【短編集】フツーの女子の、フツーの本音

兎舞

しまった……?

 笑っちゃうくらい青く澄んだ空を見上げて、私は自分の左手を太陽にかざした。

 その薬指には真新しいプラチナの指輪がはめられている。


 ついさっき、教会の中ではめられたもの。

 数カ月前に二人で宝飾店に行って選んで、作ったもの。

 内側には肉眼では読み取れないほど小さく、お互いのイニシャルと今日の日付が彫られているはずだ。ちゃんと見てないから、はず、としか言えないけど。


◇◆◇


『結婚指輪ってどんな時も一生外さないんです。だからファッションリングよりも少し小さいサイズでお作りするんですよ』


 にこやかに微笑む店員がそんな説明をしてくれた。彼は感心したような相槌を返していたが、私は内心


(指輪っていうより首輪じゃん……)


 なんて考えていた。


 もしこの先太って指が太くなったらどうするんだろう。もし、っていうか多分太るだろうな。指だけ細いままってわけにはいかないし。ということは外したくなったら切るしかない? もちろん指輪だよね。指を切るなんてないない。どこで切ってくれるんだろ。こんなお店じゃやってくれないだろうし、後で調べておこうかな……。


「じゃ、よろしくお願いします」


 私は見当違いな心配事に支配されている間に、彼は支払いと引取期日の確認を済ませていたようだった。


◇◆◇


「おめでとう!」

「おめでとー」


 彼、というか今日から夫か。その腕に手をかけて教会から出ると参列者が目いっぱいの祝福をしてくれた。

 思わず驚いて変な声を出してしまう。間近にいた彼が小さく笑った。


「みんな祝ってくれてるんだから、そんな声出すなよ」


 確かにそりゃそうだ。感謝と喜び、表現しなきゃね。

 私も彼の真似をして手を振ろうとし、そこにブーケを持ったままだったことに気づいた。


 タイミングよく式場のスタッフが近づいてくる。


「花嫁様、ブーケトスのお時間です。思いきり高く放り投げてください」


 女性スタッフの満面の笑みは指輪を買った宝飾店の店員と完全一致した。こういう業界の人たちはいつでもこんな笑顔で働いてるんかな。仕事中愚痴ばかり言ってる私とは大違いだ。すごいな。


 夫の腕を離し、先導されて参列者の中央に進む。掛け声と同時にブーケを放り投げると歓声が沸きたった。結構な大きさと重さだったから、あっという間に落ちてきて、キャッチしたのは従妹の大学生だった。


 ずっと持っていたブーケが手から無くなり、その軽さが逆に不安を煽る。だが暗い顔は出来ないから、皆と一緒に笑顔を崩さず拍手をして、手から消えたものを考えないようにした。


◇◆◇


「笠間さん、じゃなかった、遠藤さん。ちょっと」


 あと少しで昼休憩、というタイミングで課長に呼ばれた。いつもこうなんだよねー。今日もみんなと一緒に休憩行けない。一人ランチ確定か。


 式が終わり、一週間の新婚旅行から帰ってきたらまたすぐいつも通りの日常が始まった。復帰初日はお土産を配ったり参列しなかった人たちから祝いの言葉をかけられたりしたが、それはあっという間に終わった。


 というか、終わらせた。

 そんなにズルズルと新婚を引っ張りたくなかった。人事部に氏名と住所変更の届を出せば、それ以外は仕事上何の関係もないのだから。


 そんなことを言ったら、隣のデスクの同期に呆れられた。


「あんなに豪華な結婚式して、一週間も海外旅行して、新築のマンションで新婚生活始めておいて、なんでそんなにテンション低いわけ? 新婚臭ぷんぷんさせておいて一人で勝手に冷めてるんじゃないわよ」


 新婚臭ってなんだ。臭そうだから嫌なんだけど。


「旦那、写真よりイケメンじゃん。あんたにベタ惚れっぽかったし。あっという間に産休かもね」

「いや、子どもは……」


 別に要らない。子どもが出来たら今よりもっと選択肢が狭くなる。というか無くなる。私は妻と母として生きていくしかなくなるのだ。


◇◆◇


 ふと、婚姻届を出しに行ったときに見た光景を思い出す。


 休日関係なく婚姻届は二十四時間受け付けてくれる。式の準備もあるから早朝に二人で役所に届を出しに行ったら、窓口の守衛さんが慣れた様子で対応してくれた。


「じゃあここに、お名前と連絡先と、出した届の名称書いてください。日付と時間はこっちで書くから大丈夫ですよ」


 何の変哲もない用紙には、私たち同様休日に届を出しに来たらしい人たちの痕跡がずらっと並んでいた。

 婚姻率が下がってるとかニュースでやってたけど、ほんとか? 今日だけでこんなにたくさん夫婦が誕生してるけど?


 彼が記入する様子を横目にリストを眺めていたら、途中で目が留まった。


『離婚届』


 ゲシュタルト崩壊しそうなほど並んだ『婚姻届』の記述の中に、一つだけ混ざり込んでいた。ほぼ同じ漢字を使っているのに、『離』という字が浮き上がってきそうで、私は慌てて目を逸らした。

 逸らしつつ、自分が感じている喪失感にあきれるばかりだった。


(そうか、あの人は、今日自由になったんだ)


◇◆◇


 案の定課長の話は長くて、気がつけば時計は午後に入って大分経っていた。


「悪いね、休憩時間、延長していいからね」


 そう言って会議室の後片付けを私に押し付けてとっとと自席へ戻っていく。延長していいよ、って、当たり前だっつの。何分休憩取っていいかは法律で決まってるんだよ、馬鹿課長。


 ホワイトボードをきれいにし、机の位置を直して椅子をきれいに並べ直す。午後から誰が使うか分からないが、もしお客さんが来るならみっともない状態にはしておけない。


 電気を消して廊下へ出たところで、急に向かい側の部屋から出てきた人とぶつかりそうになった。


「す、すみません!」

「失礼しました、大丈夫?」


 ほぼ同時に謝り合った相手と向き合い、私は比喩ではなく本当に心臓が止まった。すぐ動いてくれてよかった。


「……千佳?」


 なんでこのタイミングで、こいつと再会するんだよ……。

 

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