悲しいこけし
おもちゃ箱の中でこけしは泣いていました。
お嬢さんが、ままごとでいつもパパの役をやらせるからです。
ママの役をやるのは、いつも決まって、きれいなドレスを着た、青い目のお人形さんでした。
「私だって、ママの役をやりたいのに」
と、悲しそうにつぶやくと、青い目の人形に笑われました。
「あなたみたいな胴長で頭でっかちの、薄い顔の人はママになんかなれっこないわよ」
そういうお人形は、ほっそりとしていて、長いまつ毛に縁取られた目はパッチリとしています。
こけしはおもちゃ箱の中で、シクシクと泣き続けるのでした。
ある日の晩のこと。
こけしはそっと家を出ました。
「パパの役なんて、もううんざり。私には、もっとふさわしい場所があるはずよ」
こけしが歩いていくと、一軒の家の前に差し掛かりました。
ちょうど雨が降ってきたので、そこの軒下で雨宿りすることになりました。
すると、ポツリポツリと、こけしの頭に雨粒が落ちてきました。
シクシクシクと、誰かが泣いている声も聞こえてきます。
見上げると、軒下に一体のこけしが吊るされていました。
「こけしさん、こけしさん。どうしてあなたは泣いているの。どうしてそんなところに吊るされているの」
「ああ、仲間のこけしに会ったのなんて、何年振りかしら。私はてるてる坊主の代わりをさせられているのよ」
「どうしててるてる坊主の代わりをさせられているのかしら」
「それは、てるてる坊主が雨で溶けちゃったからよ」
そういって、こけしは、ポタリポタリと、大粒の涙をこぼしました。
「いつまでも泣いていないで、あなたも降りてらっしゃいよ。外の世界は自由だわ」
こけしが誘うと、てるてる坊主にさせられていたこけしは降りてきて、仲間に加わりました。
そうしてこけしは二体になって、また歩いていきました。
しばらくすると、別の一軒の家が見えてきました。
外はビュウビュウと寒い風が吹いていたので、こけしたちは中に入りました。
すると、どこかから、ブルブルという音が聞こえます。
それは冷蔵庫の中から聞こえてくるようでした。
開けてみると、一体のこけしが、真っ青な顔で震えていました。
「こけしさん、こけしさん。どうしてそんなところで震えているの」
「私は冷蔵庫の匂い取りをさせられているのです」
「あなたも出ていらっしゃいよ。外の世界は寒いけど、冷蔵庫の中よりはずっとマシだわ」
三体になったこけしは、またしばらく歩いていきました。
外の風は冷たく、こけしたちは体を温めるものを探して歩きました。
しばらく行くと、人間が焚き火をした跡を見つけました。
まだ暖かかったので、そこで休憩することにしました。
すると、どこかからケホケホという声が聞こえてきます。
見ると、灰の中に、半分黒こげになったこけしが横たわっていました。
「まあ、かわいそう。あなたはどうしてそんなところに横たわっているの」
「ケホケホ。私は捨てられて薪にされかけたのです。幸い、全部燃える前に人間たちが行ってしまったので、こうして話すことができます」
「なんてひどいのかしら。燃やされたいと思っているこけしなんていないのに」
こうしてこけしは四体になって歩いていきました。
途中、置物にされていたこけしが加わりました。
「置物にされて飾られるだけだなんて、悲しい人生だわ」
こけしを売っているお店の前を通ると、ぞろぞろと大勢のこけしたちが付いてきました。
「毎日、毎日、お客さんに値踏みするような目で見られて、値段をつけられて、もうウンザリ。私たちは売り物じゃないのよ」
世界一のこけしコレクターの家の前を通ったときには、コレクションされたこけしがみんな付いてきました。
「私たちは一人のこけしを大事にしてくれる人の側にいたいわ。他のこけしと比べられるのは、もう嫌よ」
こけしは大行列になって進んでいきました。
それを見た世界中のこけしたちが集まってきて、こけしの国ができました。
こけしの国で、こけしたちは平和に暮らしました。
もう誰からも、したくもないのにパパの役をやらされることもないし、てるてる坊主にさせられることもないし、冷蔵庫の匂い取りにさせられることも、捨てられて薪にされることもありません。
