第1話 江戸・日本橋

 お江戸日本橋七つ立ち。

 七つとは、現代の時間にしておよそ午前四時。

 いにしえの時代、旅人たちは、この朝も明けきらない時間から、旅を始めたものだった。


 移動手段は、徒歩。

 早朝に出発し、日暮れ前には宿に入る。

 日本橋から京都の三条大橋まで、約二週間の健脚であった。


 それから幾星霜ののち。

 すっかり体のなまった近未来人は、既に日は高々と昇り、会社勤めの人たちが出勤を終えた頃になって、ようやくモソモソと旅を始める。


 ここに、日本橋のたもとに佇む旅人が二人。

 行き交う人々の視線を、否が応でも集めるその容姿。

 二人ともよく似た背格好。

 長い手足に小さな顔、人を惹きつけずにはいられない、スラッとしたナイスバディを包んでいるのは、近未来に東海道を旅する人たちの標準的な旅装束。

 スキーウェアだ。


 ピンクのウェアにワンレンロング、歴史マニアが、城之内ミケコ(24)。

 白のウェアにヘアバンド、ショートカットの霊感少女が、国生タマコ(24)。

 二人とも巨大コンツェルン、弥次喜多グループに勤務するOLだ。


 通称ミケタマ。

 近辺では知らない人はいない、弥次喜多グループ日本橋本社の、名物美人受付嬢である。


 お江戸日本橋から、京の三条大橋まで続く、日本古来の大幹線道路、東海道。

 その全長約492キロの道のりに設けられた53の宿場。

 それが東海道53次だ。

 それをこの二人は、今からスキーで走破しようというのである。


「ふわあ……、朝早いと太陽が目に染みるわね」

 ポツリと呟く、ピンクウェアのワンレン。

「いつもなら、もう出社している時間よ。昨日、遅くまで飲み過ぎなんじゃないの?」

 白ウェアのショートカットがあきれたように言った。


「あなただって一緒に飲んでいたじゃない」と、ミケコ。

「あら、旅の前祝いだからって言ったのは、あなたの方よ」と、タマコ。

 昨晩は、二人ともかなり遅くまで飲んでいたのだが、いつものことである。


 それよりなぜ、この二人はこんな時間に、スキーウェアで東海道の始発点にいるのか。

 それは西暦2XXX年。

 東海道は巨大コンツェルン弥次喜多グループの力により、壮大なリゾート施設へと生まれ変わった。

 人工雪を降らせて、一年中スキーを楽しめる、全長約492キロの長大なゲレンデへと変わったのであった!


