第35話

「お待たせ致しました。私どもは東原様御一行様と大変強い絆で結ばれております。お客様方に不自由をかけませんよう、心より尽くしてゆく所存でございます」


 従業員一同が横一列に並んで、頭を下げる。こんなのドラマとかでしか見たことないわ。


 そして、おや? 女将さんらしき年配の女性の頭から、獣の耳があるような?


「んもー。トキコさん、化けるの下手。尻尾と耳が出ているよ」

「あらあら。さっそくお目汚しを。失礼いたしました」


 女将さんの絶妙に丸っこいフォルムとふわふわな尻尾が可愛過ぎる。


 え? なに? みんな、あたしに判断しろって?


「ふわふわしていてとても可愛いですよ」 

「ふふ。よかったね、トキコさん。じゃ、みんなも楽な姿で、楽にしていいよぉ」


 アカリさんが許可を出すと、従業員さんたちがそれぞれの不思議な姿になっている。というか、従業員のみんながたぬきなの?


「ここ実はたぬきの館なんだ。でも心配しなくていいよ。トキコさんがさっき言った通り、東原家とここのみんなとは強い絆で結ばれてるから」


 へぇー? なんて思いながら、改めて旅館を見上げる。


「月が出てる」


 星も綺麗。きっと絶対に居心地がいいんだろうな。


 そうしたらあたし、元の場所に戻りたくなくなっちゃうかもしれない。オーディションはいまだに端役だし、セリフがあればいい方で。


「さぁ、ユイカさん、行きましょう。男女別ですけど、温泉もあるんですってよ」


 臼井、なんだか嬉しそうだな。


 旅館に入ると、これはこれでまたとても雰囲気のある昭和みたいな緑の公衆電話があったりする。


 可愛い作りだなぁ。


 あたし、子役からずっと働いてきて、だけど上手く笑うことができなくて。今ではそれも、キャラ付けの一端になっているけど。


 もし、お母さんがこういう旅館とかで住み込みで働いてくれていたら、また別の人生もあったのかもしれない、なんてありえないことを考えてる。疲れたんだろうな。


 女将さんはお風呂か食事、どちらを先にするか訪ねてくれた。


 と、そこに。


 すでに見知った割烹着姿の内藤さんと合流した。え? どうして先に内藤さんがここにいるの? なんだか不思議なことがたくさんありすぎて、なにをどう信じればいいのかわからなくなる。


「じゃあ先に食事にしましょうか?」


 内藤さんに向かって全力で走ってゆく臼井。すごいなつき方をしている。


「この料理人、あなた方の?」

「おっと、いくら東原さんのお孫さんだろうと、そこは譲れませんよ。内藤さんは料理長にして仲間なんです。もうすごく美味しい料理やスイーツまでつくれるんっすよ」


 そこで、アカリさんがぱしっと手を上げた。


「食事より、スイーツを先に頂こうかしら」


 そんなに華奢なのに、そこまでスイーツにこだわるとは。とりあえずお部屋に荷物を預けておいて、みんなで食堂に集まった。正直なところ、旅館のお部屋でお食事をいただくとか、どれだけお金もちなんだろうと思っていたからだ。


 つづく


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