第16話 新入生 ~思いがけない再会~

―――春。

  

 僕はめでたく二年生へと進級した。高校生ともなると30点以下の赤点をとっても

補習さえ受ければ、どんなバカな奴でも進級できる。1クラスしかない二年一組の

クラスメートの顔ぶれは一年の時と同じで、それぞれ気の合う子同士のグループが

出来ていた。皆、それなりに要領よくクラスに馴染んでいるというのに僕の高校

生活は一年経っても何一つ変化なく、只々、毎日、時間だけが過ぎていくだけ

だった。僕は一番後ろの窓際の席で窓越しに映る景色をぼんやりと眺めていた。

相変わらず、僕に話しかけてくる子なんて一人もいなく、授業中、先生に当てられることもない僕はいつの間にかそんな日常に満足していたのだった。


 新学期の翌日。

 4月10日は新入生が入学してくる。去年の今頃、僕は入学式にワクワクしたり、

ソワソワしたりしていたのだろうか……。それも思い出せない。

僕は入学式の記憶さえもはっきりとは覚えていなかったのだ。

人間の記憶なんて所詮、月日が過ぎていくと忘れていくものだ。

それでも僕は過ぎてきた季節を振り返ることはしなかった。

だから、思い出せないでいたのかもしれない。

 

 

通学路に立つ桜の木がピンク色に染まり、まるで絵に描いたような光景に

馴染んでいる彼女の姿が視線に映り思わず僕は立ち止まる。

満開に花ひらく桜を見つめ、風になびく黒髪から見える横顔はいつしか見た

あの夏祭りの美しい横顔と重なり、僕は彼女に見惚れ、唾を飲み込んだ。

 

猿渡…空良…。


僕の口から不意にその名が小さく零れる。


この時はまだ彼女の名前が本当に猿渡空良なのか不確かな記憶で、僕のスマホに

残された少女の画像は髪型も違うけど、笑っている顔もちょっぴり幼い感じがする。

でも、彼女の面影がどこかスマホの写真の少女と似ている。

それでも僕の記憶は曖昧あいまいで、ほとんど昔の記憶を思い出せないくせに、

もしかしたら自分の思い描いていた未来を都合のいいように錯覚しているだけなの

かもしれない。でも、時々、夢に出て来る少女が気になっていたのは本当だ。

後ろ姿なのか、前を向いているのかわからなく、顔はいつも霧に隠されていた

少女は僕の事を『大地』って呼んでいた。

多分、その少女の名前は空良…猿渡空良だーーーー。


雲っていた霧がパァ―っと晴れて一瞬だけ見えた少女の顔…

モンチッチのような天然パーマが印象深く、笑った顔は僕を

笑顔にさせる―――。

そんな少女が僕に見せるその笑顔は眩しいほど、僕はどんどん少女に

引き込まれていった。



初めて夏祭りで彼女を見た時、初めて会った気がしなかったのは、

昔、僕がこの少女に恋をしていた記憶がまだほんの少し心の片隅に

残っていた想いを僕は彼女を見ていると思い出していたからだった。



僕はずっと夢に出て来る少女は誰だろう? って思っていた。

もしも、目の前にいる彼女が空良なら……空良ならいいなあ…って…。


突然、僕の前から姿を消した空良……

あの日の記憶がチラホラと頭に浮かんでは消える…。

僕は大切な記憶を失くしていたのかもしれない。

そして失くした記憶を知っているのは空良だと思った……。


僕の記憶のピースが一つずつ、一つずつ重なり合っていく。


だけど、彼女は同じ名前のまったく別人かもしれない……。


僕はその事を確かめるのが恐くて、彼女に声をかけることもできず、

ただ見ているだけで幸せだと思う意気地のない男だった。

でも、僕はその時間が好きだったんだ。


彼女を見ているとなんだか癒される。


昔、僕が空良と隣同士に座り河川敷から眺める景色を見ていた時と同じように

彼女の目に映る同じ桜を見ているだけで僕は彼女との時間を共用している気に

なって、それがとても居心地よく僕は何十分でも彼女を見ていたいと思っていた。


気づいたら僕は彼女の後をついて行っていた。これはもしやストーカーにあたいする

行為ではないのかと思ったが、どうしようもないくらい僕の足が勝手に彼女の行く

後を追う。だが、幸いにも彼女が進む道は僕と同じ方角だった。


まさか? とは思っていたが、彼女は木田山高校の正門を入って行った。

え? 嘘だろ? 


同じ高校だったのか…でも1クラスしかない二年一組のクラスではない。

彼女みたいに綺麗で印象がある子がクラスにいれば一気にクラスの人気者になり

一目見るとわかるものだ。

それが1年間、彼女の存在に気づかないなんてありえない。

じゃ、もしかして三年生なのか?

でも、一クラスしかない一年生から三年生までは同じ二階にクラスがある。

先輩でも廊下ですれ違うこともある。だけど、僕は彼女の存在に気づかなかった。

どういうことだ?


