第1章 木曜日は憂鬱

第2話 深夜のファミレスにて

「お前は世界一不幸な男だ」


 草野は重々しい口を開いて、まるで世界の終わりのような顔をして言った。


「自分では、今人生で一番幸せだって思ってるだろう。

いいかはっきり言っておく。それは、勘違いだ」


 向かい合って話しかけられている相手は、困惑した様子で机の片隅に視線を落としている。

 

まるで死刑判決を言い渡す判事か、重大な病名を患者に言い渡す医者のごとく、パーカーにジーンズ姿の男、草野篤志は続けた。


 そこは裁判所でも病院の診察室でもなく、ワンコインのハンバーグセットが売りの、どこにでもある庶民派ファミレスだ。時間は夜中の十二時を回ったところ。 


「最初はいいだろう。付き合いたてのラブラブ期は一緒にいるだけで楽しくてたまらないだろうな。

 知らなかったところやちょっとした短所なんかも『恋人同士だから』とかいってあまり考えないだろう。でもそんなキャッキャウフフな関係もせいぜい三ヵ月間だ。

 付き合いたての頃の理想と現実のギャップにどんどん苦しくなってくる。

 どうせいつかは別れるんだ。その後の人生、あの時ああしてればよかった、何がいけなかったのか、と無意味な自己嫌悪に陥る苦しみを味わうぐらいなら、最初から付き合わなければいい。

 恋にかまけて、おざなりにしていた仕事や友達のツケが回ってきて、がんじがらめの地獄は永遠に続くぞ」



 草野は一度も噛むこともなく、息継ぎをすることもなく、すらすらと呪いの言葉を吐き続ける。聞いているだけで魂を抜かれそうな、呪い。


 向かいあっている眼鏡の気弱そうな男は、うん、うんと小さく相槌を打って下を向いてしまっている。


 安さと二十四時間営業が売りのファミレスは利用しやすいが、深夜の時間帯ともなるとなかなか客層が悪い。

草野たちも、その治安を下げる一端を担っていた。


「失望した。そんな奴とチーム組むなんてできない」


 静かなる怒りを滲ませながら草野は告げる。


 すると、前髪のひと房だけ金髪に染め、手首に鋲の付いたブレスレット、首にドクロのチョーカーをぶらさげたいかにもバンドマンな『悪玉菌太郎』がストローをガシガシ噛みながら反論した。


「いいかげんにしろよ。今日は『ヘルニア大佐』に彼女ができたのを祝う会だろ」


 生まれて初めてバイト先で彼女ができた喜びを分かち合いたいと思い、友人たちを徴集したというのに、思わぬ洗礼を受けた『ヘルニア大佐』が可哀想である。


「だからその考えた方が間違ってるんだよ。

恋人ができる、イコール幸せだっていう固定観念を今すぐ打破しろ!」

 

