10代の精魂のようなにおい。

宇田川 キャリー

[第1章] 28歳

#1-1 故人・茂庭 陽介

 俺は今、死んだ。

夜遅く、駅から愛妻の待つ自宅までの道中でそれは起きた。信号が青になり横断歩道を渡り始めたら、右方向方から車が勢いよく近づいてきて俺の身体からだを跳ね飛ばした。

俺は宙を舞い、アスファルトに打ち付けられて赤い海の中で息絶えた。

落ちる場所があと1メートルずれていたら草の生えた歩道と車道の堺の植え込みの上で、もしかしたら一命はとりとめたかもしれない。

しかし、惜しくもアスファルトに無残な格好で着地して俺はこの世に別れを告げる事となった。

車を運転していた男は飲酒だったそうだ。俺の人生も終わったが、コイツの人生も終わったも同然だ。だから恨んで出たりはしない。


 俺の人生、だいたいそうなのだ。

何かにつけてあと少しの距離で手が届かない、手に入らない、望みは叶わない。あと少しのところまで来るのにだ。だけど不思議な事にそれなりの希望は叶うから、自暴自棄じぼうじきになるような事も起きない。

 大学も就職も第1志望には受からなかった。だからと言ってまったく望まないところに行ったわけでもない。第2志望、第3志望には合格する。

 結婚してまだ2年で俺を失った妻もそうだ。

大学時代の合コンで出会った。その時1番狙っていたのは別の女の子だった。その子とは何度か食事をしたが、“イイ人”というポジションに置かれて脈がない事がわかり始めた頃に、のちに妻になる彼女からアプローチされて付き合うことにした。

 合コンの時は妻には興味がなかった。飾り気がなく地味で物静かで俺が本来好みのタイプではなかったからだ。しかし気に入られて悪い気はせず、すぐに俺の性衝動せいしょうどうにも応えてくれたので付き合うことにした。気が利いて穏やかで一緒にいて落ち着ける子だったので結婚することにした。

多分、俺にはこの子くらいだろうと、自分の運命というか力量というかをわかっていたからだ。高望みはやめて、一生一緒に生きていけそうな彼女を妻にした。

 打算のような選択だが、妻のことはしっかりと愛している。

共働きで家事もこなし、いつもニコニコとしていて家の中を明るく保っていてくれた。28歳の俺達夫婦は30歳にマイホームを持とうとせっせと貯金に励んでいて、妻は上手に節約しながらおいしい夕食を作ってくれた。なので妻がたまに同僚と飲みに行く時は快く了解していたので

『物分かりのいい優しい旦那さんと結婚出来て幸せ』

と、妻は愛らしいことを言って愛情表現してくれる。

どこにでもいる愛し合っている若い夫婦だった。

先にってしまうのを心から申し訳なく思う。


 電話で訃報ふほうを聞いて泣いている妻。

救急車で運ばれた病院で俺の冷たい手を握り締めて涙をこぼす妻。

まだ28歳だ、俺の事など早く忘れて新しい幸せを手に入れて欲しいと願う。

いや、それはまだ早すぎる。

俺の愛妻が他の男に抱かれるなんてまだ考えたくない。それこそ化けて出たくなる。

 賃貸マンションの俺達夫婦の部屋ではなく、通夜は俺の実家で行われることになったので、妻や両親が俺の身体を囲んでいる。早すぎる俺との別れを悲しんでいる。

 夜中になって、何やら妻は実家を出た。

内気な妻は両親とはうまくやっていたが、やはり他人だ、気を使ってしまうのだろう。一旦マンションに戻りでもして、独りでひっそりと俺を偲びつつ自分のベッドで身体を休めたいのだろう。

 タクシーに乗り都心のホテルに入って行った。

そしてホテルの1室をノックするとすぐさま扉が開き妻はその中へ入った。靴を脱ぐのと同時にバッグを放り出し、ワンピースを脱ぎ捨て、中にいた仁王立ちの男の前にひさまづいた。男の下半身の前で妻は大きく口をあけながら自ら下着を取り去った。妻は俺と行った数々のレストランなどの飲食店では見せたことない、おいしいそうな表情で頬張っている。

