07.別れ
朝になり目をさますと、アルトゥールとエヴァンダーはすでに起きていて、朝食の準備を済ませていた。
七月十一日。
起きるのが遅れたのは、今回が初めてだ。
「ごめんなさい、遅くなってしまって……」
「疲れてんだから当然だろ。急いでも仕方ない、ゆっくり食べよう」
ルナリーは差し出された食事を手に取ると、倒木に腰掛けた。
簡単なスープに硬いパンを浸しながら、もそもそと食べ進める。
「さて……どうすっかな」
アルトゥールがモシャモシャとパンを齧りながら言った。
とにかく瘴気をどうにかしないと勝ち目はない。
近隣だけでなく、国中から魔石を集めた方がいいのだろうか。しかし集めるのに時間がかかりすぎると、王都だけでなく他の町や村も瘴気に覆われる可能性がある。
範囲が増えればその分浄化に時間がかかってしまい、結果は同じになるだろう。それどこか、相手のフィールドが広がるだけの可能性が高い。
「国を捨てるというのもひとつの手です」
必死に可能性を探っていると、エヴァンダーがそんなことを言い出した。
「国を……このイシリア王国を、捨てろっていうの……!?」
まさかそんな提案をされると思っていなかったルナリーは、思わず声を上げる。アルトゥールも納得いかなかったようだが、眉間に皺を寄せているだけだ。
そんな二人にエヴァンダーは続けた。
「似たようなことをしていても、私たちは殺されてルナリー様の寿命はなくなるだけです」
「それは、そうかもしれないけど……でも聖女は、こういう時のためにいるんでしょう?!」
休息日などほとんどなしに各地を旅し続け、結界を張って回っていたのは、町や村を守るためだ。
瘴気から、魔物から、人々の命と生活を守るためにずっと頑張ってきた。
聖女が国から消えると、人々は常に魔物や魔術師に怯えなければならなくなるから。
「聖女が死ねば、どの道同じです」
「そうならないように、私たちは……っ」
「ではどんな案があるのか、お聞かせくださいますか」
そう問われると、ぐっと言葉が詰まった。
現状を打破できるような策は思い浮かばない。
瘴気の及ばない地域の者たちをかき集めたところで、訓練された兵でなければ、魔女どころか魅了された王都の騎士にも太刀打ちできないだろう。無駄死にさせてしまうだけだ。
「アルはなにかありますか」
黙りこくってしまったルナリーを見て、次にエヴァンダーはアルトゥールへと目を向けている。
「いや……今んとこ、考えつかねぇ」
「すぐに解決策が浮かぶくらいなら、こんなに何度も巻き戻ったりしていませんからね。我々には今、考える時間が必要なのです。それが一度国を捨て、逃げるという作戦でもある」
「さく……せん……?」
首肯するエヴァンダーを見て、少しほっとした。
ふむ、とアルトゥールが顎に手を置いている。
「本当に国を捨てるわけじゃなく、解決策が浮かぶまで他国に逃げるということか」
「ええ。守るべきは……生かすべきは、聖女であるルナリー様です。今は逃げを選択することも必要かと」
「ならそう言えよ、わかりづれぇ……!」
いらっとした顔でアルトゥールが言い、エヴァンダーはうっすらと笑っている。
「では、それでよろしいですか。ルナリー様」
エヴァンダーの翡翠の瞳がルナリーへと向けられた。
他に良い案は浮かばない。戦いを選択したところで二人は死に続けて、ルナリーの寿命は減るばかりだ。
せめてなにか有効性の高い対策案が出るまでは、逃げるのも手かもしれない。
逃げ続けることで瘴気が広がることも懸念されるが、現状ではどうしようもないのだから。
「……わかったわ。一度この国から出ることで、対抗策が浮かぶかもしれない」
「ありがとうございます。行くならば、北の隣国であるルワンティス女帝国を目指してください。聖女は歓迎されるはずです」
