第32話 酒の味

 ミリネアと入ったのは、いつも俺が利用している馴染みの酒場だった。


 ここは特段料理が旨いというわけではないが、そこそこの料理とそこそこの酒を安価で食べられるのでいつも使っているのだ。


 だが、ミリネアと来るのは初めてだったかもしれない。


 彼女は混雑している酒場を見るやいなや、目を白黒させていた。



「け、結構、混んでるね?」

「時間が時間だからな。俺たちの席くらい空いてるだろうが」



 給仕がやってきて、空席を確認してもらうことになった。


 しかし、普段より混んでいる気がするな。


 今日は街で何かイベントでもあったのか?


 安く酒を呑もうと低ランクの冒険者が集まる店なのだが、今日はいつにも増して柄が悪い連中が多い気がする。


 冒険者はC、Bランクくらいから真っ当な人間が増えていくが、下のランクになるとごろつき上がりが多い。


 まぁ、簡潔に言うと報酬を酒や女、ギャンブルで溶かしてしまうようなヤツらだ。



「……へへ、見ろよ、良い女だろ?」



 近くの席に座っている男の声が聞こえた。


 そちらを見ると、金髪の男が数人の男とテーブルを囲んでいた。


 つい顔をしかめてしまったのは、首輪を付けた獣人の女性が、金髪の男の隣で地面に座っていたからだ。


 女性は暗い表情のまま、うつむいている。


 あの首輪は──奴隷の印だ。

 

 この世界で奴隷は合法だが、許されているのは労働者としてだけで、それ以外の用途での売買は禁止されている。


 しかし、裏では非合法な売買が横行していると聞いたことがある。

 女性の売買がその最たるものだ。


 しかし……女性の奴隷は完全に違法なのに、堂々と酒場に連れ来るなんて何を考えてんだコイツ。



「ラムズデールにオヤジと知り合いの奴隷商が来ていてな。安価で買えたんだ」

「マジかよ羨ましいぜ。俺もあやかりてぇ」



 男たちが女性獣人を見て、下品な笑みを浮かべる。


 奴隷商人。


 人間をモノのように売っている連中だ。


 そんな彼らが裏で扱っている商品のひとつが──彼女のような獣人女性。


 その用途は……まぁ、説明するまでもないだろう。



「なぁ、俺にも一発ヤらせろよ」

「良いぜ。一回、5000ライムな」

「はぁ!? 高ぇよクソ野郎! どんだけボッタクるつもりだよてめぇ!」

「ぎゃははは」 



 下品な笑い声が酒場に響く。


 反吐が出そうになるくらい、最低な会話をしている。


 ミリネアにはあまり聞かせたくない。


 丁度給仕が戻ってきたので、彼らの会話が聞こえない遠く離れた窓際の席にしてもらった。



「……ん?」



 さっきまで上機嫌だったのに、やけに静かになったなと思って隣のミリネアを見ると、尻尾がしゅんと垂れ下がっていた。


 表情も明らかに暗い。


 ああ、クソ。

 あいつらの会話が聞こえてしまっていたか。



「大丈夫か、ミリネア?」

「……うん。平気」



 弱々しい笑顔を見せるミリネア。

 

 やはりさっきのヤツらの会話を聞いて、嫌な気分になってしまったのだろう。


 これは俺の失敗だ。


 こんなことなら、俺が金を出してでも焼肉屋に連れて行くべきだった。


 せめて重い空気を変えようと、席についてすぐに料理を注文をすることにした。


 とりあえずふたり分のエールと、羊肉の燻製。


 それに、豚の丸焼きを頼んだ。


 豚の丸焼きは、香辛料と香草をまぶした子豚をじっくり焼いたもので、肉汁たっぷりで最高に旨い。こいつはこの酒場のメニューの中でも一番豪華な料理だ。



「ぶ、豚の丸焼き!?」



 だが、断りもなくそんなものを頼んだからか、ミリネアが目を丸くした。



「安心しろ。この丸焼きは俺のおごりだ」

「えっ? でもここは私が──」

「奢りたくなったんだ。だから、あんな最低なヤツらのことは忘れて食事を楽しもうぜ」

「ト、トーマ……」



 ミリネアはしばし目を瞬かせ、やがて、いつもの可愛らしい笑顔を覗かせる。



「……そうだね。あんなヤツらのせいでテンション下げるのは、なんだか負けたみたいでいやだ!」

「ああ。そのとおりだ」


 

