第42話 宮①

 タマコに引っ張られるようにして、二人は宮の宿まで着いた。

 ここは熱田神宮の真正面。

 冬の太陽は、すでに西に傾きかけていたが、まだ多くの参拝客で賑わっていた。

 そんな中、顔面蒼白のタマコは、相方を急かして正門の大鳥居をくぐった。


「は、早く、行きましょう!まだ、祈祷の時間に間に合うわ」

「祈祷よりも、アルコール依存症の治療の方が良くなくって?」

 せっかく来たのだから、ゆっくり境内を散策したいミケコであったが、相方の回復が先である。


 急いで受付を済ませ、神主さんにお祓いをしてもらった。

「ハライタマへ、キヨメタマへ、ジュンマイ、ギンジョウ、ホンジョウゾウ……」

(……なんだか、変わった祈祷だわね)

 と、ミケコは内心で思ったが、これはタマコの症状に合わせて、特別にあつらえたもの。


 そのおかげで、効果はバッチリ。

「あー、なんだか、すっきりしたわ」

 と、生まれ変わったように、お顔も晴れ晴れなタマコ。

 まるで二日酔いから回復したときのようであった。


「夕飯、どうする?」と、聞くミケコ。

 そろそろ、そんな時間である。

 ひつまぶしに、名古屋コーチン。

 せっかくなので、豪華なものが食べたいのだが。


「そういえば、一茶さんはどうしてるのかしら?」というタマコ。

「宮の宿まで来てほしいって言っていたわね」

「夕食でも、奢ってくれるつもりなのかしらね」

 と、境内を出る。


 すると、そこで待ち構えていたかのように、一茶と鱒之助が現れた。

「お待ちしていましたよ、お二人さん」

 一茶は、少し疲れた様子も見えたが、晴れ晴れとした表情であった。

 あたかも、大仕事の後の充実感といった感じである。


「一茶さん」

「お疲れ様ですわ」

 と、通り一遍の挨拶を返すミケタマである。


 そっけない対応であるが、今日の一茶はそんなことには動じない。

「今から、お二人を今夜の宿に案内します。ついてきてください」

「今夜の宿?」とミケコ。

「ええ。生まれ変わった、宮の宿。その泊まり初め式を、これからやるのです」


「泊まり初め式……」とタマコは恥ずかしい思い出が蘇った。

 浜名湖スケートリンクのときのようなことは、金輪際勘弁願いたい。

「ご安心ください。二人に最高級で最上級の夜をプレゼントいたします」

 どういうわけだか、一茶は自信たっぷりだ。


 連れて行かれたのは、七里の渡し場。

 いにしえの旅人は、ここから桑名の宿まで、船で渡った。

 東海道唯一の、海路である。

「え、桑名まで行くんですか?」

「私たち、この後、名古屋グルメを楽しみにしていたんですけど」


 しかし、今夜の一茶は強気だった。

 一仕事終えた後の興奮が残っていて、気持ちが昂っているのかもしれない。

「ご心配には及びません。今宵の宿は、ニュー宮の宿。名古屋グルメもしっかり堪能してもらいます」

「ニュー宮の宿?」

「どういうことですか?」


「さあさあ、お嬢さん方。ここは坊っちゃんにお任せしていれば良いのですぞ。ぐふふふふ」

 と、怪しげな笑みを浮かべる鱒之助に背中を押されて、不承不承船に乗り込むミケタマ。

「それでは、出発進行!」

 一茶の合図で船は出航したのだが……。


「ちょ、ちょっと、一茶さん!?」

「私たち、まだ桑名には……って、あれ?」

 伊勢湾に向けて進むと思いきや、船は、あさっての方向に進み始めた。

