あめふらしのなみだ

「もう、このへんでええじゃろ」

 あめふらしのおじいさんがそういうと、それまでシトシトと降っていた雨がだんだん小雨になり、やがて止みました。

「もっとジャンジャカ降らせばいいのよ。こんなんできのこ、生えてくる?」

 小さな孫娘のウーアは、水たまりにピシャンと飛び込むと、長靴で水を蹴り上げました。

「あんまり降らせすぎてもいけない。この森には、このくらいがちょうどいいんじゃ」

「わたし、前の森の方がよかったな」

 ウーアは、すねたようにいいました。二人は今まで別の森にいたのです。

「あの森にはベルたけがもう生えない。わしらあめふらしは、ベルたけのないところでは生きていけないのじゃ」

 おじいさんは少し悲しそうにいいました。

「ねえ、シチューにするでしょ?赤いのいっぱい入れるの」

「ああ、そうじゃの。けど、青も紫も緑も黄も、みんな入れるからおいしいんじゃぞ」

 ウーアは、ぷーっとほっぺを膨らませました。

「まあ、また明日じゃ。朝になったら、きのこも生えとるじゃろ」

 風がビュウウと吹きました。リーン、リーン、リリリリリーン。たくさんのベルを鳴らすような音が、森を震わせました。

「ほれ、きのこが、もう雨は十分じゃというとる。今夜はひとつ、あそこに落ちとる緑のベルたけの中で寝るとしよう」

 二人は、大きなベルの形をしたきのこをめくって、中に入りました。

「このベルたけ、なんで落ちちゃったの?」

 ウーアが聞きました。

「さあ、わからんが、そのおかげでわしらはぐっすり眠ることができる」

 二人がいるのは、ベルたけという、きのこのかさの中です。これは、あめふらしの住む森に生えるきのこで、ひゅうっと伸びた茎の先に、ベルみたいなかさをつけます。

 若いうちは、かさが柔らかく、煮たり焼いたりして食べます。大きくなると、かさが固くなって、風にそよぐと、リーンリーンと、ベルのような音を鳴らします。

 次の日の朝、天にはお日さまが輝いていました。水たまりはもうすっかり小さくなりましたが、まだ地面は湿っています。

「このくらいの湿り気が、ベルたけにはちょうどいいんじゃ。わしらにもな」

 と、おじいさんはいいました。

 ウーアが落ち葉をめくってみると、そこには小さなベルたけが固まって生えていました。

 赤、橙、黄、緑、水色、青、紫。ベルたけには、七つの色があります。どの色も、それぞれの音を持っています。

「摘む前に、音を鳴らしてごらん」

 おじいさんがいいました。

「こんなに小さいのでも、鳴るの?」

 と、ウーアがいいました。

「指で弾いてみなさい。小さくたって、立派なベルたけじゃぞ」

 ウーアは、おじいさんにいわれたようにしました。

「ほんとだ。ドの音がする。こっちはレの音だわ」

 耳を近づけてみると、かすかではありますが、ドレミファソラシの七つの音が聞こえました。

 森のドレミの歌を歌いながら、ウーアはベルたけを摘んでいきます。

「ド、ド、ド。ドは大地。はぐくみの音。レ、レ、レ。レはお母さん。優しく包みこむ大きな木。ミ、ミ、ミ。ミは世話好きお姉さん。花粉を運ぶ虫たち。ファ、ファ、ファ。ファはおすましお嬢さん。花とチョウ。ソ、ソ、ソ。ソは旅人ね。風の音。ラ、ラ、ラ。ラは動物たち。子ザルが駆け回る。シ、シ、シ。シは鳥のさえずり。朝を告げる音」

 ウーアの手は、瞬く間に色とりどりのベルたけでいっぱいになりました。

「あとは残しておきなさい。わしらが食べる分はもうとったじゃろ」

 おじいさんがいいました。

「もっと雨を降らせばいいんだわ」

 ウーアは口を尖らせました。小さいウーアは、まだ自分で雨を降らせることができません。

「雨だけできのこが生えるわけではない」

 おじいさんはいいました。

「さあ、もう十分じゃ。シチューを作って食べようじゃないか」

 二人は、手ごろな大きさの、固いベルたけを鍋にして、とったばかりの七色のきのこを煮込んでシチューにしました。

「おいしい」

「おいしいじゃろ。七つの色があるからおいしいんじゃよ」

「お腹の中でベルが鳴らない?」

「さあて、な。嫌かい?」

「踊り出しちゃうわよ」

 ウーアはシチューを食べ終わると、長靴でクルクルと回りました。ステップを踏むたび、リン、リン、リンと、ベルの音が聞こえてくるようでした。

 そんなある日のこと、ウーアは、森で変わったベルたけを見つけました。

「おじいちゃん、これなあに?」

 それは、黒いかさを持ったベルたけでした。

「おかしいのよ。音がぜんぜん鳴らないの」

 おじいさんは、難しい顔をしました。

「乾いてしまったベルたけじゃ。この森にも乾きが訪れているようじゃの」

「わたしたち、ここに住めなくなるの?」

 いったん森が乾いてしまうと、もうそこにはあめふらしは住めません。雨を降らそうにも、降らせなくなってしまいます。あめふらしが雨を降らすためには、森の助けが必要なのです。

