第4話 天城野々花からの電話

 今日も窓際族としてみんなにいびられ、屈辱を受けても耐えた。野々花とかいう女の子、その子の目が覚めて連絡が来るまでは死ねない。


 チャンネルを覗いてみても、俺が普通すぎて誰だかわからなかったのか登録者数が増えているはずが……。


「な、なんだこれ」


 昨日まで0人だった登録者数が、10万人に跳ねあがっている。


 配信のアーカイブには「野々花たんの敵!」だとか「野々花たんを助けてくれてありがとう」だとか好き勝手書いてある。


 野々花って子、慕われてるのか。そりゃそうだよな、あんだけ可愛くて実力もあればちやほやもされて当然だ。俺とは根本的に生きる世界が違う。


 でも、十万人に増えたこのチャンネルがあれば、何か変わるかもしれない。そしてダンジョン限定で発動する謎の力も。なんでもできるみたいだし、オールラウンダーと名付けよう。


 給湯室で時間を潰しすぎたのか、新井田課長がやってくる。俺は慌ててスマホをポケットに入れた。ため息が新井田課長の口から洩れる。


「窓際族のくせにいいご身分だな。辞めたいならクビってことですぐに辞めさせてもいいんだぞ?」


「すみません。席に戻ります」


 所詮、チャンネル十万人程度では威張れるものでもないし、仮にチャンネル登録一億になっても上司たちは変わらないだろう。そんな確信がある。


 戻る途中、高橋とはちあった。行く先を阻むように目の前に立たれる。


「あの、通れないんだけど」


「え? 聞こえないなあ。今晩も先輩の奢りで飲みに行きたいなーってだけで。先輩が後輩に奢るのは当然のことっすよね?」


「……昨日何万も奢ったばかりじゃないか」


「あ?」


「ひっ……」


 後輩に睨まれただけでこれだ。やっぱりあのとき野々花とかいう少女を巻き添えにして死んでおけば……。


 そのとき、俺のスマホが鳴った。高橋は仕方ないから出ろ、と言わんばかりの表情である。俺が画面を見たときは、未登録の番号からだった。いたずら電話か……と思いながらも、電話に出る。


