第2話 ピンチはチャンス

 天気の良い日に乗るオープンカーは最高だ!

 路面の凹凸が骨盤にダイレクトに伝わるほどハードにセッティングされたサスペンション。徹底的な軽量化のためフロントガラスや、シートは取り除かれている。1馬力のエンジンが搭載され、ドライバーはこの道四十年の超ベテラン男性。

 カーステレオがないのは寂しい。そうだ、代わりに俺が歌おう、

「ドナドナ、ド~ナ~、ド~ナ~、子供を乗~せ~て~♪ ドナドナ、ド~ナ~、ド~ナ~、荷馬車はゆ~れ~る~♪」

「お兄ちゃん、その歌なぁ~に~?」

 今年は三人の子供が奴隷商に買われ、荷馬車に同乗している。

 戦士、細工師、鍛冶師の神職を授かったらしい。

 二歳下の子供たちは新天地での生活に心を躍らせているようだ。

 十年ほど真面目に働けば自分を買い戻すことができるし、寒村より町で暮らすほうが快適だと聞かされているので、その表情に悲壮感は感じられない。

「今の状況を歌ったのさ」

「え~、わかんな~い」

「わからなくていいのさ無垢な子供たちよ」

 演技臭く返事をしたのがおかしいらしく、お腹を押さえて笑い転げている。

 たしかこの歌はベラルーシの作詞家とウクライナの作曲家が作ったんじゃなかったかな。人間を物のように扱うのは昔も今も、そして異世界でも変わらないのだ。

「早く町につかないかな~、楽しみだねお兄ちゃん」

「そうだなー。町に着いたら体を洗って、新しい服に着替えて、美味しい食事をい~っぱい食べような」

「うん!!」

 純真無垢な子供たちの笑顔に心が癒される。

 親元を離れて故郷が恋しくなる時もあるだろう。だが安心しろ俺がついている。眠れない夜は一緒に寝てやるからな。


 ちなみに、奴隷商は前を進む黒塗りの高級馬車に乗っている。

 俺もそちらへ乗せろと懇願したが相手にされなかった。やはりアイツは嫌いだ。

 聖女とお話したかったのに、残念!






 長旅を終え、ようやく町に到着したのだが、俺は門前で荷馬車から降ろされてしまった。

「村長から依頼されたのはオマエを町まで運ぶ、だったな。これで依頼は達成だ、あとは好きにしろ」

 奴隷商が威圧的な目で俺を見てくる。口元が少し緩んでいる、これは良からぬことを企んでいる奴の表情だ。

「は……、え? 町までって、町の中までだろ?」

「無知な奴め、住民権を持たぬ者が町の中へ入るには補償金が必要なのを知らんのか。無論、ワシがオマエのために払ってやる義理はない」

「じゃあその子たちは?!」

「これらは商品だ。新たな雇い主に売り渡すまではワシの所有物。だが、オマエは奴隷ではなく人間として運んでやると約束したはずだ、違うか?」

 確かにコイツは言った。それを俺は人間扱いしてもらえると無邪気に喜んでしまったのだ。まさかあの時から嵌めようと企んでいたとは、くそっ!!

 寒村を出る前に詳しく取り決めをしなかった俺のミス。悔しいが反論する余地はない。

「ぐぬぬ」

「お兄ちゃん、ボクたちと一緒に行こうよ、美味しいごはん一緒に食べるんでしょ、ねぇ~」

 子供たちの不安そうな視線が心に突き刺さる。

「ワシに買われ奴隷落ちするかね? まあ、オマエみたいな生意気な餓鬼は新たな雇い主など見つからず一生ワシに仕えることになるだろうがな」

 奴隷商がニヤリと笑うと八の字の髭がピンと斜め上を向き、その角度が俺をイラっとさせる。

 村へは戻れず、かと言って町へは入れない。俺に断る権利など初めから無いと言わんばかりの態度だ。

 勝利は既に確定している。コイツは俺を屈服させ主従関係を植え付けたいのだ。

 気に入らない。例え飢え死にすることになろうとも、この男の言いなりになどなるものか!