バスローブの前がはだけ、えつに入っているその男は妻の頭を両手で鷲掴みにして彼女のいつも整っている黒髪を乱している。

その乱暴な男は俺と同じ大学のヤツだ。妻と出会ったあの合コンに一緒に参加したヤツだ。

それから妻は手を縛られて窓辺に立ち、東京の夜景に向かって裸体を晒している。見たこともない表情で激しく声を上げていた。

 物静かで控えめな妻が俺とはしない大胆な行為をしている。俺との夫婦生活は偽物だったのだろうか。

あまりのショックで死にそうだ。

いつの日からか俺の中で1番愛する女となった妻は、オレを1番愛してはいなかったのか。

やはり俺の人生、そうなのか。


 高校生の時もそうだった。

俺の通っていた共学にもやはりヒエラルキーはあって、俺は学年で1番の人気者のグループに属していた。都心の私立高で部活をやっているヤツらより、外見がよかったり女の子への接し方が慣れているヤツのほうが人気があった。

そんな7人程のグループだったが、Jリーグのユースチームに入っているヤツ、大学生の彼女がいるヤツ、主婦と不倫しているヤツ、ラッパーのヤツとは放課後は別々に過ごすことが多くて、実質的に仲が良かったのは、智也ともや草太そうたの2人だ。俺も含めて3人で放課後はよくツルんでいた。

 同じように1番人気の女の子のグループもあって、その中の3人、瑛莉華えりか真帆まほしのぶと仲良くしていた。一緒にカラオケに行ったり、海に行ったり、グループ交際のような高校生らしい遊びをしていた。

 特に人気のあったのが顔もスタイルも学年で1番だと言われている瑛莉華で、学年どころが学校中の男子の大半が瑛莉華となんとか仲良くなれないものかと思っていただろう。

御多分ごたぶんれず、俺も瑛莉華が好きだった。

俺もいちおう人気者のグループにいてそこそこモテた。勉強も運動も学年では上位で、外見も悪くない。瑛莉華は高嶺たかねの花だが俺はそう遠いところにいなかったはずだ。彼女とは仲良くしてたし、俺にかわいい笑顔を向けてくれるし、もしかしたらと淡い期待を抱いていた。

 しかしこの時も瑛莉華は俺ではなく智也を選んだ。智也もまた学年で1番人気のようなかっこいい男だ。

俺は彼女に気持ちを伝えることはなかった。

 智也は俺が瑛莉華を思っているは知らずに、彼女とのあれやこれやをよく話した。ついに智也が瑛莉華のヴァージンを手に入れた時、俺はどうしようもなく落ち込んだのと同時に消化しきれない欲望が噴出して、それをノートに書き留めた。

智也は詳細までは話さないが、どんなだったかを妄想をして、智也じゃなく俺だったらというしょうもない官能小説なようなモノを書いていた。

 そして瑛莉華への情熱が押さえきれない俺は全員を偽名にして日記をつけだした。日記というより記録に近い。瑛莉華の学校での様子や言動、智也や他の友達から聞いた瑛莉華の事を記した。それだけではただのヘンタイになってしまうので、日記を装うために他のヤツらの事も書いた。

あまり自己主張をしないし、色恋沙汰いろこいざたがないと思われてた俺は、このグループではみんなの相談を聞く役割のようになっていたので、情報収集は容易だった。

 この記録を元に瑛莉華と俺が恋人になるという世界線を脳内に作り出し、俺は彼女を思うがままにした。この文学的でありSF要素もある崇高すうこうな趣味はリアリティが肝心で、細かい記録が欠かせなかった。

結局俺は誰とも付き合うことはなく趣味に没頭する為、観察者となった。

 一歩間違ったらストーカーだ。このノートは誰にも見られてはいけない、見られれば俺は友も愛する人も失い、カーストの底辺まで転落だ。それは死も同然だ。俺に対してのデスノートだった。


 俺はもう死んでいる。

さらに愛妻の裏切りを知った今、もう1度死にたいくらいだ。

 妻が未だ高揚した顔をして自宅に戻った。納戸の中で何かを探している。妻はあのデスノートを手に取り

「やっぱりあった……」

と、つぶやいた。妻はノートの存在を知っていたのだ。きっともう読んでしまっているのだろう。何故かそのノートをカバンにしまって俺の実家に向かった。

だめだ、妻よ、そのノートは持ち出さずに燃やしてくれ。

── いや、むしろもうどうでもよいではないか。

俺は死んでるし、妻は不倫をしていたし、この世なんてどうでもよい。

壊れてしまえ。

妻よ、そのノートを通夜に訪れるアイツらに見せてやれ。



故・茂庭 陽介もにわ ようすけ

享年28歳。A型。

区役所勤務。

身長177センチ。

既婚。



◆◆◆


1話づつ登場人物それぞれの立場・視点から物語が進みます。

次の話は別の人物の視点です。

この後も読み進めていただけるとうれしいです。

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