34.炎の聖女

「いきなりなんなのよ……!」


 唐突に戦闘状態に入られた魔女は、そうこぼしながら二人の斬撃から飛び退いた。と同時に、なにかの粉を周囲に振り撒いている。

 瞬間、バリンと音がしたかと思うと、結界の一部分が魔女を中心に砕け散った。


「いくつか持ち歩いていてよかったわぁ……」

「っくそ!」

「大丈夫、すぐ張り直すわ! 耐えて!!」


 穴を開けられたところに結界を展開していく。

 二人が不利になる状況を作り出しては、負けて……殺されてしまう。

 しかしルナリーが結界を埋めるより先に、魔女は粉を振りかけるだけでガラスが割れるようにバリンバリンと結界を破っていく。あまりの早さに追いつけない。


「くそっ、ルーの結界をこうもたやすく破りやがって……!!」


 しかも粉をかけると同時に魔女から瘴気がたちのぼり、穴の空いた箇所に蔓延していく。


「秘薬と術を同時に使われると厄介ですね……!」


 術ならば同時にいくつも出すということは難しいが、薬にすれば術との併用がいとも簡単にできてしまう。

 こうなっては先に瘴気を浄化しなければ、結界は張り直せない。


「浄化するわ、耐えて!!」

「ああ!」

「御意」


 アルトゥールとエヴァンダーは休むことなく斬撃を繰り出し、魔女は翻るように二人の攻撃を避け続けている。

 いつの間にか白かった看護服はドス黒い色に侵され、結い上げられていた長い髪は振り乱れていた。

 ルナリーは瘴気の浄化に集中する。しかしそれだけで精一杯で、結界の張り直しにまで手が回らない。

 こんな時にもう一人聖女がいれば。そう思わずにはいられない。


「アル!」

「おう!!」


 ガキンッと音がしてエヴァンダーが剣でリリスの爪を受け止める。

 その一瞬の隙を狙ってアルトゥールが魔女の手首を切り落とした。

 ドスッと手が長い爪ごと落ちて、灰になるようにシュウゥと消えていく。


 よし、やったという周りの騎士の歓喜の言葉が広がった。

 けれどアルトゥールもエヴァンダーも、攻撃の手を緩めてはいない。

 瘴気を出されるたびにルナリーが聖女の力で浄化し続け、瘴気も結界もない状態の場所を作り上げている。互いにとってイーブンの状況ではあるが、魔女の秘薬を考えると油断などできない。


