最期の告白

つゆり歩

最期の告白

 夏休みの終わり、八月三十一日の朝にその知らせは突然やってきた。どうやら明日、世界が終わるらしい。突然すぎて訳が分からなくて、涙も出なかった。地球に巨大隕石が急加速で、近づいて来ているのだという。回避することは不可能で、この世に生きるものたちは皆、最期を迎えるのをただ待つことしか出来ない。家族は、泣いていた。だけど、私は泣けなかった。

「お母さん、私学校行ってくるね」

「何言ってるのよ。最期の日なんだから家にいなさいよ」

「最期の日だからこそ、青春を過ごした学校で過ごしたいの」

 私はそう言いながら、制服に着替えてスクールバッグを持って玄関へ行きローファーを履いた。

「お母さん、私を産んでくれてありがとうね。もし、来世があるならその時は、またお母さんの子どもに産まれたいな」

「未希……私も同じ気持ちよ」

 お母さんは、最後にぎゅうと私を抱きしめてくれた。最期の日だというのに、家で過ごそうとしない身勝手な娘でごめんなさい。だけど私は、どうしても最期は学校の部室で過ごしたい。

 家を出て街に出ると、そこは騒然としていた。パニックになっているもの、泣き喚いているもの、暴動を起こしているもの……。そんなことをしたって、未来は変えられないのに。無駄な時間を過ごしているなぁ、と私は彼らをかわいそうに思いながら、学校へと向かった。辿り着いた学校は、当然のように明かりはついていなかった。明かりのついていない学校に入るというのは、何だか悪いことをしている気分になって、少しテンションが上がった。私はいつだって優等生だったから、先生たちがこんな私を見たらきっと、がっかりするだろう。だけどもう、先生たちに会うこともないから良いのだ。

 フェンスを乗り越えて、暗い校舎の中に入った。確か、一階の一番端っこの廊下の窓が割れていて、開いていた気がすることを覚えていたので、私はそこへ向かった。予想通りそこだけぽっかりと割れていて、中へすんなりと入れた。不用心だと思うけれど、今はその不用心さに感謝した。問題はここからだ。基本的に夏休み期間は、すべての教室のドアが閉まっていて、部活動がある日のみ顧問の先生が先に来て開けてくれている。それぞれの教室の鍵は全て、職員室にあるけれど、そこももちろん閉まっている。どうせ明日世界が終わるのだから、窓を割って入るというのも良いかもしれない、とも思った。だけど、真面目な性格な自分が少し躊躇っている。

「もしかしたら……」

 時々、本当に時々だけれど鍵をかけ忘れていて開いていることもあるという。それにかけてみた。

「開いてる……」

 奇跡的に音楽室のドアが開いていた。音楽室に入れさえすれば勝ちだ。この部屋で、二年間吹奏楽部部員として青春を過ごしていた。楽器は、トランペット。音楽室と地続きになっている奥の準備室に楽器が置いてある。そこは鍵がかかっていることはないので、簡単に楽器を取り出させた。この前コンクールが予選落ちで終わってしまって、だけど夏休み明けにはすぐに文化祭があるから、気持ちを切り替えていこう!と皆で気合を入れていたのに。もう文化祭を行うことは出来ない。世界が終わると知っても、寂しいとか悲しいとか思わなかったけれど、〝文化祭がない〟と実感してしまったら、急に悲しくなってしまった。

「もっと部活やりたかったな」

 もっと、もっとトランペットを上手く吹けるようになりたかった。私は楽器を取り出して椅子に腰を下ろした。コンクール後から今日まで使っていなかったから、メンテナンスをして文化祭でソロパートを任されるはずだった曲を吹いてみた。あぁ、やはり楽しい。夢中で吹いていたから、音楽室に私以外の人が入ってきていることに、拍手の音がするまで気が付かなかった。

「上手だね」

 はっと振り向けばそこには、同級生で同じトランペットを吹いている私が好きな男子……蓮見くんがいた。入学してからずっと同じクラスなこともあって、一番会話をする男子だ。最初は友達だったけれど、私の中での蓮見くんへの想いは、どんどんと違う方向へと変わっていった。蓮見くんに恋をしていたのだ。

