トモリさんはパン屋さんです

 トモリさんはパン屋さんです。いつも、どうしたらもっとおいしいパンが焼けるか考えています。

「食べた人が思わず踊りたくなるような、そんなおいしいパンが焼けないかなあ」

 粉を仕入れにいった帰り道、そんなことを呟きました。

 すると、道端にタヌキが倒れています。

「お腹が空いて動けないのでおじゃる。優しいお方、どうかひとつ食べ物を恵んでくだされ」

 タヌキはいいました。

 トモリさんは、お弁当に持ってきたパンの残りをタヌキにあげました。

「ムシャ、ムシャ。ああ、助かったのでおじゃる。ほんにおいしいパンでありもうした。ところで優しいお方、お礼といってはなんですが、先程の願い、拙者が叶えてしんぜるのでおじゃる」

「先程の願い?」

「左様でおじゃる。食べた人が思わず踊りたくなるような、おいしいパンを作るのでおじゃる」

 トモリさんは、タヌキを連れて店に戻りました。

「まずは普通にパンを仕込んでくだされ」

 トモリさんは、いつものようにパンを仕込みました。あとは一晩寝かせたら、明日の朝にオーブンに入れて焼くだけです。

「それではお目にかけまする。ちちんぷいぷい、タヌキのおまじない。あかさな、ちつてと、けやぶやけ。このけがきにけてかけのは、けてかけかっから、けてかけのです」

 トモリさんは、なにが起きるのかと思って見ていましたが、なにも変わったことはありません。

「なにも起きないじゃないか。おや?」

 いつのまにか、タヌキはいなくなっていました。

「変なこともあるものだなあ。ま、いいか」

 トモリさんは気にせずに、その日は寝ました。

 翌朝早く、トモリさんは、昨日仕込んだパンを焼きます。もう焼けたころだと、オーブンから取り出してみると、おやおや?

 ピョーンと飛び出して、テーブルに乗ったものがあります。それは、トモリさん自慢の、ペンギンの形をした、ペンギンパンたち。

 ヨチヨチと歩いて整列すると、短い羽をパタパタさせて踊り出しました。


 ペ、ペ、ペ、ペがみっつ

 ヘンテコ踊りのペン太郎

 こんがりキツネにお肌が焼けりゃ

 ペンギンだって踊り出す

 踊るペンギン、キツネ色

 タヌキじゃないけどキツネ色


「おやおや、これはどうしたことか」

 トモリさんはびっくりです。

 すると、ネコの形をしたバタパンも、イヌの形をした揚げパンも、ゾウの形のあんぱんも、カメの形のメロンパンも、動物の形をしたパンはみんな、ぴょこんと起き上がって、同じようにヘンテコな踊りを踊りました。


