[第3章] 28歳

#3-1 茂庭 結衣

茂庭 結衣もにわ ゆい

28歳。B型。

信用金庫勤務。

既婚→死別。


 結婚2年にして、私は夫を亡くした。

30歳にはマイホームを持ち、子供を持ち、一生を添い遂げようと計画していた夫を失った。

 夫との出会いは大学時代の合コン。優しくて気が利いて賢い夫は外見も悪くなく、もし誘われたらデートしてみようと思った。だけどその晩私を誘ったのは夫ではなく“田中”という男だった。私はその出逢ったばかりの田中と一晩ベッドを共にした。

 私は内気でおとなしく、小柄で飾り気のない外見も相まって、“清純”に思われる。子供の頃は大人の言う事をよく聞くいい子で、勉強もできて真面目で規律正しく育った。

その反動だろうか、私は悪そうな男、軽そうな男がスキだった。“真面目で清楚な私”をそういった不真面目な男に乱されるのが好きだった。

 まさに田中がそれだった。

当時は交際もしていないのに田中に抱かれる淫らな自分に酔っていた。

夫を亡くした今、不謹慎だが“犯される未亡人”と、いう設定に当分酔えそうだ。


 夫をずっと裏切っていたわけではない。

合コン以来田中と逢瀬を重ねていたが、年上の女性に貢がせたお金で私とホテルにいくような、絵にかいたようなダメ男の田中とは将来はないと思っていた。私以外に何人もの女性と逢っていたし、田中に本気になってもムダだとわかっていたので私も遊びだった。顔も良くて乱暴にして私の欲望を満たしてくれる田中は遊び相手に最適だった。

 しかしちゃんとした恋人も欲しかった私は、夫と連絡を取り始めて交際を申し込んで、付き合いを始めた。しばらく経つと夫に本気になった私は罪悪感が増して、田中と逢うのをやめた。しかし数か月後田中はまた連絡をしてくる。私は夫と違って淫らな田中との夜が恋しくてまた逢うようになってしまった。

そんなふしだらな私を知らない夫は私にプロポーズし、結婚することになり、ケジメをつけないといけないと意を決して田中との連絡を絶った。

 結婚生活は幸せだった。

夫は優しくよく働き家事もしてくれる、週末は夫婦でデートを楽しんだり、大きなケンカをする事もなく仲良く新婚生活を楽しんでいた。

そんな生活が1年続いた頃、やはり田中は連絡をよこした。私が結婚したのを知っているのに。私は田中との激しい夜を思い出して身体がうずいたが、夫を失うわけにはいかないので、田中からの連絡は無視した。

しかし、夫のある行動を目撃したことで私は田中との逢瀬を再開させた。


 とある夜、私は同僚と飲みに行って終電で家に帰った。

23時には寝てしまう夫を起こさないようにと静かに玄関のドアを開け、物音を立てないように靴を脱いで、忍び足で家の中へと進んだ。短い廊下の先の扉を開けるとリビングと寝室なのだが、その扉の手前に納戸代わりにしている4畳半くらいの小さな部屋がある。その部屋の扉が少しだけ開いていて光が漏れていた。

そこには普段着ない冠婚葬祭用の服やスキーやキャンプの道具、本やDVDなどがしまってある。きっと夫が何か探しに入って電気を消さないまま出て、寝てしまったのだろうと思ってその部屋に近づいた。

 少しだけ開いたその部屋を覗き込むと、夫が床に座り込んで何かしていた。酔っていてぼんやりしている目を凝らして見ると、夫は右手を動かして独りでシテいた。左手には何か本のようなモノを持っている。それを見ながらシテいた。

見てはいけないものを見てしまった私は、静かに玄関に戻り帰ってきたことを伝える為に扉をそっと開けて勢いよくバタンと閉めた。酔っぱらっているフリをして「ただいま~」と、声も出した。

夫は私の存在に気づき、小さな部屋から出てきた。

「こんな時間に、何か探してた?」

と、聞くと

「いや、読みたい本があってつい読んじゃって」

と、笑ってごまかした。


 夫が何を見てシテいたのか気になった私は、半休をとって午後には家に帰って納戸を物色した。多分アダルトな雑誌か何かだろうと思っていたが、そんなものは見つからなかった。

