第4話 入居数分で汚部屋。
でも、そのおかげで澄んだ気持ちでこの日を迎える事が出来る。
「
「母さん……父さんまで」
「当たり前だろ、息子がこんなにも早く家を出るなんて誰が予想するよ」
「大丈夫だよ、青少女保護観察官プログラムは三年間だけなんだ。大学生になったらこの家に帰ってくるから、部屋とかちゃんと残しておいてよ?」
「桂馬……本当に、出来た息子だ」
両親に抱き締められた後、僕は玄関を出る。
既に黒塗りの高級車が待機していて、僕の初出勤を今か今かと待ち侘びている様子だ。
「お待たせしました」
「黒崎君、両親ともしばらく会えなくなるが、本当に大丈夫かい?」
「大丈夫ですよ、会えないって言っても三年だけなんですから」
「……そうか、いらぬお節介だったな。では、車を出すぞ」
本音を言うと、両親と会えなくなるのは結構辛い。
でも、
更生……なんて偉そうな言葉が言える年齢じゃないけど、出来る限りの事はしたいと思う。
「さぁ、着いたぞ、火野上さんの方が先に到着しているみたいだな」
渡部さんの言葉通り、駐車場には車が一台、既に停まっていた。
車の側に立つのは水城さんであり、先日見た時と変わらぬ姿の火野上さんの姿もある。
相変わらずの猫背、それに縦に二本の白い線が入ったピンク色をしたジャージ姿のままだ。
「あの……最後に質問なんですが」
「なんだい?」
「彼女、どうしてあんなに不潔なんですか?」
「ああ、なんでも自分は綺麗だと言い張っているらしい。綺麗だからお風呂に入る必要はないと言っていてね。施設の人は以前の暴行事件を知っている人が多く、誰も強引にはしないんだよ。美容院も受け入れ拒否、床屋さんは彼女が入ろうとしない。更に我々は彼女に対する特権は付与されていない。……そして、今に至る訳さ」
洗わない方が彼女に対する虐待だと思うんだけど。
でも、色々あっての今なんだろうな。
水城さんも彼女の臭いによく耐えてるもんだ。
さりげなく車の扉とか開けてあるし、大変だったんだろうね。
すぅっと息を吸って、渡部さんへと会釈をする。
「ここで大丈夫です、後は僕と彼女の問題になるのでしょうから」
「そう言って貰えると安心するよ。ただ、無理はしないでくれな」
「はい、スマートフォンだけは肌身離さず所持していますからね」
「何かあったら即連絡、下手な大人より立派な思考回路だ」
くしゃくしゃと頭を撫でられた後、彼女の前へと向かう。
一歩一歩近寄るだけで異臭がしているのが分かる、鼻が曲がりそうだ。
極度の猫背のまま僕を見ようともしない、幽霊だと言われたらそうだとしか思えない雰囲気。
そんな彼女の前に立ち、さっと手を差し出す。
「僕、黒崎桂馬、この前はちゃんと自己紹介出来なかったけど、今日からは同棲相手だから……宜しくね、火野上ノノンさん」
――――パンッ!
耳に響く衝撃音。
ああ、僕は普通の生活を送ってきたんだなという実感を、彼女のビンタと共に味わった。
熱を帯びる頬、この行為が彼女のプライドを傷つけたのか? ……だが、想定内だ。
「火野上!」
「ノノン、貴女!」
渡部さんと水城さんが駆け寄ってきたのを、手で制する。
これぐらいは序の口でしょ。だって、相手は普通じゃないんだから。
「どんなに強がっても、僕は君の保護観察官なんだ。何があっても君から離れないし、何があっても君を見捨てたりしない。三年間で君を更生してみせる……だから、改めて宜しく」
「……キモ」
初めて声を聴いた、掠れる声、だけど女の子らしい男が出せない高い声だ。
「部屋は見た? まだなら僕が案内するよ」
「……」
ぷいっと無視して先を歩く。いきなり逃げるのも想定していたけど、流石にそれはなさそう。
振り返ると、渡部さんと水城さんが心配そうな顔をしていたから、二人には親指を立てて、サムズアップで返しておいた。
先を行く彼女を慌てて追いかける。
脂でぺっとりとした赤く長い髪、ぱさぱさじゃなく、逆に束でくっついている感じだ。
荷物の類が何もないけど、まさか手ぶら? いや、先に持ち込んであるのかな。
とりあえず、声を掛けるか。
「こんなに大きいマンションとか住んだことないよね、僕だって初めてでさ」
「……」
「あ、この自動扉ね、僕がいないと開かないんだって」
「……」
「キーホルダーは持った? それが無いと入れないからね」
「……」
「凄いよね、三十階だってさ、こんな高い場所数えるくらいしか行った事ないよ」
「……」
「ここが玄関、ここも三重ロックになっててね、一度入ると……ほら、三つのデッドロックが掛かって、もう二度と開かなくなるんだってさ」
返事なんて気にしない、渡部さんから教えて貰った内容をオウム返しのように語る。
と、玄関まで来たところで、彼女が叫んだ。
「うるさいッ!」
「あ、えと」
「うるさいうるさいうるさいッ! ノノン、沢山は理解出来ない! ウルサイからあっち行って! もう側に来ないで!」
「……ごめん」
ずんずんずんって歩くと、彼女は予め指定されていたのか、玄関から右側二個目の扉を乱暴に開けて中に入ってしまった。
いきなり話しかけ過ぎるのはダメか、距離感が出来てなかったかな。
しかし……彼女が通った後は悪臭が残る。洋服も洗ってないみたいだし、靴も酷い。
ボロボロ過ぎなんじゃないか? 紐も茶色く染まってるし、靴ベラだって真っ黒だ。
……洗うか。
「げ、なんだよこの色」
浴室で彼女の履いていた靴を洗うと、信じられないぐらいに濁った色になって流れていく。
靴用の洗剤なんてないからシャンプーで勝手に洗ったんだけど、こりゃ酷いな。
黒い靴なのかと思ったら、元は白っぽいピンクの靴だったし。
いや、もしかしたらピンクなのかも。劣化してこの色になっちゃっただけで。
洗って気付いたけど、この靴アニメが描かれてるのか? 小学生向け?
