第2話 神隠し

 その日。

 私は晃人と、あと数人の友達と、神社の境内で遊んでいたらしい。

 でも、晃人の言うところによると、『ちょっと目を離した隙に』消えてしまった。


 どこへ消えたのか?――これは、残念ながらわからない。

 何故って、さっきも言ったように、私には、神隠しに遭う前の記憶が、一切ないんだから。



 神隠しに遭ったとされる日の、翌日。

 私は、同じ境内の桜の木の下で発見された。


 服装は前日と変わらず、特に汚れてもいなかったらしい。

 上は白いブラウスに、下は淡いサーモンピンクのスカート――という格好で、木に寄りかかるようにして眠っていたそうだ。



 私が目を覚ましたのは、そのまた翌日。

 目を開けると、優しそうな女の人の顔が、すぐ前にあった。泣きらしたような真っ赤な目で、私を見つめていた。


 驚くことに、その時の私は、自分の母親のことを、すっかり忘れてしまっていたんだ。

 だから、その〝優しそうな女の人〟が自分の母親だなんて、少しも気付きもしなかった。


 母親だけじゃない。父親も友人も、近所の人も、みんな。

 みんなみんな、私は忘れてしまっていたのだ。



 両親はショックを受け、そしてとても心配して、私をいろいろなお医者さんに診てもらったそうだ。

 結果はいつも、『ショックによる一時的な記憶の喪失、混乱』。気持ちが落ち着けば、徐々に失った記憶もよみがえり、元の生活に戻れるだろう、とのことだったそうだけど――。


 ……私はいまだに、神隠しに遭った日から前のことを、思い出せないままでいる。



 記憶が戻らないと言うと、何だか、すごく大変なことになったんじゃないかとか、苦労したんじゃないかとかって、思われてしまいそうだけど。

 実は、全然そんなことはなくて。


 ……あ。

 でも、ある程度大きくなってから、こんなことが起こったんだとしたら……それはもう、大変だったかも知れないな。

 積み重ねて来た膨大ぼうだいな記憶があるだろうし。それが一気になくなっちゃったとしたら、やっぱり、ものすごく苦労したんじゃないかな。



 運のいいことに、私は子供だった。

 小学校に上がる前の、小さな子供だったから……そこまで、困ったことにはならなかったんだと思う。

 幸い、箸の持ち方とか服の着方とか、乳幼児の記憶までが、なくなったってわけじゃなかったし。


 ……まあ、仲良かったはずの友達や、生まれてからずっと一緒だった両親のこと――大切な思い出までが、全く記憶にないっていうのは、とても悲しいことだけど。


 忘れてしまったなら、また好きになればいいし。


 ……それまで好きだった人達なんだもん。好きになれないはずがないしね。

 それまでの大切な思い出が消えちゃったっていうなら、またこの先、たくさん作っていけばいいだけのこと。



 私は、最初のうちは戸惑いもしたんだろうけど、両親と晃人いわく、すぐ慣れたらしい。

 すぐに皆と元通り……なのかどうかはわからないけど、仲良くはなれた。


 お父さんもお母さんも大好きだし、晃人も大好きだし、近所の人達も、学校の友達も、みんな好きだ。

 だから、何の問題もない。


 何の問題も……ないんだ、けど――……。




「おい、どうしたんだよ? またぼんやりしやがって」


 私の顔の前で、晃人が片手を左右に振ってみせる。

 あえて無視して、私はポツリとつぶやいた。


「……考えてたのよ」


「考えてた? 何を?」


「……『神隠し』」


「神隠し、って……今? ずっと?」


「そう。……今、ずっと」


 晃人は困ったように眉を寄せ、軽く頭を掻いた。


「……ん~……、そりゃ、思い出させちまったのは俺だけど……。今更あれこれ考えたってさ、答えなんか出ないんじゃないか?」


「そんなことわかってる!!……わかってる、けど……」


 声をあららげてしまい、私はハッとして口をつぐんだ。

 晃人は、再び困ったように頭をくと、ためらいがちに切り出す。


「そんなに気になるならさ。久し振りに行ってみるか、あの神社?」


「――え?」


「おまえが辛くなるんじゃないかと思って、今までけてたけど……。どうしても気になるってんなら、あの神社行ってみてさ、気の済むまで考えてみればいいじゃん。何か思い出せるようなこと、あるかもしれないしさ」


「晃人……」



 私が『神隠し』に遭った、あの神社へ――。



 ……正直、ちょっと怖い気もするけど。

 このままずっと、スッキリしない気持ちを抱えたままなのも嫌だ。



「……うん、わかった! 行ってみよう、あの神社へ!」


 わざと大きな声を出し、自分をはげます。



 ……大丈夫。晃人も一緒なんだから。

 神隠しになんてもう、遭うワケないんだから――。

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