 わっわっわーん

 ぼくらは踊るよ、へたっぴ踊り

 ネコはバタバタ、イヌはアゲアゲ

 ゾウのお腹にゃ、あんこが重くて踊られぬ

 カメがメロンかメロンがカメか

 甲羅が甘いぞ、なめてみよう

 首を伸ばすが、届かない


「これはこれは。食べた人が踊りたくなるパンのつもりが、パンが踊り出したわい。君たち、踊るのはいいけど、ちゃんと棚に並んでてくれよ」

「はーい」

 パンたちはいって、お行儀よく棚に収まりました。

 お客さんがやってきました。

「あら、まあ。どうしたことだい。わたしはパン屋さんに入ったつもりが、ペットのお店だね」

 トモリさんは冗談でいいました。

「ええ、そうです。ゾウをペットにいかがです。エサはあんこをあげてください」

 パオーンと、あんぱんのゾウは、鼻を鳴らしました。

 踊る動物のパンは大好評で、あっというまに全部売れてしまいました。

 その夜、トモリさんがパンを仕込んでいると、昨日のタヌキがやってきました。

「やあ、君のおかげで、今日はパンがよく売れたよ」

「それはそれは、ありがたき幸せでおじゃる」

「ひとつ聞くけど、なんでも動かすことができるのかい」

「虫でも鳥でも魚でも、動くものの形なら、できもうす」

 トモリさんは、ひとりでお店を切り盛りしています。誰か手伝ってくれる人がいたらいいなと思っていました。

 そこで、こう聞きました。

「人間でもできるのかい?」

 タヌキは少し考えて、いいました。

「小人だったら、できるかもしれないでおじゃる」

 そこでトモリさんは、小人の形の塩パンをたくさん作りました。

「これに命を吹き込んでほしいんだ」

「おやすいごようでおじゃりまする」

 タヌキはまたおまじないをしました。

「ちちんぷいぷい、タヌキのおまじない。あかさな、ちつてと、けやぶやけ。このけがきにけてかけのは、けてかけかっから、けてかけのです」

 おまじないが終わると、タヌキはまた、ぷいとどこかにいってしまいました。

 翌朝、トモリさんがパンをオーブンから取り出すと、小人のパンがみんな一斉に起き上がりました。


 ぱらっぱっぱら、ちょいちょいちょい

 元気のないときゃ、簡単さ

 小人の塩を、ひとさじふれば

 どんな料理もシェフの味

 味気のないときゃ、小人だよ

 小人のダンスは足が短いから

 ステップが見えない

 でもねえ、ちゃんと踏んでるよ

 十七種類のステップだい


 小人が踊るのを見て、トモリさんは満足しました。

「ねえ、君たち。ちゃんと並んでくれるかい」

「どうして?」

 小人の一人がいいました。

「どうしてって、これから君たちを買いに来るお客さんが来るからさ」

「えっえーっ、ぼくたち売られちゃうの?」

 別の小人がいいました。

「売られて、どうなるの?」

 また別の小人がいいました。

「そりゃ、パンだもの。君たちはかわいいから、しばらく飾っておく人もいるかもしれないけど、少なくとも明日のお日さまが沈むころまでには、食べてほしいな」

「それまでに食べないと、どうなるの?」

 またまた別の小人がいいました。

「うーん、すぐならいいけど、あんまりおいておくと、お腹をこわすね」

 小人たちは青ざめた顔で、みんなお腹を手でおさえました。

「君たちのじゃないから、安心おしよ。さ、お店が開く時間だよ。早く棚にお上がり」

 でも、小人たちはお腹をおさえたまま動きません。仕方なくトモリさんは、ひとつひとつパンを棚に並べました。

「なんか、しおしおになっちゃったなあ」

 元気のなくなったパンを見て、トモリさんは売れるか心配になりました。でも、大人しくしていたのがよかったのか、全部売れてしまいました。

 その夜、やっぱりタヌキがやってきました。

「どうです、どうです、パンの売れゆきは。拙者、外から見ておじゃりましたが、それはもう大繁盛ですなあ」

 トモリさんは、すでにパンを仕込んで待っていました。

「やあ、きたね。実は君に、命を吹き込んでもらいたいパンがあるんだ」

「と、おじゃりますと?」

「これだよ」

 と、トモリさんは、子どもぐらいの大きさのパンを見せました。それは本当に、人間の女の子そっくりに作ってありました。

「ぼくの娘だよ。去年死んでしまったんだ。また娘が動いているところを見たい」

「それはそれは、そのくらいでしたら。ただし条件がありまする」