「なんで!」
「うわ、ビックリした」
「なんでノノンの靴洗ってるの!」
「汚いから洗ったんだけど」
「ノノンは、ノノンでするの! ほっといてよ!」
「ああ……え?」
まだびしょ濡れの靴を僕から奪い取ると、火野上さん、そのまま部屋に持って行っちゃったんだけど。嘘だろ、一切拭かないで持って行くのかよ。脱衣所から廊下、彼女の部屋までびしょ濡れじゃないか。しかし自分のことは自分で出来る? 一体どの口が言ってるんだ。
「……って、扉開けっぱなしか」
脱衣所から廊下を除くと、彼女の叫び声と共に開ききった扉が見える。
家の構造上、この廊下を通らないと僕の部屋にもリビングにも行けないのに。
いや、まずは濡れた廊下を全部拭かないと。
彼女の部屋だって酷い事になっているに違いない。
どれもこれも新品だけど、適当なタオルの封を切って彼女の部屋に向かう、すると。
「げ、え? ちょっと待って、何だよこれ」
少なくとも、僕が渡部さんと一緒にこの家に来た時には、何もない綺麗な部屋だった。
それが今や彼女の荷物を入れていたであろうキャリーバッグが全開にされ、他にもリュックや段ボール箱、その他、何かが入っていたであろう箱や袋が全部開封され、収納されていたものがあちこち床に散らばっている。
当の火野上さんはというと――
「ないない! ノノンのなのに! どこにもない!」
何か喚きながら、箱の荷物をひっぱりだしては投げ散らかしていく。
荷物っていっても、日用品や洋服、下着の類はあらかじめ用意されている。
だから、持ってくると言っても、バック一個程度で済むはずなのに。
あーあ、何もかもぶちまけて、部屋の中がどんどん汚れていく。
げっ、ゴキブリ!? 彼女の荷物の中からゴキブリが出てきたんだけど!?
ちょちょちょっと、殺さないと。
あ、ダメだ、もう荷物の隙間の中に隠れて見えなくなっちゃった。
「ね、ねぇ、火野上さん、なに探してるの?」
「ノノン一人で出来るから! お前は部屋に来るな!」
「出来てないから聞いてるんだよ、探し物はなに? 教えてくれたら手伝うからさ」
「出来てる! 出来てるよ! ノノン、出来るって言ってるのに、なんで邪魔するの!?」
「邪魔してないって、協力するから教えて……え? 血?」
火野上さん、よく見たらジャージの下を脱いで、穿いていたであろう下着も右足の足首に残ったままだ。そして床に広がるどす黒い血……彼女の股間から結構な量の血が溢れてきているじゃないか。咄嗟に脳裏に思い浮かんだのは十歳の頃の強姦の図、まさかこの家に来るまでの間に襲われたとか? ――――渡部さんに連絡しないと。
『生理だな』
「生理……ですか」
『ああ、鎮痛剤と生理用品は彼女の部屋にあるはずなんだが。どうする? 水城君を行かせようか?』
「えっと、あ、いえ、試しに火野上さんに渡してみて、それでダメなら再度連絡します」
『分かった、無理はするなよ』
「はい……あ、そうだ。この家ってゴキブリホイホイとかってあります?」
『それは流石に用意してなかった。荷物の中に紛れ込んでいたか』
「その通りです、宜しくお願いします」
生理か……それであんなに焦ってたのかな。
年頃の女の子なんだ、焦って当然か。
「火野上さん、ちょっと中に入るよ」
彼女は床に座り込んだまま、沢山の荷物に囲まれてうーうー唸っている。
到着してほんの数分でこの部屋だけ汚部屋だ、臭いも凄いし、床も血まみれだ。
ちなみに生理用品はすぐに見つける事が出来た。
壁一面が収納になっていて、そこにテプラでちゃんと書いてある。
でも、既に彼女の太ももあたりは血で汚れているし、何にせよ臭いままだ。
……よし、さっそくだけど、お風呂をお願いしようかな。
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