聖女は死にました。そういうことにしておいてください。

亜逸

聖女は死にました。そういうことにしておいてください。

『聖女ティアナ・ログスレーは死にました。誰が何と言おうと死にました。なので、私のことは捜さないでください』


 そんな書き置きとともに、聖女ティアナは姿をくらました。


 この世界において攻撃的な魔法は数あれど、治癒術にるいする魔法は一つもなく、奇跡の力で治癒術それを行使できる聖女の存在は極めて稀少だった。

 ゆえに、聖女がどこぞの国に、半ば強制的に召し抱えられることは珍しい話ではなく、ティアナもご多分に漏れず国に召し抱えられたわけだが、


「まさか、俺にも相談せずに失踪してしまうとはな……」


 ティアナの幼馴染にして、彼女の護衛をつとめる青年騎士アーラスは、卓上の書き置きを見つめながら嘆息する。

 

 国に召し抱えられたティアナは、やはり半ば強制的に王城に住まわされ、来る日も来る日も貴人の治癒や、その稀少ゆえに治癒術を見世物にする催しイベントに駆り出されていた。


 自由もへったくれもなく、国益のために聖女の力を酷使される日々に嫌気が差すのは仕方のない話だが、やはり、せめて、自分には一言くらい相談してほしかったとアーラスは思う。


 聖女の失踪に、王城内が蜂の巣をつついたような有り様になっているのを尻目に、アーラスは一人、ここから脱出しましたと言わんばかりに開けっ放しになっているティアナの私室の窓を見やる。


 ティアナの私室は、王城の端にある尖塔の最上階。

 ベッドのシーツやカーテンを結んでロープ代わりにするにしても、せめてあと三部屋分のシーツとカーテンが必要になるため、そこから脱走したとは考えにくい。

 さりとてそこ以外に、昼夜問わず王城内を巡回している兵士の目を掻い潜って脱走するのは困難を極めるわけだが……今は考えても仕方がないと思ったアーラスは、いまだ混乱の渦中にある国王や大臣、兵士たちをよそに、馬に乗って一人王城を後にする。


 おそらくは自分以外には――いや、自分にすらも迎えに来てほしくないと思っているであろう、聖女を迎えに行くために。












 国境くにざかいにある、村と呼ぶには栄えていて、町と呼ぶにはもう一声足りない集落。

 その一角にある酒場に、聖女ティアナの姿があった。

 聖女だと思われないようにするためか、下はスカートではなく下衣ズボンを穿き、いつでも顔を隠せるようにするためか、フードの付いた外套を身に纏った姿はさながら旅人のよう。


 事実、ティアナは旅をしていた。

 あんな書き置きを残して失踪した理由の一つがまさしくそれであり、理由の二つ目が〝これ〟だった。


「へい、お待ち」


 ティアナの眼前にあるテーブルに、なみなみとエールがれた木杯が一〇個、次々と並べられていく。


「いただきます」


 と、本日三度目となる酒前の挨拶を済ませたところで、ティアナは木杯の一つを手に取り、おしとやかに一気飲みする。

 からになった木杯をお淑やかに卓上に戻すと、別の木杯を手に取り、再びお淑やかに一気飲みする。

 お淑やかとはいったいと言いたくなるほどの酒豪っぷりだった。

 

 そうして瞬く間に卓上の木杯を空にしたところで、ティアナは酒場の店主マスターに物言いたげな視線を送る。

 酒が底をついたのか、店主が「そろそろ勘弁してください」とばかりにかぶりを振るのを見て、ティアナが露骨にションボリとしていると、



「いやお前、真っ昼間から何してんだよ?」



 いつの間にやら酒場に現れた、汗だくになっているアーラスを見て、ティアナは目をしばたたかせる。


「アーラス……私のことは捜さないでくださいと言ったでしょうが」

「書いてはあったが言ってはいないだろ」

「細かいところを気にするのは相変わらずですね……・だとしても、いくらなんでも見つけるのが早すぎます。もう少し空気を読んでください」

「酒臭い空気なんぞ読んでられるか。店主、水を一杯頼む」


 汗だくになっていることからもわかるとおり、ティアナを捜し回ってすっかり喉がカラカラになっていたアーラスは、店主が持って来た木杯を受け取ると、先程までのティアナと同じくらいの勢いで水を一気飲みしてから話を切り出す。


「ティアナ、帰るぞ」

「お断りします。私はもう死んだことになっていますので」

「誰がそんな戯言たわごとを聞き入れるか」


 にべもないアーラスに、ティアナは深々と酒臭いため息をつく。


「場所を変えましょう。酒場ここでは話せるものも話せませんから」


 そうして酒場を後にした二人が向かった場所は、集落の中央にある広場。

 子供たちが元気に走り回ってはいるものの、大人の姿は見当たらない。

 そのため、酒場と違って「聖女」やら「国」やら「城」やらといった単語ワードは口にしやすくはあるけれど、


「これはこれで落ち着かねえが、まあいい。ティアナ……なんであんな書き置きを残して城を抜け出した? というか、どうやって抜け出した?」

「奇跡の力で身体能力を強化して、お城の外壁をボルダリングしました」

「ボ、ボルダ……?」


 聞き慣れない単語に困惑するアーラスを見て、ティアナは澄まし顔で謝る。


「失礼。今のは奇跡の力で垣間見た、異世界の言葉です。こちら風に言えば、そうですね……外壁をよじ降りたといったところでしょうか」

「……なんでもアリだな奇跡の力。つうか、初めからそう言え」

「これはまた失礼。というわけで、私はこの辺で――」

「待て。何しれっと大事な方の質問をスルーしようとしてやがる」


 指摘されて、ティアナは小さく息をついてから訊ねる。


「なぜあんな書き置きを残してお城を抜け出したか……ですか?」

「そうだ。まさか、浴びるほど酒が飲みたかったからというわけじゃないだろ?」

それは、まあ……否定しませんが」

「否定しろ」


 というアーラスのツッコみを無視して、ティアナは話を続ける。


「単純に嫌気が差しただけですよ。王族にしろ貴族にしろ、私に治癒を懇願してくる者は、世にも珍しい治癒の奇跡見たさに、わざわざ自らかすり傷をつけてきた者たちばかり。私が本当に傷を癒してあげたいのは――」


