木鼠は冠を取り戻す

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木鼠は冠を取り戻す

 青空が広がる小さな町は、のどかで平和だ。

 町通りには古典的な家屋が建ち並んでおり、木製のサッシ窓と赤瓦の屋根が風情を醸し出している。

 道に沿って並ぶ店々には、果物や野菜を売る農家もあれば、服屋や靴屋、本屋などもある。

 そんな町を原付きバイク、ホンダ・スーパーカブ50に乗った少年がのんびりと走っていた。

 荷台には野菜の詰まった段ボール箱を載せている。

 まだ高校生ぐらいだろう。

 顔の輪郭は丸く、顎が尖っていないため幼く見えるかもしれないが、しっかりと腰の座った目つきをしている。それは、どこか愛敬のある表情をしていた。

 また、小柄で、ほっそりとした体型だが、しっかりと筋肉がついていることが服の上からでも分かる。

 髪の毛はやや長めであり、前髪も目に被るくらい長い。

 しかし、それを後ろに流しているため、爽やかな印象を受ける。頭には黒いバンダナを折り鉢巻状にして巻いてる。ファッションというよりも、髪をまとめたくてしているのが感じられる。

 名前を、さかき拓真たくまと言った。

 拓真は流行歌を下手な音程で口ずさみながら、楽しそうに走っている。

 眼の前を青信号の交差点が見えた。

 減速しながらウインカーを右へ点滅させ、交差点に進入する。

 すると右手から白のワンボックスカーが走ってきた。

 左右の信号は赤である。

 しかし、その車は速度を緩めることなく、交差点に侵入してこようとしていた。

 歩道を女の子を連れた老婆が歩いている。

 女の子はまだ幼稚園児ぐらいの年齢だろうか。可愛らしい顔立ちをしており、髪をツインテールにし白いワンピースを着ている。手にはウサギのぬいぐるみを抱いていた。

 女の子は、横断歩道を先行する形で走っている。

 突然、耳をつんざくような激しいクラクションの音が響き渡った。

 女の子が、驚いて顔を上げると目の前にワンボックスカーがあった。

 驚きのあまり、硬直したように動かない。

 だが、ワンボックスカーは女の子に向かって一直線に向かってきた。

 ――あぶない!

 拓真は咄嗟にそう思った。

 その瞬間、拓真はとっさにスロットルグリップを捻った。

 スーパーカブ50が急加速した。

 タイヤと路面が擦れ、焦げ臭い匂いが漂う。

 拓真は、横滑りするような格好で車体を斜めに傾けつつ、女の子に向かって突っ込んでいく。

 そして、右手で女の子を掴むと、そのまま抱きしめる様にして道路を転がった。

 女の子の頭を抱え込む様な姿勢でアスファルトの上を転がる。中途半端な転がり方をすれば、衝撃を分散できないため敢えて勢いをつけて回転することで、地面を転がって衝撃を殺したのだ。

