14章 魔の巣窟  24

 食事会が終わると俺は城内の一室に案内された。おそれ多くも城で一泊できるらしい。


 ベッドの上で横になって休んでいると扉がノックされた。


「休んでいるところ済まんな」


 そう言いながら入ってきたのはラーガンツ侯爵だった。いつもの貴族服ではなく、ゆったりしたガウンのようなものを羽織っている。いつも後ろで束ねている栗毛色の髪も下ろしていて、少しドキリとする美しさであった。


「いえ、どうぞこちらへ」


 備え付けの椅子に座ってもらう。侯爵が座る時に椅子をベッドに近づけたのはなにか内密の話があるからだろうか。


 侯爵は咳ばらいをひとつすると、俺の顔をじっと見て口を開いた。


「今回の戦いにおいてはソウシ殿には感謝の言葉もない。まさか兵にほぼ被害をだすことなく王都が落とせるとは思ってもみなかった。しかもあのリッチレギオンを一人で倒し、怪しげな魔導師まで退けたとなると、その功績は天にも届くほどだ。貴殿はそのあたり謙虚にとらえているようだが」


「どちらかというとあまり大げさにとらえて欲しくないという気持ちが大きいのです。こういった戦で功績を独占する者がいるのもよろしくないと思いますし」


「普通ならいらぬ妬みを買うことはあるかもしれんな。ただ貴殿の場合は冒険者、言い方は悪いがこの国には関係のない人間だ。妬みを買う可能性は低いと思うがな」


「なるほど確かに。ジゼルファ公について利益をむさぼってきた人間は恨み骨髄でしょうが」


 そう言うと侯爵は目を細めて「ふふっ」と楽しそうに笑った。


「そういう連中はこれから痛い目を見てもらわねばならんし、貴殿を恨むような余裕もなかろう。問題が出てくるとすれば今回の功績で貴殿に爵位を授けるなどいう話になった時であろうな」


「それはなんとしても避けていただきたいのです。実はヴァーミリアン王国でも似たような話がありまして、お断りしたところなのです」


「ほう、貴殿は私が思ったよりもはるかに大人物のようだ。しかしそうなると余計に貴殿には近くにいてもらいたいという気持ちが強くなる。先ほどの話ではないが、今後もいろいろと恐ろしいことが起こりそうであるしな」


 そう言うと侯爵はさらに椅子を引いて俺に近づいてきた。掛け値なしに美しく、その上にガウンの上からでもわかるほどのグラマラスな女性である。俺は妙な胸騒ぎを感じ、別の話題に逃げることにした。

 

「そういえば北の国王派の貴族が軍を率いてくるという話はどうなったのでしょう?」


「王都が一日で落ちたと知るや慌てて逃げかえったそうだ。ジゼルファ公を奪還しにくるかと思ったのだが、それよりリューシャ様に帰順して難を最小限にする方を選んだようだ。もちろんリューシャ様のもとに『鬼神』がいるという噂も大きかったようだぞ」


「いやそれは……。『鬼神』はともかく、これ以上の戦にならなかったのは朗報ですね」


「その意味でも貴殿の働きはまことに大きいのだ。王都の市民にとってはまさに英雄そのものだ。それが早々に姿を消すとなっては妙な勘繰りもされよう」


「後日褒賞をいただければそのような勘繰りも消えるでしょう」


「まあそうなのだが……ときにソウシ殿は冒険者をいつまで続けるつもりなのか」


 そう言いながら、驚いたことに侯爵は俺の隣に身体を移してきた。


 さすがにここまでくれば、この距離感になんの意味があるのか分からないと言うつもりはない。しかし不明なのはその理由である。貴族として強力な冒険者を確保しておきたいというのなら理解できる。しかしだからとって、上位貴族である彼女自身がこういった態度にでるのはおかしいだろう。