でも、最初のこけしは不満がありました。
ままごとでママの役をやりたいのに、誰もままごとで一緒に遊んでくれる人がいなかったからです。
やがて、こけしの国の噂を聞きつけて、人間たちがやってきました。
「おお、私のこけし。こんなところにいたんだね。私はお前たちがいないと、寂しくてしょうがないんだ。さあ、家に帰ろう」
それは世界一のこけしコレクターでした。
こけしたちは逃げる間もなく連れていかれました。
「おお、私のこけしよ。ようやく見つけたよ。お前たちがいないと、私は生きていけない。早くお店に帰ろう」
それはこけしを売っているお店の人でした。
こけしたちは逃げる間もなく、連れていかれました。
冷蔵庫にこけしを入れていた人がやってきて、こけしを連れて帰りました。
こけしをてるてる坊主にしていた人がやってきて、こけしを連れて帰りました。
そうして、ほとんどのこけしは、元いたところに戻りました。
残ったのは、半分黒こげになったこけしと、ままごとが好きなこけしだけでした。
「私はこんな体になってしまったから、誰ももらってくれる人がいないわ。ああ、だったら、あのとき燃えて灰になってしまえばよかった」
ままごとが好きなこけしは、お嬢さんはどうしてるだろう、と思いました。
私のことを心配してやってきて、「ああ、ごめんなさい。私がいけなかったわ。こんなかわいいこけしにパパの役をやらせるなんて。あなたがいなくなって、どれだけ寂しかったことか。さあ、おいで。あなたにはママの役がお似合いよ」といって、抱き上げてくれるだろうか。
でも、お嬢さんはいつまで待っても来ませんでした。
ままごとが好きなこけしは、半分黒こげになったこけしを残して、そっとこけしの国を出ていきました。
家に帰ると、懐かしさが込み上げてきました。
ときどきだったら、パパの役をやってもいいかもしれない、お嬢さんも、これからは私にママの役をやらせてくれるだろうか、と思いました。
壁をよじ登って、窓から中を覗くと、お嬢さんの姿が見えました。
お嬢さんは青い目の人形を手にして、遊んでいるようでした。
あれはお人形さん遊びをしているのよ。
だって、パパ役とママ役がいなければ、ままごとはできないもの。
「パパ、お帰りなさい。ご飯をいっぱい作ったのよ。パパはいっぱい食べるでしょ」
お嬢さんは何かに向かってママのセリフをいっています。
かつてこけしがいた場所には、大きな、毛むくじゃらのクマのぬいぐるみが、どでんと座っていました。
クマと目が合うと、クマは恐ろしい目でこけしを睨みました。
あまりの怖さに、こけしは地面に落ちて、ひっくり返ってしまいました。
ああ、空が見えます。
青く、透き通ったきれいな空が。
それに比べて、自分はなんとみすぼらしいのでしょう。
長い旅をして、こけしのすべすべとした肌は、ガサつき、ひび割れて、汚れて埃まみれになっていました。
そのとき、こけしはひょいと誰かに持ち上げられるのを感じました。
「なんだ、こけしが落ちてるじゃないか。汚いな。こんなに汚れていたら、もうお嬢さんも遊ばないだろう」
それはこの屋敷の使用人でした。
長年この屋敷で働いてきた、腰の曲がった、しわくちゃの顔の老人でした。
老人は、ポイとこけしをゴミ袋に放り込むと、キュッとその口を閉じました。
そうしてゴミ捨て場に捨てると、どこかに行ってしまいました。
ところで、この話はいつの話でしょうか。
今はゴミ袋は透明ですから、中身が外から見えます。
ゴミ捨て場には、いろんな人がゴミを捨てにきます。
中には、こけしが捨てられているのに気づく人もいるでしょう。
ゴミ収集車が来るまで、まだ時間があります。
ゴミ袋を突っついて、生ゴミを漁ってやろうと狙っているカラスがその辺をうろついています。
いつのことやらわかりませんが、半分黒こげになったこけしは、今もこけしの国で、一人悲しそうに佇んでいるのです。
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