 背中に強い衝撃を受け、一瞬息が詰まる。

 本来なら受け身取りたいところだったが、抱え込んだ女の子を守るために、背中から地面にぶつかった。

 そのまま道路の反対側まで転がって行った。

 ワンボックスカーは、けたたましいスリップ音を上げながら走り去る。

 どうやら間一髪、事故を回避することができたようだ。

 ホッと安堵すると同時に、全身に痛みが走る。

 顔をしかめながらも、腕の中の女の子を見た。

 幸いにもケガはない様だ。

 ただ、突然のことにびっくりしてしまったのか、目を大きく見開いたまま固まっている。

 その様子を見て、思わず笑みがこぼれる。

 安心させるように、優しく頭をなでてやる。

 すると今になって恐怖心が襲ってきたのだろう。

 大きな瞳に涙が浮かび、ポロポロと流れ落ちた。

 拓真は慌てて起き上がると、女の子の前に座り込み、目線を合わせるようにして話しかけた。

「大丈夫? ケガは無いかい?」

 そう言いながら、もう一度頭を撫でようとした時だ。

 声をかけられた。

 拓真が首を向けると、先ほど見かけた老婆が立っていた。

 白髪交じりの髪、顔に刻まれた皺、腰は少し曲がり、杖を突いている。見るからに高齢の女性だった。

「お婆ちゃん!」

 女の子は、そう叫ぶと祖母に飛びついた。

 よほど怖かったのだろうか、泣きながらしがみついている。

 祖母もホッとした様子で、優しい笑みを浮かべながら女の子を抱きしめていた。

 拓真は身を起こして立ち上がり、ズボンの汚れを手で払っていると、老婆は拓真に気づき、拓真の身を気遣いながら、孫娘を助けてくれたお礼を述べた。

「危ないところを……。ありがとうございます」

 老婆は深々と頭を下げる。

 拓真は恐縮しながらも、大したことをした訳ではないので、頭を上げるようお願いした。

「俺は平気ですから」

 心配そうに尋ねる老婆に、拓真は笑顔で答えた。

 だが、滑り転がった自分のスーパーカブ50を見て、顔を曇らせる。

 車体の右側面には無数の傷がついていた。

 それも悲しいが、積み荷の野菜が傷んでいることの方が気がかりだった。

これでは売り物にならないかもしれない。

 いや、なる訳がなかった。

 拓真の実家は農家だ。

 野菜の生産だけでなく、直接販売も行っている。今は配達の途中だったのだ。

 誰かが通報してくれたのだろう、しばらくするとパトカーがサイレンを鳴らしてやって来たが、以外にも目の前を通過して行く。

 拓真は意味が分からないでいると、その内の一台が止まり、中から警察官が現れた。

 年配の男性警官だった。彼は拓真の顔を見るなり驚いた表情を浮かべた後、駆け寄ってきた。

 その後、事情聴取を受けたのだが、拓真の話を聞いている内に、次第に怪訝な表情になっていった。

 なぜなら、拓真が女の子を撥ねたと勘違いされていたからだ。

 慌てて否定し、状況を説明することでようやく理解してもらうことが出来たのだった。

「俺、野菜の配達があるんで、これで失礼します」

 拓真はそう言うと、スーパーカブ50を起こして跨り、エンジンをかけた。

 すると、女の子がトコトコ歩いて来て、拓真を見上げた。そして、恥ずかしそうに小さな声で言う。

「お兄ちゃん。ありがとう」

 それは感謝の言葉であった。

 拓真はその一言だけで満足だった。だから、それ以上何も語らず、手を振ってその場を後にした。

 一旦帰宅して、野菜の交換を行う。

 来た道を引き返し、道なりに走る。

 すると前方の店舗でパトカーが停車しているのが見えた。

 店先では人だかりが出来ている。

 そこは拓真が配達を行う飲食店の隣りにある貴金属修理店であった。

 何か事件でもあったのだろうか?

