた。大量に浮かぶ同じ顔が同じ仕草をするのは少々不気味だったが、民衆の万歳を鷹揚に受け入れたような、器の大きさを感じさせる表情なのは確かだった。
なんだあいつ。何をしても様になるな。生まれつきすべてを与えられたように見える。ムカつく野郎だ。こちとら自分の顔すらよく思い出せないぜ。俺は前髪をかき上げる。落ちつきを失っている時の癖だ。まあ、まだ腕が動いた頃の話だけれど。
不思議なことに、同時にジギスムント殿下も前髪をかき上げた。
見事なタイミングだ。恐れ入るよ。俺の真似をしているのかな?
やれやれと首を振ると、ジギスムント殿下も同じ素振りをした。
俺が右手を挙げると、イケメンも右手を挙げた。
そのまま手を振ると彼も手を降った。
俺が振り返ると、大量の勲章がぶら下がった軍服と、高級そうなスーツを着込んだ群れが目に入った。うん? どこかで見たな。
そうだ。空中映像に映っているジギスムント殿下の取り巻きと同じような感じだ。よくよく見てみれば、彼の隣に立つ小柄な女の子にも既視感がある。
漆黒の軍服を着込んだ金髪碧眼の女の子だ。金髪碧眼の、売出し中のハリウッド女優にしか思えない美少女だ。お人形さんみたいだ。どこで見たのだったか。不思議だなぁ。何故見覚えがあるんだろうなぁ。
さて。
恍けるのはこれくらいにすべきだろう。白状すべきだろう。
西暦二〇三〇年のある日、不治の病に侵され死を待つばかりだった俺は眠りにつき、目が覚めたら――、
銀河帝国の皇子たるジギスムントになっていたんだ!
だから空中に映るあいつは、俺と同じ仕草をするってわけだ。だから俺の乗り込んでいる宇宙戦艦にあいつも乗り込んでいるし、だから俺が手を振ればあいつも手を振るし、だから俺の隣りにいる軍服美少女があいつの隣にもいるんだ。
全然、わけがわからない。理解できない。おかしいな。昨夜のことは覚えている。いつものように、絶望を感じながら眠りについただけなんだが……。
そもそも俺は、立つことも腕を振ることも、見ることすら出来なかったんだ。それがいきなり宇宙戦艦に乗っていて、しかもジギスムント殿下になっているだって?
ただ、俺が今、民衆を見下ろして威風堂々と立っている。これだけは確かだ。これは現実だ。何も感じなかった俺の脚が、数年ぶりに体重を感じている。
「はぁ……」
途方に暮れた思いで遠くの空を眺める。
ああ、今この瞬間、理解できない出来事が増えた。
大気圏突入前に見た、海と陸の形で気づいておくべきだったかな。無数のジギスムントの向こうに浮かぶ太陽は、俺が知るそれよりも三倍は大きく見えた。
そう。
どう考えても、ここは地球ではない。
死にかけの俺が巻き込まれた
宇宙戦艦もいることだしね。
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