「断る! オマエの助けなど無くとも生きていける!!」

「フンッ!! 強情な奴だ。その選択が墓穴を掘ることにならねば良いがな、穴師の小僧。ハッハッハッハ!」

 奴隷商は何の躊躇いもなく黒塗りの馬車に乗り込み、俺を残したまま奴隷商の一団は門を抜け町へ入っていく。

 神職解放の儀でも感じたが、あの男の気持ちの切り替えは称賛に値する。時は金なりと考えているのかもしれない、僅かな利益のために無駄な固執は避けたのだろう。

「クソが! あんな男、こちらから願い下げだ!!」

 負け犬の遠吠えとわかっていても叫ばずにはいられなかった。

 しかし、どうしたものか……。強がりを言ったがアテがあるわけじゃない。

 途方に暮れながら周囲を観察する。

 そびえ立つ石造りの城壁。何者をも寄せ付けない威圧感がある。

 コッソリ忍び込んでも町中で捕まれば犯罪者だ、正当な方法で入る手段を探すほかないな。

 街道から少し離れた広場には貧乏人たちが小屋を建て細々と生活している。いわゆるスラム街というやつだ。

 だが着ている服は悪くない。もしかすると訳アリか?




 鉄製の大きな鍋を積んだ荷馬車が五台、町の中から門を抜けスラム街へ向かって行く。

 開けた場所で停車すると、筋肉隆々のいかつい男が鍋を叩きながら大声で、

「ランティア様からのお恵みだ、欲しい者は並べ~」と叫んだ。

 砂糖に群がるアリのように、あっという間に行列がつくられた。

 暴動にならないよう兵士が目を光らせているので並ぶ者たちもおとなしく従っている。

 せっかくなので俺も頂くことにした。


 列に並び暫く待つと俺の番が来た。

 木製のお椀に温かいスープを入れてもらい、固いパンは手掴みで受け取る。

 椅子やテーブルなんて上等なものはない、近くの空いている地面に座り戴く。

 具はほとんど入ってないが空腹にはありがたい。味は、まあ、最低ラインだ。

 この世界に来てから美味しい食べ物にはありつけていないので期待などしていない。それでも住んでいた寒村よりかはマシ。最底辺から底辺への昇格を果たしたのだ。……嬉しくないが。


 お椀を返すときに給仕をしていた女性に話かけてみる。恰幅が良く噂話が好きそうだ。

「ご馳走になりました。とても美味しかったです、ありがとうございました」

「あらあら~珍しいわねぇ。この仕事をしていて初めてお礼を言われたわ~。あなた最近来た子かしら?」

「はい、今日到着したんですが、もしかして食べたらダメでした?」

「いいのよ~、ここの領主様はとても良い人でね、困っている人には手を差し伸べずにはいられないの、だから遠慮はいらないわ、子供はしっかり食べないとね、おかわりいる?」

「いいえ結構です。しかし、これだけの人数に毎日配っているんですか? 大変ですよね」

「あら知らないの? 人が増えたのはここ最近なのよ。戦争が始まったらしくてね、この人たちは戦地から逃げて来た難民なのよ」


 ここでも戦争かよ……。

 核の熱で蒸発した俺が言うのは信じられないかもしれないが、戦争は忌むべき行為だが全否定するつもりはない。

 豊臣秀吉が天下統一しなければ戦国時代が今なお続いていたのかもしれないのだから。

 生き物が争うのは遺伝子に刻み込まれた本能。

 理性だ、知性だ、道徳だ、常識だ、倫理だと、聞こえの良い美しい言葉を並べたところで本質は変わらない。

 だが、それでも、許せないことはある。

 民間人を巻き込むな!

 争いたい奴だけで勝手に殺しあえ!!

 まあ、端的に言えば、俺が恨んでいるのは核ミサイルの発射を命令した敵の大将一人ってことだ。


 さて、給仕のおば様が言うには、周辺地域は国として平定されておらず戦国時代の日本のように武家が領地を治めているらしい。

 ここはランティア家の領土で、領土の拡大を狙うロプシチア家が軍事侵攻しているそうだ。

 好機じゃね?