 興味本位で近づいて行くと、店の主人らしき男が警察と話し込んでいる姿が見えた。

 店主は40代くらいの年齢で髪を短く刈り上げており、精悍な顔つきをしている。体格が良く、身長も高いため威圧感を感じるほどだ。

 見れば、交差点で助けた老女と女の子の姿があった。2人は身を寄せ合う様にして立っている。

 何やら深刻そうな表情をしていた。

 そんな様子を見ていると、ふと視線を感じたのか、老女と目が合った。

 老人は少し驚いた様な顔をしたあと、小さく会釈してきた。つられて拓真も頭を下げる。

「あなたは、先程の……」

 そう声をかけてきたのは老女の方だ。

「どうしたんですか?」

 拓真は、込み入ったことになると分かっていても、悲しそうな表情をしている女の子の姿を見ると声をかけずにはいられなかった。

「強盗が入ったです。店にあった現金や商品を奪われました。幸いにも店員にはケガ人もなかったんですが……」

 そこまで言って言葉を詰まらせる。

 すると女の子が、老女にすがりつくようにして泣き始めた。

「お婆ちゃん、私の冠がぁ〜」

 老女は孫の頭を優しく撫でながら慰めるように言った。

「残念だったね。また新しいのを買いに行こうか?」

 だが、女の子は首を左右に振って拒否した。

「やだ。あれは、お母さんに買ってもらった大切な宝物だもん」

 そう言って、さらに激しく泣き出してしまった。

 その様子を目の当たりにして、いたたまれない気持ちになる。

 事情を聞くと、母親は病気のために亡くなったということを知った。

 母に買って貰った冠は彼女にとって特別なものだ。それが奪われたのだから、取り乱すのも無理はない話だ。

 強盗犯は、店の貴金属を奪った際に、それがオモチャの冠と分からずに持って行ってしまったらしい。

 店にあった他の高価な宝石類に比べれば、ゴミの様なものだが、女の子にとっては母親との大切な思い出の品なのだろう。それを盗まれたことは、何よりも辛い出来事に違いない。

 拓真は胸が痛んだ。

 泣いている女の子に近づく。彼女の目線に合わせるようにしてしゃがみ込むと、できるだけ優しい声色で語りかけた。

「大丈夫だよ。いい子にしてたら、きっと戻ってくるから」

 その言葉に女の子は顔を上げた。涙で濡れた瞳で拓真を見つめる。

 拓真はニッコリ笑ってみせた。

 女の子の表情が少しだけ和らいだ気がした。それでもまだ不安なのか、目に涙を溜めている。

 拓真は、困っている人を放っておけない性格だ。

 たとえ、どんな小さな出来事であっても、自分にできることなら助けてあげたいと思ってしまうのだ。

 特に、この年代の子供に対しては尚更だった。

 子供は純粋だ。

 大人が思っている以上に敏感で感受性が高い。

 彼らの目には世界がどのように映っているのだろうか? その目に映る世界はとても美しく輝いているのかもしれない。

 しかし同時に、残酷で冷酷な一面もあるはずだ。だからこそ彼らは傷つくこともあるだろう。

 そんな人を支えてあげることが大人の使命であると思うのだ。

(――この子のために出来ることをしてあげよう)

 そう思うと、自然と身体が動いていた。

 拓真は、周囲の聞き込みをすると、商店を襲撃した連中は4人組だったということだ。

 全員覆面をしており、顔を隠していたようだが、背格好から推測する限り、おそらく若い男たちであろうということが判明した。

 服装は黒っぽい上下揃いのジャージ姿だったらしい。

 逃走に使った車種は白のワンボックスカーだということも分かった。

 その瞬間、拓真は思い当たるものがあった。今日、女の子を撥ねようとした信号無視の車だ。

 ナンバープレートは覚えているが、普通自動車でありながら、3ナンバーではなく4ナンバーだったた。4ナンバーは軽トラックなど小型貨物自動車のナンバーだ。そこから推察できるのは、ナンバープレートの付け替えだ。

 多少なりとも隠蔽工作を働いているとなると、車そのものも盗難車やレンタカーの可能性が高くなってくる。そうなると、持ち主を特定するのは難しいかもしれない。

 ただ、一つ言えることがあるとすれば、車種と色だけは変えようがないという点だ。

「もたもたしているヒマはないな。情報に時間短縮の上のせの料金になるが、あの人に頼むか……」

 拓真はスマホを取り出すと、ある人物に連絡を入れたのだった。


 ◆


 夜になっても、まだ蒸し暑さが残っていた。

 日が落ちると少しは涼しくなるかと思ったが、昼間とさほど変わらないようだ。

 街灯が灯っているためか、それほど暗く感じなかったが、それでも人気が少ないためか不気味さを感じるほどだった。

 拓真の眼前に、廃墟と化した製鉄所がそびえ立っていた。

 3階建ての建物で、かつては多くの労働者たちが働き、鉄を生産していたという。今は見る影もなく寂れており、打ち捨てられたままになっていた。

(ここがアジトなのか……)