「目指してくださいって、お前は」
「私は王都へ潜入しようと思います」
「……え?」
ルナリーの胸がバクンと波打った。
この五年、王都に帰ってきた時以外はずっと一緒にいたエヴァンダーが……別行動をとる。
「なんでイーヴァだけ、王都に行く必要があんだ。一緒にルワンティスに行けばいいだろ」
「そうよ、瘴気の中に……あんな魔女のいるところに行くなんて……!」
「大丈夫、うまくやりますよ」
顔色をひとつも変えず、飄々としているエヴァンダー。やっぱりこの人の考えていることはよくわからない。
「なにをするつもりなの?」
「魔女に取り入って、内側から探ります」
「魅了されて終わりだろうが!」
「加護があるのでしばらくは大丈夫ですよ。でももしそうなった場合、アルが私の命を絶ってください」
「バカ、簡単に言うな……!」
アルトゥールの拳がグッと握りしめられた。ルナリーも同じ気持ちだ。以前頬を叩いたというのに、まったく懲りていない。
その記憶は、今のエヴァンダーにはないのだろうが。
「……いやよ」
本音がぽろりと溢れる。護衛騎士二人の視線がこちらに向けられ、ルナリーは慌てて言い直した。
「だめよ。エヴァン様も一緒に行くの。これは聖女としての命令よ」
「……困りましたね」
エヴァンダーは本当に困ったように眉を下げている。
一緒にいてはくれないのかと思うと、胸がズキズキと痛みを発した。
「おい、イーヴァ。その役目、俺が代わる。お前はルーと一緒にルワンティスに行け」
「無理ですよ。アルにこういう仕事は向いていませんから」
「うっ」
「私が適任なんです。アル、ルナリー様、わかってください。この国のためです」
国のためと言われると、これ以上の反対はできなくなってしまった。
聖女という立場上、個人的な理由でわがままを言い続けるわけにはいかない。
「……ルー」
「……わかったわ……でも約束して、危ないことはしないって……!」
ルナリーの言葉に返事はなく、エヴァンダーは薄く笑うばかりで。
胸は、はちきれそうなほどの苦しさを訴えていた。
青い空の下、旅立ちの準備を整えると、ルナリーはアルトゥールの馬へと一緒に騎乗する。
「気をつけろよ、イーヴァ」
「そちらも」
「エヴァン様……!」
今にも王都に向かって馬を走らせそうなエヴァンダーに、ルナリーは慌てて声をかけた。
なのになにを言えばいいのか、言葉が出てこない。
「ルナリー様」
エヴァンダーの優しい声に、ルナリーは彼の翡翠の瞳をじっと見つめる。
「もしなにもできなかったとしても、責めはしません。そのまま逃げて、彼の地で幸せになることも視野に入れてください」
「そんな、エヴァン様がいないのに幸せになんて……!」
「アルがいれば大丈夫ですよ。私は二人の幸せを願っていますから」
「エヴァン様!!」
エヴァンダーは背を向けて馬を走らせ始める。
なにかを伝えたかったはずなのに。
結局はひとつも言葉にならず、見送るしかできなかった。
「エヴァン、様……」
胸が苦しい。
嫌な未来を想像してしまい、不安で押しつぶされそうになる。
「う、うう……っ」
「ルー」
耐え切れず涙を流してしまったルナリーの金髪を、アルトゥールがくしゃっと撫でてくれた。
「まったくイーヴァのやつは、頭は良いくせにバカだよなぁ」
くしゃくしゃと撫でられ続ける髪。それでもルナリーの涙は止まらない。
「大丈夫だ、ルー。ちゃんと誤解は解いてやるから」
「誤……解……?」
「俺たちも行こう。あいつが意味のないことを言うわけねぇ。ルワンティス女帝国になにかあるんだ」
「……はい」
ルナリーはぐしっと涙を拭くと。
アルトゥールに連れられて、ルワンティス女帝国を目指し始めた。
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