高過不幸化

小狸

短編

 友人の名塚なづか会子あいこが小説を書いていることを知ったのは、3年ほど前のことである。


 彼女はそれを隠していた。

 

 月に一度。


 私は会子の家に遊びに行っている。


 遊びに行く――というか、お見舞いという方が近いかもしれない。


 会子は、という心の病気になり、現在高校にも通っておらず、家に引きこもっている。


 会子の部屋は、お世辞にも綺麗とは言えない。


 色々なものが散乱していた。


 そんな中で、ふと、何かのあらすじのようなものを見つけたのである。それを見つけて、手に取ろうとした瞬間、会子は私から、それを奪い取った。


 びっくりした。


 会子がそんな俊敏な動きをするとは思わなかったからである。


「……見た?」


 そう聞かれたので、正直に見たと答えた。


 観念したのか、会子は白状した。


 自分は小説を書いているのだ、と。


 まあ、気持ちは分からないでもない。


 私に隠していたことに少々怒りを覚えたけれど、でもそこはぐっと堪えた。

 中学から不登校になり、そのまま高校に行かずに引きこもっている相子にも、負い目、みたいなものがあったのだろう思う。


 普通に高校に行き。


 普通に勉強をし。


 普通に部活をし。


 普通に友達と帰り。


 そんな「普通」すら、ままならない女の子。


 間違いなく会子は、可哀想だった。


 そんな彼女に対して、私は優しくあった。


 大抵の友達は、相子が不登校になってから、薄情にも縁を切った。


 私だけだった。


 プリントを渡しに行ったのも、会子のこれからの話を聞いたのも、先生と会子との橋渡し役をやったのも、卒業証書を持っていったのも、私だった。


 小説を書いていると知った時は、素直にすごいと思った。何でも本人曰く、いくつかの賞に応募して、選考にも残っているらしい。


 でも多分、会子が大賞を受賞することはないだろう。


 私はそう思っていた。


 元々子、なのである。


 不幸体質、なんて言えば昨今の空想小説みたいに聞こえるかもしれないけれど、間違いなく、薄幸なのだ。

 面持ちとか、容姿とか、それ以前の問題である。


 事実、皆と同じように学校生活を送ることすらできていない。義務教育すらままならなかったのだ。そんな会子が、何かを成し遂げられるなんて、思うことができなかった。


 きっとその努力も、頑張りも、精進も、全部無意味である。


 いつまでも可哀想なままでいてね。


 そう思っていた。


 しかし。


 高校2年生の秋。


 いつものように、月に一度、私は会子の家にお邪魔しに行っていた。


 すると、いつもとは違って、会子が私を出迎えた。まずそこが驚きだった。彼女が部屋から出たのなど、何年ぶりだろう。


「上がって上がって」


 と言って、どこか興奮したように頬を紅潮させている会子の姿があった。といった。


 心なしか、いつも雰囲気の暗いお母さんも、嬉しそうだった。


 嫌な予感がした。


 それは、当たった。


 部屋は、いつもより綺麗になっていた。


「あのね――」


 そして会子は、私に告げた。


 会子は、とある小説の新人賞を受賞したそうだった。


 受賞の連絡は、先月の末にその出版社の編集の人から来て、そして本として刊行されることはほぼ確定なのだそうだ。


 それを聞いて。


 私は。


 すごいね――とか。


 やったね――とか。


 頑張ったね――とか。


 そんな良く見るようなお世辞を口から発しながら。


 どこか脱力してゆく自分がいた。


 肩の力が抜ける、とかそういう類じゃない。


 ビニールプールに穴が開いて、強制的に空気が排出されて、形が維持できなくなってゆくような。


 そんな感触。


 あれ。


 どうして私は、喜ぶことができないのだろう。


 引きこもりから発起して、頑張って努力して、それが実を結んで。


 すごいことじゃないか、喜ばしいことじゃないか、頑張ったじゃないか。


 褒めなきゃ。


 そう思って、自分の顔が引き攣ったのが分かった。


 私は、言った。



 え?


「ふざけんなよ!」


 気が付いたら、私は会子の部屋にある、背の低い机を蹴り飛ばしていた。会子のお母さんが入れてくれたお茶が、会子のカーペットに染み渡る。


「っざけんなよ」


 私はもう一度、言った。


 私の言葉を咀嚼そしゃくし終えた会子は目を見開いていた。


「え――あ、あれ? みどりちゃん?」


「ざけんなっつってんだよ!!!」


 私は声を荒げていた。


 張り裂けんばかりの勢いで、声帯が鳴った。


 え?


 え?


 え?


 マジで、え? である。


 私は、何を言っているのだ。


 褒めればいいじゃないか。


 たたえればいいじゃないか。


 凄いと言えばいいじゃないか。


 なのに私の口からは、全く違う言葉が出ていた。


 思いっきり、足で床を鳴らした。


 足が痛かった。


「引きこもりのくせに! 駄目人間のくせに! 出来損ないのくせに! 学校にも行ってないくせに! 友達も私以外はいないくせに! 莫迦なくせに! 不幸なくせに! 可哀想なくせに! ! ふざけんなよ!」


 私は、パソコンの近くに置いてあった辞書を思いっきり投げた。


 会子には当たらなかったが、ばあん、と壁に音が響いた。


「み――緑、ちゃ」



 狼狽ろうばいする会子をよそに、私は、止まらなかった。


 止まれなかった。


「ずるい、ずるい! ずるい! ずるい! ずるい! ずるい! ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、――うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 もはやそれは。


 どちらの悲鳴か、分からなかった。


 気が付いたら。


 私は、会子のお父さんによって羽交はがめにされていた。


 会子の部屋は、滅茶苦茶になっていた。


 部屋での異常を察知したらしい会子のお父さんが、駆け付けたらしい。


 会子は、怪我なく、生きていた。


 生きて、いた。


 そうか。


 私は、許せなかったのだ。


 会子が、幸せに生きることを。


 だから会子が、不幸であるように仕向けた。


 会子が女子のグループに入れないように、彼女の悪評を広めた。


 男子も煽って、会子を学校で孤立させた。


 家に行って『先生は「早く学校に来い」と言っている』と嘘を吐いた。


 学校中に、会子が不登校になったことを広めた。


 私が、可哀想だと思いたかったから。


 私が会子を、下に見たかったから。


 


 だから私は。


 会子。


 ねえ。


 会子?


 私と一緒に、不幸に、なってよ。


 私はこんなにも、会子のために尽くしたんだよ。


 ねえ、分かるでしょ。


 全部、あなたのためなんだよ。


 それからすぐに警察の人が来た。


 私は、連行されることになった。


 その時。


 ずっと下を向いていた会子が、私と目を合わせた。


 


 必然だ。


 会子は、意図的に私と、目を合わせたのだ。


 何かを伝えるために。


 やめろ。


 やめろ。


 やめてくれ。


 やめて。


 何も。


 お願い。


 これ以上。


 言わないで。


 私は。


「大嫌い」



 * 



 女子高生、横溝よこみぞみどりが、幸せというものを完全に失ったのは。


 令和れいわ5年の、11月10日のことである。




《Worse or much worse》 is the END.

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高過不幸化 小狸 @segen_gen

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