 建物の前には誰もいない。人の気配すら感じられなかった。

 ただ、敷地を囲む塀の向こう側から明かりが見えたので、誰かがいるのは間違いなさそうだ。

 敷地が広いだけに、見張りらしい者の姿はないし、セキュリティのような物の存在は考えられなかった。そうなると、製鉄所への侵入は容易い。正面からでも入ることは可能だろうと思われた。

 背中には軽量のデイリーリュックを背負う。

 腰ベルトに装着するヒップホルスターから、自動拳銃オートマチック・グロック17を抜くと、遊底スライドを引き、薬室チェンバーに初弾を送り込む。


【グロック17】

 全長:186mm 重量:625g 口径:9mm×19 装弾数:17+1 銃種:自動拳銃オートマチック

 1982年オーストリアのグロック社が開発。

 銃器は金属で製造されるのが常識の時代にプラスチックを使用。フレームや、トリガーとその周辺機構、弾倉外側がプラスチック製となっており、材質にポリマー2を使用し200℃から-60℃の環境下でもほとんど変質しない。

 また、柔軟性も非常に高く発射時の反動を吸収し和らげる効果もあった。プラスチックによって一般的な銃の重さが1kgくらいに対し、625gと軽量化も成功し取り扱いやすい。

 引き金トリガーを引く力も軽く、引く動きも最小限で弾を発射できるため連射しやすいのも特徴だ。

 海の中に長期間沈めても使用可能な頑丈さと信頼性を持っており、軍用、警察用として本国のオーストリア以外にも、フィンランド、スウェーデン、ロシア、インド、フィリピン、日本の警察の警備部、アメリカのFBIなどの法執行機関に採用されている。

 