 ミケタマの二人は、今日から冬休み休暇中を取っている。

 東京日本橋から京都三条大橋まで、スキー旅行に出かけるのだ。

「さあ、そろそろ出かけましょうかね」と、ミケコが言った。


「そうよ。いつまでもこんなところにいたくないわ。さっきから背筋がゾクゾクするのよ」と、タマコ。

 霊感の強い彼女は何かを感じ取ったらしい。

 それもそのはず、日本橋の四隅は、花の広場、乙姫広場、元標の広場、滝の広場として整備されているが、滝の広場は元の晒し場跡なのだ。


 ブウン!とエンジンをかける。

 車ではない。

 二人が乗っているスキー板だ。


 東海道をゲレンデにしたとは言え、リフトで登っていくわけではない。

 スキー板に小型のジェットエンジンが付いていて、これで平地も登りも滑って行くのだ。

 両手に持つスティックで操作できるようになっている。

 もちろん弥次喜多グループの製品だ。


 二人のウェアにも、弥次喜多マークがついている。

「さあ、行くわよ!」とミケコが滑り出す。

「待ちなさいよ!」とタマコもスタートした。


 天気は良好、空気は冷んやり。

 絶好のスキー日和である。

 道幅は広く整備されていて、旅人たちは思う存分スキーを楽しむことができる。


 ミケコはゲレンデの幅を目一杯使って、右へ左へと大きくターンを繰り返していった。

「パラレル大回転なんて、朝飯前よ!」

「あんまり最初から飛ばしすぎると後悔するわよ」と、タマコは小刻みにウェーデルンを繰り返す。

 どちらもたいした腕前だ。


 都会のど真ん中にある平坦なゲレンデとはいえ、道行く人のまなこは、彼女たちに釘付けになる。

「うふふ、快感!」とミケコ。

「あんまり、調子に乗っちゃダメよ」と、タマコが嗜めるが、彼女もギャラリーの目を気にして、ダイナミックにターンを決めた。

 はああ、と、ギャラリーから思わず漏れるため息。

 あれは、ゲレンデの妖精か、それともオリンピック選手か。


「何が、調子に乗っちゃダメよ、だか」ミケコは呆れ顔。

「あら、私ったら、うっかり」タマコはオホホと笑った。

 そんな中、誰よりも熱い視線で見つめる二つの目があったのだが、これは後ほど。


 京橋を渡ると銀座に入る。

 ここはモーグル地帯だ。

 銀座のデパート群が見下ろす中、軽快にコブを越していく。

 日本橋OLの二人にとって、銀座は庭なのだ。


「タマ、この辺で朝ギンザして行くわよ」とミケコ。

 朝ギンザとは、ギンザで朝食を食べること。

「銀座とも、しばらくお別れだものね」とタマコ。

 この時間から営業している寿司屋の前でスキーを止めて、暖簾をくぐった。


 二人が注文したのは、赤身、漬け、トロ、中トロ、大トロ、鉄火巻きがセットになった、マグロづくし。

 それと、品川汁だ。

 品川汁とは、青森県むつ市の郷土料理。

 豆腐をすり鉢ですったものを、味噌やだし汁で伸ばして汁にしたもの。

 元々は、江戸時代に品川で食べられていたもの。

 その後、本家品川では、一度廃れてしまったが、現代では復活の動きがある。

 二人が食べているのは、その復活した品川汁。

 江戸野菜の品川かぶを使っているのが特徴だ。


「うーんと、お次はアワビにでもいっちゃおうかな?」

「ちょっと、ちょっと、ミケ」

 と、タマコに袖を引っ張られたミケコ。

「エヘン」と咳払いする大将に気づく。


「オホホホ、朝からたくさん食べるのもアレよね」

「ごちそうさま〜」

 と、店を出る。

 どうやら寿司屋で腹いっぱい食べるのは、江戸っ子としては様子のいいことではないらしいのだ。

 ちょっとつまんだら、パッと帰る。

 それが粋でいなせな江戸っ子の流儀である。


 店を出るやいなや、こんな会話。

「お昼は何にする?」

「テキトーに食べ歩きでいいんじゃない?」


 再びスキーにエンジンをかけて、滑り始める。

 道はJR新橋駅へと向かっていく。

 駅を過ぎ、芝大神宮の前を通り、浜松町駅を越える。

 金杉橋かなすぎばしをすぎれば田町駅だ。


 次の品川駅まで残り半分といった地点で、大きな門が見えてきた。

 ここが高輪大木戸たかなわおおきどである。

 かつてはここで旅人を見送り、別れの水盃みずさかずきを交わしたという。

 近未来では、休憩所になっていた。


 東海道各地に、こういった旅人のための休憩所やお茶屋が設けられていて、ご当地のグルメなどを楽しむことができる。

「別れの水盃、やって行くでしょ」と、ミケコはスキーの速度を落とした。

「こういうのは、儀式だものね」と、タマコもゆっくりになって、スキーを止めた。


 休憩所にいたのは、何やら怪しげなオヤジである。

 弥次喜多グループのスタッフのはずだが、こんな人はいただろうか?