「いつまで続けるかはわかりませんが、自分が冒険者としてどこまでいけるのか見極めたいとは思っています」


「それは冒険者として頂点を目指すということか?」


「いえそうではなく、単に自分の限界を知りたいというだけです。それにこの世界……いえ、大陸のことも自分の目で見て知っておきたいという気持ちもあります」


「ふむ。しかし最後には帰るところが必要だと思うぞ。それについては考えているのか」


 そう言うと、侯爵は俺に寄りかかるように体を寄せてきた。いやこれは……本当にいったい何が起きているのだろうか。


「いえ、そういったことはまだ……」


「ならばすべてが終わったら私の元に来てはくれぬだろうか。もちろん仕えて欲しいなどという意味ではない。私の言いたいことは分かるな?」


「え、ええ、もちろん分かりますが……。その、なぜ私なのでしょうか?」


「野暮なことは聞くな。私もこのような気持ちになったのは初めてなのだ」


 潤んだような瞳で見上げてくる美女は背筋が寒くなるほどの魅力があった。


 彼女についてはその貴族としてのありようなども敬意を持てるところではあるし、俺自身としても彼女の言葉が本気なら嬉しくないということはない。


 しかしその好意を受け入れるには、俺にはつっかえるところがあるのも確かだった。


 もちろんその一つはパーティメンバーのことであるが、今はそれ以上に「自分がこの世界において何者であるのか」ということが引っかかるのだ。


 この世界に転移してきたこと、3か国にまたがって名を知られるようになったこと、そういった業績がどう考えてもめぐり合わせなどといった言葉では説明できないこと……


 このあたりの整理がつかない限り、俺は伴侶を持つなどといった行動はできない、そんな気がするのである。


 俺が難しい顔をしていたからだろうか、侯爵はふと寂しそうな表情で目を伏せた。


「やはりいささか歳のいった身ではそれはかなわぬか」


「侯爵、それは違います。正直に申し上げますと、私にとって侯爵は非常に魅力ある女性です。ただ私にはお受けできない理由がございまして……」


「聞かせてもらっても?」


「ええ、お話しましょう――」


 侯爵の思いを無下にすることもはばかられ、俺は思っているところをすべて――といってもさすがに『自分がこの世界に転移したこと』だけは話せなかったが――伝えた。


「なるほど……。思った通り貴殿は常人には測れぬなにかを持っているのだな」


「自分自身測りかねているところでございます。先ほどの話はそれを見極めたいというところもあるのです」


「ふむ……。しかしそれを見極めたころには、貴殿はもしかしたら私よりはるか高位にいることになるかもしれんな」


「いやそれはないかと思います。その気もありませんし……」


「私とて好きで侯爵などになったわけではない。しかし相応の力をもつものは相応の地位につかねばならぬ。本人の意志すらも無関係にな。貴殿なら理解できよう?」


「はい、それなりの年数は生きてまいりましたので」


「ならばよい。そのような話であれば今はこれ以上踏み込むまい。貴殿が己を見極めた時にもう一度同じことを聞くとしよう」


「いや侯爵閣下……」


「先ほどの魅力があるという言葉は空言か?」


「まごうことなき本心でございます」


「ならばその時が来たら貴殿から声をかけてくれ。もちろん側室という形でも構わぬ。それくらいの気持ちが私にはある」


「は、はぁ……」


 侯爵は俺の胸に手を置いて真剣な目でじっと俺の顔を見上げ、そして立ち上がるとそのまま部屋を去っていった。


 いやまさかこんな事が起きうるとは微塵も考えていなかった。というより今のやりとりが現実にあったのかどうかさえ分からない気がする。


 しかしこんなことは誰に相談できるはずもない。秘め事として心に沈めておくしかないのだろうが、まさかこの歳でそんな経験することになるとは。


 正直この世界に来たこと以上に驚きの話である。




 翌日朝食を済ますと、俺は一泊した部屋を整理してリューシャ少年の元へと向かった。


 もちろん出発前の挨拶のためである。俺が王都を発つことに関しては、旧国王派貴族への牽制を保つ意味でも内密に行うことになっている。なので大々的な見送りなどももちろんない。