 拳銃は本物だが、弾薬は実弾ではなく、訓練用のプラスチック弾にしてある。殺しを旨としないからだ。これならば、重要器官でも射たなければ相手は死ぬことはない。

 片刃のスタンナイフを確認する。

 グリップの9V電池と高性能コンデンサーで150万Vの高電圧を発生できる優れものだ。フル充電をしており数秒足らずで対象の意識を刈り取ることが可能だ。

 拓真は黒のバンダナを解くと、ほっかむりにし目元に深く被せて顔を隠す。

 準備が終わると拓真は再び敷地内に入った。

 正面玄関は施錠されておらず、子供でも侵入可能と思われるほど無防備な造りとなっていた。

 中に入っても人気ひとけはない。

 電気系統は完全に死んでおり、照明もない状態だった。

 真っ暗な中を進むことになるのかと覚悟していたが、すぐに目が慣れてくる。

 常人なら、この様な中を歩くことすら困難であろうが、拓真にとっては造作もなかった。

 巨大な溶鉱炉のある工場を抜けると、車両搬入口に出た。そこには数台の車が放置されていた。錆びついた古いトラックばかりだが、真新しい普通自動車もあった。

 何台かある車の中に、白いワンボックスカーがあった。

 それは、今日の拓真が遭遇した車だった。

 まだ車に盗難品があるかも知れない。

 そう思った拓真はその車のドアを開けようとした。しかしドアには鍵がかかっているらしく開かない。

 だが、この程度の鍵など拓真にとっては紙も同然だった。

 拓真は耳掛け式LEDイヤーライトを点灯させると、ピッキングを開始した。

 1分もしないうちにカチリという音と共に開錠される。ドアを開けて車内を探すが、盗難品らしき物は見つからなかった。

 やはりすでに持ち去られた後なのだろう。

 近くの工場から明かりと何人もの人の話し声が聞こえてくる。おそらく奴らの仲間に違いない。

 拓真は工場内に入ると壁沿いをネズミにように身を低くして慎重に進んだ。

 そして一番奥の倉庫まで来ると、機械類の陰に身を隠すようにして中の様子を窺った。

 中には8人の男たちがいた。

 年齢的に20代前半くらいの若い男たちだ。

 全員が統一された黒いジャケットを羽織っていた。

 強盗団だけに、その目は異様な光を放っていた。ギラギラとした目つきをしているのだ。

 8人はそれぞれ木箱の上に腰を下ろし、ビールを片手に談笑していた。

 その傍らには大きなボストンバッグが複数置かれていた。

 どうやらあれが盗んだ荷物のようだ。

「さて、戦利品の確認を始めるぞ」

 リーダー格の男が言うと、仲間が一斉に応じた。それぞれが手にしていた荷物を床に下ろすと、無造作に開け始める。

 高級ブランドの財布やバッグ、一見して海外製と分かる高級時計やネックレス、指輪といった装飾品などが取り出される。

 それらは貴金属修理店から盗まれたものだった。

(間違いないな)

 それを見て確信した。

「ん? なんだこりゃ」

 男の一人が小さな冠を手にした。持った重さから、貴金属ではなくプラスチックにメッキを施したオモチャだと分かったようだ。

 それを見た他の男たちの表情が変わる。

 笑いものにしようとしたのだろう。

 すると、別の男がからかうように言った。

「これは、撹乱のためについでに寄った金属修理店の物だな。あの店で一番の値打ちモンかと思ったら、子供のオモチャかよ! まったく笑えるぜ!」

「あの店、本物だけじゃなくオモチャの修理もしてるのか?」

 さらにもう一人の男が笑いながら言う。

「こんな安っぽいもの欲しがるガキがいるんだな」

 その言葉に、その場にいる全員がゲラゲラと笑い出す。

 そんな彼らを拓真は冷ややかな目で見つめていた。

(こいつら……)

 怒りが込み上げてくるのを感じる。

 奴らは犯罪を犯しておきながら、罪の意識もなく笑っているのだ。

 すると男の一人が、冠をまるでゴミのように放り捨てると、靴で踏みつけようとする。最早、秘密裏に盗み出すどころではなかった。

「やめろ!」

 拓真は立ち上がると、一気に飛び出していた。

 突然現れた拓真の姿に男たちは驚きの表情を浮かべた。

 だが、拓真は躊躇することなくグロッグ17のトリガーを引いた。

 プラスチック弾が発射され、地で弾ける。

 酒が入っていたが、男たちの反応は早かった。手元にあった金属バットや鉄パイプを手に取る。

「誰だ!」

 男の一人が怒声を上げる。

「泥棒さ」

 拓真が答えると同時に、グロッグ17の銃声が4つ響く。

 4発の銃弾が、男たちの足を射つ。プラスチック弾の為に貫く威力は無く、打撃を与えるだけだが、足を撃たれた者は激痛のあまり悲鳴を上げる。

 痛みに耐えかねたのか、その場でうずくまる者もいた。

 だが、拳銃・S&W M39を持った者は怯むことなく反撃を開始する。

 S&W M39は、アメリカの銃器メーカーS&W社が開発した自動拳銃オートマチックだが、男たちの使うのは本物ではない。東南アジアで製造された偽造品デッドコピーだ。9mmパラベラムを発射することはできるが、所詮は偽造品なので性能は低い。

