第52話 水口

 さて、思いがけない蟹づくしを食べた後は、旅を再開。

 しばらく旅のお供だった鈴鹿川から、今度は野洲川やすがわに交代である。

 滋賀県甲賀市と三重県菰野町みえけんこものちょうの境にある、御在所岳ございしょだけから流れ出て、琵琶湖に注ぐ、一級河川だ。


 山あいの街道を抜けると、やがて水口みなくちの宿場町が見えてくる。

 近未来に復元された、水口城が、今夜の宿だ。


 ミケタマの二人は、チェックインし、水口城の温泉に浸かって、ゆっくりと旅の疲れを癒していた。

「あー、極楽、極楽」

「本当、お城に温泉がある時代で、良かったわよね」


「知ってる?21世紀あたりじゃ、お城はまだホテルじゃなかったんだって」

「知ってる、知ってる。それどころか、東海道をスキーで旅することもできなかったのよ」

「その頃の旅人って、どうしてたのかしら?まさか、徒歩?」

「まさかよ。電車に乗るのが、普通だったんですって」


「電車って、新幹線のこと?」

「そう。東京から京都まで、たったの2時間半」

「え、ウッソー!?」

「東海道線でも、9時間もあれば着いちゃうわ」

「本当に!?その頃の旅人って、何が楽しかったんでしょうね」

「そんなに急いで行ったら、旅とは言えないわね」


 その旅も、あと少しで終わる。

 水口を出たら、残る宿泊地は東海道53次最後の宿場町、大津のみ。

 大津を出れば、京都はもうすぐそこだ。


「あー、いろんな人に出会ったわね」と、ミケコはしみじみと言った。

「そういえば、一茶さん、どうしてるかしらね」とタマコ。


「あの人とこんなに話したのも、初めてよね。ああ見えて御曹司だから、チラチラ見かけることはあったけど、私たち受付嬢がじっくり話をするなんてことは、なかったわね」

「うふふ、ミケったら、一茶さんが気になるのね」と、タマコが相方をからかって言った。


「そ、そんなことないわよ」と、ミケコがやや顔を赤らめたのは、温泉で上気しているせいか。

「あれはちょっと血迷いかけただけ」

「そうかしら?でも、玉の輿よ」

「もう、タマったら」


 ミケコは無理矢理話題を逸らした。

「そういえば、タマの方こそ、誰か気になる人がいるんじゃなくって?」

「え、いないわよ、私は」

「そうかしら?道中、何度も知ってる人を見たじゃない」

「ああ、あれ」と、タマコはその影のような人物を思い浮かべた。「うーん、あれはきっと幻だと思うわ」


「幻に見るほど、その人のことが、頭から離れないのよ」

「もう、やだ、ミケったら!」

 タマコは相方にバシャバシャお湯をかけた。

 ミケコも負けじとお湯を飛ばす。

「あはは、子どもみたい」

「本当ね」


 あんまりのぼせる前に、湯から上がる。

 しなやかで健康的な肌が、お湯を弾いて、玉と伝ってこぼれ落ちた。

「でも、どうしてるかしらね、本当に?」

「そうね、こういうときこそ、やってきてもいいものだけれど」


 さて、その男どもは、はたして今、どうしていることやら。

 一茶については、シャチホコの背に乗って外国に行ってしまったまま不明だが、いつもミケタマの尻を追いかけている、あの男は、実はこんなところにいた。


 水口城から少し京都寄りに行ったところにある、野洲川のほとり。

 横田の渡しと呼ばれる場所である。

 渡しとは、川に橋をかけずに、舟などで渡る箇所のこと。


 ここには、高さ約10.5メートルの大常夜灯が設置され、街道を行く旅人たちの安全を見守ってきた。

 近未来では、常夜灯にはいつも明かりが灯され、煌々とゲレンデを照らしている。

 だが、その明かりが、先ほどから消えていた。


「どうだ、お主。敵にしておくには、惜しい腕前だ。こちらに寝返らぬか」

 と、闇夜に人の声がした。

 十返舎開発に雇われた甲賀忍者の多羅尾ユラである。

 彼の視線の先には、今にも闇に溶け込んでしまいそうな、薄い人影があった。

「断る」と、影が答えた。

 ご存知、風魔忍者の、日影ウスオである。


「何故だ?弥次喜多に忠誠心など、ないのだろう」

「お主のせいで、風魔忍者にあらぬ疑いがかけられておるのだ。引っ捕らえて、今までの悪事を洗いざらい白状してもらう」

 ユラは、ウスオの詳しい事情は知らない。

 だが、持ち前の洞察力で、大体のところは想像していた。


 ククク、とユラは不気味に笑った。

「やはりお主の目的は、あの二人か」

「人に言うことではない」

「だとしたら、なおさら、我々は同士だということになる」

「な、何だと!?」

「拙者は、あの二人に早く京都まで行ってほしいのだ。だから、少々バグを起こしてやっている。途中、寄り道などすることがないようにな」

 と、ユラはミケコのリュックに入っている擬宝珠のことには触れないで言った。


「言ってみれば、彼女たちを守ってやっているのだぞ。つい先日も、うっかり名古屋城に居着きそうになっておったではないか。どうだ、一緒にあの二人の旅を見守らぬか?」

 と、ユラが言い終わるか終わらないかのうちに、ウスオが切り掛かってきた。


 ジャキーン!

 ユラはそれを刀で受け止める。

 どう、とウスオを蹴り飛ばして、再び距離が離れる。


「そう逸るでない。我が主に頼んで、それ相応の待遇を取り付けてやるつもりだ」

 と、ユラはウスオを籠絡しにかかったが、所詮、常識人の彼には、変態の心情は理解できなかった。


「神聖なる我が趣味は、何人たりとも分かち合うことは出来ぬ。これからも、一人こっそりミケタマ観察を続けていくのだ〜っ!!」

「……………」

 ユラよ、心配ない。

 作者にもまったく分からない。

 おそらく人類80億人、誰一人として。


「そうか。ならば、お主とも、ここでおさらばだ」

「ムッ、仲間か!」

 ザッ、ザッ、ザッと、複数の影が現れて、ウスオは包囲されてしまった。

「ククク。ここがどこか知らぬわけではなかろう。ここは我が故郷、甲賀忍者の里。もう少し慎重になるべきであったな」

「……クッ!」


 忍者の勝負は、一瞬にしてついた。

 一陣の風が巻き起こったかと思ったら、次の瞬間には、静寂が訪れていた。

 だが、その中にウスオの姿はない。

 ただ、その前に、ドボン、という、何か重いものが水の中に落ちる音が闇に響いた。

 川面には、しばらく波紋が発生していたが、滔々と流れる野洲川の水は、すぐにそれを消し去った。


「さて、これでようやく邪魔者は片付いたな。あとは無事彼女たちの旅を見届け、擬宝珠を交換させるだけだ」

 ククク、と不敵に笑うユラ。


 常夜灯に再び明かりが戻った。

 さっきまでいた忍者たちは、もはや影も形もない。

 まるで何事もなかったかのように、普段と変わらぬ顔を見せる野洲川がそこにあるだけだった。

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