わたくしでは、お姉様の身代わりになりませんか?

長岡更紗

わたくしでは、お姉様の身代わりになれませんか?

「セリナ・アシャール。貴女との婚約を破棄する」


 リアム王子殿下がそうおっしゃった時、私は密かに良かったと息を吐いた。

 だってセリナお姉様には、他に想い人がいたから。

 しかも相手は我がアシャール侯爵家の庭師だった。


 リアム様はそれに気づいておられたんだ。

 だからお姉様のために自分から解放してあげた。リアム様はお姉様を、愛していたから。


 セリナお姉様はお父様の逆鱗に触れてアシャール家から除籍されると、その日のうちに庭師の彼と姿を消した。

 私に「ごめんね」という言葉を残して。


 お姉様がいなくなったことを告げた時、リアム様が「そうか」と微笑んだこと。私は一生忘れない。

 どれだけお姉様のことを愛してくれていたんだろう。

 口元は弧を描いていても、碧く悲しい瞳は隠しきれていなくて。

 リアム王子殿下の瞳にはお姉様しか映っていないことを、これほど嘆いた夜もなかった。




 あの日から三年。当時十五歳だった私は、十八歳になっている。


「わたくしでは、お姉様の身代わりになりませんか?」


 目の前には二十三歳になられたリアム様。精悍さが増してますます魅力が上がっている。

 私がお姉様の代わりにと婚約したのは、二年も前のこと。

 アシャール家としては、もう失敗のできない状態だ。

 それとは関係なく、私はリアム様に愛されたいと思っていたのだけれど。


「……テレーズ」


 悲しい瞳で私を見るリアム様。


 お姉様と同じ髪型。

 お姉様が好んで着る空色のドレス。

 お姉様と同じ化粧の仕方。

 お姉様と同じ仕草。

 お姉様と同じ言葉遣い。


 顔立ちだって姉妹だから似ている。

 なのに、私はリアム様に愛されない。


 私とお姉様の、一体なにが違うんだろう。


 こんなにお姉様にそっくりになったはずなのに。

 それでもまだ、私はお姉様の代わりにはなれない。


「もうセリナの真似はするな。意味がない」


 リアム様が少し息を吐きながらおっしゃった。


 意味がない。


 ……わかってる。私がお姉様の代わりになろうなんて、おこがましいにもほどがあるって。

 いくら見かけをそっくりにしても、内面までは変われない。

 お姉様は優しくて社交的で、太陽みたいな人。

 華のあるお姉様と私とでは、どれだけ頑張っても雲泥の差があるってことは。


「……申し訳ありません……」

「謝らずともいい。既にセリナへの気持ちはもうない。それをテレーズにわかってほしい」


 リアム様の言葉に、私は返事ができなかった。

 お姉様への気持ちが、すでにない……?

 ということは……私は用済みということ……?


 結局私はお姉様の代わりになれなかった。

 もう私がリアム様のおそばにいる必要は、どこにもなくなってしまった。


「……わかりました。ではわたくしとの婚約は、白紙に戻されるということでよろしいでしょうか」


 溢れそうになる涙を我慢して、私はなんとか声を上げた。

 私の存在意義は、お姉様に似ているというだけだったから。

 リアム様に相応しい方は他にいる。私である必要はどこにもなくなってしまった。


「テレーズ……君は俺との結婚を望んでいないのか?」

「いいえ、まさか!」


 あり得ないことを言われて、私は急いで否定する。

 どうしてそんなことを聞くのかわからぬうちに、リアム様はなぜかそっと笑っていた。

 煌めくような碧い瞳を見るだけで、私の心臓は収縮と膨張を繰り返す。

 やっぱり……リアム様が好き。おそばにいられないなんてイヤ。


「では、俺とこのまま結婚してほしい」

「……え?」


 リアム様が目の前に来ると同時に、私は手を取られた。

 大きくて温かな手に包まれて、私は困惑する。


 どうして? 私はもう、用済みでは?


 リアム様の言葉が理解できず、私は目を瞬かせた。

 そんな私に、真っ直ぐに真剣な表情を向けてくれる。


「この三年間、私を支えてくれたのはテレーズだ。これからはもっと貴女のことが知りたい」

「それは、どういう……」

「テレーズの好きな色はなんだ。テレーズの好きな食べ物は。テレーズの本当にやりたいことは。君はいつも姉の真似ばかりで、俺はなにも知らない」

「……だって……お姉様の代わりにならなければ、愛してもらえないもの……」


 だからずっとお姉様そっくりになるように演じてきた。完璧には無理だったけど。

 身代わりでも愛してもらいたかったから。

 なのに私を知りたいって、どういうことなの?

 私が懐疑の目を向けると、リアム様は困ったように眉を下げた後、優しく笑った。


「俺はもう、君を愛しているよ。太陽のような明るさはなくとも、月のように美しく優しい光を放つテレーズのことを」


 リアム様はなにを言っているのか。

 そんなわけがない。リアム様は、お姉様の真似をする私しか知らないのだから。


「いいえ、お姉様とかけ離れている本当のわたくしを知っては、きっと幻滅するに違いありません」

「では見せてごらん。俺はきっと、ますます君を好きになる」


 心地のいいリアム様の言葉に、私の胸は優しい痛みが響いた。


 私はお姉様にならなくていいの?

 お姉様ではなく、私を愛してくれるの?

 にわかには信じられない。けどリアム様は、こんな嘘をつくような方じゃないってわかってる。

 そう思うと、急に涙が溢れてきて。


「わ…………リアム様をお慕いしているんです……! お姉様と婚約していた時から、ずっと……!」

「そうか……ありがとう、嬉しいよ」


 次から次へとみっともなく溢れる涙を、リアム様は指で拭ってくれる。


「これが本当のテレーズなんだな。かわいいよ」


 そっと抱き寄せられた私は、リアム様の胸の中でしゃくり声をあげた。

 リアム様の「愛してる」の言葉を聞きながら──。



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