14章 魔の巣窟  17

「今日戦場でなにが起こったのか、正直なところ私にはまるで理解できなかった。アースリン、お前はどうだ?」


 ラーガンツ侯爵閣下が問うと、腹心のアースリン氏は首を静かに横に振った。


「いえ、私にもまったく。アンデッドが見る間に駆逐されたと思ったら、気付いた時には相手軍が戦意を完全に喪失していたという感じで……」


「やはりそうよな。矢すら放つことなく勝敗が決するなどあり得ぬことだ」


 今俺たちがいるのは侯爵軍の本陣の天幕の中である。大きなテントの中にテーブルが置かれ、その周りに10人の人間が座っている。


 侯爵閣下とリューシャ少年、アースリン氏ほか各部門部隊の統括と、今日捕らえたドゥラック将軍、そして俺である。いや、ここに俺がいるのはおかしい気もするのだが。


 侯爵は俺の方をちらと見てから、その場にいる者たちを見回した。


「だがそのおかげでドゥラック将軍以下3万の兵がこちらにつくことになった。これは王都を落とす絶好の機会であると思うが、皆の意見を聞きたい」


「兵の士気を考えれば、このまま進軍し一気に片をつけるべきかと思います」


「増えた3万の兵を長期に養うたくわえも領にはございません。であれば、彼ら自身の持つ糧食が尽きぬうちに王都へ攻め上るべきでしょう」


「しかし攻城戦となれば長期戦になります。補給線は確保できるとしても、5万を超える軍の胃を満たすほどの糧食をどう調達するか難しいところです」


「そこは他領にも頼るべきところだろう。ラーガンツ領だけで考えるものではない」


 侯爵の幕僚たちがいろいろな意見を交わし始める。


 今回の戦いは防衛戦ではあったが、勝った場合そのまま王都へ攻め上るという話も事前の計画にはあったようだ。明日には他領の軍も合流するようだが、彼らもそのつもりで兵を送っているらしい。


 問題は今回の戦いで忠義の人ドゥラック将軍が麾下きか3万の将兵と共に投降したことだ。彼らは投降したばかりか王都攻略を共にしてくれるという。派遣された軍がそっくりそのまま敵に寝返るなど聞いたこともない話だが、それだけジゼルファ王は人望がないということだろう。


 ちなみに将軍が侯爵側についたのはリューシャ少年の存在も大きかったようだ。少年に助けを乞われ、涙ながらに命に従うことを了承したらしい。こういった忠義の話はおっさんとしても感じ入るところがあると同時に、そんな世界が実際にあるということに驚きも感じてしまう。


「ところで大英雄ソウシ殿、聞きたいことがあるのだが」


 話し合いが一段落した所で侯爵が俺に話しかけてきた。今回の件は結果として自分でもやり過ぎたと感じてはいるところなのだが、さすがに「大英雄」は言い過ぎと思わなくもない。


「なんでしょうか?」


「貴殿は城壁を破ることができるか?」


「敵が城壁に拠って守りを固めるのであれば可能だと思います」


 多分これ滅茶苦茶な話をしてるんだろう。アースリン氏やドゥラック将軍はじめ、全員が呆けた顔でこちらを見ている。ただリューシャ少年だけが輝く瞳を向けてきているが。


「敵がうって出てきたらどうなる」


「城壁までたどりつくのが少し面倒になりますね。一般兵はできれば吹き飛ばしたくはないのですが」


 冒険者が一般人を傷つけるのは相当に重い罪であり、冒険者カードにもしっかりと記録されてしまう事項である。ただ戦争でやむなくとなればそこは謎判定でセーフらしい。とはいえ一般兵となると基本的には善意の一般人であるし、さすがに俺の持つ倫理観が殺傷することを躊躇させる。


「軍勢がどれだけいても結局は城壁を破れるという意味に聞こえるが」


「相手方にAランクの冒険者が複数いればあるいは厳しいかもしれません」


「ドゥラック将軍、王都にはどれだけの冒険者がいるかご存知か?」


 侯爵が問うと、将軍は呆けた顔から厳しい表情に戻りつつ首を横に振った。


「Aランクは王都の冒険者を集めれば10人近くはいるでしょうが、彼らは戦いには参加しますまい。親衛騎士の中に元Aランクが2名おりますがソウシ殿の相手にはならぬでしょうな」


「将軍も元Aランクであったと聞いているが?」


「これでもまだ現役であると自負しておりましたが、まるで赤子のように扱われました。およそ人が相手をできる御仁ではございませぬ」


「やはりそれほどのものなのだな」


 そう言うと侯爵は背もたれに身体を預けて長く息を吐いた。


「我らは知らぬうちに恐ろしくも頼もしい人物と知り合っていたということか。しかしそうであるならばこそ、これは至上の好機と見るべきだろうな」


「それは間違いのないところかと」


 アースリン氏が答えると、他の幕僚も一斉に賛意を示した。


 侯爵は頷くと立ち上がり、リューシャ少年に向き直り、恭しく礼をした。


 合わせて少年以外の全員が立ち上がったので、俺もつられて立ち上がってしまう。


「リューシャ様、ただ今のお話の通り、明日より我が軍は王都へと攻め上ろうと考えます。不当に玉座をかすめ取り、民意に沿わぬ政を敷くジゼルファ公を討つ御許可をたまわりとうございます。なにとぞご下命を」


「よろしい。汝、ラーガンツ侯爵にジゼルファ公征討の許可を与える。速やかに事態を収め、正当なる政が行われるよう尽力せよ」


「はっ、この身に代えましても必ずや命を完遂いたします」


 侯爵に合わせて全員が礼をする。


 もちろん俺も頭を下げるが、戻すときにリューシャ少年と目が合ってしまった。


 彼の眼にはこの戦が始まる時の不安の色はすでになく、それどころかどことなく夢を見ているような雰囲気すらあった。今回の戦いで情勢が一気に侯爵側に傾いたので、彼の気持ちも少しは楽になったということだろうか。


 まあともかく、これで後数日でパーティと合流することができるようになりそうだ。後は問題となるのは、ジゼルファ王側で更なる隠し玉があるかどうかだが……覚悟だけはしておいた方がいいだろうな。



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