 寒村生まれの何の伝手もない子供が生きていくには何かしら行動を起さねばならない。

 同情を引く? ……いや、スラム街は既に満杯だ。

 商売をする? それこそ無理だ、子供と取引してくれる者などいるはずがない。

 となれば武勲を上げるしかないだろう。

 あ、もちろん戦場で捨て駒のように戦わされる一般兵になる気はないけどね。


「どうしたの考え込んで?」

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

「はぁ?」

「戦争はどこでやってるのかな、俺も参加したい!」

「子供が何言ってるの危ないでしょ」

「ここにいても同じだよ、今晩の食事すらアテがないんだから。戦場で戦って死ぬか、飢えて死ぬか、違いなんてないよ」

 女性は首を振りながら大きなため息を吐いた。

「そうよね、いくら私たちが食事を配っても、あなたたちの生活が良くなることなんてないものね。必要なのは働く場所よねぇ……。いいわ待ってて」

 女性は少し離れたところにいた護衛の兵士に話をしている。

 まさか『頭のおかしいガキが邪魔なの、排除してくれない』とか言ってないよな。

 緊張で心臓の鼓動が早くなる。投獄だけはカンベンしてくれ。


 若い兵士が俺の近くまで来た。槍を持っているので少し怖い。

 爽やか系のイケメンで、例えるならN〇Kの体操のお兄さんだ。子供のいる若い奥様たちに好かれる清潔感があり、体が鍛えられていて、笑顔が眩しい。

「戦争に行きたいらしいな。理由を教えてくれないか」

 元気で活舌の良い声だ。ラジオ体操でも始まるのではないかと錯覚してしまう。

 舐められてはダメだ、今からは強気の姿勢で行く!

 子供だと侮られないように言葉遣いに注意しよう。

「生きるためだ」

「食べる物や住む場所が欲しければ安全な仕事を探せばいい。何なら俺が探すのを手伝おう」

 駄々をこねる子供をあやすような優しさ。これは本気で相手をする気がないな。

「町へ入れない人々が溢れている状況で子供の働き口なんて見つかるとは思えない」

「戦争が終われば復興に人手が必要になる、それまで待つんだ」

「いつ終わる。そもそも勝てるのか? 復興ということは最前線だろ。一時的に退いたとしても、いつ再戦するかわからない土地で怯えて暮らせと言うのか」

 追い詰め過ぎただろうか、笑顔だった若い兵士の表情に少し陰りが見え始めた。

 親切で話を聞いてくれる彼には申し訳ないがこちらとしても死活問題なんだ、ここで引き下がるわけにはいかない。

「冗談ではないんだね……。ならコレを持ってみな」

 兵士は槍を横にすると俺に手渡した。

 両手で受け取ったが、重さで支えられず、まるで重量挙げの選手のように両腕が下がり肩が外れそうになる。

 地面には付いていないが、気を抜くと手から落ちそうだ。

 汗が流れ、腕がプルプルと震えだす。

 念のため断っておくが俺だけが貧弱というわけではない。貧しい寒村育ちの体は、栄養不足で手足はゴボウのように細く筋肉が殆ど付いていないのだ。

 兵士は槍を受け取ると、

「わかったかい。武器すらまともに扱えないその体では戦場に立てない」

 普通なら子供の戯言なんて聞いてもらえないのに、この人は馬鹿にする素振りも見せないし、安易に否定しない。現実を教え諦めるように促す。まるで小学校の先生だ。

 だが俺は外見は子供でも中身は大人だ。初めから肉体労働など眼中にない。

「勘違いしてもらっては困る、誰が戦場に立ちたいと言った」

 兵士は軽くため息を漏らす。説得失敗と顔に書いてあるぞ。

「戦場に立ちたくないのに、でも戦争に行きたい、まるでナゾナゾだね。俺を騙しているようには感じないし、キミの声からは本気が伝わってくる。説明してくれないか、キミはいったい戦場でなにをするつもりなんだい?」