 不意に、ティアナの言葉が途切れる。

 広場を走り回っていた子供の一人が、転んで泣き出したのだ。


 その様子を見て、ティアナは子供たちのもとに歩み寄る。


「お、おい、ティアナ」


 まさかと思ったアーラスの制止を求める声を無視したティアナは、膝小僧から血を流して泣きじゃくっている子供の目の前にしゃがみ込むと、


「大丈夫。今治してあげますから」


 怪我をした子供の膝小僧に手をかざし、暖かな光――治癒の奇跡の光を浴びせることで、瞬く間に傷を癒す。

 泣きじゃくっていた子供も含めて、呆気にとられる子供たちに向かって、ティアナは唇の前に人差し指を立てながらお願いする。


「今見たこと、誰にも喋らないでくださいね」


 あるいは困惑混じりの、あるいは元気いっぱいの「うん」だの「はい」だのが返ってきたところで、ティアナは立ち上がり、アーラスのもとに戻る。


「ごめんなさいね、話の腰を折ってしまって」

「いや、構わない。つまりは、お前が傷を癒してやりたいのは、ああいった子供たち……そう言いたいんだな?」

「正確には、傷を負って泣いている人たちの涙を止めたい……ですけどね」

「……なるほどな。その様子を実際に俺に見せつけるために、この広場を話の場に選んだというわけか」


 アーラスの指摘に、ティアナはギクリと動きを止める。


「大方走り回っている子供たちを見て、話をしている内に一人くらいは転んだりするだろうとか思ったんだろ?」

「そ、そんなことはないですよぉ……?」


 露骨に目を逸らすティアナに、アーラスは嘆息する。


「聖女が聞いて呆れるな」

「言ったでしょう。聖女は死にましたと」


 目を逸らしていた割りには即答で減らず口を返してくるティアナに、アーラスはますます嘆息する。


「だがまあ、城でやらされているような、奇跡の力を見世物のために使うよりは、今のような使い方の方が余程聖女らしいとは言えるな」

「でしょう!」


 打って変わって露骨に食いついてくるティアナに、アーラスは後ずさりそうになる。


「というわけですから、アーラス。城に戻ったらバッチリこう伝えておいてください。『聖女ティアナ・ログスレーは死にました』と」

「わかったわかった。


 ティアナはわかればよろしいとばかりに「ふんす」と鼻息を吐くも、すぐに「ん?」と小首を傾げる。


「『手紙に書いて送りつけておいてやる』って、まさかアーラス……あなた、お城には帰らないつもりですか?」

「帰るわけないだろ。お前をこのままほったらかしにしちまったら、酒の飲みすぎであっという間に路銀が尽きて、野垂れ死ぬのが目に見えてるからな」

「そ、そんなことはないですよぉ……」


「そんな」辺りまでは強かった語気が、瞬く間に尻すぼみになっていく。

 わかりやすすぎる反応に、アーラスは今日何度になるのかもわからない嘆息を吐いた。


「そういうわけだから、これからもよろしくな。聖女じゃないただのティアナ・ログスレー」


 そんな皮肉たっぷりのアーラスの言葉に対し、ティアナから返ってきたのは、背に腹は代えられないと言わんばかりの、やる気のない「はぁい……」だった。












 その日、集落の宿をとった二人は、別々の部屋で眠りにつくことにする。が、アーラスの方は、眠る前にやっておかなければならないことがあった。

 それは彼自身も言っていた、王城に送りつける手紙をしたためることだった。


 アーラスはインク壺に羽根ペンを浸しながら、安堵の吐息をつく。

 それは、無事にティアナを見つけることができたがゆえに生じたもの――

 安堵だった。


 アーラスがティアナの護衛についたのは、ただの幼馴染のよしみというわけではなかった。

 我ながら何を血迷ったのか、あの、遠くから薄目で見ればかろうじて聖女に見える女に、子供の頃からどうしようもないほどに惚れてしまっているせいにあった。


 だから、ティアナが国に召し抱えられるという話を聞いた時は、死ぬほど剣の腕を磨いて護衛の座を勝ち取ったし、ティアナが城から失踪したと聞いた時は、死ぬ気で彼女のことを捜した。


「……ほんと、我ながらどうしてあんなの惚れちまったんだか……」


 憎まれ口とは裏腹に頬を緩めながらも、アーラスはインク壺から羽根ペンを引き抜く。


 どうせ何を書いても、国王や大臣が真に受けてくれないことはわかりきっている。

 それならいっそ、連中を小馬鹿にするような内容にしてやろうと思ったアーラスは、揚々と卓上の手紙に羽根ペンを走らせた。




『聖女は死にました。そういうことにしておいてください。』

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聖女は死にました。そういうことにしておいてください。 亜逸 @assyukushoot

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