其の十九:夜道待ちて候

 公彦の家から中心街へ出向き、この間公彦を連れて行ったの扉を開けて八丁堀へと出たワタシ達。辺りは既に日も暮れて、夜の色を濃くしていく時間帯。公彦は奴特有の土地勘を持って足を進め、八丁堀から程近いへとワタシを誘った。


「なるほど。使い道の無さそうな路だ。行き止まりじゃねぇか」

「奴の家の裏手に繋がってるのさ」

「ほぅ…そりゃ、使い道が一つしかないわな」


 そんな路地の中腹辺り、数名が屯するには十分な広さがある一角で、ワタシと公彦は田中が来るのを今か今かと待ち構えている。田中は最早になってしまった存在。必ずここに来ることが決まったわけでは無いが…そうならそうで、手立てはちゃんと持ってきていた。


「破った紙でも効果はあるのか?」

「あぁ。適当なとこで筆でも借りて書きゃ良いのよ。ちっとばかし、が出るから、余り使いたくはねぇがな」


 イザという時の備えだ。ワタシは懐から取り出した紙切れを再び仕舞いこむと、夜が濃さを増していく空を見上げる。段々と暗くなっていく空。お蔭で、この路地は路の輪郭を徐々に失いかけていた。


「帰りは大変だな。壁にぶつかりながらってとこか」

「あぁ、だな。一本道なのが幸いか」

「これで奴が来なかったら、だな」


 見えなくなっていく路の先。ワタシは真横に居る公彦にそう言って小さく笑って見せると、公彦も似た様な顔を浮かべて肩を竦めて見せた。


「そん時は、そん時だ。奴は今、人様の記録をんだよな?」

「あぁ。ソッチは気にしなくていい。確かに影響は出るが、奴を斬ればが入る。今回は、只のツマラナイだからな」

「つまらなくない時もあるわけだ?」

「あぁ。時の天下人に刃を向けに行った奴も居たな」

「ソイツぁ豪気な野郎だこと」


 公彦は初めての仕事だからか、普段よりも口が達者な様だ。僅かに浮ついている様にも見えるが…それでも、初めて斬り合った時と変わらないを感じられる。元同心、この手の雰囲気を浴びても怖気づかない所は高評価だ。


「そういや、奴が記録を犯して…暫くは日常を営んでるよな?」


 何時までが待ち時間かは知らないが、少し黙り込んだ時間が続いた後で、ふと公彦が雑談の口火をきる。


「そうだ。それがどうかしたか?」

「いや、おかしいなと思ってよ」

「あぁ、その辺はよ。記録を犯した奴の周囲の奴らを、関わらせない様にしてるのさ。田中もきっと、今頃は疎外感を感じてるんじゃねぇかな」


 ワタシは公彦の問いに答えると、を示した。


「周囲の奴らは、記録を犯した奴に声をかけなくなる。何かされたら素っ気なく返すだけ。そうして、なんとか…記録を犯した奴を孤独にするのさ」

「なるほど。俺の時は端っから一人だったからそうはならなかったわけだな」

「そういう事さぁ。今回みたいなでしでかした奴ってのぁ、チト、誤魔化しが大変なんだよな。立場がある奴なら、必然的に関わる人間が増えるから」

「じゃ、今回の田中の様な人間はそれなりに面倒なのか」

「あぁ。多少強引ながあるだろうからな。ま、周囲の連中の事なんざ気にしなさんな。今頃に回されてる田中の処理が最優先だ」


 公彦はワタシの言葉に頷くと、ふと遠くの方に顔を向ける。僅かに遠くで、誰かの怒声が聞こえたような気がした。ワタシも公彦と同じ方角へ顔を向けて少し経った後、公彦の方に顔を向けると、奴もワタシの方へ顔を向ける。


「来たか」

「恐らく」


 短いやり取り。ワタシは公彦の背中をポンと叩き、公彦は腰に差した打刀に手を当てた。


「周りに影響を与えない限り、好きにしな」


 ポツリと言った後、狭い路地の向こう側から人の気配。誰か一人、足早に歩いてくる足音が聞こえてきた。


「……」

「……」


 押し黙るワタシ達。喧騒の中から、確かに聞こえてくる足音は、時を追うにつれて大きく聞こえてくる。その音がすぐ傍まで迫った時。道端の、何処かの家の塀に寄り掛かっていた体をヒョイと持ち上げ、路の真ん中に立ちふさがった。


「…おい、そこに居るのは誰だっ!」


 足音の主が暗闇の奥から現れる。同心羽織を着た、ひょろりとした大男。公彦よりも頭半分程背の高いその男は、道の真ん中に仁王立ちした公彦を前に立ち止まると、ドスの効いた声を上げる。


「さぁ…誰だろうなぁ…テメェの記憶にこの面はもうネェのかい?」


 凄みを効かせた公彦の声がそれに応じた。ゆらりと公彦が一歩田中へ歩み寄り、僅かに公彦の顔に明かりが差し込む。それを見た田中は、幽霊でも見ているかのように狼狽えた。


「お、お前ぇは…き、公彦か?」


 思い出しては相手。公彦をと言う事は、最早この田中という男、街行く人々から同心だとも思われない程に記録を改変されている事だろう。ワタシは二人の睨み合いを眺めながら、僅かにフッと鼻で笑った。


「ほぅ…俺が分かるのか。最早、誰も俺の事に気づきはしねぇんだがな」


 そう言って、再びゆらりと揺れる公彦。幽霊にでもなったつもりらしい。田中はその様を見て顔を青褪めさせると、腰に差した刀に手を伸ばした。


「化けて出てきやがったのか!?これは!何なんだッ!」

「化けてるか、確かめてみればいい。なぁ?テメェ。つまんねぇ真似してくれやがってよ」

「なんの事だ?」

「この間の人死にの件さ。あの時、あの立ち飲み屋に、テメェは居たんだ。そこで若い女と、店主の男を斬ったのがテメェだな?」

「さ、さぁ…そんなわけが無いだろう!それは…もうカタが付いてる!解決済みだ!」

「俺がやったってことで…だろ?そして気が触れた俺は何処かへ消えた!そうなってるハズだぜ」


 公彦の言葉に、田中は心底信じられぬといった様な顔を向けると、公彦の圧に押されて僅かに一歩、後退った。


「ならば、これを見てもらおうか」


 後退した田中に、公彦は懐から出した記録帖の一部を丸めて放り投げる。田中は足元に落ちたソレを素早く拾って広げると、僅かな明かりを頼りに、怪訝な顔つきを浮かべたまま中身を確認し始めた。


「ここ数日間の、テメェの行動だ。ついさっきまで…赤字で書かれた所までは、寸分たりとも間違いがねぇ筈だぜ」


 公彦はそう言いながら、田中の方へ一歩近寄る。田中は、紙に書かれた内容を読み進めるにつれて、徐々に体を震わせた。


「な?どうだ?違わねぇだろ?…ついさっきまでの、テメェ行動…なぁ?兄貴ぃ…」


 追い詰めるような公彦の言葉。その直後、悲鳴のような喚き声を上げて紙を破り捨てた田中が、発狂したかの如く刀を抜いて公彦にその切っ先を向けた。


「なっ…なんなんだ!これは!公彦テメェ!俺を愚弄しているのかぁ!」


 悲鳴のように喚く田中。公彦は何も答えず僅かに身を引くと、手を当てていた刀を抜刀する。その切っ先を田中へ向けると、公彦は煽る様な一言を田中に投げかけた。


「来な。訳も分からねぇで喚いてる間に、叩き斬ってやる」

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