 理不尽や悲しくなることは、この世界にもたくさんある。

 だが、それに引きずられ、心を痛めるあまり何も楽しめなくなるというのは少し違うと思う。


 そうして、ミリネアと他愛もない話しに花を咲かせた。

 これまで受けた依頼の話から始まって、ラムズデールで見つけた美味しい店の話や依頼に役立つものが売っている店の話などなど。


 ミリネアは結構ラムズデールに詳しくて、俺の知らない雑貨屋や錬金屋の情報を教えてくれた。ギルドの受付嬢をやっていると顔が広くなるのだとか。


 そんな話で盛り上がっていると、エールが運ばれてきた。


 とりあえず、ミリネアと乾杯。


 魔導具のおかげでキンキンに冷えたエールを喉に流し込むと、しゅわしゅわとした炭酸が乾いた喉を潤していった。


 うん、旨い。


 羊肉の燻製もごく普通のものだが、腹が減っていたからかすごく旨く感じる。


 ──いや、これはミリネアと一緒だからか?


 気の合う仲間と食べる飯は、どの世界でも旨いものだ。



「そういえば、ミリネアと酒を呑むのは2回目だったか?」

「ん~、そうだね。前はセナさんのところで呑んだっけ」

「ああ。あの密造酒は最高に旨かった」

「あんまり口に出さないほうがいいよ? どこに耳があるかわからないからね。ジャッジに捕まっちゃう」

「う……密造酒で絞首刑は少々キツイな」

「密造酒じゃなくても絞首刑はキツイよぉ……」



 くすくすと笑うミリネア。


 そんな彼女の頬が、かすかに色づいている。


 まだ一杯目だが、もうほろ酔いなのか?


 ミリネアって、以外と酒に弱いのかもしれないな。



「おい、そこのカラス面の転移者」



 と、背後から声がした。


 振り向いた瞬間、ギョッとしてしまった。



「お前、良い獣人連れてんな?」

「……」



 先程、下品な会話をしていた、あの金髪の若造だ。


 クソ。わざわざ席を離したのに、絡んでくるんじゃねぇよ。



「……へぇ?」



 金髪の若造は、ミリネアを見て嫌な笑みを浮かべる。



「良く見りゃかなりの上玉じゃねぇか。一万ライムで俺に売らねぇか?」

「すまないが、そういう話はよそでやってくれないか」

「あん? 何だって?」

「彼女は俺の大切な仲間なんだ。売り物じゃない」

「ああ? 良く聞こえねぇなぁ?」



 金髪はニヤニヤと笑いながら、ミリネアの前に座る。



「俺のところに来いよ獣人。一晩中かわいがってやるぜ?」

「そういう下品な話はよそでやれと言ってる。最低限の礼儀をわきまえろ」

「はぁ? 礼儀だぁ?」



 金髪がゲラゲラと笑いだす。



「つーかてめぇ、誰に向かってモノ言ってんだ? 俺のオヤジは公安隊なんだぜ? ンな舐め腐ったことを言ってると、気がついたら絞首台ってハメになるぞ?」

「へっへっへ……」



 彼の取り巻きっぽい男たちが笑う。


 なるほど。こいつ、公安隊のボンボンか。


 親の七光りでデカい顔をしているってわけだ。

 どの世界にも似たようなヤツらはいるもんだ。


 ああ、めんどくさい。


 静かにミリネアと呑もうと思っていたのに。



「死になくなけりゃ、その女を置いていけよ。クソ転移者」

「悪いが今すぐ俺たちの前から消えてくれないか? お前らみたいなゴミを見ていると、せっかくの飯が不味くなる」

「……ンだと、てめぇ?」



 金髪の顔から、一瞬で笑顔が消える。



「いい度胸してんじゃねぇか。じゃあお望み通り、半殺しにして絞首台に送ってやるよ!」



 立ち上がった金髪が、テーブルをひっくり返す。


 それを合図に、取り巻きの男たちが一斉に剣を抜いた。



「ト、トーマ」

「……大丈夫だ。下がってろミリネア」



 ミリネアを守るように前に出た。


 できれば穏便に済ませようと思っていたが、そう来るなら仕方がない。


 だが、覚悟しろ。

 大切な仲間を侮辱した罪は重いぞ、金髪。


 病院のベッドの上で猛省してもらおうか。

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