夫が実家から持ってきた思い出の品が入ったダンボールを開けた。そこには写真や年賀状、子供の頃大事にしていたミニカーなどが乱雑に入っている。女の子からもらったラブレターも入っていて、かわいい文章を微笑ましく読ませてもらった事もあった。夫の思い出がたくさん詰まっていた。

その思い出の中の古びたノートを手に取った。このノートは読んだことはない。いくら夫婦とはいえ本人の許可なく読んではいけないとわかっているがノートを開いた。

 そのノートの中身は不道徳で淫らな18歳の群像劇だった。日記風だが日記でもない。読書家の夫は小説家にでもなりたかったのだろうか、官能小説のようでもあった。しかし小説にしては、文体に一貫性がないし、箇条書きの部分もある。私はこの奇妙な文章を無心に読んだ。夫はコレでシテいたのだ。

 中心的な登場人物は6人。他に何か手掛かりはないかとダンボールに目をやると、ちょうど6人の高校生が写った写真が目に入った。

この写真は夫に見せてもらったことがある。高校時代1番仲の良かった友人達だ。

きっと夫はこの6人を書いていたのだ。

 私はノートと写真と卒業アルバムを照らし合わせて解析を始めた。

ノートの登場人物と同名の生徒をアルバムに見つけても写真の中の友人とは一致しない。偽名だ。

ノートのトシヤは石川 智也という友人、

ショウタは阿部 草太、

シズカは大久保 忍、

リホは菊地 真帆、

エリナは松井 瑛莉華、だった。

賢い夫にしてはだいぶ安易な偽名で解読は容易だった。

ノートの中では夫も含めたこの6人が、私にはおおよそ理解のできない高校生活を送っている。

それにしても瑛莉華という名前が気になった。


 新婚当初、夫のカバンから『エリカ』と書かれた名刺を見つけた。

どう見てもいかがわしかったので、その店を検索すると自宅からも仕事場からも遠い風俗店だった。そのサイトにはセクシーな下着を身に着けてニッコリと微笑むエリカの写真があった。そのエリカはとても若く金髪で大きな瞳をしていてかわいかった。夫はエリカに会いに遠くの風俗店に通っているようだった。風俗くらい小遣いの範囲で遊んでくれている分には見て見ぬふりをしようと決めた。

 しかしこのノートによって、夫がわざわざ遠くの風俗に行っている理由がわかった。

夫の同級生の瑛莉華にどことなくエリカが似ているからだ。

偶然見つけたのか、執念で探し出したのか、このエリカに“高校生の瑛莉華”を重ねて当時できなかったことをしているのだろう。

ノートを読む限り高校生の夫は瑛莉華に夢中で彼女を荒々しく抱いている。私にはしてくれないような乱暴に淫らに。

でも、写真を見せてくれた時、瑛莉華を指さして

「この子すごく美人だね」

と、私が聞いたら

「コイツの彼女。俺も一時期好きだったんだけど、親友の彼女だからさ」

と、智也を指さして夫は言ってた。瑛莉華という子は彼氏とも夫とも関係を持っていたのだろうか、または夫の片思いで18歳なりの妄想をしていたのだろうか。ノートはところどころ辻褄があっていないのをみると妄想がだいぶ含まれてはいるだろう。それに内容があまりにも卑猥ひわいすぎる。

 ノートの真偽は別にして、夫は“高校生の瑛莉華”に未だに欲情しているのは事実だ。

夫の秘密のさらに秘密を知った私は、また田中に連絡して関係を続けた。


 夫を亡くし、まず最初に思ったのは夫の秘密のノートだ。

義両親が遺品の整理に家に来ると言っていて見つかってしまうのは夫が気の毒だ。

いくら愛息の遺品とはいえ、こんなモノを目にしてしまう義両親も気の毒だ。

どうにかこの家からどこかにやってしまわないとならない。夫の魂の籠ったあのノートを捨てるのは何か恐ろしかったし、マンションのゴミ捨て場に捨てて人目についても困るし、一緒に焼こうかとも考えたがこっそりと棺桶に入れる手段がない。私が持っているのもおぞましいし、登場人物達に渡してしまおうと考えた。彼らはそろって通夜に来る。

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