 タヌキはなにかたくらんでいるみたいでした。

「このパンは、拙者が食べまする」

「なんだって?」

「明日の日没と同時に、またここに来るでおじゃる。それでいいならやってしんぜるでおじゃる」

 トモリさんは、うーんと考えていいました。

「一日だけでもいい。お願いできるかな」

「わかりもうしたでおじゃる」

 タヌキはおまじないをして、どこかにいってしまいました。

 翌朝。トモリさんはドキドキしてオーブンを開けました。

 パンを取り出すと、娘がむくっと起き上がって、にっこりと笑いました。

「パパ」

「おお、おお。パパっていってくれたんだね」

 それは本当に死んだ娘にそっくりでした。トモリさんはハンカチで目頭をおさえました。

「パパ、なにをしているの?早くお店を開けなきゃ、お客さんがやってくるよ」

「おお、そうだった。おまえはよく気がつくね」

 その日は、いつにもまして大忙しで、二人はせっせと働きました。トモリさんは、娘が帰ってきたみたいで、幸せでした。

 そしてとうとう日没の時間がやってきました。

「おまえをもう二度と失いたくない。タヌキがやってくる前に、ここから逃げよう」

 トモリさんは、パンでできた娘の手を引いて、こっそり店を抜け出しました。

 そうとは知らずにタヌキがやってきました。店のどこを探しても、トモリさんも、パンの娘もいません。

「ははあ、これはたばかられたな。タヌキをたばかるとは、いけないことでおじゃる」

 その頃、トモリさんは、暗い夜道を急いでいました。できるだけ遠いところへ逃げなくてはいけません。

 幸いなことに、その日は闇夜。月は出ていませんから、辺りは真っ暗。誰も二人を見るものはいません。

「パパ、どこへいくの?おうちはあっちだよ」

 娘は不安になっていいました。

「うんと遠くだよ。うんと遠くにいって、二人で暮らそうね」

「パパ、わたし、なんだか怖いわ」

「大丈夫だよ。パパがついてるよ」

 そういうと、娘の足取りは軽くなりました。トモリさんは安心して、先を急ぎました。

「パパ、わたし、やっぱり怖いわ」

「もうすぐだよ。安全なところに着くまで、もうちょっとの辛抱だからね」

 そういうと、娘の足取りは、さらに軽くなりました。トモリさんは、ますます安心して、先を急ぎました。

「パパ、やっぱり帰ろうよ。わたし、もう歩けないわ」

「なにをいっているんだい、ここまできて。さあ、もうじき街を抜けるよ。誰も知らないところへいって、二人で暮らそうね」

 トモリさんは、娘の手をぎゅっと握りました。もうほとんど駆け足で進んでいきます。

 トモリさんには、娘がまるで飛んでいるかのように軽く感じられました。足音すら聞こえません。

 またしばらくいって、娘が口を開きました。

「ねえ、パパ」

「しっ、静かにおしよ。タヌキに見つかってしまう」

 娘は口をつぐみました。でも、本当はこういいたかったのです。ねえ、パパ、わたし、もう喋れないわ、と。

 トモリさんは娘の手をしっかりと握って、ものもいわずにどんどん進んでいきます。夜が開けないうちに、なるべく遠くまでいってしまわなければなりません。

 娘はもう、なにもいわずについてきているようでした。

「あっ」

 もうそろそろ休んでもいいだろうと思われたとき、トモリさんは足がもつれて転んでしまいました。

「いてて、てて」

 膝をしたたか打ちつけてしまって、道端に座りこんでしまいました。そのとき娘の手を離してしまいました。

 はっと思って、娘の姿を探します。ところがどこにも見当たりません。どうしたものかと思っていると、ふと、そばに暗い影が立っているのに気づきました。

「トモリさん、約束でおじゃる。このパンは拙者がいただきまするぞ。むしゃ、むしゃ、むしゃ」

 顔を上げると、タヌキが娘の手を、むしゃむしゃと食べています。

「ああ、おいしかった。やっぱりパンは、生きのいいうちに食べるがよいでおじゃる。カチコチに動かなくなってからでは、まずいでおじゃる。だからここにくるまでに、足から順番に食べてしまったでおじゃる。優しいお方、思わず踊りたくなるようなパンでありもうした」

 そういうと、タヌキはヘンテコな踊りを踊りながら、どこかに去っていきました。

 草の上には、ポロポロとパンくずがこぼれておりました。

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