もしかして転校生? 彼女の名前は? 

前に夏祭りで友達らしき子に『空良』と呼ばれていた。じゃ、苗字は?


僕は彼女の存在が気になってたまらなかった。


それにしても『空良』なんて名前、偶然にしては出来過ぎている。




そして、僕達二年生は新入生を迎えるために体育館へと入って行った。

すでに三年生は僕達二年生の前列席に座っていた。


ザワつく足音も小声でしゃべる声も体育館内では全て雑音に聞こえる。

司会進行は教頭の武田実乃利たけだみのり先生だった。


「これより第25回入学式を始めます」

実乃利の声で体育館内は静まり返り入学式が開会された。

「ーーー次は校長挨拶。長尾校長、宜しくお願いします」

長尾は舞台の中心まで進んで行く。


眠たくなるような校長先生の話は長く、かれこれ15分くらいは続いていた。

皆、退屈してきているみたいだ。僕も小さい欠伸が2回ほど出た。

瞼がウトウトと閉じたり、開いたりと数回繰り返した後、更に負い打ちを

かけるように瞼が落ちていたその時だった、

「新入生挨拶。新入生代表 猿渡空良―—―」

「はい」


ーーー!?

その名前に僕は驚き、思わず半分閉じかかっていた瞼が全開、

僕はキョロキョロと辺りを伺い、彼女の姿を探す。

猿渡空良―――。僕が恋をした少女と同じ名前だ……。

舞台に向かう彼女の足音が舞台の真ん中でピタリと止まる。

僕の目に彼女の姿が映る。


長く伸びる黒髪、太くもなく細くもない普通体形、気立てのいい整った

顔立ちが美しい。皆、彼女の容姿に見惚れ、注目していた。

僕の記憶に残る猿渡空良とはまるで別人の容姿を持つ彼女。同姓同名!?

僕の頭はパニックし混乱していた。でも、僕は彼女に空良の面影を感じていた。

彼女の声色を遠くに感じながらも僕の視線は彼女を追いかけ、彼女から目が離せなくなっていた。

そして、感情を忘れていた僕の心臓は再びドキドキ高鳴り動き出す。



彼女が猿渡空良ーーー。


空良と過ごした中学最後の思い出……

どんどん溢れ出してくる空良への想い……


空良がなぜ一学年下で入学してきたのか わからないけど、

見た目もかなり印象が変わっているけど、彼女が空良だと

いうことはきっと間違いないだろう……。


あの時と同じ、僕の高鳴る鼓動が彼女が空良だと証明している。



ーーー放課後。


僕は校門前で彼女を待ち伏せしていた。


だけど、彼女の周りには男女問わず沢山の友達がいた。

もう、あの頃の空良とは違うと思った僕は校門を出て来た空良に

声をかけることもできず、空良と友達等は僕に気づかず通り過ぎて行った。


「……」

気のせいだろうか…。

空良が横目で僕に眼差しを送ってきたような気がした。


今、空良と目が合ったような……ドキッ……

思わず僕の頬は熱く火照る。


気づいたら僕は空良の後ろから1メートルほど距離をあけて歩いていた。


もしも空良に何か聞かれたら『同じ方角』だと答えよう。実際、同じ方角だし…。

嘘じゃないしね……。それに、僕は存在感がない男だ。気づかれるわけない……

足元を見つめ、ぶつぶつと独り言が口から漏れる。

ふと見上げると、僕の視線にピンク色に染まった桜が笑うように入り込んできた。

と同時に、僕の視界には彼女一人しか映っていなかった。

一本立ちに力強く立つ桜の前まで来た時には彼女の周りにいた友達等は別方向へと

向かい、彼女は一人立ち止まり桜散る花びらに手を伸ばし、可憐に咲く桜を見つめていたのだった。


僕は彼女の横顔に見惚れ、自然に足も立ち止まる。


「空良ーーー」


気づいたら、僕は彼女の名前を呼んでいた。


「……ん?」

呆気とられ、呆然と僕に視線を向ける空良の目に吸い込まれるようだ。


空良の目にも大地の存在が映っていた。


ーーーそして、その瞬間とき


「大地ーーー」

空良が僕の名前を呼ぶ――――ーーー。


奇跡が…舞い降りてきた――――ーーー。


「ーーー!!」


空良の声は僕が忘れていた最後のピースを埋めるように記憶を呼び起こしていた。


空良は僕に向かい駆け寄って来る。


空良が伸ばす両手が僕の頸部へ回ってきた。

僕はその体を受け止め彼女を抱き寄せる。


『大地、会いたかったよ…』


空良が囁く吐息が僕の耳元で妙にくすぐったくて、優しい肌触りがとても居心地よく

懐かしい匂いがした。

『よかった…ケガ、治ったんやね、、、』

『……!?』

その時、彼女の背中に回した僕の手は無意識に力強く彼女の体を抱きしめていた。

『空良…僕もずっと会いたかったよ……』


そして、くすぶるような空良の微笑みが僕の耳元へそっと伝ってきた。

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