 だが、巨大企業の弥次喜多グループである。

 本社の受付嬢と言えど、知らない人もいっぱいいる。

「お嬢さんたち、水盃だよ。やっていくかい?」と、怪しげなオヤジは、二人に盃を渡した。


 疑わずに、受け取るミケタマ。

「旅の無事を祈って、乾杯!」とミケコ。

「別れを惜しむ人はいないけどね」とタマコ。

 乾杯して、中の液体を一気にあおった。


「あれ、これって!?」と驚くミケコ。

「本物のお酒じゃない!」とタマコも目を丸くする。

 水盃のはずではなかったのだろうか。

 意外な顔の二人に、怪しげなオヤジは密かに不気味な笑みを浮かべた。


 だが……。

 すぐに二人はにこやかな顔になった。

「おじさん、おかわりある?」

「私も、もう一杯!」

 さっきの寿司屋では、朝だということでお酒は我慢した二人。

 思いがけない僥倖に大喜びだ。


「え、も、もう一杯!?」

 と、オヤジは休憩所の奥をチラッと見た。

 何かあったのだろうか?


 一つ頷くと、ミケタマに向き直った。

「じゃ、じゃあ、心ゆくまで飲んでいって」

「え〜、本当〜!?」

「嬉しい!オヤジさん、大好き!」

「エ、エヘヘ……」と、オヤジは鼻の下を伸ばした。


 それからしばらくののち。

「おじさん、ありがとね〜」

「おいしかったわ」

 しこたま飲んだ二人は、東海道最初の宿場町・品川に向かって滑り出していた。


 二人の姿が見えなくなると、休憩所の奥から、品の良さそうな若い男と、これまた品の良さそうなロマンスグレーの初老の紳士が現れた。

 どちらも高級そうなスキーウェアを身に纏っている。

 ウェアの胸には弥次喜多グループの製品であることを示す、弥次喜多マークが。


「しっかり飲ませたな」と、若い方が休憩所のオヤジに声をかける。

「はい、お坊っちゃま」と、怪しげなオヤジは答えた。

「くくく、上出来だぞ」と、お坊っちゃまと呼ばれた若い男はほくそ笑んだ。

 何を隠そうこの男、弥次喜多グループの御曹司、弥次喜多一茶やじきたいっさである。


「水盃と見せかけて、本物の酒を飲ませる。酔っ払った彼女たちは、どこかでしくじるに違いない。そこを僕がカッコよく現れて助けるのだ。カッハハハハ」

 実は一茶は、社内きっての美女である、ミケタマの二人を狙っているのだ。

 彼女たちをわざと窮地に陥らせて助け出し、自分に惚れさせようという魂胆だ。


「ところで、坊っちゃん」と、ロマンスグレーの初老の紳士が口を開いた。

「なんだ、爺?」

 一茶に爺と呼ばれたこの男、彼の秘書の歌井鱒之助うたいますのすけである。

「坊っちゃんは、ミケコ殿とタマコ殿の、どちらをご所望ですかの?」


「フフフ。爺よ、君は誰に向かって聞いているのだ?」

「と、言いますと?」

「良いか、爺よ。僕はこれから七代目弥次喜多グループ当主になろうという人間だ。ミケタマのどちらかを僕の嫁に、などという、小さなことではないのだ。僕が欲しいのは、ミケタマの二人。二人ともだ。それこそ、世界に名だたる七代目当主に相応しいと思わぬか」


「しかし、日本の法律がそれを許しませぬが」

「それが小さいと言っているのだ、爺よ。法律など変えてしまえば良かろう。我が弥次喜多グループの力を持ってすれば、政界に圧力をかけて、一夫多妻制を実現させることも、不可能ではない」

「おお、なんという大それた野望。さすがは次期弥次喜多グループ当主であらせられます」

「カッハッハッハ!」

 一茶は、自分のプランに酔い、高笑いした。


「ですが、いいのですか、坊っちゃん」と、鱒之助は言った。

「なんだ?」

「朝からこれだけ飲まれるとなると、先が思いやられるような気がしますが」

 そこには、空になった日本酒のビンが散乱していた。


「い、今だけだ、今だけ!この計画が成功すれば、晴れて彼女たちは僕のお嫁さん。そうなれば、いくら彼女たちだって、愛する僕のためにお酒を控えるだろう」

「そうですかのう……?」

「それより早く彼女たちを追跡するぞ。爺よ、手抜かりはないだろうな」


「はい、それはもう」

 と、一茶と鱒之助は、各々のスキーにエンジンをかけて、ミケタマの後を追った。

 だが……。

 そんな二人を、陰から見つめる二つの目があったのである!

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