其の百十二:結果眺めて候
世の中は所詮金の有り無しで変わるものだ。そう言ってしまえば、どことなく悲しい気が市内でも無いが…まぁ、概ね事実であり、真理なのであろう。
(あの母娘にくれてやったのは金じゃなく団子なんだがな…)
あの母娘の虚空記録を書き換えた後、ワタシは比良の国へ戻って大人しく過ごし…明くる日、再び母娘の様子を見に寺の方までやってきていた。
「団子1つで何が変わるんだと思ったが、案外変わるものじゃねぇの」
寺の境内に入って、人目につかぬように中にまで入り込んで母娘の様子を眺めているワタシだったが、団子の効果は既にまざまざと見せつけられていると言って良いだろう。母娘の働きぶりは、寺で疎ましがられていた以前からは比べ物にならない程に活気づいており、母娘と関わった者達皆が驚くほどになっていたのだ。
「万全ならば動ける奴等だったんだなぁ…何もかも違ぇぜ。活気がある…」
余程空腹状態が続いていたのか知らないが…虚空記録帖によれば、あの後、ワタシが置いた団子を母娘だけで食いつくして腹を満たしたそうだ。腹を満たしただけでああなるのであれば、もっと手心を加えたくなるというものだが…それはも少し母娘を眺めてからでも遅くあるまい。
「どうしたんだい?随分と元気じゃないか。何かあったのかい?」
「あ…そ、その…なんか急に体が動くようになりまして…はい」
「なんだいそりゃ。昨日までは木偶の坊も良い所だったってのに」
「す、すみ…いえ、申し訳ありません…」
「ま、今日くらいやれりゃ、もう少し居付いても許されるってもんよ。ホラ、向こう側の掃除もやって来な!」
「は、はい!!!」
ワタシは寺の中を人目につかぬよう気を付けて歩き回り、母娘の仕事ぶりをもう少し…影からジーっと眺める事にした。今眺めているのは娘の方…彼女は口うるさそうな老婆に掃除用具を渡され、寺の隅の方へと歩いていくと、手慣れた動きで掃除を始める。
(フーム。ま、食うだけだったら捨てられる所が…そうじゃなくなった…と)
彼女がせっせと掃除している姿を眺めながら、ワタシは懐から取り出した虚空記録帖を開いて書き換わってしまった2人の虚空記録に目を通した。この間までならば、じきに追い出されるはずだった母娘…だが、今見てみれば、結構先にならないと寺を離れる様にはなっていない。
(円満に離れられるみてぇだな。この程度なら…誰も不幸にならねって訳だ)
虚空記録帖によれば、寺を追い出される筈だった未来が変わっていて…急な不幸で人手の足りなくなった別の寺に引き取られる形で寺を離れる未来になっていた。誰かに求められる未来…この前見た時には酷い最期を迎える母娘だったとは思えぬほどに真面な将来に変わっている。
「ま…この程度なら戯れになるってものか」
ワタシは虚空記録帖を読み込んで、母娘の行く末を知って、ガラでもなく口元をニヤリと綻ばせると、虚空記録帖を閉じて懐に仕舞いこんだ。そして、もう一度娘の働きぶりを見た後…寺を後にして比良の国への帰路につく。
「母親の方も…あぁ、丁度今帰りだわな」
寺から出て少し歩くと、丁度買出しに出ていた母親とすれ違う。母親の方も、以前までの精魂尽き果てた顔は何処かへ消えており、生き生きした表情で寺の境内に入っていった。
「ま、コレで良いとしようじゃないの」
その姿を見送ると、ワタシは一度止めた足を再び動かして帰路を歩いていく。この近くの出入り口までは歩いて少し…さほど時間も掛らず、比良の国まで戻れるだろう。
(憑き物の落ちた顔が免罪符だな。あの面で全部チャラになるってものさ)
あの母娘の行く末と今の様子を見れた事で、ワタシの中に残っていた罪悪感は綺麗サッパリ消えて行った。虚空記録を書き換えるだなんて大罪を犯して罪悪感が無いってのも中々なコトだが…不思議と何も感じないのだ。
「やれやれだ」
振り返ってみれば、ひょんな事から助けたいと思ってしまった母娘。罪悪感やら何やらでてんやわんやになっていた心も今はすっかり鎮まり、思っていた以上に何も無い事に驚くわけだが…それもこれも、何もかももう終わりだ。
比良の国へ繋がる扉の所までやって来たワタシは、どことなく清々しい気持ちのまま扉を開けて比良の国へと戻っていく。扉を開けてすぐワタシの視界は真っ暗闇に沈み…そして、いつもの様に比良の国の喧騒が耳に聞こえてきて…徐々に視界が色付き、比良の国へと戻ってきた。
「む?…初瀬さん。江戸に行ってたのか」
出てきた場所は比良の国の中心街の隅。人気の無い通りに出たはずだったのだが、出ると直ぐに公彦の声がしてワタシを驚かせた。
「公彦。どうしてこんな所に?」
「鍛冶屋のある通りにはココが近道でな」
互いに驚いた顔を浮かべて見つめ合い、何とも言えない時間が流れた後…何となくワタシが公彦の隣に並ぶと、公彦は目的地の方に向けて足を踏み出した。
「得物に何かあったのか?」
「いや、脇差だけにしようと思ってな」
「どういう風の吹き回しだい。お前さんが刀を抜くだなんてよ」
「虚空記録帖を読み込んだのさ。最早刀を下げてるのが時代遅れになるんだと」
「あぁ、そういえばそうだったか」
なんとなく公彦と共に歩いていくワタシ。何気なく行動を共にすることになった訳だが…そこそこ久しぶりに顔をつき合わせるワタシ達は、何気ない雑談に花を咲かせながら鍛冶屋が並ぶ通りの方へと歩いていく。
「初瀬さんも、そろそろ背中の刀は抜かねぇとな」
「抜けるかなぁ…それなら抜け殻になった方がマシだぜ」
「冗談言わないでくれ。2,3日で慣れるってものさ」
公彦はそう言いながら「あぁ」と何か思い出したような声を上げてワタシの顔をジッと見やると、それまでの気の抜けた顔を引き締める。
「初瀬さん。会ったら聞きたい事があったんだった」
そして改まった様にそういうと、公彦は僅かに声色を潜めてワタシにこう尋ねてきた。
「虚空記録が書き換わってるんだが…初瀬さん、最近江戸に出向いてたよな?何かあったのか?」
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