 それでも防弾チョッキボディアーマーを装備していない人間を殺すには充分な殺傷力があった。

 4丁のS&W M39から吐き出された弾丸に、拓真は近くにあった機器の陰に飛び込んだ。

 乾いた発砲音が鳴り響くが、遮蔽物にヒットする音がしなかった。

 拓真は男たちの拳銃の構えを見て、ほくそ笑む。

 なぜなら、拳銃を両手で持っているものの左手は銃把グリップの下を持っているからだ。これはカップ&ソーサー(ティーカッピング)と呼ばれるグリップ方法だ。

 左手は下からしか添えていないので反動(銃身の跳ね上がり)を制御仕切れない。

 つまり、発射した弾丸は常に上に向かって飛ぶことになるため命中精度が低いということだ。

 角度が1°ずれると1m先では約1.8cm。

 拓真と男たちの距離は約8mであることを考えると、1°ずれは14cmにもなるが、実際は銃口のブレも生じているため、その差は1m以上になっていた。

 これでは、狙った箇所に当てるのも難しい。

 拳銃のグリップ方法は、サムスフォワードかクロストサムスが常識だ。

「アマチュア以下め」

 拓真は陰から飛び出すと、身を低くしながら男たちに向かってグロッグ17を連射して射つ。

 当たらないと理解した銃など恐るるに足らない。

 1人目は腕に当たり、手にした銃を放り出す。

 2人目は腹を押さえる。

 3人目は足に被弾し倒れる。

 4人目も腹に2発撃ち込み倒す。

 5人目の男は胸を押さえながら倒れこむ。

 そこまで射った所で、拓真は男たちとの距離を完全に詰め、男たちの拳銃を封じた。

 1m以下の接近戦になれば拳銃は無用の長物だ。

 銃を射って当てるには、「ターゲットを視認する」→「フロントサイトに焦点を合わせる」→「撃つ」というプロセスを経て攻撃となるが、1m以内ではその時間すらない。

 この距離は、格闘術やナイフ術の距離なのだ。

 男たちが驚いている間に、拓真はさらに距離を詰めると、左拳を握り男の顎を撃ち抜く。

 1人目。

 そして、流れるような動きで右肘を男の脇腹に叩き込む。その一撃だけで、男は崩れ落ちるように倒れた。

 2人目。

 拓真は一番近い男の顔面を蹴り飛ばす。鼻骨が折れる感触が伝わってくる。

 3人目。

 続いて腹部への前蹴りを入れると、その男は後方に吹っ飛び、積み上げられたコンテナの一つに背中から突っ込んだ。

 4人目。

 さらに別の男に向き直ると、懐に入り込み、肝臓のある辺りに右拳を叩き込む。

 5人目。

 男が殴りかかって来る。拓真は、それを左手で受け止めると、右手で相手の腕を掴みそのまま後ろに投げ飛ばした。

 6人目。

 6人を倒したことで、拓真はかなり体力を消耗していた。

 だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。

 拓真は、腰のスタンナイフを左手で抜く。刃を向けられた男は怯えた。これが刃物の持つ畏怖だ。戦意を削いだ時点で、もはや戦闘不能と言って良い。

 スイッチを入れるとブレードに電流によるスパークが走る。

 拓真は、男の懐に入ると脇腹にブレードの峰を押し当てて電流を流す。

 150万Vの電撃に男が絶叫を上げる。

 7人目。

 7人いた男たちが全員倒されたのを見て、残ったリーダー格の男が叫んだ。

「ナメるな。クソガキが!」

 男はS&W M39を捨てると懐から、サバイバルナイフを取り出した。

 それを見て、拓真の表情が変わる。

「お前、バカだろ」

 拓真は、そう言うとスタンナイフを収め、ステップを踏んで距離を取るとグロッグ17を構える。

 距離は約2m。

 至近距離には違いないが、拓真の射撃の腕ならば外すことはない距離だった。

「ま、待て」

 男は懇願したが、拓真は待たない。

 全弾を男の全身に射ち込むと、男は動かなくなった。

 拓真は周囲を見回す。

 8人の男たちが倒れている光景は壮観だったが、いつまでも見惚れている訳にはいかなかった。

 拓真は、いくつ本もの細い紐状の物を取り出すと、男たちの手足を縛り上げる。

 警察や軍隊で使用される、樹脂製ハンドカフ(手錠)だ。

 幅は約1cmだが、高強度PA-6ナイロンを使用し、159Kg の引張強度を誇る。強靭性、耐衝撃性、柔軟性があり、ガソリン・オイル等の有機溶剤に対しても優れた耐性がある他、-20~55度と非常に広い範囲の温度で使用が可能な、簡易手錠だ。

