第3話 もう恋なんてしないなんて
昼休みになった。
信二は茜が教室に入ってきて、言ったその言葉をずっと授業中に反芻していた。
昼休み前の約5分間という短くもあり、長くもある時間を信二は永遠のように長く感じた。ずっとずっと、茜のことで頭がいっぱいになって、胸が苦しくなった。
(くそ……。平常心平常心……。僕がなんでこんなに惨めな気持ちにならないといけないんだ。悪いのは全部、茜だっていうのに。僕はなんにも悪くないのに。どうして、茜はこうも能天気な顔して入ってこられるんだ。昨日のことがバレてないから、そんな顔できるのか。。。少しの罪悪感もなく、しゅうへい……ってやつと乳繰り合っているってことなのか。くそ、くそ野郎……。もう恋なんて、恋なんて……)
ここは日本だ。ニューヨークなどでは本命を決めるまで恋人みいたいな存在を複数人もつということは当たり前のことみたいだが、そっちの常識なんて知ったものか。きっと信二はそんなこともとっくに考えてしまっているのだろう。
彼女を寝取られてから、自分の正当性を主張しても多くは失敗する。どうせ、そんな正しいことを言ったとしても、さらに彼女との関係性は悪化して改善の余地など皆無だろう。
恋は盲目……と世間はよく言う。その通りだ。まったくもってその通りだと思う。人間が使う理性なんて、結局は本能の奴隷だ。自分を正当化するために使われることがほとんどだ。
そしてまたその理性は、たいていの場合、不完全だ。。。
「信二。お疲れ~」
信二が茜の席のほうを振り返ると、ぱっちりと目が合い、茜はにっこりと笑いながらそう言った。
そして続けざまに、こういった。
「今日は天気がいいから、屋上で食べよっか」
いつもはお手製のお弁当箱を持ってくる茜の右手には、スーパーの弁当、しかものり弁があった。
信二は、どうして今日はお弁当じゃないの。のり弁なんて珍しいねと、そう言いたくなった。
しかし、なぜか信二はその言葉をぐっと堪えた。普段なら気にせず口にできる言葉を言うことができない。信二だけ、何かに囚われているみたいに……
そういえば、茜はたまに遅刻してくることがあって、そういうときは決まってスーパーの、のり弁を持ってきたいた。
すべてが繋がったような気がした。
「……信二。どうして泣いているの?」
気が付けば、涙がこぼれていた。まったくどうして。
なんでこんなときに限って自然と涙はこぼれてきたしまうんだろう。
そのあと、涙を黙ってぬぐった信二と茜は二人して、屋上へと向かった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
屋上にて。
信二たちの高校では屋上が解放されている。今のご時世、本当に珍しいと思う。この高校は未だにモンスターと化した親や世間や、それに怯える先生たちの存在していない環境に存在しているのだろうか。
「綺麗ね、信二」
屋上には信二たち以外にもたくさんの生徒たちが集まっていた。みんな、せっかくの気持ちのいい天気を見過ごしたくないんだと思う。
青い空、その下にあふれる高校生たちの青春。
「………そうだね」
茜の長く艶やかな黒髪が風に吹かれて空を舞う。
ずっと信二は、茜のことを、自分にはもったいない存在だと思ってきた。今でも、寝取られた今でも、そう思うことに変わりはない。
だって、実際に茜はとても綺麗だから。美しいから。本当に可愛いから。
茜と信二が付き合っていることは、周知の事実であるのにも関わらず、男子のあいだで、茜に関する猥談は後を絶たない。そんな話はしょっちゅう信二の耳にも入ってくる。本当に高校生の性欲は底が知れず自由奔放だと思わされる。
「昨日はごめんね。信二。一緒に帰れなくって」
茜から何気なく、その話題が切り出された。本当に茜にとって、それだけの価値しかないといった雰囲気が漂っていた。
茜にとっては、いつものこと。
信二にとっては、気づいてしまったこと。
二人の間には確実に、はっきりとした溝が作られてしまった。
もう、この溝は二度と埋めることができないかもしれない。
信二はこの瞬間、はっきりと強くそう感じた。
『びゅうううううううっ』
風がびゅっと強く二人の間を通り過ぎていった。
そして信二はやっとのことで口を開いた。
「昨日は僕たちの一周年記念日だったんだ」
「え……ほんとに。ちょっとまって……」
信二の言葉を聞いた茜は、慌てた様子でスマホを取りだして、カレンダーを確認している。
「あっ、ほんとだ。高校一年生の7月13日に私たち付き合ってたから……」
その口ぶりからは、どうやら茜は大して、そういう記念日とかを大事にしないタイプの女性らしかった。
「ごっめん。ほんとごめん!信二。わたし、そういうの本当に疎いから。ごめんねぇ」
茜が隣に座る信二に抱き着く。
あからさまといったような、演技っぽいものは感じない。
どうやら本心から、そうしているような気が……する。
「茜……みんな見てるから」
「あ、ああ……ごめんね。恥ずかしかった?」
茜がぱっと信二から離れる。
その顔には涙がたまっていた。
本当に申し訳ないと感じているかのようだ。
「………僕の性格、わかってるくせに」
「うん、ごめんね。ちょっと感極まっちゃって。ねぇ、信二。信二がよかったらなんだけど、今日いっしょにお祝いしない。一日遅れてだけど。。。」
茜は、そんなとんでもないことを切り出してきた。
信二にとっては、限りなく残酷な提案だった。
まるで、自分が二番目の男にでもなったかのような。いや、もう実際にそうなっているのだが、それを実感させられた瞬間になったというか。。。
兎にも角にも、茜はそう提案してきたんだ。
「私が信二のこと大切なのは変わらないってこと、伝えたいの。だから、その。信二がよかったらなんだけど」
茜と青空と白いもくもくの入道雲。校庭の木々にとまるセミの鳴き声。生徒たちのとりとめもない日々の会話。すべてが青く染まってしまうような、そんな夏の日々。景色。それを見て生じる高校生たちのはかなくも尊い感情。
その美しい情景とは裏腹に、信二の心には何か得体のしれない感情が芽生え始めていた。それは、限りなく純粋に近い本能のような気もする。
信二は口を開く。
「うん、いいよ。ほんとに、茜はさばさばしてるんだから、あはははは」
「やった、嬉しい!信二ありがとう!大好きだよ!!!」
茜が感極まった様子で、信二の唇を奪った。
柔らかな唇が触れて離れて、そして茜のきれいな瞳と信二の瞳が重なり合う。
「ぼくも、大好きだよ」
(茜がどういう気持ちで、どういう魂胆でそういうことしてるかわからないけど。そっちがその気なら。。。このまま僕との関係を続けていきたいって気持ちなら。僕だって僕だって。。。)
信二は決意を固めたようだ。
復讐は新たな復讐を生み、なんの解決も得られないとよく言うが、果たしてそうだろうか。一体、その解決のベクトルはどこを向いてるのだろうか。
信二は知ろうと思った。このあまりにも盲目な恋という感情を。
どこまでもリアルに、残酷に、誠実に知ろうと思った。
(もう恋なんてしないなんて……僕の口からは絶対にいってやらない)
そう思った瞬間。
信二の瞳に映った茜はさらに、妖艶に美しく見えた。
信二にとっての、ターニングポイントは確かに今日、この屋上にて。現れたのかも、しれない。。。
【続く】
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