其の十:身を整えて候
公彦を斬り伏せ、復活した所をなだめ、落ち着いたところでワタシは奴を外へ連れ出した。時は昼を回った頃、公彦を引っ張り訪れたのは、家の近所にある食事処だ。
「頭、冷えたか?」
握り飯を頬張りつつ、家を出てから一言も話さない男に問いかける。公彦は何度も外を見ては歯を食いしばっていたのだが、ようやく頭が冷めたのか、小さく頷いて溜息をついた。
「あぁ。あれが、事実なんだよな」
「そうさ。田中はお前さんを身代わりにした。今頃はもう決着が付いた頃だろうな。お前はあの2人を叩き斬って、その罪の重さに気を患い、姿をくらませた…と」
公彦からの反応の後、確認するかの如く事の次第を話して聞かせると、公彦の瞳は僅かに揺れた。だが、先程の様に怒り狂う事は無く、自らに怒りを収めながら、それでも何かが出来ないかと足掻くような目をこちらに向けている。
「江戸に行けないのか?」
「行けるが、もう誰もお前さんをお前さんとして扱わないな」
「何故だ?」
「管理人…に厳密にはまだなっちゃいないが…記録を犯し、管理人に仕事が振られた段階で、お前さんの存在は霞みに消えるんだ」
ワタシは困惑した表情の公彦の顔を見てニヤリと笑うと、手にした握り飯を皿に戻した。
「昨日、お前さんの家の前で斬り合ったろう。その騒ぎでも誰も起きなかったんだ。普通、そうなると思うか?あんな派手にやって」
そう言うと、何かを言いかけていた公彦の勢いが僅かに削がれる。これもまた理解しがたい性質の一つだが、ワタシ達管理人は、最早現世の人間からはほぼ感知されない存在になっているのだ。
「向こうからは気付かれず、こっちからの手出しは虚空記録帖から御法度とされてる。せいぜい店か何かを使う時に二、三言葉を交わす時位だろうか、あっち側の人間と関わんのは」
公彦は信じられないと言いたげな様子でこちらをジッと睨みつけてきたが、ワタシは怯まず、皿に戻した握り飯の残りを口に放り込んだ。
炊き立て…ではないが、それでも甘い白米の味に癒される。目を細めて味わって、それを飲み込む頃には、公彦は諦めた様に肩を落としていた。
「だから、田中とやらに仇討ちをするのは無理だ。抜け殻になりてぇなら別だがな」
「そうか…」
気落ちした公彦を見て、ひとまずは落ち着いたと見たワタシは、奴の腕をポンと叩いて気を引く。
「で、お前さん。家に帰ったら、名前を書く気になったか?」
「…しつこいな。聞いてなかったが、このまま書かねばどうなるというのだ」
「ここで働く抜け殻みたいになるだろうな。段々と自我を失って…気付いたらああなってる。言ってなかったが、虚空記録帖に歯向かう奴ァ、大抵ああなんのがオチだ。ココの旦那も、確か名を書かないでいたらああなったんだっけか」
公彦はワタシの言葉を聞くと、気味の悪そうな顔を浮かべて抜け殻の方に首を回した。比良の国を回す大切な人力…住んでりゃ感謝こそすれど、自分から進んでなりたいとは思わないだろう。
生気の抜けた目に、痩せこけた体。そして自らの意思など何処にも感じない、カラクリの様な立ち振る舞い…贅を尽くした国に似合わないその姿。公彦は僅かに背筋を震わせると、少し迷った様な表情を見せた。
「そうか…」
公彦は何か考えを巡らせた後で、絞り出すようにそう言うと、ワタシの方に顔を向ける。
「まさか、自ら、ああなろうってのか?」
何かを言われる前に、冗談めかしにそう言うと、奴は否定もせずに固まった。
「おいおい、嘘だろ?」
「さぁ、どう思ってるんだろうな?だが、この目で見て、納得してから名を書きたい」
「どういうことだ?」
「さっき見た記録…それは今朝の江戸の事が書かれていたな」
「あぁ」
「その先を見たい。江戸へ行き、この目で記録通りに人が動く様を見たいんだ」
公彦の言葉を受けて、ワタシは口を開けたまま固まった。
「ダメか?」
「ダメかってお前、別に名前を書いてからでも…」
「名を書いてからの、管理人としての立場ではなく、八丁堀として見届けたいのだ」
ワタシは更に唖然とした顔を公彦に向ける。この男、何処まで言っても頑固なのは治りそうも無い。その面倒な拘りはどこから湧いて出て来るのやら…
「それに、二、三なら言葉を交わすなら出来るのだろう?」
「あ、あぁ。そうだが」
「同心として、挨拶だけ交わしたい奴らが居る。ただの挨拶だ。会話じゃない」
真っ直ぐな公彦の目。ワタシはムズ痒さを覚えたが、ここで名前に拘ってしまえば無駄な問答をするだけだろう。ワタシが折れるしかないらしい。
「折れてやるかぁ…ったく」
ワタシは呆れた様子でそう言うと、男が腰に差している刀をヒョイと抜き取った。
「刀は差すな。十手も持つな。それが条件だ」
「かたじけない」
公彦から刀を奪ったワタシは、席を立つと奴の腕を引っ張り上げる。
「こうなりゃ格好まで整えてやるよ。もっかい街に出て、服を揃えよう。どうせ街に出なきゃ八丁堀の辺りには出られねぇんだから」
・
・
食事処を後にして、一度家に戻って公彦の刀を置いて、ワタシの支度を整えた後、ワタシ達は中心街へ繰り出した。目的は服の調達。真っ白な着物に身を包んだ公彦を適当な服屋へ連れて行き、好きな着物を選ばせつつ、ワタシは一度奴から離れ、あるものを取りに行った。
「なぁ、同心羽織ってどっかにねぇかな?」
服屋から少々離れた便利屋。そこの抜け殻に同心の目印が無いか尋ねると、抜け殻の親父は少し考えるような素振りを見せて奥へ消えて行く。時折怪しまれぬよう、記録帖の指示でその手の者に格好だけ合わせる事があるから、無いわけは無いと踏んでいたが、その勘は大当たりの様だ。
「あぁ、それだ。ちっと借りるぜ」
抜け殻の親父が奥から出してきた黒い同心羽織を受け取ったワタシは、すぐに服屋に戻って公彦の姿を探す。奴の姿はすぐに見つかり、店の奥で、茶系の色で染められた格子柄の着流しを着ているところで合流できた。
「ほらよ」
借りてきた羽織を投げ渡すと、公彦は無言で受け取り、袖を通す。そして出来上がった姿は、恐らく昨日まで公彦が纏っていた格好と酷似しているだろう。
「いいか、それは借りモンだかんな。汚すんじゃねぇぞ」
「分かった。ありがとう」
「ったく」
身支度が整うと、服の会計を済ませて外に出る。この通りからなら、江戸へ繋がる通路まではすぐだ。
「行くぞ。お前さんのつまんねぇ未練、晴らしになぁ」
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