精神科入院35日目 #ユーの平〇〇の話

さて、この子達を何と呼ぶのが適切なのだろうか?

蓮は、この生活で1番初めからいた子。

今迄通り「蓮くん」

ユーは自分の事を「私」とは言わず「ねぇー、ユーのコレ見て」「ちょっと聞いて、ユーがさぁ」と言っているから「ユー」。

存在が末っ子のような可愛さ。2階フロア、いや他の病棟フロアでもきっと最年少だろう。

問題はフミ。

誰よりも1番しっかりしている。

入院当初はデザインが奇抜というより服のエッジが効きすぎている。

何故か、おばあちゃん集団にいた時は落ち着ちついたトーンの色の服を着ていた

一緒に食を囲むようになって黒を基調にしたり、原色を着ている訳では無いがエッジの効いてるデザインの服だからか凄い鮮やか。

メイクもしてカラコンも入れて時にはブーツまでも履いて病棟を闊歩している。

まだ20過ぎなのに大人の雰囲気を醸し出している。

蓮くんとは、一緒に豆腐納豆食べて出来上がっている関係。

だから、呼び方を変える必要もない。特段何か変わることもない。

が、フミは何と呼べば良いのだろうか?


「付き合って下さい!」

きっと今迄人より沢山言われて来たんだろうなと思われる女の子。

「〇〇くんと■■に、△△さんからも。どの人とお付き合いしようかな」と。

男の子達に告白されてドキドキすると言うより、むしろ周りの男の子達をドキドキさせてる様な女の子。

多分、周りの男の子たちからデートやご飯や色々お誘いがあるような。


僕の女性へのモットーは「美人もブスも『心のブス』以外は平等に扱う。年齢国籍肌の色に関係なく。」

少し話を脱線をする。

アメリカに住む友人の⚫子さん。日本人女性。彼女に聞いた話。

「アメリカから来て日本に住んでいる女性。どの子も日本人男性に興味がある。あるんだけれど、どいつもこいつも日本人男性は声をかけてこない。かけて来ないが、あまり美人では無い外人女性には声をかける。彼女たちは『くっそ!私の方が美人なのに、何故私よりブスがモテるんだ!』って」


それを聞いてから数年後。

集まりでたまたま一緒になった、目の前にいるすっごい美人のアメリカ人女性に実際に声をかけてみた。

適当に適当な英語で適当に。

勿論、良い意味で『適切』に。

「何処で何をしているの?」

「英会話の先生?」

「ウソつけ。本当に?ハッピ着ているからそこの市場で『いらっしゃいいらっしゃい。そこのお姉さん、これ美味しいよ。』って言っている市場の定員だろ?」

美人として扱わなかった。

敢えて雑に扱った。

向こうは全く日本語が喋れない。


いい加減な中学英語で雑に扱ったが、彼女は凄い喜んでくれた。

「see you next time」

その次の集まりにも行ったけれど、その彼女とはそれ以来会っていない。


心をもてなす。物ではなく「会話」で。

自分の感性が外人に近いのもあり、日頃からあまり緊張をしないのだが、若い日本人女性にだけは何故か日頃から緊張をする。

人間感動をしなくなったり、心が固くなってしまったらそれは人間では無い。

生きるとは好きな事や楽をする為にある訳では無い。

それは好きなパンだけを食べているだけのモノ。

歯応えがない人生程ツマラナイものは無い。

なら、目の前にいるこの子に下の名前の「フミ」と言うのは簡単なんだけれど、かなりボクも照れた。

敢えて「⚫田くん」という呼び方をしてみた。

女性が「くん呼び」をされる事はあまりない。

無いというか目の前の女性が「くん呼び」をされているのを見た事も聞いたことが無い。

フミも意表を突かれた感もあっただろうし、「え?」っと、驚いたと思う。

その心が揺れるから人生は楽しい。が、何かボクまで恥ずかしいかな。

そんな柄では無いが目の前の子に「君呼び」。

意識して言っているボクが彼女に『意識』をしてしまった。


おちょくっている訳でもからかっている訳でもない。

もう一度書くと、ボクの目的は「美人もブスも『心のブス』では無い限り平等に、その『心』を扱う」

その為、美人は多少からかっているようにも見えるだけ。

だって美人だから。

美人に、今迄男にされた事の無い扱いをしているだけ。時には雑に。


「その顔止めろ!」

毎食ボクの豆腐のシールをフミは剥がしてくれると、お礼に「ニコッ」とこれこそ柄にもなく、首を斜めに倒して意図的に笑った。

「この人、ボクの笑顔が嫌いなんだよー」と、また彼女におどけて言った。

「⚫ね」「⚫す」

ユーが突っ込む。

ボクが、そんな『ツマラナイ事』を出来る子達だった。


心が枯れると歩けなくなる。人生を。

毎食後合わないクスリを看護師が部屋の前まで持ってきてくれる。

彼らの前で飲む。飲まないといけない。

体と脳には全く合わない。

合わないが、ボクの心は彼女たちによってこの何年間の苦労や苦痛で傷んだ心を満たされ、彼女たちはまたボクに心を預けて大事な扉を開けて色んなページを見せて、その話をしてくれる。


この世で大事なのは『心』である。


「これ読んでみて」

何故か入院時にあった黒いカバン。

その中に入っていたボクが書いた海外を旅をしたエッセイや短歌などの文芸ファイル。

その中の1つの文章。

その後、読んで貰う事になる。

何故なら、この子達は世間とは折り合いを付けるのが下手でも『心』がある子達だから。

人間は言葉から始まり、人は心から始まる。

『心が全てで、全ては心から。』


(*ボクのツマラナイ「これ」を読んで、これからの未来を作る全ての君たちに向けて、この物語を少し逸れ、まだ何者にも何にも染まっていない君たちにも捧げる。)



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