 その時、アルトゥールの剣がリリスを捉えた。パシュッと音がして魔女の頬から血が飛び散る。

 エヴァンダーの剣もまた、リリスの首を掠めて血が出た……はずだった。


「なんだこいつは……」

「……治癒を使った様子はありませんでしたが」


 切ったはずの箇所が、なにごともなかったかのようにきれいに戻っていた。

 それどころか、さっき切り落としたはずの魔女の右手も、いつのまにか元通りになっている。


「おいおい、苦労して切り落としたのに……マジかよ」


 アルトゥールはそう言いながら苦々しく笑っていて。


「再生するというわけですか」


 エヴァンダーは相変わらず表情なしに飄々と分析している。

 余裕がありそうに振る舞ってはいるが、二人とも肩を揺らし、疲労が見え始めた。


「再生の……術……」


 恐ろしいほど高位の術だということがわかる。

 治癒魔法よりずっとランクが上だ。


 今思えば。


 ルワンティス軍相手に、リリスは猛攻を続けていた。傷つけられても、何度も何度も。

 遠くからだったので気づかなかったが、再生していたのなら納得がいく。

 だが再生の術も無限ではないはずだ。ルワンティス軍がリリスを討ち取った未来があるのだから。

 その証拠に、魔女の肩も大きく揺れてはぁはぁと息を上げていた。

 再生の術は、ずいぶんと体力を奪われるもののようだ。

 このまま削っていけば、きっといつかは魔女を倒せるはず。


 尚も続けられている攻防。

 魔女の動きに少しずつ慣れてきたのか、アルトゥールとエヴァンダーの連携が決まり始めた。

 しかし魔女の劣勢を見てホッとすると同時に、ひとつの疑問が芽生える。


 どうしてリリスは逃げようとしないのか。


 彼女ほどの力があれば、逃げに徹すれば逃げられるはずだ。

 なのに劣勢になってもまだ立ち向かってくる。

 その理由は──


「ここに大切なものが……秘薬があるからだわ……」


 持ち歩けないほどのたくさんの秘薬。

 これを置いて逃げられないのだろう。

 王都中の結界を壊し、多くの者を操る薬が置いてあるはずだ。寿命の薬も、それ以外の想像つかないような薬も。

 魔女は無茶をしてでも必ずここにやってくる。なぜなら、秘薬さえ使えば勝てると彼女は確信しているから。


 思った通り、魔女はアルトゥールとエヴァンダーの剣を食らいながらも、ルナリーのいる家の方に飛ぶように向かってきた。二人はその速さに追いついていない。


「左右に散って!!」


 炎の力の巻き添えにならないように声を張り上げた。

 一瞬で理解してくれた二人は、パッと左右に散らばる。


「通らせない!!」


 ルナリーがリリスに向けて炎の力を展開しようとした、その時だった。


「聖女様、危ない!!」


 いきなり隣からドスンと押し倒される。

 一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 ハッと気づけば、魔女は悠々と自分の家に入り込んでいる。

 このまま薬を使われては、絶対に勝てなくなる。


「どいて!!」


 自分の上に覆いかぶさっている騎士を押し退けると、家の中に向かって炎の力を放った。

 ルナリーの手から、ゴォォオオオオッと音を立てて炎が噴出する。


「きゃあああああああああ!! 火が、火がぁぁああ!!」


 シュッと魔女の爪が家の中から飛び出してくる。

 氷のバリアが間に合わない……と思った瞬間、後ろからグンッと抱きかかえられるように横に引っ張られた。間一髪だ。

 扉の前が空いた魔女は、家から飛び出ると一目散に逃げ出していく。


「エヴァン様!」

「さっきのは惜しかったです」


 そう言うと、エヴァンダーはすぐさま魔女のところに行き、足止めしていたアルトゥールと連携をとり始めた。


 エヴァンダーが引っ張ってくれなければ、脳を直撃してやられていたことだろう。

 震えている場合ではないが、ゾッと背筋が凍った。

 と同時に、惜しかったと褒められたことで気力は復活していたが。


 魔女の家はルナリーの炎の力によって轟々と燃えている。秘薬をすべて燃やし尽くすために、ルナリーはさらに炎を出して家を全焼させた。

 振り向いて魔女を確認すると、今まで見たことのない怒りと恨みの表情で満ちている。


「あなた、炎の聖女の生まれ変わりね……絶対に許さない」


 アルトゥールとエヴァンダーの相手をしながら、リリスは呪いを吐くように言い、そして──


「ぐあああ!」

「げえっ」


 唐突にリリスは攻撃対象を変えた。騎乗している騎士がやられて落馬したのだ。

 その馬にリリスはするりと乗っている。


「くそっ、逃げる気だ!!」

「ここまできて逃しません!!」


 アルトゥールとエヴァンダーが追おうとした瞬間。

 魔女がなにかを取り出し撒き散らす。

 その瞬間、ものすごい閃光と同時に、かまいたちのような風が全員に襲いかかった。


「くっっ!!」

「ぐああああ!!」


 そこら中で悲鳴が広がる。

 ルナリーも体中が切り裂かれたような痛みに襲われた。動けない。目も見えない。


「う、っくぅ……っ」


 パカラッという馬の蹄の音が、どんどんと遠ざかっていく。

 逃げられている。それがわかっているというのに、なにもできない。

 ここまできて……と悔しさが溢れる。


「大丈夫ですか、ルナリー様……!」


 目が眩む中、エヴァンダーの声が近づいてきた。


「エヴァン様……」


 名前を呼ぶと場所がわかったようで、伸ばした手に温かい彼の手が触れる。

 そのままぎゅっと抱きしめられると、ぬるりとした感触と血の匂いがした。


「大丈夫ですか、ルナリー様……」

「ええ、私は大丈夫……エヴァン様は……」


 目が、徐々に慣れてくる。

 リリスは当然のようにいなくなっていて、目の前のエヴァンダーは……血に、塗れていた。

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