【一般病棟入院5日目 オトナの『嵌める』為の塗り絵」】

火曜日。この日も朝食後は日課の自転車漕ぎ。それを終えてプログラムに望むために一人だけ身支度。

その「退院後の社会復帰に向けてのプログラム」なのだが、パズルや編み物。クロスワードパズル。頭の容量を余計に一杯使いそうで気乗りではなかった。

「完璧主義者の私が余計に細かい事をする事で、これ以上完璧主義者になってどうするの?」と、思っていたから。


いつも一緒に食を囲み自転車漕ぎのトランプめくりの助手の「かーくん」が凄いキレイに塗り絵をしていた。

塗り絵というより、「美術」。

髪を一色単の黒に塗るのではなく、光の加減や濃淡を付けて塗る。

草木や花もそう。

幹や葉は一見「緑」だが、そこには黒や茶色。黄色や白。時には赤。これ以上の数の色。

それらが集まって、相対的にどんな色に見えるか。「色の数」のその比率が「どんな色が多いか」。

「数」と「その割合」。

比率を間違えると全ての組織や集団は形を変えて時には暴徒化し、例えそれが腕力ではなくても「集団心理」が働き「一人一人はそれなりに良い人たち」であれど「集団という『数の束』」で人は形を変える。

匿名、数、自分の土俵、腕力。

全て自分の弱さを認めない、膝をすり向けられない「弱虫」と「卑怯」の「安全地帯」である。

膝を擦り剥いてこそ『人生』なのにー。


話は逸れたが、ある時人生の苦しい時代にあまり好きではない先生に草木や花の絵の描き方を教えて貰った。

苦手な先生だったが、その時はなぜか「遠ざけるより、この人に敢えて飲み込まれてみよう。」「一歩、懐に入ってみよう。」「どうせこの人に絵を習う時間を過ごすのだから、多少でも良い時間を過ごしてみよう」

そうしたら、あまり出来の良い生徒ではない私に、先生がこの事を教えてくれた。

人生において、無駄な事でもいつ光が当たるか誰にも分からないし、一見無駄な事の中にも教えと学びはあるのだ。

数の比率以前に、その軸となる「幹」を教えずに「技術」と「知識」を教え、それを求めるからいけないのだ。


「美術的センスのある『大人な塗り絵』をしているな。」

久々にその時に習った絵の塗り方をしてみたくなった。

それだけ、かーくんの鮮やかで美術的な塗り方に惹かれた。

A4だったかB4サイズの塗り絵のコピーをコピーを選んだ。

田舎の風景。

古い木造の昔ながらの家があって、庭があって、空が合って、何でもない田舎の家の風景。

「ざっ」と塗ればさっさと終わるのだが、丁寧に塗った。

庭の土の色にも濃淡を付けて、木造の家にも濃淡を付けて・・・と塗っていたら、90分のプログラムの間に私の塗り絵は1/3も終わらなかった。やはり、完璧主義者の私にしてみたら凝ってしまうので、プログラムなどやらずに読みたい本でもかーくん達と話しながら「さっ」と読んで談笑をしている方が私には向いているなと思った。凝れば凝るほど脳が疲れるから。

自転車漕ぎで疲労した身体を、楽しい話をして疲れた身体と心を喜ばせて、気持ちよく過ごしてお昼を迎える。

午後は風呂と自分の取り組みたい事やその仲間と時間を過ごし、夕食を食べて疲労した身体で眠りにつく。

(三食の用意はいらず、時間ごとに3食出てきて、仲間と御飯を囲みながら楽しく食べる。これはこれで私には理想的な生活ではないか?)


が、窓の外の街灯。病院敷地内の病院の街灯。眩しくて寝られない。

手持ちのタオルをアイマスク代わりに。後頭部は、結んだタオルが「ボコん」と枕に突きさり寝ずらい。

何とかしないと。

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