「今、遡っているのは、堀川です」と、一茶は説明した。

 堀川とは、名古屋市内を流れる川。

 伊勢湾と名古屋城を結ぶ、運河である。


「と、言うと?」

「そこを遡っていると言うと?」

 と、ミケタマの二人は顔を見合わせた。

「じゃあ、今、私たちが行こうとしているのは……」

「もしかして、名古屋城……?」


 船は名古屋の市街地の間を通り、あるところで止まった。

 見上げれば、悠々と聳える、巨大な天守閣。

 薄緑色の屋根の上には、睥睨する、二匹の金のシャチホコ……。

 他の大名とは格段の財力の違いを見せつける、徳川家の威容を示す城郭が聳え立っていた。


「ようこそ、お二人さん。弥次喜多グループ最新のリゾートホテルへ」

 と、異様な熱を帯びた調子で一茶は言った。

「リ、リゾートホテルって……?」

「一茶さん、私たち、今日はここに泊まるんですか?」

 勝ち誇ったように、一茶は頷いた。

 昨日、岡崎城で彼が言っていた、大きな仕事とは、堀川の用地買収、および、名古屋城のホテルへの改装であったのだ!


 広い敷地内を、上の空で、一茶の後を付いていく。

 特にミケコは、フワフワとまるで雲の上でも歩いているような心地であった。

「いらっしゃいませ」

「ようこそ、おいでくださいました」

 天守閣の玄関で、整列して出迎えてくれたのは、武者姿に扮装した、スタッフの人たち。


「うむ」

 と、戦から帰還した戦国大名のように、威厳たっぷりに頷いて、一茶は中に入っていく。

 案内されたのは、高層階にある特別客室、家康スイート。

 和で統一された雰囲気ながら、キングサイズのベッドがしっくり似合っている。

 大きな窓からは、眼下に広がる名古屋の街が一望できた。


 真冬の日はすでに落ち、都会のビル群のイルミネーションが、まるで星空を上から眺めたみたいに、中空に敷き詰められていた。

「信じられないわ。私たち、ただ東海道をスキーで滑っていただけよ。どうして名古屋城の天守閣にいるのかしら?」

 ミケコは熱に浮かされたように言った。


「あなた、大丈夫?ぼーっとして、変な男に引っかかったりでもしたら、いやよ」

 と、タマコは相方を気遣う。

 ベルが鳴って、ドアを開けると、そこには若い武者姿のスタッフが。

「お食事の用意ができました」


 食事会場は、最上階のレストランバーであった。

 照明は抑えられ、ロマンティックなムードを作り出していた。

 たおやかで、厳かなクラシック音楽が、控えめな調子で空間を包んでいる。

 そこに、正装した一茶が出迎えてくれた。

 鱒之助も、きちんとした格好に着替えている。


「ようこそ、おいでくださいました」

 恭しく、手を差し出す一茶。

「一茶さん……」

 ミケコは、彼に導かれるまま、白く細い手を預けた。


 静々と、窓際のテーブルまで進んでいく二人を、タマコは見送った。

「あの子、完全に目の焦点が合っていないわ」

「ささ、タマコさんも。私がエスコートいたしますぞ」

 と、ついでに調子に乗った鱒之助であったが、

「おかまいなくですわ。オホホホ」

 と、軽くいなされてしまった。


 一方、そのときの一茶は、こう思っていた。

(ミケタマの二人を嫁にするなどという、大それた野望を抱いていたが、あんなに酒を飲まれるとなると、こちらの身が持たない。ここは、少しでも脈のありそうな方を、確実にゲットする作戦に切り替えるか)


