叔父語り

惣山沙樹

01 智子

 よう、恵梨香えりか。よく来たな。まあ入れよ。片付けはしてあるからさ。そこのソファに座って待っていてくれ。コーヒー持ってくる。

 そうだ、恵梨香も成人したし、ちょっとくらい受動喫煙してもいいよな? まあタバコは二十歳からなんだが。許せよ。じきにお前もタバコの良さがわかるようになるよ。

 改めて、大学合格おめでとう。叔父さんと同じ文学部だってな。嬉しいよ。専攻は何にするんだ? ああ、まあじっくり決めればいいさ。二年生から選択できるんだってな。叔父さんは国文学だったよ。坂口安吾が好きでな。それで卒論書いた。まあ、今の仕事には直接何も影響してないけど、根気はついたよ。文学部っていうのはそういうところだ。

 さて、忘れないうちに、これ。女子大生になるんだ。カバンとか服とか必要だろう。叔父さん、酒とタバコしか金の使い道ないからな。気にしなくていい。可愛い姪っ子のためだ。少しぐらい恰好つけさせてくれよな。

 ……ふう。やっぱりコーヒーとタバコは相性がいいな。恵梨香も二十歳になったら、こっそり一本吸わせてやる。お父さんとお母さんには内緒だぞ。まあ、それでなくても、恵梨香に余計なこと吹き込むなって散々言われてるんだけどな。もうお前も大人なんだ。自分のことは自分でできる年齢だ。叔父さんのところに来たければいつでも来るといいさ。

 へえ、新居も決まったのか。どこだ……ははっ、近いな。一人暮らしで困ったことがあれば、いつでも叔父さんに聞いてくれ。叔父さんは二十年以上やってるからな。こう見えて自炊もするんだぞ? 今度、焼きそばでも食べさせてやるよ。

 ふぅん……そうか。まあ大丈夫だよ。叔父さんも入学したとき友達居なかったけど、じきに知り合いが増えるようになるさ。叔父さんは軽音サークルに入っててな。おい、笑うなよ。叔父さん、ドラムできるんだぞ。まあ、もうエイトビートくらいしか叩けないと思うけどな。ともかく、そこで友達ができた。恵梨香も何か興味のあるところに顔を出してみるといいさ。

 当時の友達とは、もう連絡取ってないけどな。みんな結婚して子供持って話題も合わなくなったし。叔父さんみたいな独り身の男にとっちゃ、そういうの、キツいんだよ。まあ、恵梨香が生まれたお陰で子供の可愛さは知ることができた。お母さんそっくりの美人さんになったな。叔父さん、今から悪い虫がつかないかどうか心配だよ。

 えっ、彼女? いたさ。その、軽音サークルでな。二つ上の先輩だった。ボーカルだよ。流暢に英語を喋れるもんで、洋楽のコピーバンドを組んでたんだ。付き合ってからも、お互い遠慮があってな。智子ともこさん、ってさん付けで呼んでた。

 智子さんとは、彼女が大学を卒業する直前で別れたよ。今は何をしているのか知らない。結婚願望もない人だったから、もしかしたら独身かもな。なぜ叔父さんみたいな冴えない後輩の告白を受けてくれたのか、今でも謎だよ。まあ、あちらは子犬みたいに思っていたのかもしれない。

 叔父さんにとっては、初めてできた彼女だった。デートの作法なんてまるでわからなくてな。けど、智子さんは洒落た店とかを嫌った。食事は大体ラーメンか牛丼。食ってから喫茶店に寄ってタバコ吸って、叔父さんの部屋に来る。そんなデートだったんだ。

 そうだ、ある冬の夜のことでな。智子さんと毛布にくるまって寝ていたんだ。ずっしり身体が重くて目が覚めた。智子さんが馬乗りになって、俺の首を絞めていたんだ。物凄い力だった。か細い人だったんだが、どこにそんな力があったのか不思議なくらい、ぎゅうぎゅうと絞めつけてきた。

 とっさに心の中でお経を唱えたよ。そういう勘が働いてな。すると、智子さんの力がゆるんで、だらりと俺にしなだれかかってきた。揺り動かして起こしたら、記憶はあったみたいで、自分のしたことに驚いていたよ。

 連れてきていたんだな。ほら、恵梨香も感じる子だから、そういうのわかるだろう? よくよく話を聞いてみたら、俺と待ち合わせる前、交差点で妙にニコニコしたお婆さんとすれ違ったらしい。会釈をされたからし返したんだと。それがまずかった。

 とりあえず部屋を塩で清めて、二人で日本酒を飲んだ。叔父さん、その頃からお酒を集めるのが趣味だったからな。わざわざ買いに行かなくても部屋にあったわけよ。幸い、すぐによそに移ってくれたみたいで、その後はもう何もなかった。

 恵梨香も大学に入れば知り合いが増えるだろうが、見覚えのない人には会釈するんじゃないぞ。あれは、なすりつけようとしているんだ。もし連れてきちまったら叔父さんに言え。追っ払ってやる。

 なんだ、こわくなっちゃったか。すまんすまん。とりあえず、清める用の塩、持って帰っておくか? 弱いのならこれだけで効く。これから一人暮らしをするっていうのに、不安にさせちまったな。まあ、大丈夫だよ。恵梨香には叔父さんがついてるからな。

 夕飯、どうしようか。焼肉でも行くか。恵梨香、好きだろ。近所に美味い店があるんだよ。叔父さんは遠慮せずにビール飲むぞ。安心しろ。姪っ子の前で酔いつぶれるほどは飲まないからよ。叔父さんはお父さんとは違って酒は強いんだ。ああ、早く恵梨香とも酒が飲みたいな。二十歳の誕生日が今から楽しみだ。

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