「頭脳を使う」

「へぇ~、参謀、もしくは司令官かな。確かに体力は必要としないだろう。でもね、いきなり司令官に任命して欲しいと要望しても通じないのは理解できるだろ」

「もちろんだ。そんな無理を言うつもりはない」

「ハッハッハ。子供を戦場へ連れていくのだって無理難題なんだけど、キミは微塵も感じていないようだね。ふむ……それだけの自信、もしかすると珍しい神職なのかな?」

「穴師だ」

「聞いたことないな。どんなことができるんだい」

「穴が掘れる! 湖くらいの穴を掘ったことだってあるぞ!」

「へぇ面白い。わかったよ、明日、上官を呼んできてあげよう」

「ありがとうございます!!」

 あ、気を抜くと敬語になってしまうな。






 翌日、朝の配給が済んだ後、兵士は約束を守り俺の前に上官を連れて来た。

 上官は濃紫色の軍服。腰のベルトには細身のサーベルを携えている。

 いぶかし気なその視線は俺のことを侮っているのだと明確に物語っていた。


 この町に来た経緯を簡単に説明すると上官は、

「なるほどな、成果を持って大人を説得し自らの意思で進路を決めた、と。それで次は戦争か、確かに面白い子だ……。だが小僧、オマエの力が戦場で何の役に立つと言うのだ」

「掘を造るのはどうだろうか」

 上官は首を振りながら深いため息をついた。

「はぁ~、やはり子供の浅知恵か……。いいか掘というのはあくまで防衛施設なのだ。せいぜい援軍が到着するまでの一時しのぎにしか使えぬのだ。相手はあのロプシチア領だ、こちらの倍を優に超える戦力なのだよ。無暗に援軍を送れば蹴散らされるのが明白。援軍が望めぬ籠城など愚策。兵糧攻めにあい瓦解する未来しか見えぬ」

 普通の大人だ。子供の話だと初めから馬鹿にしている。親身になって聞いてくれた若い兵士のほうが特殊なのだ。

「ならば敵兵が根負けするほどの兵糧を抱きかかえれば良い」

「簡単に言う。いったいどれ程の量になるのかその小さな頭で考えてみるがいい。そもそも、町は既に包囲されているのだ、いまさら兵糧を運び込むなど無理なのだよ」

 上官は人差し指で俺の頭をトントンとつっついた。

 確かに見た目は小さいが中身がぎっしりと詰まっていると証明せねばならないな。

「ランティア領は他領から食料資源を輸入しているのか?」

「いや、わが領土は肥沃な土地に恵まれているので輸出することはあっても……。おい、オマエはほんとうに子供なのか?」

「見た目通りの七歳児だが問題でも? ふむ、他領との交易を考えなくてよいのであれば領土全てを囲む掘を造れば良い。名付けて万里の長掘!」

「万里の長掘!?」

「ランティア領に侵入している敵軍に対し、まずは退路に堀を造る。そうすれば後詰も呼べず、かつ兵站も分断され、敵は大いに焦るだろう。有能な指令官が率いているのであれば撤退を選択するはず。支配地を平定するには文官が必要だが、堀によって来ることが叶わないのだから戦闘を継続する意味が消失する」

「徹底抗戦を選択した場合はどう対処する」

「援軍を離れた場所に配置するだけでいい。敵軍は包囲を解き野戦の準備をするはずだ。こちらは無理に戦闘などせず敵軍の兵糧が尽きるのを待てば勝手に瓦解するだろう。まあ、その前に撤退するだろうけどね」

 上官は少し悩むと、

「いや、敵が諦めるだけの長く巨大な堀など、いったいどれだけの年月が必要なのだ?」

 高貴な商人を装い、手のひらを胸にあて、

「お任せください、俺は穴師です。穴掘に関しては俺の右に出る者などおりますでしょうか」と、軽く頭を下げてみる。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 ワシの行く手を阻むのは堅牢な壁で覆われたランティア領の城塞都市。

 攻城戦を開始してから七日目、今だ攻略の糸口が見つからず、無駄に負傷者を増やし兵糧を消費している。

 軍議の席でワシは、弱腰のランティア領など赤子の手をひねるような相手、軽々と踏みつぶしてやると豪語したのだ。

 甘く見ていた?