「少しぐらいなら平気じゃよ。この森にはまだベルたけが生える」

「雨をもっと降らせたら?」

「あまり雨が多すぎても、土の中のきのこの根っこがくさってしまう。あめふらしがベルたけを生やしているのではないんじゃ。ちゃんと地面の下に根っこがあって、それで生えてくる。わしらのやることは、少し湿り気を与えてやることだけなんじゃよ」

「根っこはどこにあるの?」

「森中にある。生きている森なら」

 ところが、だんだんと黒いベルたけが目につくようになってきました。ウーアが落ち葉をめくって若いベルたけを探してみても、黒いものが多くなりました。

「おじいちゃん」

 ウーアがいいました。

「食べるものがないよ」

「困ったのう」

 おじいさんは、長いあごひげをさすりながら、天を見上げました。ここ数日間、おじいさんが雨を呼んでも、パラパラとしか降ってくれません。

 足元の土も、黒くて湿ったものから、白くて乾いたものに変わってきました。

「こんなに速く乾くなんて、かつてなかったことじゃ」

 それはある夜のことでした。いつものようにベルたけの中で寝ていると、おじいさんは、ふと胸騒ぎがして目を覚ましました。

 どうも空気が熱いのです。かさをめくって外を見ると、空が真っ赤になっていました。

 ゴオオ、と強い風が吹いて、カンカンカンと、乾いたベルの音がしました。

「こりゃいかん」

 おじいさんは、大慌てでウーアを起こしました。

「どうしたの?」

「大変じゃ。山火事が起きとる」

 二人は急いで逃げました。パチパチと木がはぜる音がうるさく鳴っています。ここ最近の乾きのせいで、火の手が回るのが早いようです。

 無理矢理眠りを覚まされた鳥たちが、バサバサと耳が痛くなるような大きな音を立てて飛んでいきます。

 キイキイと金切り声を上げながら、サルやイタチが走っていきました。

「わしらも早く、泉のほうへいこう」

 ところが、泉のあるところまできて、おじいさんは愕然としました。いつのまにか、泉の大きさが、とてもとても小さくなっていたのです。

 今では、大きなくぼみの真ん中に、小さな水たまりがあるだけでした。

 この熱さでは、すぐに干上がってしまうでしょう。

「しまった。ここまで乾いておったとは」

「おじいちゃん、わたしたちどうなるの?」

 ウーアは、怯えた目でおじいさんを見上げました。

 おじいさんは、無理に笑っていいました。

「大丈夫じゃ。山だって、いつまでも燃えているわけではない」

 ですが、それはいつになるのでしょうか?このまま何日も燃え続ければ、火が消える前に、あめふらしの体は乾ききって、干からびて死んでしまうでしょう。

 そこには、逃げてきた動物たちがたくさんいました。サルとキツネが抱き合って震えていました。シカが怪我をしたイノシシの傷口を舐めてやっています。クマは、翼の折れたキツツキをくわえてきてあげていました。

 いつもは一緒にいることのない生き物たちが、寄りそって怯えています。

「おじいちゃん、このタヌキ、ひどい火傷してる。こっちのリスも、みんな、みんな」

 動物たちはみんな傷ついていました。すがるようにおじいさんを見つめます。少しでいいから、雨がほしいところです。

 しかし山火事となると、火の力が強すぎて、おじいさんでもどうにもならないのでした。

 風がゴウゴウ唸って、火の手を運んできます。このままでは、ここが火に飲まれるのは時間の問題です。

 おじいさんは、じっと水たまりを見つめると、やがてなにかを決心したように頷きました。ウーアの頭にそっと手を乗せると、こういいました。

「よいか。決してわしのそばを離れるでないぞ。動物たちも一緒じゃ」

「おじいちゃん、なにするの」

「今から雨を呼ぶ」

 おじいさんは、ゆっくり水たまりの中に入っていきました。これから雨ごいをはじめようというのでしょうか?