 国王の執務室の前までいくとすぐに中に通された。


 執務室は前国王の趣味だろう、美術品が過剰に並べられ、調度品も意匠の凝った高級品で揃えられていた。


 部屋にはリューシャ少年1人であった。いささか居心地が悪そうな顔で執務机の向こうに座っていた。


「ソウシさん、お待ちしていました」


 部屋に入ると、リューシャ少年は明るい顔になって立ち上がり俺の方に近づいてきた。国王となる身で客と1対1で会うのはマズい気がするのだが、俺が注意するところでもない。


「リューシャ様、今までお世話になりました。私はこれにてお暇をいただきますが、お呼びいただければ参上いたしますので都合の良い時にお呼びください」


「こちらこそ本当にお世話に……なんて、そんな言葉では尽くせないほどソウシさんには力を貸してもらいました。ソウシさんがもしこの国に来てくれなかったら、きっと酷い戦いになっていたと思います。それに『悪魔』も、あの時の『リッチレギオン』も大変な被害がでていたでしょう。本当にありがとうございます」


「お役に立ててなによりです。しかし国としてはこれからの方が大変だと思います。リューシャ様もご自愛をお忘れなきようお願いします」


「前にソウシさんが言ってた通り、これからが僕の出番だと思うので頑張ります。それにソウシさんにいただいた指輪もありますしね。『毒耐性+3』は相当に貴重な品だと聞きました。これがあれば安心です」


 そう言うリューシャ少年の顔には屈託はないのだが、『毒耐性』があるから安心というのは何度聞いても落ち着かない話である。


 俺が次の言葉に困っていると、リューシャ少年は距離をつめて声を潜め気味に言った。


「ところでミュエラ……侯爵がソウシさんになにか言いませんでしたか?」


「は……いや、ええ、昨夜少しお話はしましたが……」


「やっぱり。ちょっと前から変だなって思ってたんですけど、ついに話をしたんですね」


 そう言うと、リューシャ少年は訳知り顔で笑顔を作った。どうやらなんの話をしたのかはお見通しのようだ。


「それでソウシさんはどうお答えになったんですか?」


「いえ、私はまだ冒険者としても半端な人間ですから、お断りをしようと……」


「しようとしたけど断りきれなかったんですね」


 下から見上げるようにするリューシャ少年に言葉をかぶせられて、俺はつい頷いてしまった。


「冒険者として行くところまでいったらお答えするということになりました」


「ああなるほど、さすがミュエラだね。ところでソウシさんは北の帝国にも行くと言ってましたよね?」


「ええ、ギルドのグランドマスターにも会わないとならないので」


「とすると、ソウシさんはそちらでも名をあげる可能性は高いですね。う~ん、そうすると帝国の貴族として迎えるというのもアリかなあ」


 後半は恐らく俺には理解できない話のようだが、前半に関しては確かにありうる話ではある。帝国に行った時にまたなにか可能性は、今までを考えると十分にある。


 まあともかく今はパーティと早く合流をしたい。帝国に行くのもまだまだ先のことであるし。


「リューシャ様、私はそろそろ出発をしたいと思います。旅先でリューシャ様のご活躍をお祈りしております」


「まだまだお話をしたいのですが、それは次の機会にします。どうかお気をつけて」


 少年はそう言うと右手を差し出してきた。握り返して感じるのは、本当に華奢な手だということだ。この手に国という重圧がのるのかと思うと、おっさんとしてはなんとも複雑な気持ちになる。


 手を離すと、少年は指輪に手を添えながら「また会いましょう」と笑った。


 「必ず。ではこれにて失礼いたします」と答え、俺は執務室を後にし、そのまま王城の出口へと向かったのであった。

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