 いや、そんな筈はない。先遣部隊からは敵の本隊が出陣したとの報告は受けておらん。目論見通り正面から戦闘する度胸など奴らにはないのだ。

 援軍の期待できぬ籠城は必ず内部分裂を引き起こす。離反者、逃亡者、裏切り者、疑心暗鬼にかられ無実の兵士を処罰することもあるだろう。

 あと数日、威圧を続けておれば音を上げるに違いない。



「伝令~、伝令~」

 背後から走りながら叫ぶ兵士の声が聞こえる。概ね後続部隊に関する報告だろう。

 軽装の兵士がワシの前で片膝をつき頭を下げた。肩で息をしている。何か問題でもおきたのか?

「攻城兵器を運ぶ後続部隊ですが、到着は遅れると予想されます」

「なぬ? 予定は今日のはずだ、いったい何があった」

「いや、あの……」

 兵士が言い淀んでいる、何だというのだ。

「聞こえぬ」

「信じて頂けないかもしれませんが、巨大な渓谷が出現しました」

「渓谷だと?」

「対岸までの距離は弓矢が辛うじて届くほど。深さは対岸までの距離の約二倍。幅は不明。地平の先まで続いていたため確認が取れておりません。吊り橋をかけることは可能ですが攻城兵器の運搬は困難だと思われます」

「ワシを謀っておるのか?」

「めっそうもございません、この目で見た事実でございます」


 そんなバカな話があるか。

 地揺れで地面が裂けることはある、しかしここ最近そのような揺れは感じておらん。

 まさか、魔法使いか?

 十万人に一人と言われるほど希少な神職。それがランティア領にいるというのか。

 諜報部隊からそのような報告は受けておらんぞ!

 仮に魔法使いが存在するならば進軍を座視していた理由が思い浮かばぬ。

 だとすると渓谷は自然発生か……。わからぬ。


「伝令~、伝令~」

 新たな兵士が慌てた様子でワシの前で片膝をつき頭を下げた。

「敵本隊が出陣し進軍を開始しました。目的地はここだと推測されますが、進軍速度は異様に遅く、到着には相当な時間を要すると思われます」

 このタイミングでの出陣、やはり渓谷はランティア領の仕業か。

 進軍速度を遅くしているのは我が軍の兵糧が尽きるのを待つためだな。空腹で体力が落ち、士気が下がる頃合いを見計らい戦闘を開始する作戦なのだろう。

 兵糧攻めを仕掛けているこちらが逆に兵糧攻めにあうとは、たちの悪い冗談か!

「吊り橋を渡すのに何日要する」

「おそらく十日はかかるものと推測されます。既に対岸の後続部隊が橋をかけるための作業を開始しておりました」

「残りの兵糧で何日持つのだ」

「到着予定の後続部隊が追加物資を運んでくる予定でしたので残りは僅かです。配給量を減らし食い繋いでも三日で底をつきます」

 間に合わぬ! このままでは本隊を迎え撃てぬではないか!

 まてよ、敵の作戦がこれだけのはずはない。

 恐らくかなり前から考えられ周到に準備が進められていた作戦なのだろう。我が軍の奇襲作戦を予測し、予め渓谷を掘り、そこへカモフラージュを施し、先発部隊を通過させ、後続部隊が通過する前にカモフラージュを解き分断。それも我が諜報部隊に悟られぬよう隠密にだ。ランティアには相当頭の切れる宰相がいるに違いない。

 そのような切れ者が単なる兵糧攻めだけで済ますとは考えられぬ、二手、三手と追撃を仕掛けて来るに違いない。

 おそらく奴らの狙いは撃退ではなく殲滅! 一兵卒たりとも逃がす気はないのだろう、くそっ!! 姑息な手を使う。

 ええぃ! いったい何年前から準備していたのだ!! 間抜けな諜報部隊め、気付かなかったのか!!

 まさか、裏切り者が?!