「どうして、ここに?」

「花咲さんと同じだよ。俺も世界が終わる時は、大好きなこの場所で、終わりたいなって思っていたんだ。まさか、先客がいるとは思わなかったけどね」

 そう言って蓮見くんは優しく笑った。

「俺もトランペット吹こうかな。良かったら毎日パート練習で吹いていた曲吹かない?」

「いいね、やろう!」

 蓮見くんが準備をしている間、私の心臓は高鳴っていた。だって、世界最期の日を好きな人と好きな場所で過ごせるなんて思いもしなかったから。私はずっと蓮見くんに片思いをしている。前に、部活内で雑談をしている時に蓮見くんには、好きな人がいるということを知ってしまったからだ。その人と、付き合っているのかどうかは分からなかったけれど。それでも、私には十分すぎるくらいショックな内容で、私のこの想いは永遠に蓮見くんには伝えないでおこう、と思った。だけど、もし本当に明日世界が終わるというのなら、告白しても良いのではないだろうか。たとえ振られたって、どうせ終わる命だ。時計を見てみると世界が終わるまで残り二十分を切っていた。

「準備出来たよ」

「じゃあ、吹こうか。この二年で、もう何回吹いたか分からないよね」

「そうだね。たくさん思い出がある曲だ」

 それから私のせーのの掛け声と共に、二人で練習曲を奏でた。毎日パート練習の時に吹いた曲。私がメロディを吹いて、蓮見くんが支えてくれて…。たった一分ほどの曲だけれど、とても美しくて、楽しくて、ずっと吹いていたいって思う曲。

「ありがとう、蓮見くん」

 吹き終えてから私は、蓮見くんの顔をじっと見つめながらそうお礼の言葉を紡いだ。蓮見くんが来なければ、私は今日ここで一人きりで最期を迎えることになっていた。それでもいいから、大好きなこの場所に来たのだけれど。

「俺の方こそありがとう。俺、明日世界が終わるなんて信じられなくてさ……。けど、街のざわめきとか家族の反応とか、テレビから聞こえる報道とか見てたら、あぁ本当に終わるんだなって。嫌でも実感させられて……。世界が終わる前にこの場所に来て、大好きなトランペットを吹きたかったんだよね」

 蓮見くんは愛おしそうに、トランペットを撫でながら真っ暗な窓の外を見つめている。

「私も……。最期はここに来たかった。親は最初反対していたけれど、最後は認めてくれた。ここに来てよかったって心から思ってるよ。こうして蓮見くんとも会えたし」

 心臓の音が先ほどよりも煩いし、手も震えている。だけど、もう今日しか伝えられる機会はないのだ。

「蓮見くん!」

 私は立ち上がり、蓮見くんの前に立った。

「ど、どうしたの急に?」

「私、高校一年の時に蓮見くんに出会ってから、ずっとずっと蓮見くんのことが好きでした! トランペットにしたのも、蓮見くんがトランペットを選んでいたからなの! だから、最期の日に大好きな蓮見くんと大好きなトランペットを奏でることが出来て、最高に幸せです!」

 これまでの人生でこんなにも大きな声を出したことがあるだろうか、と思うくらいの声で私は必死に蓮見くんへの想いを伝えた。

「ほ、本当に? ちょ、ちょっと待って。俺、今、興奮しててやばい……。どうしよ……!」

 え? え? となぜか蓮見くんは一人で頭を抱えている。私は何て声を掛けたらいいか分からず、ただそこに立っていた。

それから数分後、気持ちを整えたらしい蓮見くんは椅子から立ち上がった。そして、私のことをぎゅうと抱きしめてきた。

「えっ⁈」

「俺も、花咲さんのことが高一の時から好きだったんだ。だけど、勇気が出なくて全然告白出来なくて……。友達としていられるだけで、幸せだなって思うようにして……。ずっと言えずにいた。俺たちずっと両想いだったんだね……!」

「あ、あははっこんなことあるんだねっ世界が終わるって時に、両想いが発覚するなんて……っ」

「本当だね」

 私たちは笑い合った。告白して振られても良いって気持ちでいたのに、まさか両想いだったなんて。どちらかが勇気を出していたら、私たちは恋人になれていたのに。

「じゃあさ、残り三分だけどこの間は私たち恋人でいられるね」

「そうだね。三分間だけの恋人だ。だけど、それでも俺は嬉しいよ。未希は?」

「恋人になった瞬間名前呼び?じゃあ、私も……。望くんと最期の瞬間に恋人になれて嬉しい。来世ではもっと長い期間、恋人でいられたらいいね」

 こうして抱きしめあったまま、最期を迎えたのならきっと神様も、来世で私たちを巡り合わせてくれるだろう。神様が巡り合わせてくれなかったとしても、絶対に見つけるけれど。

「そうだね。あぁ、もう残り一分だ。最期はキスしていようか。そうしたら何が起きても怖くない」

「うん」

 月明かりが差し込む二人きりの音楽室で、私たちは一分間キスをし続けた。互いのことを強く、強く、抱きしめて絶対に離さないと誓って。

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