をんごく
北沢 陶/KADOKAWA文芸
第一幕 四天王寺樒口寄①
第一幕
一
黒い格子の外から、誰かが見ている。
軒下から。戸の節穴から。西陽の届かない、ほの暗い影の中から。
思い過ごしだ、と強いて自分に言い聞かせた。外はひとがかろうじてすれ違えるくらいの裏通りで、
息をつき、羽織の襟を正す。こういうところに来ているから、ありもしない視線に
「今日はえらい……」
祭壇を背にした四十がらみの女が、ふいに私の肩を見越して言った。
「居てますな」
女の視線をたどろうとして、すんでのところで抑える。
「ひい、ふう、みい」と指折り数え、
近所の子どものことを言っているのだと、そう思い込もうとしても無駄なことだった。ただでさえ寒い背中が、さらに冷えていく。
大の男が内心怯えているのをさすがに見て取って、女は軽く手を振った。
「まあ、気にすることやあらしまへん。入ってくるでもなし、これが終わってあんたはんが外に出はったとこで取って食うやなし。終わったらな、まあ、すうと消えていきますよって」
それでも気になりますやろか、と問われて、はいと認めるのも
「外のもんは……なんでそないに集まっとるんでっか」
目を細めたまま、
「うらやましいんやろうなぁ。呼んでもらえるもんがおって。わいも
巫女が脇に置いていた、
「やかましいこと」
怯えが収まるとともに、これが巫女の使う手なのではないか、来た人間をまずこうして脅してみせるのではないかと勘ぐったが、あの樒で空気が軽くなったのは確かだ。
電球もつけない板間の部屋、巫女の背後にある祭壇は、なんとも奇妙なものだった。樒が一対、両端に飾られ、黒漆の塗られた小さな
「知ってはると思いますけど、一年やよってな。
巫女の顔が、格子の陰で暗がりに沈み込んでいた。
「一年経ってしもたらもう、呼べませんよってな。……いつごろ、行きはったんだす」
巫女が追い払った視線とは別の重苦しさが
「妻が行んだのは、去年の十二月です」
年明けの準備に近所がせわしく働いていたころ。北東からの風が冷たく、長火鉢を寄せてくれと頼んでいた次の日の夜明け前だった。
ちょうどひと月。巫女がつぶやいた。
「何を尋ねようというんでもあらへんのです。ただ、心残りがあんまり大きいですよって」
「行んでもうたのが、よう受け入れられへん。そういうことだっか」
言い当てられて顔を上げると、巫女はもう祭壇に向かって、
「わてがなにか唱えましたらな、意味はお分かりやないと思いますけどな、こう、手を出しますよって、軽く握っとくなはれ。そしたらな、喋りますさかい。奥さんが来はりますさかい」
黒い
ふいに、妻と出会ったときから、彼女が「行んでもうた」あの日のことまでが、鮮やかに──残酷なほど鮮やかに、脳裏によみがえった。
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