 夕食のメニューは、豪華名古屋グルメづくし。

 ひつまぶしに始まり、名古屋コーチン料理。

 水炊き鍋に手羽先、焼き鳥、卵を使ったスイーツまで、贅を尽くしたもの。

 そして、忘れてはならない、最近はすっかり影が薄くなった感があるが、その昔は、名古屋といえば、コレだった。


 エビフリャー、である。

 だが、このエビフリャー、地元の人に言わせると、名物という実感はないらしい。

 確かに、三河湾は、全国有数のエビの水揚げ量を誇るが、エビフライ自体は、どこにでもある。


 特に、名古屋が発祥ということでもない。

 そもそも地元の人は、エビフリャーなどという言い方はしない。

 なら、なぜエビフリャーが名古屋名物として認識されたかというと、タレントのタモリが、エビフリャー、エビフリャーと、方言を揶揄してジョークにしたから、だという。


 しかし、それを逆手に取って、後付けで名古屋の名物ということにしてしまった名古屋人の、逞しさのようなものも感じる。

「ですが、やっぱり僕はカレーが好きです!という人のために、カレーも用意してあります!」

 と、一茶は胸を張った。


「さすがは坊っちゃん、抜かりがない」とヨイショの合いの手の鱒之助。

 でもタマコは、

(そんな人、いるかしらね)と白けていた。

 でも、美味しいお酒も、ふんだんに用意してある。

(カレーもいいけど、お酒もね)

 と、いつもの通常運転に拍車がかかりそうだった。


 ところで、ミケコは、完全に自分を見失っていた。

 一茶のことを、これまでただのボンボンだと思っていた。

 変なドラゴンボートで大井川を渡らせたり、浜名湖をスケートリンクに変えたりと、余計なことをするやつだと、少々鬱陶しがっていたが、今は見直していた。


 岡崎城では、サプライズの花火大会を催す。

 そして、思いもよらなかった、まさかまさかの名古屋城宿泊である。

 このボンボンは、意外とデキる男なのかもしれない。


 ロマンティックなレストランにロマンティックな夜景、それにロマンティックなお城。

 目の前には、豪勢な料理と、まるで戦国大名のような、ロマンティックな男性(繰り返しますが、ミケコは完全に自分を見失っています)。


 そうだわ、小さい頃、自分は戦国大名のお嫁さんになりたかったんだ。

 と、昔を思い出す。

 子ども用のポケット戦国大名大図鑑を眺めて、胸を熱くしたときの、トキメキが蘇ってくる。


 このまま、ここに嫁いでもいいかもしれない。

 尾張徳川家のお姫様として、領民に慕われ、聖母のごとく崇められる人生が幕を開けても、いいんじゃないかしら?


 あれ、この人、尾張徳川家のお殿様だったかしら?

 そもそも、尾張徳川家は、戦国大名とは言えないのじゃないかしら。

 でも、まあ、いっか。

 エビフリャー入りのカレーは、とってもおいしいし。

 もう旅なんかやめて、このままここに住み着いちゃおうかしら……。


 だが、ここでミケタマに旅を終えてもらっては、困る存在がいることを、忘れてはならない。

 ミケコのリュックサックには、まだ例のアレが入っているのだから。


 ヒューン、ドーン!

 ババババババ……。

 窓の外には、打ち上げ花火。

 夜空に咲いた花に照らされて、金の鯱鉾も誇らしげに見えた。


「うん?打ち上げ花火?」

 と、一茶は訝しげに窓の外を眺めた。

「素敵だわ、一茶さん。名古屋城でも、花火大会を催してくださるのね」

 と、ミケコはトロンとした目で一茶を見つめた。


「ははは、そ、そうなんですよ。気に入っていただけたようだから、ここでもやろうと思いまして。絵になりますよねえ、お城に花火。あ、僕は少し用事がありまして。ちょっと失礼……」と席を立ち、暗がりの方へ行く一茶。

 鱒之助もついていく。

「いかがなされました、坊っちゃん?」


「花火の予定なんかあったか?」

「さあ?」

 部下を呼びつける。

「なんだ、この花火はどうしたんだ?」

 しかし、部下の誰も、このサプライズについて、知っているものがいない。


 一方、テーブルでは。

「ねえ、ミケ。ミケ」と、タマコが相方の目を覚まさせようとしていた。「あなた、さっきからお酒も飲まずにカレーばっかり。どうしちゃったのよ」

 しかしミケコはまだ、どこか時空の狭間に落ち込んでいるようだった。


「綺麗な花火ね。私がこの城のお姫様になったら、領民を楽しませるために、毎日花火大会をやるわ。あ、年貢はカレーで勘弁してあげる」

 