 男たちを拘束すると、拓真はオモチャの冠と、貴金属修理店から強奪されたバッグを手にする。

 他の盗品については、警察に任せれば問題ない。

 目的の物を手にすると、拓真は強盗犯のことを通報しながら、その場から逃げ去っていた。


 ◆


 数日後。

 拓真は停車したスーパーカブに乗ったまま、あの女の子が冠をつけて父親と祖母の3人で遊んでいるのを遠目に見ていた。

 花の咲く河川敷で楽しそうに遊ぶ家族の姿は、微笑ましいものだった。

「良かった……」

 そう漏らした拓真の側に、女性が立っていた。

年の頃は20代。

 美人といって差し支えのない顔立ちをしている。

 黒いチュールワンピースに、黒のブラウスを羽織り、肩にはストールを掛けていた。

 足元は白のサンダルを履いており、首元からはネックレスが覗いている。

 髪は長く、艶やかな黒い髪を腰まで伸ばしている。

 そして、彼女はどこか浮世離れしたような雰囲気があった。

 整った顔立ちをしており、目鼻立ちがくっきりとしている。

 まるで人形のような印象を受ける女だ。

 名前を月宮つきみや七海ななみと言った。

 七海は裏社会における口入屋という人材派遣会社であり、金次第で何でも請け負うというのが基本的な商売内容だ。

 拓真が依頼したのは、事件現場から逃走したワンボックスカーの行方だった。

「自分から危険な目に遭って盗み返して、自分の懐には何も得られず」

 呆れたように言う七海に対し、拓真は答えた。

「いいんですよ。俺は、それで」

 その言葉に、七海は笑みを浮かべると言った。

「あなた、みたいなのをバカって言うんでしょうね」

 その言葉に拓真は正直傷き、表情を曇らせる。

 七海は背を向けながら言った。

「でもね。嫌いじゃないわよ。12代目・木鼠小僧の、その性格」


【木鼠小僧長吉】

 享保年間(1716~1736年)に江戸市中を暴れまわった怪盗。木鼠(リス)のように機敏であることから、木鼠小僧と呼ばれた。

 人情に非常に脆い気前の良い泥棒で、永代橋で二八そばを売っている少年が母親の薬代を稼ぐために働いていると知ると、長吉は盗んだばかりの大金をくれてやった。

 また、ある時は、両国橋で身投げしようとしている老人に会うと長吉は慌てて押し留め事情を訊く。

 上州の百姓で、名前は吉右衛門と言った。高い年貢を納めることができず、泣きの涙で娘を五十両で吉原に売ったが、その帰りに大金をスラれてしまったという。

 長吉は老人を哀れに思い盗んだばかりの百両を気前よく、吉右衛門に渡した。

 だが、神出鬼没の木鼠小僧もついに捕まる時が来た。

 取り調べたのは南町奉行所・大岡越前守忠相であったが、長吉の善行を調べ上げ無罪放免にする。

 しかし、長吉は、すぐに奉行所に戻ってくる。

 自分は泥棒以外に他に手に職が無いと述べた。

 そこで、越前守は書状をしたため、そこに書いてある人物を尋ねよと命じた。

 長吉が、その人物を尋ねて驚いた。

 両国橋で助けた吉右衛門だったからだ。長吉はやがて、その娘と結婚して百姓で、身を立てることになったという。


 拓真の顔に笑みが浮かぶ。

 それは彼にとって特別な言葉であった。

 何故ならその言葉は……彼が一番欲しかった言葉だったからだ。

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