三 迷子のハリネズミ

 騒がしい鳥の声に目が覚めた。縁側を挟んだ窓から明るい光が射しこんでいる。

「朝か」

 この家で暮らし始めて早いもので一週間。携帯の充電はとっくに切れて、家から一歩も出ることなく布団の中で怠惰な時間を過ごしていた。

 都会に居る時は同じように一日中布団の中にいてもやたらと気が焦り、自分は昼間から怠けて何をやっているのかと自己嫌悪ばかりが募っていたのだが、この家にいると自分のペースで生きればいいやという気分になってくる。

 不思議なことにそうなると逆に、少しずつ身を起こす時間が増えていった。ほんの少しでも回復してきているという実感が嬉しい。

 手始めにキッチンと土間、囲炉裏のあるリビングと寝室として使っている部屋を掃除してみる。今日は天気が良くて久しぶりに外へ出たくなった。中庭の窓を開ける。びゅっと強い風が吹いて思わず身をすくめた。両腕をさすりながらそれでも少しずつ緑や蕾が増えていく景色に肩の力が抜ける。

「もうすぐ春なんだな」

 改めて振り返り、部屋を見渡すと、敷きっぱなしの布団に脱ぎっぱなしの服がある。さすがにいい歳をした大人がこれでは情けないと苦笑いしてしまう。せっかくの古民家暮らし、少しくらいそれらしく楽しみたいなという気分が湧いてくる。

 自分から何かしたいと思うのはいつぶりだろう。

「よし」

 久しぶりに心も体も軽い。いそいそと放ってあった携帯を拾って、少ない荷物から充電器を探し当てた。

「そう言えば、コンセントってどこだろう」

 まさか無いってことはないよな、と不安に思いつつ、朝食のついでに確認できるようにキッチンで探す。思いのほかすぐに見つかった。そりゃそうだよなと苦笑い。冷蔵庫にテレビ、電子レンジにトースターと一通りの家電はあるのだから当然だ。

 いつものように簡単な朝食をペットボトルの天然水で流し込み、近隣で買い物ができる場所を検索する。ちらりと目に入った囲炉裏を見つめること数秒、試しに使い方も検索してみる。

「うーん。今日はやめとこう」

 溢れる情報に諦めるのは早かった。


 少しばかり身なりを整えて外へ出た。スーパーで総菜や飲み物を買い込む。ずしりとした重みに生活感があって、生きてるんだな、なんて変なことを思ってしまう。

 大通りから脇道に入ると、街中を巡っている細い水路が耳に楽しい。

 軽い足取りで歩いていると、シャーっと威嚇する声が聞こえた。驚いて立ち止まる。見ると、何やら全身トゲトゲした小動物が、猫に追われているようだ。気迫に負けてじりじりと後ずさっている。

「あっ」

 僕が声をあげるのと、バシャリと跳ねる水音がしたのは同時だった。トゲトゲが水路に落ちたのだ。はずみで水がかかった猫はぴゃっとどこかへ行ってしまった。さすがに見て見ぬ振りもできなくて、その子を掬い上げる。

「ハリネズミ、だよね?」

 そっと地面に降ろすと、ハリネズミらしきその子は体をふるふるさせて座り込んだ。僕に触られても暴れる様子はなくて、距離を摂る様子もない。完全に人に慣れたペットだった。辺りを見回すが、飼い主らしき人影はない。むしろ見える範囲に人はいなかった。

 人馴れしたその頭を撫で、もう落ちるなよと釘をさしてみるけれど、きょとんと見上げる瞳はきっと分かっていない。

「ちゃんと家に帰るんだぞ」

 そうは言ってみたものの、てちてちと歩く姿に目が離せなくなった。びしょ濡れのまま、時折ふるふると体を振って水滴を飛ばす。曲がり角まで来ると後ろ足で立ち上がり、きょろきょろ、ぴくぴく顔と鼻を動かして、勘を頼りに進んでいる。

 石畳の道は車も少ないけれど、放っておけずにしばらく後ろを着いて行った。

 結局、途中で見失ってしまった。

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