「もう、こうなったら」と、タマコは給仕のスタッフを呼んだ。「この城にある、一番強いお酒を持ってきてちょうだい」

 すぐに酒のボトルが持ってこられた。

「正気を取り戻すのよ」

 問答無用、ボトルを口に突っ込んでやる。


 グビ、グビ、グビ、グビビビ……。

 あっという間に、強いお酒を全て飲み干してしまった。

「ップハア〜、うまい!」

 すっかり正気に戻ったミケコ。

 辺りをキョロキョロ見回した。


「あ、あれ?私の戦国大名様は?」

「もう、とぼけてないで、現実をちゃんと見なさい。戦国大名様って、アレのこと?」と、タマコはミケコの顔を、隅の方で部下と話し込んでいる、一茶にむけさせた。


 何やら、慌てている様子。

 いや、控えめに言って、一茶は取り乱しているように見えた。

 とてもではないが、戦国大名の威厳はない。

「あれ、ただの一茶さん?」

 ようやく、ミケコは幻覚から戻って来れたらしい。


 そのとき。

 ドーン、ドドーン!

 巨大なお城が、振動で揺れるほどの、激しい音が鳴った。

「わ、何、あれ」

「花火じゃないわ。もしかして、砲撃!?」

 石垣の下で、赤い火が噴いているのが見えた。


 ヒューン……、ドッカーン!

 グラグラグラ……!

「わ、わわっ!」

「し、城が攻撃されているの!?」


 そこに一回、地獄に行って戻ってきたみたいな表情の、一茶が戻ってきた。

「ご、ご心配ありません!」

「何が起きたんですか?」とミケコ。

「い、いえ、ご心配ありません!」

「城は大丈夫なの!?」と、タマコにも。

 胸が触れそうなくらいの距離で、美女二人に両側から詰め寄られ、タジタジがさらにドキドキになる、一茶。


「い、いえ、大丈夫、大丈夫。今、部下に情報を収集させているところです!」

 そこに、部下が報告にやってきた。

「ただいま、我が城は、敵の攻撃を受けております。忍者らしきものが、下から大砲で狙い撃っているもよう」

 わかった、というように一茶が頷くと、部下は下がっていった。


「一茶さん!?」

「忍者ですって!?」

 と、さらに詰め寄るミケタマ。

 ギリギリのところで踏みとどまって、一茶は言った。

「だ、大丈夫です!落ち着いて。ほら、あれですよ。これまで、さんざんバグを起こして、僕らの恋路を……、いや、旅路を邪魔してきた、例の風魔忍者の仕業ですよ!」

「風魔忍者……」

「十返舎開発に雇われているという……」

 少し、胸との距離が離れて、落ち着きを取り戻す一茶。


「ですが、ご心配はございません。敵もこの城に攻め込んだことを、後悔することになるでしょう」

 ククク、と不敵に笑った。


 これは小田原城にて、一茶が言った作り話。

 一応、弥次喜多グループのライバル企業、十返舎開発が、風魔忍者を使って、東海道にバグを起こしている、ということになっている。


 だが、実際は、読者の皆さんがご存知の通り、最初の方のバグは、一茶の自作自演。

 途中からは、十返舎開発に雇われた、甲賀忍者、多羅尾ユラの仕業である。


 しかし、一茶は、全てを風魔忍者のせいにして、ミケタマの歓心を買おうとしていた。


 そして、これを、陰からこっそり見つめる、二つの目があったのである!

(一茶のやつめ、また適当なことを言いおって。ミケタマが真に受けたらどうするんだ?これはなんとかする必要があるな……)

 濡れ衣を着せられている、本物の風魔忍者、日影ウスオである。

(しかし、後悔するとは、どういうことだろうな……?)

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