時間遡行少女のナイトメア

使徒凛

万象の呼び声

 昨日まで笑っていたあの娘が、今目の前で空っぽになった骸を晒している。

 実に唐突で、私には涙を流すほどの情動の流れさえも許されなかった。

 唐突——確かに今日こうなるとは予期できなかった。

 しかし、予兆はずっとあった。いつかこうなるんじゃないかって状態は、ずっと前から続いていた。

 対策の仕様はいくらでもあったはずだ。

 なのに、彼女の何事もないような笑顔が、私にそれを躊躇わせた。

 私があの娘を気に掛ける度に、彼女は「大丈夫」と力強い笑顔を向けてきた。それを前にして、私は行動力を失った。本当に大丈夫なんだろうという甘えが生じた。

 その結果が、この無惨な姿だ。

 深く凹んだ頭蓋と飛び出した右目が、死因となった衝撃の痕跡だろう。穴の開いた掌と乱雑に裂かれた薄緑の花柄ワンピースが、直前の拷問を想起させる。そして見慣れた全身の痣は、日常的に振る舞われていた暴力の最期の証だ。

 そんな残酷窮まった幼馴染を前に、私は立ち尽くしていた。


 ——私は今まで、一体何をしていたんだ。


 自問した。


 ——私はなんで何もしなかったんだ。


 自責した。


 ——そっか、私は自信がなかったんだ。自分の力じゃ救えないって思ってたんだ。


 自解した。


——何が助けたいだって? 私、嘘つきじゃん。


自棄した。


 【再生ペルセポ】の力でたくさんの人を癒してきたつぼみは、愛してやまない両親の手によってあの世に連れ去られた。

 どんなに傷つけられても、どんなに罵られても、つぼみは笑顔を絶やさなかった。そんな強くて優しい子に、私なんかが何ができるんだってずっと悩んでた。

 うじうじ悩んでるくらいなら、とりあえずなにかやってみればよかったんだ。

後悔が溢れた。掌に爪が食い込むほど拳を強く握りしめ、行き場のない激情を体を震わせた。


 パキュッ。


 奇怪な音がした。咀嚼音とも破裂音とも取れる音が正面からした。

 見ると、子猫ほどの仔牛の姿をした私たちの契約魔獣が、つぼみの頭蓋と脳味噌を踏みにじっていた。

「……ね、ねぇ……ヌッコ。何を……してるの?」

 私たち魔法少女の契約魔獣は、人々から私たちに関する記憶を消すために度々助けた人の頭を踏む。だからその仕草自体には疑問はない。

 ただ、今回は踏むなんて生易しいものじゃない。

 いつもと変わらず事務的に、何の躊躇もなく、明確な破壊を意図して、つぼみの脳を潰した。

「何って、みんなの記憶からつぼみを消すんだよ。この作業なくして、どうやってつぼみの失踪を説明するの?」

「そもそも、消さなきゃいけないの?」

「消さなきゃいけない。じゃなきゃ、今まで君たちが人を助ける度に記憶を消してた意味がないよ」

 ヌッコに、迷いはない。長い時間を共にして、つぼみがたくさんの友達から愛されてたって知ってるはずなのに。

 私が絶句している間にも、ヌッコはつぼみの脳をふみふみしている。

 淡々と、脳が地面に平べったく広がるまで、踏み伸ばしていく。

 その表情は、どこか不満げだった。悲しさや寂しさみたいなものはなかった。

 ただただ、物足りなそうに虚空に向かってパクパクと口を動かしていた。

「こんなものかな」

「え?」


「コホォ」


 突然、ヌッコが火を吐いた。満遍なく、地面に伸ばされたつぼみの脳を炙っていく。

 何をやっているのかと疑問に思ったのも束の間。


 ——パキッ。


「……え?」

 一瞬、思考が停止した。

 ヌッコは何をしているのか。

 堅いものが割れる音がした。ずっとその様子を見ていたはずなのに、先に理解したのは耳で聞いた情報だった。

 目で見た情報があまりにも悍ましくて、私の脳が理解することを拒否したんだ。

 でも理解したとき、視覚と聴覚の情報が一致したとき、私はこみ上げる恐怖と強い嫌悪感に襲われた。


「うっ、げぇっ」

「困ったなぁ。そういうのはもうちょっと後にして欲しいなぁ。こんな楽しみ滅多にないんだよ」


 喰ったんだ。つぼみの脳を。まるでせんべいのように薄く乾いた脳を。

 凄まじい勢いで、喰っていった。あっという間に、つぼみの脳は一片たりとも残されずに喰いきられた。

 続いて、ヌッコは残された身体も生で食べ始めた。先ほどとは違う湿っぽい咀嚼音と骨の砕かれる堅い音を立てながら、つぼみの身体は実存を失われていく。


「脳は炙るのがいちばんおいしいんだけどね、鮮度のあるうちは生もそそられるよね」

「な……あぁ」


 言葉が出なかった。

 喪失感とも嫌悪感とも、あるいはその他もごちゃまぜになったような理解できない感情が、私の足を目の前に置かれた死体に突き動かした。

 一歩——なにか踏んだ。足の裏に柔らかさを感じて、足を退けようとする前にそれは掛けられた圧力に弾かれて転がっていった。

 少しして停止したそれを注視すると、それは眼球だった。


「ひっ」


 見覚えがある。なのに記憶にない眼がそこに転がっていた。


「あれ? ……あれ?」

「いくら魔法少女といえど、肉体まで失われてしまったら記憶の維持はできないみたいだね。なるほど、勉強になったよ」


 動揺はあった。恐怖もあった。でも、絶対的な感情があった。

 後悔だ。

 私がもっと積極的に動いていていれば、つぼみのあの笑顔を振り切っていれば。

 ヌッコが死体を喰い進めると共に喪失感も増していく中、それだけは揺るがず寧ろ強くなっていった。


 だが、何もできない。ヌッコを止めようとも思わない。足が動かない。

 祈りは一つ。少しだけ……せめて夏休みが始まる前まで戻れたら、きっと。


 その祈りが最高潮に達したとき、頭に声が響いた——。



『キミに、友を助けるためにこの悪夢を繰り返す覚悟はあるかい?』

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