短編集
柊 ポチ
遠い日の感情
いつからか面倒になってた。
好きだった音楽を聞くのも。映画を観るのも、本を読むのも。
もともと文学に触れるのが好きで、詩を書くのも好きだった。“だった”んだ。
「…、んー…。」
机を叩く。音を消して、考えてみる。が、なにも浮かばない。
もう、感性が働かないのだ。なにも感じない。
出来ればこの仕事で食べていきたかったけど、到底無理だったから普通に就職した。未だに趣味程度に書き溜めてはみるが、誰かに見せられるほどじゃない。
メモ帳に溜まり続ける戯言。
共に溜まる不満。
時間と言う概念の中、ギリギリで吐き出す言葉があまりにも屁理屈過ぎて。
もっと前は、繊細な言葉がたくさん浮かんでいたのに。
背中で触れる秒針の音。止まる様子もなく一定に進み続けている。
もがいていたつもりだった。前に進んでいたつもり、だった。
けれど違ったみたいで。
「一つ休憩はいかが?」
そう声を掛けられ、思考をとめた。
溢れる程の言葉を抱えきれないほど持っているから吐き出せないのか。なににも感性が触れないのか。定かではないけど、カフェの店員にそう言われて手を置く。
眉をさげ、困ったように笑いながら珈琲を差し出す。
「これ、サービスです。よかったら。」
中年の男性がそう言うと、コトリ、と置いて去っていった。
「あ、あの、ありがとうございます。」
長く声を出していないせいか、少し詰まった音を吐き出す。が、気にも留めずに会釈すると豆を挽き出した。
ふわりと香るそれに心が安らぐ。一口飲んでみれば、視界が晴れた気がした。
「貴方は昔から考え込むと煙草が増えますよね。」
「そう…でしたっけ。」
目の前に目線を配ると、二口ばかり吸ったものや、フィルターぎりぎりまで吸ったもの、酷いものは火をつけてそのままにしていたのか焦げたような色の煙草が散乱していた。
「いつもたくさん頼んでくれるから、今日はサービスしますよ。」
「いえ、そういう訳にはいきません。」
「じゃあ…、その作品見せて下さい。対価交換です。」
名もない詩書きの名もない言葉たち。
人に見せるほど、対価交換に出来るほどの価値を感じない。
そう思って、思わず手を握る。汗が滲み出して少し不愉快だ。
「あなたの作品を楽しみにしている人もいるんですよ。僕はあなたのファンですから。」
目頭が熱くなったのはいつぶりだろうか。
感情が溢れだしそうになって、流石に大人だからと飲み込んでしまった。
「情景が上手に浮かばないんです。ここの所ずっと。きっと、不快にさせるような屁理屈を並べていますが、それでも見ますか。」
「見ますよ。」
暮れ出した空が紫に広がり始めた頃、知らなかった自分の世界があったことに気づく。
遠い日、書き連ねては読んで、充足を得ていたあの頃へ戻りかける合図の紫だった。
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