第110話 お父さんを篭絡しよう!※三人称
3/30 土曜日 12:00
この時期、道路はピンク一色に染まる。
満開という言葉通りに桜が芽吹き、一斉に世界をピンク色に染め上げるのだ。
理由は簡単、一年ぶりに帰ってくる息子と逢えるのが、楽しみでしょうがないのである。
保護観察官に選任され、一週間もせずに実家から出て行ってしまった我が息子を、褒め称える声は確かに多かった。それもそうだろう、自慢の息子だったのだから、当然至極とも言える。だが、それでも涙したのだ。急すぎる別れは心の準備すら許さなかった。
父、道三の心に残っていたのは、息子が最後に残していった言葉。
この家から大学に通うから、部屋を残しておいて欲しい。
恐らく、今頃息子である桂馬は喜んでいるだろうと、道三はほくそ笑む。
言葉通り、そのままにしておいたのだ。
まさか一年で戻ってくるとは思わなかったが、それでも約束は守った。
妻である
異臭がし、ダニやノミの存在が確認でき、口臭から察するに虫歯だらけなのではないかと。
ただ生きていただけの存在、そんな異性を、伴侶として息子が認めるはずがない。
青少女保護観察プログラムの必要性は誰もが認知している、人手不足は道三が勤務している工場でも日常茶飯事なのだ。優秀な子を産み、一人でも多くの労働者を増やす。国の資本は人間である以上、必要不可欠ではあるものの。
大事に大事に育てた息子の伴侶が、そんな異性でいいはずがない。
大学へと行き、良い職場で働き、良い出会いをして良い伴侶と結婚する。
どんな女性でも構わないが、選定者と呼ばれた女だけは認める訳にはいかない。
選定者というレッテルは、それだけで親族一同が眉をしかめる存在である。
我が黒崎家に相応しい人物だとは到底思えない。
敷居を跨ぐ事すら、本来
だがしかし、そんな道三の表情はどこか安堵に満ちているようにも見える。
観察官と選定者は九割が別れを選択している、この事実が、道三の頬を緩ませた。
我が息子、桂馬もそうに違いない。
ああ、そうに違いないさ。
「ただいま」
道三は慣れ親しんだ我が家の玄関を開け、視線を下へとやった。
そこには息子、桂馬のものであろうスニーカーと、カーキ色をしたパンプスが並んでいたのである。
ふと、違和感を道三は憶えた。
桂馬の靴はいつも脱ぎ散らかしてあるのに、今日はしっかりと揃えて置いてある。
だらしのない女の相手をしているから、こんな事にまで気付く男に成長したのか。
息子の成長を喜ぶべきか、相手の女への怒りを抱くべきか。
一人頭を悩ませながら視線をあげると、妻である
いるのであろう、和室に最愛の息子と、ふてぶてしい選定者である女が。
何事も初対面が肝心だ、
あと二年間は義務として過ごさなければならないが、そこで終わりにすると約束させるのだ。
難しい話ではないだろう、そこは九割という事実が、道三の背中を押してくれる。
先人の道を、ただなぞるように辿ればいい、簡単な話だ。
「失礼するよ」
自分の家の自分の部屋に入るのに、失礼もクソもないよな。
道三は心の中で一人自身へとツッコミを入れながら、座布団に座る若い二人を見る。
すると、そこには緊張からか、正座した膝の上に可愛らしい拳を作って座る、赤毛の女の子の姿があった。
服装もフォーマル過ぎず、カジュアル過ぎず、とても落ち着いた感じに見受けられる。
髪の毛も整えられ、普通にそこらにいる女子高生……いや、それ以上に綺麗な女性が座っているではないか。
妻から聞いた話とは全然違う、これは可愛い。間違いなく可愛い。
呆気に取られながらも、とりあえず道三は着席した。
着席すると同時に、二人がきちんと下座に座っている事にも感心する。
息子の成長は、どんな些細な物でも嬉しいものだ。
「父さんは、会うの初めてだよね」
「……ああ」
「この子が
同棲? 同居の間違いだろう。
同棲とは、恋人以上の二人が、結婚までにする儀式のようなものだ。
それを間違えるとは、桂馬もまだまだ可愛いところがある。
道三が口にせず黙っていると、隣に座る可愛いのが頭を下げた。
ゆっくりと顔を上げると、大きな胸を膨らませるように一呼吸してから、彼女は喋り始める。
「火野上ノノンです。ご子息である桂馬君と一緒に、シャトーグランメッセにて生活させて頂いております。お父様とのご面会にとても緊張してしまい、今も言葉を噛みそうになってしまいますが、無礼と感じましたのならば、ご容赦のほど、宜しくお願いいたします」
華やかな笑顔と共に、とても
容姿端麗、才色兼備、
道三は隙さえ見せれば噛みつく虎のような気持ちでいたのに、すっかりその牙が抜かれてしまっていた。全てが妻である
まさに言葉通り、初対面、第一印象で全てが決定してしまった瞬間である。
「あ、ああ……私は、黒崎道三という。息子の桂馬とは、仲良くやっているようだね」
「はい、とても楽しい毎日を過ごさせて頂いております」
「そうかそうか、それは良かった。おい、母さん、買ってきた寿司でも食べようじゃないか」
息子が連れてきた選定者の娘は、想像以上に素晴らしい女性だった。
「お父様、お酌しますね」
「おお、すまない。やはり美人に注がれると酒が美味いな」
「ふふっ、よかったです」
道三は心の底から感心していた、お酌をするために隣に座る所作や、お酒を持つ指の位置、彼女のどれをとっても十六歳の女の子が出来るレベルの物ではない。
会話の相槌もいい、俗にいう聞き上手だ。
酒の肴を並べるタイミングも、お酌のタイミングも、何もかもが素晴らしい。
会社の飲み会でも稀に存在する、その子がいるだけで酒の場が楽しくなる女性、息子が連れてきた火野上ノノンという女性は、まさにそれに該当する女の子なのであった。
こうなるともう、道三はただただ楽しいだけである。
息子の相手なのだ、遠慮は最低限でいい。
「ノノンさんは、ゴルフとかやったことあるのかな?」
「いいえ、一度もありません」
「そうか、じゃあこれから一緒に行こうか?」
「本当ですか! ぜひ一緒に行きたいです!」
ノノンの素直な反応に、道三はまたしても嬉しそうに眼を細くした。
ゴルフという単語を耳にするだけで、拒否反応を示す若人は少なくない。
道三は、それが納得いかなかった。
接待としてもっとも重宝されるゴルフを、何故ないがしろに出来るのかと。
目の前の可愛い赤毛の子は、その重要性をきっと分かってくれる。
柔らかい笑みは、いつかの愛妻に見えてしまうほどだった。
「桂馬、お前も一緒に行くか?」
「当然でしょ、ノノンが行くのに僕が行かなくてどうするよ」
「だってお前、昔は部屋に引きこもって全然出てこなかったじゃないか」
「昔は昔だよ……じゃあ車の手配、しておくからね」
息子も変わったな。
そう思いながら、道三はグラスに残るお酒を飲み干すと、側に座るノノンへと声をかける。
「ノノンさん、もう一杯いいかな?」
「はい、お父様·····お酒、お強いんですね」
「ははっ、年相応に飲めるだけさ」
今日はいつもより酒が美味い。
そう感じる道三なのであった。
§
次話『ヒロインを懸けた父子の戦い』
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