 大規模な工事を隠蔽するなど現実的に考えて不可能。ならば故意に報告しなかったと考える方が妥当。いったいどれ程の裏切り者が潜んで――。

「将軍、どうされますか?」

 疑心暗鬼にかられ思考の沼に潜っていた我を兵士の声が呼び覚ました。

「全軍撤退!! 先遣部隊も戻るよう伝えるのだ。急げ! 急ぐのだ!!」




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 城塞都市から少し離れた場所にある小高い丘。そこからは町とロプシチア軍が一望できる。

 ラッパの音が戦場に響き渡ると、攻めていた兵士たちは攻撃を止め城壁から遠ざかり始めた。

 どうやら撤退の合図らしい。疲労困憊の兵士たちは肩で息をしながら重い足を引きずり自陣へと帰還している。


「撤退し始めたようだね。まさかこうも上手くいくとは」

 彼は城門の前で俺を上官に紹介してくれた若い兵士だ。

 上官は俺の話を信じていなかったのだろう、二人で作戦を実行するよう命令したのだ。

 要するに捨て駒扱いだが腹は立たない、子供の戯言に若い兵士と馬を与えたのだ、それだけでも破格の待遇だろう。


 上官との話を後えた俺たちは、馬に二人乗りをして領境りょうざかいまで移動。

 まるで純白のキャンバスに絵の具をたっぷりと含ませた筆で一気に直線を引くように、駈歩かけあしで疾走する馬と同じ速度で大地に深い傷を刻み込んだのだ。

 寒村で二年間ひたすら穴を掘った結果、俺は穴師マスターとなり渓谷ぐらいサクッと掘ることができるようになったのだ。

 継続は力なりと昔のオッサンはうまいことを言ったものだ。


「キミの話は半信半疑だったけれど、まるで魔法使いのように渓谷を造る様子を見て、俺は背筋が震えたよ」

 長さは十キロほどで、流石に領地を全て囲むほど掘ってはいない。

 ようは敵軍が諦めてくれれば良いのだ。容易に渓谷を造れる者がいると知らしめるだけで侵略する気を削ぐことができる。地球で言うならば核を持つ国には戦争をしかけ辛い、そう、抑止力なのだ。

 まあ、例外的に愚かな指導者はどこにでもいるけれど……。

 それに退路を残しておかないと敗残兵が領内で盗賊堕ちになったら厄介だ。


「今さらだけど、どうして俺に手を貸した? 上官の態度を見れば話を信用していないのは読み取れただろ。憶測だけどこれは上官の嫌がらせだ。あなたと俺へのね。子供の相手で無駄な時間を浪費させた罰だろう」

 兵士はキョトンとしている。見たことはないが鳩が豆鉄砲を食ったような顔とはコレだろう。

「え?」

「気づいていなかったのか」

「嫌がらせで仕事を何日も放棄させるなんてありえないさ」

 たぶん代わりの利く仕事なのだろう。

 他人の悪意に対して鈍感なのは兵士としてどうかと思うのだが、俺の話を聞いてくれた恩人でもあるし、人の好さは長所として考えておこう。


「そうかもな。さてと、俺の役目は終わったようだ」

 軽く背伸びをし、緊張を解きほぐす。

 そもそも俺は軍人じゃないし、軍事オタクでもない。兵法など君子危うきに近寄らずぐらいしか知らない一般人だ。

 今回の作戦は思い付きだ。たまたまうまくいっただけで成功する補償などどこにもなかった。

 けれど運命を切り開くには無茶をうる必要がある。そのくらいは俺でも知っている。それが虎穴に入らずんば虎子を得ずという兵法? だ。


「上官もさぞお喜びになるだろう。そういえば報酬を聞いていなかったね、いったい何をお願いするつもりなんだい?」

「簡単なことさ、町へ入れてくれってね」

「ハッハッハ! そりゃいい。そういえばまだ自己紹介をしていなかったな、俺はアーセナル。長いから友人たちはアナルって呼んでるよ」

「よろしくアーセナル」

「水臭い、愛称で呼んでくれてかまわないんだぞ」

「遠慮する、下ネタは好きじゃないんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る