 けれども、空は真っ赤です。雨を降らせるような雲は、どこにも見当たりません。

「天にはなくとも、土の下には、まだ水があるはず。山火事は消せぬが、このまわりだけなら火の勢いを止めることができるじゃろう」

 水たまりの中央に着いても、水はおじいさんの足首までしかありません。おじいさんは、全身の力を振り絞って、雨を呼びました。

 雨は、おじいさんの呼びかけに答えて集まりはじめました。

 空にはなんの変化もありません。代わりに、おじいさんの足元の水たまりが、徐々に深く、大きくなっていきました。

 おじいさんの額に脂汗が浮かびます。おじいさんは、むうう、と唸って、さらにありったけの力を込めました。

 水たまりの外で見守っていたウーアや動物たちの足元が、湿り気を帯びてきました。

 おじいさんの足がよろけて、膝をつきます。

「おじいちゃん!」

「大丈夫じゃ」

 おじいさんは立ち上がりなおすと、両手を天に突き上げました。

「さあ、雨よ降れ!」

 おじいさんがそう叫びました。すると、ポツポツと小さな雨粒が、天へと昇りはじめたのです。

 空には雨雲は一つもありません。この雨は、土の中から降っています。やがて雨はザーザーと強いものになり、バケツをひっくり返したような土砂降りになりました。

 そこに火が襲ってきました。バシャンと雨とぶつかり、辺りはわっと濃い霧に包まれました。

「おじいちゃん!」

 霧の中、ウーアは真っ白でなにも見えなくなりました。おじいさんも動物たちも、なにもかも白い彼方にいってしまったようでした。立ち昇る雨の音を聞きながら、ウーアはまるで自分の体が霧と同化するように、溶けて消えていくのを感じました。

「ウーアよ、強く生きるんじゃぞ!」

 遠のいていく意識の中、ウーアは最後におじいさんの声を聞いたような気がしました。

 そのまま、どれだけの時間が経ったのでしょう。ウーアは、ひどい喉の渇きを感じて、目を覚ましました。

 まわりは乾いた、白い土ばかりです。草も花も、木も鳥も動物も、なにも見えません。

 山火事はおさまっていましたが、森はすっかり焼けていました。一緒にいた動物たちは、みんなどこにいってしまったのでしょう。

 ウーアは、きっと自分は干からびてしまったのだと思いました。でも手足がキシキシと痛むのを感じました。よっぽど乾いてしまっていて、動くのが大変でしたが、まだ生きています。

 おじいさんは、と、ウーアは必死に水たまりのあったくぼみへと這っていきました。

 でもそこには、一滴の水も残っていませんでした。

 ああ、と思いました。おじいさんは死んでしまったのだ。逆さまに雨を降らせてウーアを守ってくれたのと引きかえに、死んでしまったのだ。

 そう思ったら、ウーアは力が抜けて、倒れふしてしまいました。このまま自分も、乾いた土の一部となるのだ、そう思って目を閉じました。

 ところがそのとき、カラカラに乾いてしまったはずのウーアの目から、一滴の涙がこぼれました。

 涙は乾いた地面に落ちると、すぐに染み込んで消えていきました。

 すると、ニョキニョキと、一本のきのこが生えてきたのです。

 きのこはリーンと、ウーアの耳元で鳴りました。

 はっとして目を開くと、目の前に小さな赤いベルたけがありました。

 ベルたけだ。ベルたけがある!

 ウーアの耳に、きのこの根っこは森中にある、といったおじいさんの言葉が蘇ってきました。強く生きろというその声も。

 ウーアの目から、また一滴、また一滴と、とめどもなく涙がこぼれ落ちてきました。

 一滴落ちるたび、ニョキニョキときのこが生え、リーン、リーンとベルが鳴りました。

 ポツポツと、雨が降り出しました。やがてザーザー降りになり、ウーアの体と地面を濡らしました。ウーアがはじめて降らせた雨でした。

 雨は降り続け、土の中の乾いたきのこの根っこに、十分いきわたるだけの恵みを与えました。

 そして長い年月がたちました。

 最初に戻ってきたのは、コケでした。やがて草が生え、地面が緑で覆われました。次に何年もかかって、低い木が繁りました。さらに何十年かすると、ようやく背の高い木が増えていきました。

 リーン、リーン。

 今じゃ、かつてあった山火事が嘘のように、黒々とした森が広がっています。

 風がそよそよと、森を抜けていきます。耳をすませば、ほら、ベルの音。

 ド、ド、ド。ドは大地。はぐくみの音。レ、レ、レ。レはお母さん。優しく包みこむ大きな木。ミ、ミ、ミ。ミは世話好きお姉さん。花粉を運ぶ虫たち。ファ、ファ、ファ。ファはおすましお嬢さん。花とチョウ。ソ、ソ、ソ。ソは旅人ね。風の音。ラ、ラ、ラ。ラは動物たち。子ザルが駆け回る。シ、シ、シ。シは鳥のさえずり。朝を告げる音。

 こんな歌が聞こえてくる森には、ベルたけが生えていて、あめふらしが住んでいるのです。

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