 一人熱くなっている『光合成マン』こと草野が、おしぼりを握りつぶしていると、


「遅れてごめんよ。撮影が長引いちゃって」


 座っている『光合成マン』、『ヘルニア大佐』、『悪玉金太郎』の三人の席に、四人目の男が颯爽と現れた。

 オフ会で集まっている者同士、本名ではなくハンドルネームである。


「『彦星』、遅いよ」


「許しておくれ。『ヘルニア大佐』、今日は君が主役だろう。

彼女のことをぜひ教えておくれよ! いいなぁ僕も可愛い恋人が欲しいよ。 

あ、店員さん、僕ミルクティーね」



 茶色の髪をおしゃれに遊ばせた男は、とても端正な顔をしている。


 たった今、理不尽な説教を受け落ち込んでいる『ヘルニア大佐』を覗き込み、心配そうな様子で長い脚を折り椅子に座った。


「『光合成マン』さんが、彼女となんか別れろって」


 泣きそうな『ヘルニア大佐』はか細い声で言った。

『彦星』と呼ばれた男は肩をすくめて眉を下げると、草野に向き直る。


「君は何でいつもそうやって人に文句ばかりつけるんだい?」


「おーおー。文句なんかじゃない。これはアドバイスだ。

大切な仲間だからこそ、忠告してやってるんだ」


 草野の憮然とした態度に、やれやれ、と『彦星』が首を振ると、そのタイミングで注文したから揚げとパスタが次々と運ばれて来た

 座っている全員が割り箸と皿を手に取り、口に運んでいく。


「あの、すみません。モデルの星川稔さんですよね?」


 料理を持ってきたウェイトレスの女の子が二人、おずおずと今から揚げを食べようとしていた『彦星』に話しかけた。


 箸でつまんでいたから揚げを皿に戻し、爽やかな笑顔で答える。



「そうですよ」


「わあ! 凄い、ファンなんです。握手してください」


「はい、応援ありがとうございます」



 可愛らしい女の子たちに、嫌がりもせず握手を返すと、二人とも顔を紅潮させ小さく飛びあがって何度もお礼を言いながら仕事へと戻っていった。


 去って行った方から、実物の方がカッコいい、超ラッキー、という声が聴こえてくる。


 『彦星』はその女子店員の背中を嬉しそうに見送って、満足げに前を向くと、禍々しい殺気を放つ二つの瞳と眼が合った。


 腕を組んで貧乏ゆすりをしている、草野である。


「……そんな睨まないでくれよ、今のはあっちから話しかけてきたんだから」


「睨んでなんかいないね。女の子にキャーキャー言われてお金もらってる、イケメンモデルさんのことなんか何も思ってねー」


「何だい何だい、今日はやけに突っかかるね」


 草野の標的が『彦星』に移ったことで、幾分ホッとした『ヘルニア大佐』はめんたいパスタをちびちびと食べだした。


「イケメンと見たらすぐに飛びつく女子に、へらへら笑って返事をする男。茶番だな」


「待ってくれ、僕に対してはいいけど、ファンの子に対しての悪口は聞き捨てならないよ」


 『彦星』はむっとして言い返すも、草野は怒りを抑えるためにストローでジュースをすすった。しかし炭酸がやけにきつくてむせ込んでしまう。


「ちやほやされていい気になってるだろうが、あいつらはお前の顔だけを見てきゃーきゃー言ってるんだぜ? 

 お前の中身なんぞちっとも知らないのにな」


「おいおい、君ねぇ……」


 心底呆れた様子で肩をすくめたあと、負けじと『彦星』が立ちあがる。

 立ち上がるだけのしぐさも、二枚目の彼がやると妙に優雅だ。


「そんな言葉で僕を陥れたつもりかい…? 

忠告しておくが、簡単に僕を怒らせられると思ったら大間違いだよ」

 


 そうやって啖呵を切ると、二人はじっと睨みあった。

 注文をするぴんぽんぴんぽんという機械音が飛び交うファミレスの店内。

 お互いの視線が交わる先に火花が飛び散る。

 

 最初に口火を切ったのは草野だった。



「女に媚び売るヘタレチキンが」



 が、『彦星』は全く堪えない。



「ふん、もっと激しく口汚く罵ってみたまえ」


「顔はいいけど性格が残念すぎるお前は、看板だけ立派で飯のマズいラーメン屋だな!」


「事実だからぜんっぜん悔しくないね」


「ネットで自分のスレに自演してる根暗ネカマ! エゴサして裏垢で自分を褒めてるコメントにいいねしてる卑怯者!」



『彦星』の首元のシャツを掴み上げ、草野が渾身の叫びを放つ。


 ファミレスに居た客、店員全員が、その叫びに沈黙した。


 有線放送を流す室内音楽と、息切れした草野のぜえぜえという激しい呼吸だけが響く店内。


「そうさ、それもセルフプロデュースの一環だよ?」


 『彦星』は胸倉を掴まれながら、それでも目の前の草野に怯えることなく、口元に笑みを浮かべている。

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