「もしもし」


『あっ、おじさーん! 元気してるー?』


「の、野々花……ちゃん……?」


 危ない、うっかり呼び捨てにするところだった。高橋は野々花の名前を聞いて顔色を変える。


「嘘だろ、野々花たんから電話……いや、ないわ。先輩ごときが野々花たんに声をかけられるわけ……」


『むっ。しっかり聞こえてるよ! 野々花の命の恩人いじめてんの!? 野々花のリスナーが!? ガチで許せないんだけど!』


 反応から見ると、野々花は俺の味方らしい。そんなこととはつゆ知らず、高橋が俺のスマホを奪い取った。


「あっ……」


「ぐへへ。野々花たんと生電話できるなんて嬉しいなあ。もしもし、俺、高橋祐樹っていいます。付き合ってください」


 こいつ、初対面の少女に告白するか普通!? それに相手は十八歳以下で付き合うなんて厳禁の存在だ。


「え? さっきのおっさん? そんなことより俺と話そうよ。……え? 嫌い? 俺のことを? さっきのおっさんは会社で窓際族やってるただのおっさんで……」


『うるさい!』


 こっちにまで聞こえるくらいの大声で野々花が叫んだらしい。高橋も俺のスマホから耳を離している。鼓膜が破れていればいいのに。


 高橋はダメージを受けていないほうの耳で通話をなおも続ける。


「野々花たん、あんなおっさんより俺のほうがずっといいって。給料も悪くないし、プレゼントだってあげられる……」


『さっきのおじさんを出して! あんたなんて大っ嫌い!』


 耳がキーンとするような金切り声だった。高橋はスマホから頭を離していたが、憑りつく島がないと判断すると俺のスマホを床に叩きつけた。


「あっ……」


「俺に恥かかせやがって。野々花たんとなんの関係があるのかは知らねえけど、必ず仕返ししてやるからな。覚えてろ」


 そう言い残すと、高橋はオフィスのほうに戻っていった。慌ててスマホを拾うと、画面にちょっとヒビが入っているが、機能は生きている。


「も、もしもし?」


『おじさん! 話したかったよー! さっきの高橋とかいうキモ男なに? 先輩?』


「いや、後輩。それよりも、野々花ちゃん、俺の電話番号どこから……」


『うち、財閥ってやつをやってるんだよね。だからお金の力でちょちょいのちょいって』


「軽く犯罪だな!?」


 まさかそんな手を使って迫ってくるとは思わなかったから、ナチュラルに大声が出てしまった。ここが給湯室でよかったと心底思う。


『ぶー。だっておじさんが病院までついてきてくれなかったから。連絡先知らなきゃお礼も言えないでしょ? あのときは邪魔しに来たのかと思ったけど、助けてくれてありがとう。助かったよ』


 最後のほうの言葉は感情がこもっているように思えた。嘘をついているようには思えない。


「野々花ちゃん、ありがとう。でも、さっき高橋が言ってたことは本当なんだ。俺は何のとりえもない窓際族で……」


『そんなのダンジョン攻略に関係あるの? おじさんが戦ったところ、アーカイブで見てたけどあんなスキルみたことない。野々花はダンジョン内で強い人には尊敬するよ。それをあんな言い方するなんてガチでありえないんだから』


「あはは……」


『それよりもおじさん、野々花のことは野々花って呼び捨てで呼んで! 命の恩人にだからこそそう呼んでほしいんだ』


 この子は純粋だな。と俺は思う。俺みたいな窓際族にも優しくしてくれる、オタクに優しいギャルならぬ窓際族に優しいギャルだ。優しさがしみてじーんとしていると、野々花が次の話を切り出す。


『ねえ、おじさんはなんていうの?』


「俺? 俺は長岡。長岡逸見いつみ。野々花ちゃ……野々花、それで電話をしてきた用件って?」


『野々花と放課後会ってほしいの! 野々花ソロライバーなんだけど、仲間もいるからさ。最高にカッコイイおじさんにみんなを紹介したいの! ……だめかな?』


 そんな甘い声でおねだりされたら、男としては行くしかあるまい。また給料が減るが、このチャンネル登録十万というのも理由がわかるかもしれない。


「わかった。会社の近くのファミレスでもいいかな」


『そこは野々花が用意するよ。おじさんの会社に車停めとくから、それに乗って。大丈夫、あのダンジョンは今警察の手で管理されてるから、遠回りで帰らなくちゃいけないおじさんのことも考えてあるし』


「なにからなにまですまないな」


『野々花の命の恩人だもん。これくらい朝飯前っしょ! じゃあ、授業抜けてるからそろそろ戻るね。愛してるよ、おじさん!』


「えっ、あのっ!」


 その瞬間通話が切れ、ツー、ツー、と通話終了の音がスマホから聞こえるのみだった。


 愛してるって、そんな軽々しく言っていいもんじゃないだろ。ちょっと本気にしちゃいそうになるじゃないか。


「そうだ、俺もヒローワーク視なきゃ……」


 俺本来の仕事を思い出してスマホを胸ポケットにしまい、オフィスに戻った。戻るのが遅いと課長に説教を受け、俺は委縮しながらそれを聞き流す。


 それにしても。あの高橋のザマったらなかったな。愛しの野々花は今のところ俺にぞっこんらしいから、プライドの高い高橋のことだから自分より俺が選ばれたことを根に持つだろう。


 ざまあみろ、とはこのことだ。でもあまり調子に乗れば墓穴を掘るのはこっちだ。慎重に、慎重に、ざまあを重ねていかなければ。相手が激昂して殴りかかってこないように。


 新井田課長からの説教が終わり、窓際の、直射日光が暑い席に戻る。もうすぐ、初夏がやってくる。

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